備忘録~とあるきょうだい児の記録~

備忘録~とあるきょうだい児の記録~

重度の知的障害がある妹が“ネグレクトの疑い”で措置入所させられました。

2024年6月から、起きた事を記録しています。
2年が経過しても、家族は誰一人妹と面会できていません.
1/15~不定期更新。

2026年8月1日(土)


今日は、成年後見人とのやり取りについて書こうと思います。

妹の成年後見人が選任されたのは、市長申立てによるものでした。

私は、「まずは妹のことを知ってもらいたい」と思っていました。

妹は重度の知的障害があり、35年以上、家族と一緒に生活してきました。

好きなこと、苦手なこと、不安になること、安心できる関わり方。

そうしたことは、長い年月を共に過ごしてきた家族だからこそ分かる部分があります。

そこで私は、両親の了承を得て成年後見人へ連絡をしました。

「一度お会いしてお話しできませんか。」

その時の返答は、面談は難しいというものでした。

後見人の先生は、

「家族の方が長く一緒に生活されてきたので、コミュニケーションを取れていたのだろうとは思います。」

という趣旨のお話もされました。

つまり、家族が妹をよく知っている可能性は理解されていたのです。

一方で、

「できれば書面でいただいた方がありがたい。」

「仕事もあり、時間を割くのが難しい。」

という理由から、直接話を聞く機会は設けられませんでした。

その後も、私たち家族が妹について直接お話しする機会はありませんでした。

私は今でも考えます。

本人の利益を守るためには、できる限り多くの情報を集めることが大切ではないのでしょうか。

行政の情報。

施設の情報。

医療の情報。

そして、35年以上一緒に暮らしてきた家族の情報。

どれか一つだけではなく、すべてを踏まえて考えることが、「本人の利益」につながるのではないでしょうか。

私は、家族の意見をそのまま採用してほしいと言っているわけではありません。

ただ、一度も話を聞かれることなく、重要な判断が進んでいくことに疑問を感じています。

家庭裁判所へ相談した際には、

「後見人の裁量です。」

という説明を受けました。

もちろん、成年後見人には専門的な判断が求められます。

しかし、その裁量は、本人を理解するために必要な情報収集を行った上で初めて成り立つものではないでしょうか。

私は今も、その答えを探し続けています。


妹へ

「お誕生日おめでとう。今年も健やかで、

笑顔あふれる1年でありますように。」


この問いを、何度も考えています。

成年後見制度は、

判断能力が不十分な方の権利や財産を守るためにある制度です。

つまり、守るべき相手は、

行政でも、

施設でも、

家族でもありません。

本人です。

だからこそ、

私が後見人に期待していたのは、

「本人はどう思っているのか。」

その一つの問いを、何よりも大切にしてくださることでした。


私たち家族は、

「家族だから言うことを聞いてほしい。」

そんなことをお願いしたことはありません。

お願いしたかったのは、

本人のこれまでの生活、

好きなこと、

苦手なこと、

安心できる環境、

言葉では伝えきれない意思。

そうした情報も、

本人を理解するための一つの材料として受け止めていただきたい。

それだけでした。


もちろん、

後見人には中立性が求められます。

だから家族の言葉を、そのまま受け入れる必要はありません。

でも、

最初から距離を置くことと、中立であることは違うと私は思っています。

本人のことを一番長く見てきた家族だからこそ知っていることもあります。

それを聞くことと、

それを鵜呑みにすることは、

全く別の話です。


今回、

懲戒請求という制度も経験しました。

結果は、私が望んだものではありませんでした。

でも、

私が本当に知りたかったことは、

「誰が正しいのか。」

ではありません。

後見人は、

本人の意思をどのように確認したのか。

家族から得られる情報を、

どのように評価したのか。

その過程でした。


成年後見制度は、

本人を守るための制度です。

だからこそ、

一番大切なのは、

「本人の人生を、本人のものとして守ること」

ではないでしょうか。

そのためには、

行政の意見も、

施設の意見も、

医療の意見も、

そして家族の話も、

必要に応じて丁寧に聞きながら、

最後は本人の利益のために判断する。

それが後見人の役割なのだと私は理解しています。


私は制度を否定したいわけではありません。

むしろ、この制度は本当に大切な制度だと思っています。

だからこそ、

もっと本人の意思が大切にされる制度であってほしい。

もっと本人を中心に考えられる制度であってほしい。

その思いは、今も変わりません。


