【1】久しぶりのアガサ・クリスティ
この2日間ほどは、アガサ・クリスティ(※)の『オリエント急行の殺人』(※)ですっかり寝不足となってしまいました。
 
※「アガサ・クリスティ」との表記については、独占翻訳契約を結んでいる早川書房では「アガサ・クリスティー」と最後に長音符を付けますが、英語では「ティー」と伸ばして発音するわけではないので、ここでは「アガサ・クリスティ」と表記しておきます。
 
※原題の “Murder on the Orient Express” は、邦題としては、1935年の日本語初訳『十二の刺傷』(柳香書院刊、延原謙訳)を別にすれば、『オリエント急行殺人事件』と『オリエント急行の殺人』と2種類あります。私が今回ふと図書館で見つけて読んだのは、古い日本語訳で有名な中村能三訳『オリエント急行の殺人』(早川書房)ですが、『オリエント急行殺人事件』のほうが個人的に呼び慣れていますので、以下、そのように表記することにします。
 
私がアガサ・クリスティを読んだのは、中学生時代の『ABC殺人事件』が最後ですので、今回の『オリエント急行殺人事件』を読むのは、およそ48年ぶりとなります。
 
ただ、どうして今まで『オリエント急行殺人事件』を読まなかったのかというと、映画化、ドラマ化が先行してしまって、すでに結末を知っていたからというのが最も大きな理由です。
 
【2】リンドバーグ愛児誘拐殺害事件
1932年3月1日、初の大西洋単独無着陸飛行に成功したことで有名な飛行士チャールズ・リンドバーグの長男チャールズ・オーガスタス・リンドバーグ・ジュニア(当時1歳8か月)が自宅から誘拐されるという事件が起きました。
 
飛行士リンドバーグは要求された身代金5万ドルを支払ったものの、誘拐からほぼ2か月半後の5月12日、長男リンドバーグ・ジュニアは白骨化した死体で発見されました(犯人は誘拐直後に殺害したものと推測されます)。
 
アガサ・クリスティは、このリンドバーグ愛児誘拐殺害事件に構想を得て、その翌年1933年に『オリエント急行殺人事件』を執筆したと言われています。
 
ということは、リンドバーグ愛児誘拐殺害事件が起きていなかったら、ミステリ史上最高傑作の1つと言われる『オリエント急行殺人事件』は誕生しなかったかもしれません(※)。
 
※長編ミステリ『オリエント急行殺人事件』においては、「アームストロング大佐愛児誘拐殺害事件」が大きな主題となっています。
 
さて、リンドバーグ愛児誘拐殺害事件の後日談ですが、事件から2年後(1934年)にリチャード・ハウプトマンが犯人として逮捕され、彼は裁判において無罪を主張しますが、最終的には1935年2月13日に死刑判決が下され、控訴をしたものの却下され、1936年4月3日、電気椅子での死刑が執行されます。
ただし、冤罪説も主張されていたようで、ニュージャージー州知事は数度かの死刑執行延期を行っているのですが、リチャード・ハウプトマンが真犯人であったのかどうかは、もはや今では真偽不明です。
 
さて、『オリエント急行殺人事件』がイギリスで初刊行されたのが1934年ですから、アガサ・クリスティが死刑判決や死刑執行を知る前に執筆したことは確かです。しかし彼女は誘拐殺害事件そのものに対して衝撃を受け、かなりの怒りを持っていたのは確かなようで、『オリエント急行殺人事件』において、ちゃっかり「アメリカでは電気椅子で死刑となる」旨の発言を登場人物にさせています。
 
【3】有名すぎるミステリ傑作であるが故に
『オリエント急行殺人事件』はあまりにも有名なミステリ傑作であるが故に、実写版としてドラマ化・映画化されてしまっているので、私を含めて原作を読まれていない人は少なくないと思います。
 
しかし、実写版と原作では場面設定などが異なるのが普通です。
 
原作では、極悪人ラチェット(Ratchett)(※)殺害の状況についての描写は全くありませんが、実写版の中には殺害場面を描写したものがあります。
 
※ラチェット(Ratchett)という名前は、おそらく「rat(どぶねずみ)+Chet(男性の名前)」に由来し、「どぶねずみのように卑劣な野郎」という意味が込められているものと思われます。
 
ミステリの「ネタバラシ」をするほど野暮なことはしませんが、某実写版のような殺害方法であるとすると、いくら真夜中とはいえ、どぶねずみのように卑劣なラチェット(Ratchett)の隣の客室(車室)には名探偵エルキュール・ポアロ(Hercule Poirot)(※)が寝ているのですから、気づかれてしまうようにも思うのですけれど…。
 
