こんにちは、ともちです。
身体・心・エネルギーを整えながら、本来の自分の色を見つけ、
人生の体験の中でその色を育てて生きることを大切にしています。
久しぶりに、気持ちいいくらい意見が一致した。
友人と話していて、
「それ、それ!」
「あるある、それ!」と、
お互い止まらなくなるくらい盛り上がった。
最近、「何か始めたい」とか
「自分でやっていきたい」という声をよく聞く。
それ自体は、とてもいいことだと思う。
でも同時に、
どこか違和感を覚える場面も増えた。
生活に困っているわけでもない。
収入がゼロになるわけでもない。
だからこそなのか、
どこか軽さのようなものを感じてしまうことがある。
いわゆる「やってみたい」が先にあって、
その先にある責任や覚悟は、あまり語られない。
マルシェに出てみたり、
知り合いに声をかけてみたり。
もちろん、それ自体が悪いわけではない。
でも、受け取る側として感じることもある。
「これにお金を払う価値があるのかな」とか、
「付き合いだから…」という空気。
それを前提にしてしまった瞬間、
それはもう仕事ではなくなってしまう。
本気の仕事というより、
どこかお店屋さんごっこの延長に見えてしまう瞬間がある。
誰かの善意や関係性に乗っかる形は、
長くは続かない。
むしろ、信頼を少しずつ削ってしまうこともある。
厳しいようだけれど、
お金をいただくということは、
その分の価値を差し出す覚悟が必要だと思う。
そしてもうひとつ、
最近よく思うことがある。
「好きなことを仕事にしたい」
「縛られたくないから自由に働きたい」
そういう言葉を聞くたびに、
少しだけ立ち止まって考えてしまう。
好きなことは、
趣味として大切にしておくからこそ、
自分を整えてくれることもある。
それを仕事にした瞬間、
責任や結果がついてくる。
自由に見える働き方ほど、
実は、自分を律する力が求められる。
誰にも管理されないということは、
すべて自分で背負うということだから。
それでもなお、やりたいと思えるかどうか。
そこに覚悟があるかどうかで、
見え方は大きく変わるのだと思う。
技術を磨けばいい。
資格を取ればいい。
そう思ってしまう気持ちも、よくわかる。
でも、それだけで人が集まるわけでも、
仕事になるわけでもない。
独りで立つということは、
スキルだけでは足りない。
むしろ問われるのは、
どんな姿勢で人と関わるのか、
どんな想いでそれを届けているのか。
結局のところ、
メンタルや人柄がすべてに表れてくる。
「どうしたら集客できるかな」
「何をしたらいいかな」
そういう言葉も、よく耳にする。
でもそれは、
覚悟の前に出てくる言葉ではないはずだ。
先にあるのは、
どう在りたいかであり、
どこまで責任を持つかだと思う。
私は最近、
ライスワークとワイフワークを分けている。
生活のための仕事と、
自分の使命としてやること。
これを分けるようになってから、
迷いが減った。
どっちつかずだったものが、
ようやく地に足がついた感覚がある。
好きなことを仕事にするなら、
なおさらだと思う。
好きは、免罪符にはならない。
むしろ、
そこにどれだけ本気で向き合えるかが問われる。
結局、人はそこを見ている。
どれだけ整えても、
にじみ出るものには嘘がつけない。
だから、選ばれる人は、
選ばれるべくして選ばれている。
自由を選ぶなら、
誰よりも自分に厳しくないと続かない。