後見人とは、

行政のためでも、

家族のためでもありません。

本人のためにいる存在。

私は、その原点だけは、

これからも問い続けていきたいと思います。


先日、県弁護士会から一通の議決書が届きました。

以前、このブログでも書いた懲戒請求についてです。

正直に言えば、封筒を開けるまで、とても緊張していました。

どのような判断が書かれているのか。

私たちが訴えてきたことは、どのように受け止められたのか。

そんな思いで、一ページずつ読み進めました。

結果は、

「懲戒委員会の審査に付さないことが相当である。」

というものでした。


もちろん、この結果は結果として受け止めます。

制度には制度のルールがあります。

第三者機関が判断した以上、その結論を無かったことにしたいとは思っていません。

でも、

読み終えたときに私の中に残ったのは、

「負けた。」

という気持ちではありませんでした。

残ったのは、

「本当に私が知りたかったことへの答えは書かれていただろうか。」

という疑問でした。


私は、懲戒請求をしたのは、

弁護士を責めたかったからではありません。

制度を利用して、

第三者に確認していただきたかったからです。

私が知りたかったのは、

後見人は、

本人の意思をどのように確認したのか。

家族からの情報をどのように受け止めたのか。

行政から示された内容だけではなく、

本人を取り巻く様々な情報をどのように整理したのか。

その説明でした。


議決書には、

私たち家族の主張も書かれていました。

一方で、

後見人側の説明も整理され、

その結果として、

「弁護士としての職務上の義務違反は認められない」

という判断が示されていました。

私は、その結論そのものよりも、

判断の前提が気になりました。

行政の判断。

後見開始に至る経緯。

虐待認定の内容。

そうしたものが前提となって評価されているように感じました。

しかし、

私たちが一貫して問い続けてきた、

本人の意思確認の過程や、

家族からの情報提供について、

私自身が納得できる形で整理されているとは感じられませんでした。


ここで誤解していただきたくないことがあります。

私は、

「自分たちの主張を認めてほしかった。」

と言いたいわけではありません。

もし、

十分な検討が行われた結果、

「違法ではない。」

という結論であれば、

その結論自体は受け止めます。

でも、

その判断に至るまでの説明が、

私の中では十分ではありませんでした。


今回、改めて感じたことがあります。

制度は、

事実そのものを判断するだけではなく、その前提となる情報をどう評価するかで結論が大きく変わります。

だからこそ、

前提となる情報が、

誰から、

どのように集められ、

どのように比較・検討されたのか。

そこが、とても重要なのだと思います。


私は、この懲戒請求で終わりとは考えていません。

この結果によって、

私の疑問がなくなったわけではありません。

むしろ、

制度について、

成年後見制度について、

弁護士の役割について、

そして、

本人の意思を誰がどのように守るのかについて、

さらに学び続けたいと思いました。


結果を受け入れることと、

疑問を持ち続けることは、

決して矛盾することではありません。

私はこれからも、

制度を否定するのではなく、

より良い制度とは何かを考え続けたいと思います。

2026年7月25日(土)

 

やまゆり園事件から、明日で10年になります。

あの事件を通して、

私たちは何を学んだのでしょうか。

命の尊さ。

障害のある人の権利。

誰もが地域で暮らす権利。

様々なことが語られてきました。

でも、10年経った今、

私は一つの問いが頭から離れません。

私たちは、本当に一人ひとりの尊厳を大切にできる社会になったのでしょうか。

言葉で自分の思いを伝えられる人だけが、

尊重される社会になっていないでしょうか。

意思をうまく言葉にできない人、

声を上げることが難しい人、

自分で助けを求められない人ほど、

「周囲が決める」ことが当たり前になってはいないでしょうか。

支援とは、

その人の代わりに決めることではありません。

その人の思いや願いを、

時間をかけて受け止め、

一緒に考えることではないでしょうか。

社会が目指すべきなのは、

「支援しやすい社会」ではなく、

誰もが、その人らしく生きられる社会。

言葉がある人も、

言葉がない人も、

障害のある人も、

ない人も、

誰一人取り残されない社会ではないでしょうか。

10年という節目だからこそ、

私は改めて問い続けたいと思います。

私たちは、本当にこの事件から何を学んだのでしょうか。

2026年7月17日(金)

