桐朋学園演劇科回想録 石母田さんに聞く vol,9-2 | 桐朋学園芸術短期大学芸術科演劇専攻         同窓会

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 ■ 「桐朋演劇科を築いた人達。第9弾!
     石母田さんに聞く」



福) 永曽先生もおっしゃってましたけど、千田先生はお財布とかを持たない方で、お金持ってないのにお寿司屋さんへ連れてってもらって。払う時になって「あっ、オレ金持ってないや。」って(笑)。お金に関してはとってもおうような方と言うか、おおらかな人でしたからね。

石) それから私が退職する一年前の昭和53年(1978年)3月に千田先生の朝日賞受賞パーティーが地下食堂であったんですよ。その時私も呼ばれましてね。何か一言挨拶をって「おめでとうございます。」って言うだけで良かったのに言わん事か「千田先生と言われればこわいものなし、大御所ですが、ただ一つだけ頭の上がらない人がおられるそうです。その名は横に座ってらっしゃる岸輝子と申すそうです。」って言ったらね。「イャー」ってみんな大笑い。言わんでもいいのにぺロっと言っちゃって、私の悪いクセだと思いました。千田先生は立場を超えて声をかけて下さって、非常に親しみのある方だったですね。その後も新しい俳優座劇場にお邪魔した時も遠くから見つけて下さって「石母田君。」って。それからもう一つ桐朋で最初にお会いした時のエンジのセーターがとってもお似合いで背が高くて色白で、オーラが出てるようで、さすが違うなーと思ったのが今でも思い出されますよ。退職の時には千田先生著の『もう一つの新劇史』にわざわざ「石母田節様 長い間いろいろお世話をいただきありがとうございました。千田是也」って書いていただいたりしてね。本当によくしてもらいましたよ。

福) 田中千禾夫先生はいかがでしたか。

石) 千禾夫先生はね。必ず授業の前に私のところに寄ってみえて、プリントを持っていかれるのね。「私がお持ちしますから。」って言っても「いいよ。いいよ。」って。恐縮してね。言葉は穏やかだし、表情も和やかなんだけれども、意味するところは中々大きいという印象が強いですね。

福) 確かにそうなんですよ。言葉がいっぱいあるわけじゃない。むしろ言葉が少ないんですけれども、その言葉に凄く大きな意味があるんですね。    安部公房先生はいかがでしたか。

石) 「石母田君、僕、君の兄さん知ってるんだよ。」って来られましてね。どっちも東大なもんで、それで私にも声をかけてもらったみたいでね。そしたらしばらくして、「石母田君、昔の支那そば見つけたぞ。」って。「そんなのありますか。」「意外と近くにあったんだ。今そういうのを知ってるのはそういないから。君なら昔の支那そばの味知ってるだろう。」って。

福) おもしろいですね。

石) なんて言いますかね。新進気鋭の、何かそんな感じが強いね。また千禾夫先生とは反対のね。談論風発と言うか、そういう感じを受けました。

福) 言葉に力があるといいましょうかね。    長谷川四郎先生はいかがでしたか。

石) 長谷川先生はドイツ語の先生でね。磊落な方で、また飄々としてらしたな。

福) 私もドイツ語習ってましたけど(カッコだけですが)。と言ってもドイツ語取ってるのは5人ぐらいで、和気藹々と言うか、結局ドイツ語のスペルもかけないで終わっちゃいましたけど、すごくあったかな方で楽しかった事を覚えています。    さて、生江義男先生ですが。

石) 生江先生は小学校は違うんだけど、中学校が同じで、私が二年先輩だったんですけど、秀才で非常に目立つ後輩でね。それで私の学年の連中に目を付けられて、焼きを入れられると言うか、吊るし上げを食らってた。そしたら私が間に入って生江先生を助けた事があるって。私は全然そんな覚えはないんだけれども、桐朋にご厄介になってから生江先生に聞かされてね。それから生江先生のお姉さんのご主人、生江先生の義兄にあたるわけだけど、その方からね「石母田さん。生江はね、オレが見てても、早く言えばいくらか独断専行の気があるんだ。だからね、君は先輩だから、表向きはあれだけれど、影で注意してやってな。」こんなこと言われたって平台もわからず永曽先生の下で這いつくばってる最中ににね、そんな事やれるわけないって全く。(笑)

福) 桐朋を、桐朋の演劇科を語るときに生江先生はきっても切れないと言うか、 生江先生がいらしたからこそ、桐朋演劇があるって言うか。 )

石) そうです。そうです。そりゃ確かです。そういう点ではね、非常に目先のね、利くというか、東京教育大学の出身者っていうのはややもすると学識肌と言うか。でも生江先生はそれだけじゃなくて、それをはみ出したと言うか。 俗に言う、政治的な手腕もあったからね

