2月18日(日)は色々有りました。

地域総行動に参加して

エスニックフード祭りでお客さんして

蕨にヘイトデモとカウンターの様子を見に行ってきました。

時系列でそのまま書いていきたいと思います。

 

 

まずは地域総行動

川口市の各団体、労働組合さんや市民運動さんに混じって

共産党川口市議団も集会とデモに参加しました。

写真は朝10時から始まった集会の様子。川口駅西口公園です。

各団体から代表者が順番に挨拶をしていきました。

階段部分ではズラリと大勢の参加者が

旗や幕を持ってその場で座って挨拶を聞いていました。

 

この集会の後

デモ行進が始まり川口駅周辺を4列に並んで更新しました。

「消費税を5%に引き下げろ~」
「最低賃金を1500円に引き上げろ~」

「学校の先生をふやせ~」

などなどシュプレヒコールをあげ

拳をあげて行進しました。

それなりに周りの人々の注目を集めていました。

ゴールに達すると解散です。

そこはもう川口駅東口前きゅぽら広場

目の前でエスニックフード祭りが開催されていました。

 

 

12時からステージが始まり

一番最初にオルズグルさんがウズベキスタンの民族衣装をまとって

挨拶をされました。(以下、記憶で書いています。正確さには欠けます。)

 

オルズグルさんはウズベキスタン出身で10代で大学卒業しています。

今では4つの飲食店を営む経営者であり世田谷区議会議員でもあります。

なぜ政治家になったのか?というと

来日してから企業に就職活動したら「日本の大学を出ていないから」と

ことごとく不採用になったそうです。

そして部屋を借りる時もお店を出す時も

外国人だから、日本での実績がないからと

たくさんの壁に当たったそうです。

こんな外国人だからと壁にあたる社会を変えたいと。

誰もが認め合い、共生する社会にしたいと政治家になったそうです。

(なんて立派なんだ)

オルズグルさんは、川口市はこういった祭りができるのが素晴らしいと。

エスニックフード祭りは食べ物を通して多文化を知ることができる。

こういった身近なところから多文化共生を進めていける。と

川口市を褒めてくれました。

 

あとから声をかけて写真を一緒に撮ってもらいました。

一緒に写っている男性は活動家友達で本日の道連れの米山氏です。

 

 

その後、エスニックフード祭りで食べまくり

クルドの手芸屋さんでビーズのメガネストラップも買いました。

そして、店主さんに日本語教室について色々お話を伺いました。

 

川口市はパートナーステーションで教材の貸出があるし

川口市は自立支援をかなりやってくれていると。

自立支援に関しては外国人も日本人もなく皆に対して、やっていると。

蕨やさいたま市よりも進んでいると川口市を褒めてくれました。

 

要望としては公民館で日本語教室をされているそうで

公民館を使いやすくしてほしい、ロッカーなどあってほしいと

言っておられました。

 

ここでも川口市が褒められていて意外でした。

あの有能な市長が居る蕨市よりも進んでるのね。

 

この後、ちょっとブラブラしてから蕨駅に移動しました。

この日、蕨でヘイトデモが行われることになっており

蕨駅に警察がいっぱい居ました。

 

 
駅前でヘイトデモを許さない川口市民の方々が
スタンディングアピールとスピーチをしていました。

他にも徐々にヘイトカウンターの人々が集まってきました。

私は米山氏が持ってきていた
「ヘイトスピーチを知っていますか?」の
三つ折りリーフをエレベーター付近で配りました。
警察がいっぱい居るので
「なんだ?なんだ?」と思う人々が結構居て
リーフがかなりはけました。
 
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デモは2時半から芝新町公園出発し蕨駅東口ゴールの予定でした。

蕨駅前に居てもイカンでしょうと、私たちも2時前に移動しました。

しかし、しばらく行くと

芝新町公園に繋がる道は警察が封鎖していました。

近所の住民は通されますが

ヘイトカウンターと思わしき人々は通せんぼ。

「デモがあるから通らないでくださいって」・・・

 

 