 

最後まで迷いました。

このことを書くかどうか、実は最後まで迷っていました。

「懲戒請求をしました。」

この一文だけを見ると、

相手を責めている。

感情的になっている。

そんな印象を持たれる方もいるかもしれません。

だからこそ、

今日まで、このことを書くことができませんでした。

 

私はこの約2年間、

妹のことをきっかけに、

行政の対応、

成年後見制度、

障害者虐待防止法、

意思決定支援、

本人の権利について、

数え切れないほど資料を読み、学び続けてきました。

 

法律や通知、ガイドライン、裁判例などにも目を通し、

「本当にこれでいいのだろうか。」

という問いを、何度も何度も繰り返してきました。

 

調べれば調べるほど、

新しい疑問が生まれました。

「なぜ、この判断になったのか。」

「なぜ、その説明がされなかったのか。」

「本人の意思は、どのように確認されたのか。」

その疑問は、時間が経っても消えることはありませんでした。

 

その中でも、私が大きな疑問を抱いたのが、

成年後見人である弁護士の対応についてでした。

もちろん、私一人で

「これは間違っている。」

と決めつけることはできません。

 

専門職には専門職としての考え方があり、

私には見えていない事情があるのかもしれない。

何度もそう考えました。

だからこそ、私個人の判断ではなく、

第三者に確認していただく方法はないのだろうか。

そう調べる中で知ったのが、

弁護士懲戒請求制度でした。

 

懲戒請求という言葉を聞くと、

「相手を処分してほしい制度」

という印象を持たれる方もいるかもしれません。

私も最初は、そのようなイメージを持っていました。

しかし調べていく中で、

懲戒請求は、

弁護士の職務や倫理上の問題について、

弁護士会に調査と判断を求めるための制度であることを知りました。

懲戒処分にあたるかどうかを判断するのは、

請求した私ではありません。

 

提出された内容について調査を行い、

弁護士としての対応が適切だったのかを判断するのは、

弁護士会です。

 

私がこの制度を利用したのは、

誰かを処分することが目的ではありません。

私が知りたかったのは、

この対応は、本当に弁護士として適切だったのか。

その一点です。

 

だからこそ、

第三者に判断していただきたいと思いました。

 

提出するまで、

本当に何度も迷いました。

「ここまでしていいのだろうか。」

「私の考え方が間違っているのかもしれない。」

そんな思いも何度も頭をよぎりました。

 

それでも、何もしないまま終わることだけは、

私にはできませんでした。

疑問を抱えたまま、

「仕方ない。」

と飲み込んでしまえば、

私はきっと、

この先も納得することができないと思ったからです。

 

懲戒請求をしたからといって、

妹が帰ってくるわけではありません。

この2年間が戻るわけでもありません。

何かがすぐに変わるとも思っていません。

 

それでも、

専門職には専門職としての責任があり、

その対応が適切だったのかを確認する仕組みがあるのであれば、

私はその制度を利用することを選びました。

 

この2年間、

私は制度を学び続ける中で、

一つ強く感じたことがあります。

 

制度は、誰かを責めるためだけにあるものではありません。

専門職の職務が適切だったのかを確認し、

必要があれば改善につなげ、

社会からの信頼を守るための仕組みでもあるのだと思います。

 

今回の懲戒請求も、

誰かを攻撃することが目的ではありません。

私自身が抱え続けてきた疑問について、

制度に基づき、第三者の判断をお願いするための一歩です。

その結果がどのようなものであっても、

私は真摯に受け止めたいと思っています。

 

この2年間、私は何度も

「制度を信じたい。」

そう思ってきました。

だからこそ、制度の中に用意されている手続きを、

私自身も大切にしたいと思っています。

疑問を疑問のままで終わらせるのではなく、

決められた手続きの中で確認していただく。

 

それもまた、制度を信頼するということなのではないか。

私はそう考えています。

 

そしてこれからも、妹のことを通して学んだこと、

本人の権利や意思決定支援について感じたことを、

一つひとつ丁寧に伝えていきたいと思います。

2026年7月10日(金)

 

6月は体調を崩し、

毎日を過ごすだけで精いっぱいでした。

気持ちも身体も思うように動かず、

今日まで、この出来事を文章にすることができませんでした。

 