福) 親分肌のところがある。

石) それと千葉先生とのコンビ。千葉先生は名参謀なんですよ。あの学校の先生方をちゃんと内部を固めたのは千葉先生の功績ですよ。

福) 生江先生は皆さんから祭り上げられて、ある意味殿様で、大将なんだけれど、 千葉先生は大番頭というか。そういう意味では、千葉先生の役割は大きかったでしょうね。

石) 私はそう見ますよ。その功績は大きいと思います。

福) さて、もう一方の二人三脚と言ってはなんですけど、石母田さんと永曽信夫先生ですけど、いいコンビだったですね。

石) 永曽先生はね、いろんな意味でね、非常に能力のある方だと思います。ましてや演劇と言う特殊な中でね。しかも千田先生達大御所もいらっしゃる中で、 しかも初めて学校などという、またこれは養成所とは違うと思うんですよね。それに桐朋の中でね。大変なご苦労だったしね。たとえば講師の方を頼むとか、講演をお願いするとか。そういう人事的なことから、卒業公演の予算の問題でしょ。それから場所の問題、ありとあらゆる事をスムーズにやっていけるとなるとね。相当な頭の回転が良くないと出来ない。

福) コーディネーターですよね。

石) そう。だから今度そういった学科(ステージクリエイト科を指します)ができた事は非常に良かったと思いますよ。そういう事を専門にやってる人はいないんで、だいたい経験でやった人達がやってるだけでしょう。大変な仕事なんですよ、実は。舞台で色々やる事は、それはもちろんなんだけど、それをちゃんと何から何まで、お金の事から場所から、出来る人のいろんな事情やらあるわけでしょう。そういう事を全部まとめていくということ事態が、何よりも大切であり、大変な事なんですね。そういう事を永曽先生は全部やられた。しかもまだ形が出来ていない時に創っていかれた。だから私は後から考えると、それにはいくらでもお手伝いしなけりゃいけないのに、平台の名前も知らないやつが入ってきたんだから、こりゃ永曽先生としてもね、「まあ生江先生がおっしゃるからしようがないんだ。」と言う事だったんだろうなーと思います。それだけに私も引け目を感じますよね。そういう事もあったけど私としては演劇科の学生のいろんな問題を学生に文句を言うどころか、むしろそれを片付けていく事が私の出来るお手伝いになればと思ったわけで。ですから私の下でいっしょに働いていた西川君(旧姓丸山さん)やら大森君(旧姓児玉さん)が「石母田さん、また!!」っていつも冗談混じりにやられてましたけどね。(笑)

福) 石澤秀二先生は。

石) 石澤先生は学生の一人一人についてね。いろいろ助言と言うか指導と言うかをやってらしたのが印象としてありますね。青年座の演出家としても活躍してらしたし。何よりも学生を信頼してらっしゃった。

福) 山内泰雄先生は。

石) 少し後から入ってこられたのを記憶してるんだけれど、まっすぐな方というのが私の印象。とても熱心に教えてらしたのを覚えてますよ。

福) 木刀を持ってね。(笑)    大橋也寸先生は。

石) 大橋先生からは学ばせてもらいましたよ。直接の関係はないんだけれど、権威とかを認めない、本当にひたむきさというんですかね。当時は大橋先生と渡辺浩子先生が注目されてましてね。私は大橋也寸さんのひたむきなところが好きだったんだな。もっとも学生には一番怖がられていたけどね。(笑)

福) 大橋先生は本当に怖い先生でね。(笑)

石) ある時、夜残業してたらね。大橋先生が来られてね。それで私が残業の時には飲みに行ってる『水仙』っていう居酒屋へお連れしたんですよ。安くて美味い焼き鳥屋。そこでね、私は生意気にも大橋先生に説教したことがあるのよ。

福) へエー、あの当時大橋先生に説教された方がいらっしゃったなんて、よっぽど勇気のある方、いや驚きました。(笑)

石) 酔いに任せてか「大橋先生ね、貴女も演出されるんだったら、ここはみんな労働者が来てましてね、。ヒクッ、金のない連中がね。こういう世界もご存知ないと、やっぱり演出は出来ないんじゃないんですか。」とね。

福) 石母田さん、偉い!!よく言っていただきました。(笑)

石) お連れしただけで良かったのに、余計な事を行っちゃってね 。まあ言いやすい雰囲気だったんでしょうね。でも私は大橋先生が好きだったもんで。だって率直だしね、ひたむきだし、また権威を認めないのがまたいい。

福) らおもてがないですものね。もうそのまんまですからね。先だって大橋先生が、当時石母田さんに焼き鳥屋さんに連れてってもらった事を大変感謝してらっしゃいましたよ。

石) 覚えていただいてたのかしら。

福) ええ、大橋先生はあの時、生まれて始めて焼き鳥を石母田さんにご馳走になって、「給料の安かった私を誘ってくださったんだ。」って。とっても感謝してらっしゃいましたよ。いいエピソードですね。

石) 恐縮ですね。いやいや申し訳ない。

福) 他にも大勢の先生方が桐朋の草創期にいらっしゃいましたよね

石) 善竹十郎先生なんか学生みたいだったしね。

福) ええ、正真正銘の。一期生を教えてらっしゃった時はまだ早稲田の。

石) ああそうでしたか、道理でね。でもよく通ってらっしゃいましたよね。

福) 今でも現役で桐朋で教えていらっしゃいます。