<写真は福井市の公立小学校のELT(英語教育)の一コマ。とどろみの教育を見ているようでした>
話題の犬山市の教育方針は、目からウロコ。
全国学力・学習状況調査に不参加したことで、一躍有名になった犬山市教育委員会。
最近、教育委員の解雇があり、「犬山市の教育はどうなるのだろう・・・」と関心を寄せる人々も決して少なくはないと思われます。
しかしやはり百聞は一見にしかず、で犬山市が独自の教育理念をもち、実行してきたことがよく分かりました。
「私たちは上手く教えようとはしません。いかに子どもたちの力を引き出すか、教えるのではなく子どもたちが自ら学ぼうとするためのコーディネイターの役割を果たすのです」という説明は、説得力がありました。
教室では子どもたちの机がコの字に並べられ、お互いの様子がわかるように工夫されていました。
与えられた問題を子どもたちで考え、解き方や答えがわかった子は分からない子に教えてあげます。
クラスには発達障害の子どももいたそうですが、見ていてまったく気づきませんでした。
それだけ、子どもだち同士の学びあいが見事に成立しているのだそうです。
教える側の子どもはどのように伝えたら相手が理解できるか考えることで問題を整理でき、コミュニケーション力を磨くこともができるため「わからない子に教えていると、学習の進捗が遅れるのではないか」というような保護者のクレームは皆無。犬山方式の教育を保護者も理解し、歓迎しているそうです。
また、少人数学級をさらに二分して少人数教育を実施されていました。
習熟度別ではなく、単に人数で(班単位で)教室を分けているとのこと。
あえて習熟度に区分せず、しかし成果は十分に上がっているとのことでした。
犬山市では競争ではなく共生の教育が実践され、成果も十分あがり、
お互いが助け合うことが当たり前に思える豊かな人間力を育まれています。
また、加配教員をしっかり確保するための予算措置もなされており、
犬山市が未来の担い手を育成するための「教育」に力を入れていることがよくわかりました。
廊下ですれ違う子どもたちも元気に挨拶をしてくれ、いきいきとした顔つきでした。
教育とは、そのあり方とは何であり、どうあるべきかというとてもベーシックな問題について改めてかんがさせられ、かつ、希望を見出すことができた有意義な視察となりました。