けれど、

少しだけ落ち着いて振り返った時、

私は一つのことに気付きました。

この2年間、

私は決して一人で歩いてきたわけではなかったということです。

 

この2年間は、

私の人生の中で一番苦しかった時間だったのかもしれません。

実は私は、

10年以上前にうつ病を患い、一度仕事を休職しました。

その後、再びうつ病を発症し、仕事を退職しました。

今も私は、

うつ病と付き合いながら生活しています。

調子が良くなったと思えば、

また少し顔を出す。

そんな病気と向き合いながら生きています。

 

そんな私にとって、

この2年間の出来事は、

あまりにも大きすぎました。

正直、

何度も心が折れそうになりました。

何度も、

「もう消えてしまいたい」

そう思ったこともありました。

 

でも、

私は今日まで生きてくることができました。

それは、

一人ではなかったからです。

 

長女は思春期です。

だから、

「大丈夫?」

と何度も聞いてくるわけではありません。

でも、

私がぽつりぽつり話し始めると、

黙って「うん、うん」と聞いてくれました。

その時間に、

どれだけ救われたか分かりません。

 

次女はまだ幼く、

きっと何が起きているのか全部は分かっていません。

それでも、

毎日たくさんの笑顔と、

たくさんの愛をくれました。

その無邪気さに、

何度も心を救われました。

 

夫もそうです。

まとまりのない話。

何度も繰り返す話。

答えの出ない話。

それでも、

「うん。」

「そうだったんだね。」

と最後まで聞いてくれました。

 

友人たちもそうでした。

本当は、

こんな重い話なんて聞きたくないと思います。

それでも、

「辛かったね。」

「また話を聞くよ。」

そう言ってくれました。

 

職場の仲間も、

行政の仕組みを知っているからこそ、

私の苦しさを理解しようとしてくれました。

 

そして、

信頼できる弁護士の先生とも出会うことができました。

その出会いも、

母が長年、一生懸命仕事をし、

人とのつながりを大切にしてきたからこそ、

いただけたご縁なのだと思っています。

 

振り返ると、

真っ暗闇だと思っていた道にも、

少しずつ灯りをともしてくれる人がいました。

私はその灯りに、

何度も助けられました。

 

この2年間で、

私は一つだけ、

はっきり分かったことがあります。

それは、

人は、

尊厳を奪われると、

本当に壊れてしまうということです。

 

自分の思いを否定されること。

話を聞いてもらえないこと。

決めつけられること。

信じてもらえないこと。

 

それは、

心を少しずつ壊していきます。

 

だから私は、

これからも大切にしたいと思っています。

相手の話を最後まで聞くこと。

決めつけないこと。

その人の人生を尊重すること。

その人の尊厳を守ること。

 

制度も大切です。

法律も大切です。

けれど、

その土台にあるのは、

目の前にいる一人の人を、

一人の人として尊重することではないでしょうか。

 

この2年間は、

私からたくさんのものを奪いました。

けれど同時に、

人の優しさや、

支え合うことの大切さも教えてくれました。

 

私を支えてくださったすべての方へ。

本当にありがとうございます。

私は、

皆さんのおかげで、

今日もこうして生きています。

2026年6月16日(火)

妹は「分からない人」ではありません

明日で2年になります。

妹が家からいなくなって2年です。

 

長かった。

本当に長かった。

私の中では、

2年というより、

10年くらいに感じます。

 

この時期になると、

どうしても涙が出ます。

理由は分かりません。

気付くと涙が出ています。

 

私は今でも分からないのです。

なぜこうなったのか。

 

なぜ私たちに手は差し伸べられなかったのか。

なぜ家族支援は行われなかったのか。

なぜ母はここまで追い詰められなければならなかったのか。

 

法律も読みました。

手引きも読みました。

マニュアルも読みました。

研修資料も読みました。

 

それでも分からないのです。

なぜ私たち家族は、

そこから外れてしまったのでしょうか。

 

2年経っても、

妹がいないという現実は、

ずっと家族を蝕み続けています。

 

妹がいなくなったのは2年前です。

けれど、

私たち家族の時間は、

あの日から止まったままのような気がします。

 

母は今も自分を責め続けています。

「あの時こうしていれば」

「あの時気付いていれば」

「私が守れなかった」

そう言って泣きます。

 

