お疲れ様〜(^^)
あったまってって
こないだ出てきた初舞台のときの台本
よくこれ出てきたな、と感心しました(^^)
その上パラパラとめくったページがぼくが本当に苦手だった長ゼリフのシーン
ねーねーのあと結構続くのだ
しかし長ゼリフと言っても、5行ほど
それでも初舞台のぼくはパニックでした
ぼくの初舞台を知ってる方は流石に少ないと思うので、そのときの思い出を少しばかり話そうかな〜
そう、あれは2009年の初舞台
タイトルは「しゃくなげの花」
場所は銀座みゆき館劇場
階段で地下に入ると、映画館のしっかりしたふかふかの座席にどこか安心するこじんまりとしたステージ
昭和の匂いをしっかり残した昔ながらのまるで隠れ家のような劇場
そこでぼくは初舞台を踏みました
このお仕事を、お芝居を楽しい、続けよう、と思えるきっかけとなった舞台です
思い出すのは、稽古の日々と本番のハプニング
今日は稽古の日々をば笑
右も左も分かりませんでした
芝居が全然分かりませんでした
本当に大変でした
そしてきっとぼくなんかよりも、周りのキャストの方々の方が大変だったと思います
それくらいに付き合ってもらっていた記憶があります
何度やってもその長いセリフができない、殻を破れない自分が歯痒くて、目が泳いで、恥ずかしくなって、どうしよもなくなったその頃、
演出家さんに言われたことでとても印象に残っている言葉があります
廣瀬は普段0点だけど、たまに100点を出す、と
そして、舞台を良くするためには君を鍛えて底上げをしなくてはいけない、とも
普段が0
てことは、ほぼ0
底上げが必要
底辺、、
当時のぼくは全くもってその通りであることを認識していました
お芝居になっていなかったから
ただそのセリフを必死に言おうとしてるだけの廣瀬になってましたから
でも
でもですよ
たまに100点を出す、と
100点
50点でもなく
70点でもなく、
100点だ
そんなぼくでも100点を出せると
最高得点だ
ぼく
たまに100点
昔のおれめちゃポジティブやんけ、、
それほど演出家さんに言われた100点という言葉にすがっていました
かなり厳しい言葉を言われていても、たまに100点なんだ!と
うんポジティブでした
それが、全く自信を持てなかった自分が舞台に立てた理由のひとつでした
ただ、そのときそう思えたのも流石に若さゆえだろうなと今は思います
未だに、その100点はなんぞや、という疑問と睨めっこの日々ですが
もうひとつ、ぼくが舞台にしっかり立てた理由は
諦めずに、見捨てずに底上げのために、最後まで付き合ってくださったキャストの方々のおかげでした
当時、座長はとても厳しい方だな、とは思っていましたが、その厳しさはとても自分に合った厳しさであって、自分の苦手を熟知してくださって、ぼくにとても効果的な反復練習をしてくださいました
今に活きていることをぼくは感じます
それは、物事を相手にしっかり伝えること、です
言葉にするととてもシンプルですが、
そのやり方が少し変わっていて、役で絡む方だけでなく、稽古場にいるみなさん、ひとりひとりに目をしっかり合わせて、自身のセリフを言うというやり方でした わかりやすく言うと、みんなが見てる中で一人本域舞台稽古
ただセリフを喋るだけしかできなかった自分にはとてもハードルが高く、恥ずかしい以外のなにものもなくて、
最初のほうは、こいつめちゃしごかれてるやんけって思ってるだろうな〜というみんなからの目が気になってしまい、苦しみました
いや〜
そこだったんですね
そこを乗り越えられなければお芝居なんてできなかったんですね
つまり恥をかくことがぼくには必要だったんです、
当時、進んで恥をかきにいくことができなかったぼくは、その機会をお膳立てしてもらえて、ようやく壁を越えて、少しだけ殻を破ることに成功したんです
ぼくにはとても効きました
そして続けてきた今、それが恥でもなんでもなかったことがわかり、自分には通るべき道だったんだなと感じることができる
何より、自分のためにあれだけやってもらってた稽古は有難い限りだった
それに加えて、ぼくは住み込みのように稽古終わりは共演者のヨーロッパ企画の土佐さんに芝居を学んでいました
本当にお世話になっていたな、と思い返しても感謝しかないです
そしてとても楽しかったです
そんなこんなで今も芝居を続けられているな、と
感謝です
書きながら原点を思い出してみました
同じ悩みを持つ方がいたら、ぼくにはそんなことがあったよ、大丈夫だよ〜、と伝えたいです
未だにお芝居ってわからないけど、何か伝えることができたら、心に残すことができたらいいよな
10年以上も前のこと
ぼくが仮にいま11歳だったら0歳の頃のことを覚えてるってことだから、すごいなおれ
わ
締まったな
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