※「ポアロ」という人名表記についても、早川書房が「ポアロ」と表記したため、その名称が普及していますが、実際には他の実写版等が表記しているように「ポワロ」という発音に近いようです。ポワロ役として有名なデヴィッド・スーシェ主演の「名探偵ポワロ」シリーズの邦題では、まさに「ポワロ」と表記していますね。なお、エルキュール(Hercule)とは、ギリシャ神話に出てくる怪力の英雄「ヘラクレス」のフランス語形ですが、これは小男であるポアロに対する皮肉を込めた命名であり、アガサ・クリスティとしては嫌うべき人物として登場させ、すぐに退場させる予定だったそうですが、読者からの評判がよく人気があり、出版社による説得を受けてポアロを登場させ続けたと言われています。
 
【4】ミステリを読むのは…

外国(英語版)のミステリを日本語の翻訳で読むのは、日本語そのものに違和感を覚えるものですが、さりとて、私には原作の英語版をすらすらと読めるほどの英語力があるわけでもありません。

 

ミステリは、例えば、16ページ目にある登場人物の発言が380ページ目にある謎解きのキーフレーズであったりするので、最初の1ページ目から慎重に読んでいるつもりなのですが、記憶にも残らない発言が謎解きのキーワードだったりして、何度も何度も確認しながら読まなければならないことが多く、今回の『オリエント急行の殺人』にしても、ついには全部を「二度読み」してしまいました。

 

外国(英語版)のミステリを読むには、聖書やシェイクスピアなどの基礎的知識や、英語圏の文化に関する文化的知識、英語のみならずフランス語、ドイツ語、ロシア語などに関する語学的知識も必要で(※)、さらには登場人物の発言や行動等を読み過ごさないで覚えておく記憶力も必要となります。


※アガサ・クリスティを読むには、英語以外にフランス語の知識があると便利ですね。

 

さて、英語の達人と呼ばれる日本人の多くは、「英語を本格的に勉強したいのであれば(英語力を鍛えたいのであれば)、まずはアガサ・クリスティを原書で読みなさい」と言われます(※)。

 

※英語教育学者として有名な東大の斎藤兆史教授や英語通訳者として有名な鳥飼玖美子氏などが典型です。


例えば、ミステリの掟破りとも言われ大論争を巻き起こした『アクロイド殺し』(1926年)には次のような表現が出てきますが、学校ではおそらく習わない英語表現です。


Patience is his middle name.”


「我慢が彼の洗礼名だ」では全く意味不明ですよね。[one's middle name]という熟語として辞書に記載があるはずですよ。


さて僭越ながら、英語から30年ほど遠ざかっている私としては、「国家試験を受けるのであれば、読解力や推理力、そして記憶力を鍛えるためにミステリを読みなさい」と言うことにしましょう!



【余談話その1】

帝国大学の教養部だった旧制高等学校では、文学や思想書を英語の原書で読むのが伝統でしたが、1930年(昭和5年)当時、旧制高等学校で読まれていた英米系の人気作家ランキングがあります。

なんと第1位は、トーマス・ハーディと並んでアーサー・コナン・ドイルであり、第8位にエドガー・アラン・ポー、そして第10位には『ジキル博士とハイド氏』で有名なロバート・ルイス・スティーヴンソンとなっています。


当時からシャーロック・ホームズは大人気だったのだろうと想像できますが、コナン・ドイルはちょうど1930年に亡くなっていますから、もしかしたら、その影響があったのかもしれません。


残念ながら、1930年の当時では、まだアガサ・クリスティはほとんど知られていなかった頃だと言えるでしょうね。


【余談話その2】

コナン・ドイルが『最後の事件』でシャーロック・ホームズを殺したのは、彼のことを書くのに飽きたからだと言われていますが、アガサ・クリスティも、エルキュール・ポアロについて同じように思っていました。1938年の新聞記事において「なぜ、なぜ、なぜ私はこの憎むべき大袈裟でうんざりするような小さな生き物を生み出してしまったのかしら?」(※)と書いています。


※ “ Why-why-why did I ever invent this detestable bombastic, tiresome little creature? ”


そして、とうとう『カーテン』という小説で、クリスティはエルキュール・ポアロを殺します。第二次世界大戦中のことでした。それは、ポアロを最初に登場させた『スタイルズ荘の怪事件』のスタイルズが舞台になっています。


しかし、クリスティは、その原稿を誰にも見せず、すぐには出版せず死語出版するとの契約を出版社と結びます。あまりにエルキュール・ポアロが世界中で大人気となっていたからです。


しかし、クリスティが亡くなる1年前、出版社からの強い説得を受け、ついに彼女は『カーテン』を出版することに同意します。

出版されるや否や、1975年8月6日、ニューヨークタイムズ紙は、この名探偵の死亡記事を掲載しました。ニューヨークタイムズ紙が架空の人物の死亡記事を書いたのは、これが後にも先にも唯一のことでした。

そして、その5か月後(1976年1月12日)、アガサ・クリスティはこの世を去るのです。