X(旧Twitter)において「障害年金の経緯」をポストしたところ、「障害年金」の沿革等に対する関心の高さが伺えました。
ここでは、もう少し詳細に「障害年金に至る経緯等」について概説します。
※ 明治期から昭和戦前にかけての古い法令の条文表記については、古めかしい「文語カタカナ体」で書かれていますが(全く読めないような漢字の多いこと多いこと!)、ノスタルジックな雰囲気を残しながらも、現代文風に表記することにしますので、ご了承ください。
【1】鉱業法と工場法の時代(明治期~昭和戦前期)
⑴ 鉱業法(明治38年3月8日法律第45号)
鉱山労働による悲惨な災害や職業病については、西欧においては1556年に鉱山学者で医師のアグリコラ(1494-1555)による『デ・レ・メタリカ(金属の書)』に、日本においては享和3年(1803年)に国学者、文人、歌人、紀行家である菅江真澄(1754-1829)による『秀酒企乃温濤(すすきのいでゆ)』に、鉱山で働く男は若死するので、女は一生の間に7人、8人の夫をもつと書かれています。
欧州諸国においても日本においても、鉱山労働は、それほど非情過酷悲惨なものだったということです。そのため、鉱業に関しては早くから法制化が始まります。
鉱業の進歩発達に伴い時代に適合しなくなっていた明治23年制定の鉱業条例(明治23年9月26日法律第87号)を廃止して、明治38年、新たに鉱業法(明治38年3月8日法律第45号)が制定されました。
※ 鉱業条例とは言っても、これは「法律」であって、現在でいう「条例」とは異なるのでややこしいのですが、この法律では「業務上の負傷」に対する扶助制度は規定されていたものの、「業務上の疾病」については何も規定されていませんでした(「業務上の疾病」をも対象とするのは、次に述べる「鉱業法」において始まります)。諸外国における労働者災害補償制度についても、初めは「業務上の負傷」のみを対象とするのが普通でした。
〔注〕ドイツ・フランス・アメリカ(一部の州)・イギリスにおいては、職業性疾病についてリスト化していますが、かかるリストにおいて、長時間労働等による脳・心臓疾患や心理的負荷による精神疾患は含まれていません。
その鉱業法第80條には、「鉱夫自己の重大なる過失に因らずして業務上負傷し疾病に罹り又は死亡したるときは鉱業権者は命令の定むる所に従い鉱夫又は其の遺族を扶助すべし」との定めが置かれていました。
これは、江戸時代からあった鉱山労働者間の相互救済組織である「友子同盟(ともこどうめい)」を法制化したものと言われています。
※ 「友子(ともこ)」とは、熟練労働者の養成、労働力の供給調整、職業上での疾病に対する扶助、鉱山自治など多様な機能を持つ「鉱山労働者のクラフト・ギルド的な同職組合」であり、江戸時代後期から大正時代にかけて自然発生的に普及していきました。
⑵ 工場法(明治44年3月29日法律第46号)
次いで、明治44年に制定、大正5年に施行された工場法(明治44年3月29日法律第46号)が登場します。この日本の工場法は、イギリスの「一般工場法(1833年)」に倣って制定されたものですが、日本初の民間労働者に対する労働者保護法であり、また、労働基準法の前身とも言われています。
※ かろうじて労働者保護法規と言える最も古いものは、明治8年(1875年)に公布された太政官布達の「官役人夫死傷手当規則」と言われていますが、これは官営の工場労働者にのみ適用されるものでした。明治14年(1881年)に設置された農商務省が、翌明治15年(1882年)から工場労働者の保護を目的とした「工場法」の立案作業に入っています。
その工場法第15條には「職工自己の重大なる過失に依らずして業務上負傷し、疾病に罹り又は死亡したるときは工業主は勅令の定むる所に依り本人又は其の遺族を扶助すべし」との定めがあり、工場法施行令(大正5年8月3日勅令第193号)の第二章(職工又は其の遺族の扶助)は、第4條以下で次のように定めていました。