封鎖された道の前でカウンターの人々と警察が滞留して

硬直状態になりました。

一部のカウンターの人は警察に

「あなた達は何を守っているんですか?」と抗議をしていました。

道の奥に日本の旗が見えていました。

カウンターの中にはお経を拡声器で流したりする人も居て

「それはちょっと止めたほうが良くない?近所迷惑なんじゃない?」

と言ったけど

聞いてもらえませんでした。

 

 

やがてデモ側に動きが見られて

カウンターも移動しました。

蕨駅東口商店街大通りの歩道で

並んでデモが来るのを待つようにしました。

この間

カウンター側でマイクを出して

ご近所の方々に話しかけました。

今ここをヘイトスピーチをするデモが通ろうとしていると

ヘイトスピーチを侮ってはいけない。許してはいけないと。

ここには有志が集まっている。と言うことを伝えました。

 

これは大事なことだなと思いました。

「議員さんも来ています」と私にもマイクが回ってきたので

私も話しました。

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私は差別は戦争のもとになると思っています。

平和を思うのなら差別の段階で

反対の意志を示さなければならないと思ってます。

 

差別する人は差別していないと言うけれど

言われている側はとても傷つきます。

 

もしも自分が外国に住んでいて「外国人出ていけ」と言われたり

その国の旗を持って行進されたらとても怖いのではないでしょうか?

自分がされてイヤなことはヒトにしない。

自分の街でヘイトデモ起こさせない。

ここには各地から平和を願って声を上げる人が集まってきました

みなさん連帯してください。

 

というようなことを言いました。

素直な思いです。

 

その後も数人の方がマイクで自分の思いを話してくれました。

中にはクルドの方もいました。

そうしているうちにデモが近づいてきたのか

警察が車道をたくさん歩いてきました。

 

 

警察、警察、警察

なんの祭りよ?と訊きたくなるくらい警察のオンパレード

警察車両の後にようやく日本国旗が見えてきて

眼の前を通り過ぎていきました。

そしてまた警察・・・・後は短いものでした。

 

デモ隊の人数が少なすぎて驚きました。

10人居たか居ないか

 

警察は500人くらい居ます。

ヘリコプターまで飛んでいます。

 

私はちょっと呆気にとられました。

その間にカウンターの人々はデモ隊を追って移動し

周りは潮が引くみたいに人がいなくなりました。

3人ほど残っていたカウンターの人たちとちょっと話をして

私もまた駅に向かいました。

 

蕨駅前は人が警察でいっぱいで紺色に染まっていました。

何事かと

駅のそばの道で立ち止まって見ている人々がたくさん居ました。

もう人でいっぱい。

デモ隊やカウンターがどこにいるのか全然わかりませんでした。

でも何か言い合っているようで聞き取れないけれど

声が沢山聞こえました。

 

滞留していたのがゴソッと動いたかと思うと

デモ隊が蕨駅の階段を登って駅のホームに向かい

帰っていったのでした。

私が階段の下まで移動した頃には

階段を登る複数の警察官の後ろ姿しか見えませんでした。

デモ隊は最初から最後まで警察に囲まれていたのです。

 

米山氏と再び会えて

デモ隊が帰ったのを確認し

二人でカウンター側に解散するよう言いに行きました。

 

マイクで周囲に状況説明をしてくれた人が居て

おかげさまで、どんどん人が帰っていきました。

警察もゾロゾロと帰っていき

駅前は急速にいつもの様子を取り戻していきました。

私と米山氏も電車に乗って川口駅に帰りました。

川口駅デッキでは日本国旗と地元衆議院のしんどう氏の旗

拉致被害者の会の旗があり署名運動が行われていました。

 

ここで日本国旗に会うとは

目をそらしたくなってしまいます。

デッキを降りていくと

エスニックフード祭りがまだやっていたので

へったお腹を満たしていき

初めは不便に思っていた

ゴミステーションが1箇所であることが偉いな、と

思うようになりました。会場はキレイです。

 

米山氏は新宿のデモに参加しに行きましたが

私は床屋帰りの夫と合流して帰宅しました。

 

後からSNSで新宿デモの様子を見て
複雑な気持ちになりました。

この日は色々思うところがあり頭がグルグルしました。