杉並、世田谷、新宿、千葉でA-yoga、Pilates、加圧トレーニングを中心に活動してますコンディショニングトレーナーの石川智英です。
逆境を笑え!
高校まではまったくの無名だったみたいです。
小学時代は3年生時に空手の全国大会型部門でベスト8、その年に少年野球を始めて、もっともっと野球をやりたいから5年生で空手をやめたそうです。
中学では中学野球部でしたが補欠。
1年生の秋まで背番号ももらえず、身体も小さく球拾いをしていた、、
中学ときに一度だけ野球をやめようと思ったそうです。
補欠だったからじゃなく、一つは小学校の時の達成感。何度も優勝して満足した、もう一つは、スラムダンクに憧れたそうです。
小学生から中学2年まで右バッターでしたが、イチローさんに憧れて、中学三年生になって左バッターに変えて、毎日、毎晩、家で特訓、猛特訓をして右投げ左打ちの川崎宗則が誕生した。
そして、中学3年生になって3番バッターでレギュラーを勝ち取り、県大会に20年ぶりに出て、鹿児島県大会でベスト4に勝ち残った、、、
高校は鹿児島実業に行きたかったが誘われなく、選んだのは鹿児島工業。
甲子園経験もなく、3年の夏は鹿児島県大会3回戦負け。
川崎宗則選手の高校時代は、大学卒業したらプロテストを受けることを目標にして練習していたそうです、、笑
プロテストのために速く走ろう、肩を強くしようと考えて練習をしていたとか、、
そして、まさかの福岡ダイエーホークスにドラフト4位で指名。
本人もまさかと思ったそうですよ。
川崎宗則選手のターニングポイントは中学3年生の時にイチローさんの存在を知ったこと、身体が小さくてもやれると思えたこと、そして自分の特徴を生かして左打ちに変更したことが眠っている才能を呼び覚ましたのかも知れませんね。
この書籍には、小学校からメジャーリーグまでのエピソードだけでなく、今の現状(実力)を認め、練習に取り組む姿勢や試合に出れなくとも腐らずに準備する気持ち、野球をとことんやる川崎宗則選手の考え方が書かれています。
川崎宗則選手のモットーは恥ずかしくても前に出る、失敗を恐れずに前に出ること。
実力不足、スタメン落ち、、それでも、苦しい時こそ前に出る、それが野球小僧の生き方!
まさに、野球小僧の壁に立ち向かう方法だと思います。
川崎宗則選手、ありがとうございます。
学ばせて頂きました

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