① 職工業務上負傷し、疾病に罹り又は死亡したるときは、工業主は当該職工の重大なる過失に因ることを証明したる場合を除くの外本章の規定に依り扶助を為すべし、但し扶助を受くべき者民法に依り同一の原因に付き損害賠償を受けたるときは工業主は扶助金額より其の金額を控除することを得(第4條第1項)
② 前項扶助の義務は別段の定めある場合を除くの外、職工の解雇に因りて変更せらるることなし(第4條第2項)
③ 職工負傷し又は疾病に罹りたるときは、工業主は其の費用をもって療養を施し又は療養に必要なる費用を負担すべし(第5條)
④ 職工療養のため労務に服すること能わざるに因り賃金を受けざるときは、工業主は職工の療養中1日に付き賃金2分の1以上の扶助料を支給すべし、但し其の支給引続き3月以上にわたりたるときは其の後の支給額を賃金3分の1までに減ずることを得(第6條)
⑤ 職工の負病又は疾病治癒したる時において左の各号の一に該当する程度の身體障害を存するときは、工業主は左に掲ぐる区別に依り扶助料を支給すべし(第7條)
一 終身自用を弁ずること不能なもの〔第1級障害〕
⇒ 賃金170日分以上
二 終身労務に服すること不能なもの〔第2級障害〕
⇒ 賃金150日分以上
三 従来の労務に服すること不能なもの、健康を回復すること不能なもの又は女子の外貌に醜痕を残したもの〔第3級障害〕
⇒ 賃金100日分以上
四 身體を傷害し回復すること不能といえども引続き従来の労務に服することができるもの
⇒ 賃金30日分以上
⑥ 職工死亡したるときは、工業主は遺族に賃金170日分以上の遺族扶助料を支給すべし(第8條)
⑦ 職工死亡したるときは、工業主は葬祭を行う遺族に10円以上の葬祭料を支給すべし(第9條)
※ 疾病については業務上外の判定が困難であるため、行政当局(農商務省)は、諸外国の立法例を調査し、工場法の立法の精神に鑑み、当時、典型的な職業性疾病と認められていた6類型(砒素・水銀・燐・鉛中毒、生糸工の手指蜂窩織炎、高熱物体等による結膜炎その他の眼病など)を限定的に列挙することとし、末尾の第7号に「前各号列記以外の疾病にして業務上の疾病と認めらるるもの」という包括条項を記した通達を、各地方長官宛てに発出しました(大正5年8月19日付け農商務省商局第5887号)。
この通達は、昭和11年7月3日、25類型が列挙された新しい通達に変わり(内務省発労第55号)、末尾の第26号に「前各号列記以外の疾病にして業務上の疾病と認めらるるもの」が入ります。
⑶ 労働者災害扶助法(昭和6年4月2日法律第54号)
工場法や鉱業法が適用されない土木建築工事業、土石採取業、交通運輸事業等の屋外労働者を対象として昭和6年に制定された「労働者災害扶助法(昭和6年4月2日法律第54号)」においては、現行の労働者災害補償保険法と同様に、身体障害等級を第1級から第14級に区分し、障害扶助料については、最高は標準賃金の540日分以上、最低は標準賃金の20日分以上と定め、同一の事故により第13級以上の身体障害が2以上残存した場合には「併合繰上げ」を行う規定も、すでに存在していました。
工場法や鉱業法による事業主の扶助責任は恩恵的なものとされており、扶助の程度は事業主により区々で、請負関係が複雑な場合は責任の所在が不明確となり、資力に乏しい事業主も多く、多数の死傷者が出た場合の扶助料支払に著しい支障をきたすおそれがあることから、国営の責任保険制度として、労働者災害扶助法、工場法及び鉱業法が適用される事業主を対象にした「労働者災害扶助責任保険法(昭和6年4月2日法律第55号)」も、労働者災害扶助法と同時に制定されました。
この労働者災害扶助責任保険法は、保険金受取人を事業主とし、その保険金から死傷病労働者等に対して各種扶助料を支給するというものでしたが、土木建築工事業については強制加入、その他の事業に関しては任意加入とされていたため、まだまだ被災労働者の保護として十分なものとはいえませんでした。
【2】労働者災害補償保険法等の時代(昭和戦後期)
