luneaura

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身体・心・エネルギーを整え、本来の自分の色を見つけ、人生の体験の中でその色を育てながら生きることを大切にしています。

私の席からは、隣に座る入社五代目の彼女と、パソコンの画面越しに新人の彼がよく見える。


五年前、彼女がまだおどおどしていた頃を思い出すと、今の「しっかり者」への変貌ぶりには、正直なところ、目を見張るものがある。



けれど最近、その「しっかり」が、少しだけ過保護な方へとはみ出している気がしてならない。


「ねえ、それ、一緒にしましょうか?」



彼女の口癖だ。

向かいに座る新人は、なかなかに優秀だ。

自分で考えて、

一歩ずつ自分の足で歩こうとしている。

それなのに、彼女はその一歩を待てない。


新人が転ばないように、

あるいは汚れないように、

先回りして道にシートを敷いて回る。


「教える」というよりは、

新人が手にするはずだった

「自分でできた!」という小さな喜びを、

彼女がそっと、でも強引に

自分の方へ手繰り寄せているように見えてしまう


そんなに「一緒に」と言いたいなら、と、

こちらから「じゃあ、この作業を一緒に……」と

声をかけてみたことがある。


けれど彼女は、ふい、と顔を背けて、

冷たい春の風のような声を出す。


「あ、昨年度やったんで。もう、やりたくないです」


その瞬間、彼女の「一緒に」は、

協力のための言葉ではなく、

自分の居場所を確かめるための

呪文だったのだと気づく。


自分が主導権を握れる場所でしか、

彼女は「一緒に」とは言わない。


やって、失敗して、また考えて。

そうやって少しずつ、

仕事の筋肉はついていくものだ。


私たちの頃はそうだった。

けれど、

今の時代は違うのかしら、

とモニターの裏で小さく息を吐く。



彼女の「おせっかい」

という名の傘の下で、

新人の彼が、

雨に濡れる経験を奪われないことを祈る。


本当の優しさは、

傘を差し出すことじゃなくて

隣で一緒に濡れてあげることか、

あるいは、

雨が止むのを

黙って待つことなんじゃないだろうか。


明日も、私のパソコンの画面越しには、

不器用な「親切」が飛び交うはずだ。


私はただ、自分の仕事に指を動かしながら、

心の中で新人の背中をそっと叩く。


「大丈夫、君はもっと、高く飛べるはずだよ」