昭和6年に制定され昭和7年1月1日から施行された労働者災害扶助法及び労働者災害扶助責任保険法は戦後廃止され、昭和22年制定の「労働基準法(昭和22年4月7日法律第49号)」における「災害補償(第75条~第88条)」及び「労働者災害補償保険法(昭和22年4月7日法律第50号)」に継承されたことは言うまでもありません。
なお、労働者災害補償保険法の立法過程において、労災保険給付(保険金)の受取人を「事業主」ではなく、直接的に「被災労働者」へと転換したのは、GHQの指示によるものです。そのため、社労士試験の受験勉強で口酸っぱく言われることですが、労働者災害補償保険法には「被保険者という概念が存在しない」こととなりました。
さて、以上で概説してきた事柄は、すべて「業務上の災害」による死傷病等を対象とするものでした。しかし、これが厚生年金保険法等による「障害年金」の参考となります。
①昭和16年に制定され、「労働者の恩給制度」と呼ばれた「労働者年金保険法(昭和16年3月11日法律第60号)」の障害給付においては、「廃疾年金」と「廃疾手当金(一時金)」がありましたが、廃疾年金には等級区分がなく、現在でいう1級障害に相当するものでした。
②昭和19年、戦時中における国民の士気を高揚させるため、「労働者年金保険法」は「厚生年金保険法」と法律の題名が改められます。
③昭和23年の厚生年金保険法改正により、「廃疾年金」は「障害年金」と、「廃疾手当金」は「障害手当金」と名称を改め、障害年金については、障害の程度に応じて、1級障害と2級障害とに区分することとなりました。
④昭和29年の厚生年金保険法抜本改正により、「障害年金」について、1級障害、2級障害に加えて、新たに3級障害を新設することしました。
旧厚生年金保険法による障害年金については、厚生年金保険の被保険者期間中に死傷病等が発生したものを支給対象とするものとし、これを「発傷病日主義」と呼びます(新法施行日である昭和61年4月1日以後は、国民年金法に合わせて「初診日主義」を採用しています)。
厚生年金保険の被保険者として働いている期間中に発生した死傷病等を支給対象とすることから、障害年金の等級区分については、労働者災害補償保険法の規定を参考とすることとしました。
・労災保険法による障害等級第1級~第2級 ⇒ 障害年金の1級相当
・労災保険法による障害等級第3級~第5級 ⇒ 障害年金の2級相当
・労災保険法による障害等級第6級~第7級 ⇒ 障害年金の3級相当
・労災保険法による障害等級第8級~第10級 ⇒ 障害手当金(一時金)に相当
一方、昭和34年制定の「国民年金法(昭和34年4月16日法律第141号)」による拠出制障害年金(1級・2級)においては、自営業者等として働いている者のみならず無業者をも被保険者としていたことから、労働能力喪失程度等によって判定することができず、「日常生活能力」という別の観点による判定方法を用いることとなりました。
このように、旧厚生年金保険法による障害年金と、旧国民年金法による障害年金とは、その成り立ちが大きく異なります。
※ 実際、昭和61年4月1日前の旧法の時代においては、同程度の障害状態にあっても、旧国民年金法による障害認定では「2級」、旧厚生年金保険法による障害認定では「3級」と判定されるものもありました。そもそも、旧国民年金法による1級障害は旧厚生年金保険法による2級障害の重いものまで含め、旧国民年金法による2級障害は旧厚生年金保険法による3級障害の重いものまで含めていたのです。
にもかかわらず、昭和60年改正による新法施行日(昭和61年4月1日)以後においては、障害等級1級又は2級に該当する障害程度について、厚生年金保険と国民年金とで無理やり一致させてしまったため、現在においても大きな問題となっています。
最後に、令和7年度(2025年度)現在における「国民年金・厚生年金保険障害認定基準」を添付しておきます。
【国民年金・厚生年金保険障害認定基準(令和4年4月1日改正)】
https://www.nenkin.go.jp/service/jukyu/seido/shougainenkin/ninteikijun/20140604.files/01.pdf