眠れない日があります。

立ち上がれない日があります。

「死んで、魂になってあの子のそばに行きたい」

そう口にする日もあります。

 

父も変わりました。

家族も変わりました。

私も変わりました。

 

妹がいないという現実は、

ただ一人が家からいなくなったという話ではありません。

 

家族の中から、

安心がなくなりました。

笑顔が減りました。

未来の話ができなくなりました。

 

そして何より、

「明日はどうなるのだろう」

という不安が、

ずっと続いています。

 

そして、

私が一番苦しいのは、

妹の意思があまりにも軽く扱われているように感じることです。

 

妹は重度知的障害があります。

けれど、分からない人ではありません。

 

好きなものがあります。

嫌いなものがあります。

会いたい人がいます。

嫌なことがあります。

安心できる人がいます。

 

言葉で上手く説明ができないだけです。

 

それなのに、

いつの間にか、

「理解できない人」

「判断できない人」

として扱われているように感じることがあります。

 

私はそれが悔しくてたまりません。

 

本来、

言葉で伝えることが難しい人ほど、

丁寧に意思を確認する必要があるのではないでしょうか。

 

本来、

障害がある人ほど、

時間をかけて、

多くの人が関わりながら、

その人の思いを考える必要があるのではないでしょうか。

 

でも現実には、

妹の意思よりも、

周囲の判断の方が大きな力を持っているように感じます。

 

私は今でも問い続けています。

 

妹は、

本当に守られているのでしょうか。

 

誰が妹の人生を考えてくれているのでしょうか。

 

誰が妹の意思に耳を傾けてくれているのでしょうか。

 

虐待対応とは、

誰を守るための制度なのでしょうか。

 

もちろん、

本人を守ることは大切です。

それは間違いありません。

 

けれど、

守られるはずだった本人も、

残された家族も、

今も苦しみ続けている現実を前にすると、

この2年間は一体何だったのだろうと思うことがあります。

 

明日で2年になります。

 

それでも私は、

妹が帰ってくる日を諦めません。

 

妹がもう一度、

妹らしく笑える日を信じています。

 

そして私はこれからも、

妹は「分からない人」ではないと、

伝え続けたいと思います。

2026年6月15日(月)

 

私は最近、ずっと考えていることがあります。

それは、

障害者虐待防止法における「通報」と「支援」についてです。

 

虐待の疑いがあれば通報する。

それは法律で定められた大切な義務です。

もし本当に虐待が起きているのであれば、

誰かが声を上げなければなりません。

私はそのこと自体を否定したいわけではありません。

 

けれど、

私はずっと疑問に思っているのです。

通報した後は、

一体誰が養護者を支援するのでしょうか。

 

障害者虐待防止法には、

被虐待者だけでなく、

養護者への支援も目的として書かれています。

 

しかし現実には、

通報義務については繰り返し語られます。

研修もあります。

マニュアルもあります。

 

では、

養護者支援についてはどうでしょうか。

 

家族が疲れ切っている時。

追い詰められている時。

孤立している時。

介護や支援に限界を感じている時。

 

支援者は、

どのように関わるのでしょうか。

どうやって気付くのでしょうか。

どうやって声を掛けるのでしょうか。

どうやって支援につなげるのでしょうか。

 

私は、

その議論をあまり見たことがありません。

 

現場では、

「虐待かもしれない」

という話はされます。

 

けれど、

「その家族はなぜそこまで追い詰められたのか」

「何が不足していたのか」

「どんな支援が必要だったのか」

という話は、

どれだけされているのでしょうか。

 

そして、

通報後は市町村が対応することになります。

 

けれど私は、

ここにも大きな疑問があります。

 

市町村職員には、

本人支援だけではなく、

養護者支援も求められています。

 

しかし、

それだけの専門性や経験、

時間や体制は本当に確保されているのでしょうか。

 

数年ごとに異動がある中で、

障害特性を理解し、

家族支援を行い、

本人支援も行い、

権利擁護も行い、

関係機関との調整も行う。

 

それほど高度な支援を、

今の制度は本当に実現できているのでしょうか。

 

私は、

市町村職員を責めたいわけではありません。

 

むしろ逆です。

 

今の制度は、

現場の支援者や行政職員に、

あまりにも多くを背負わせているのではないかと感じています。

 

そして何より、

虐待をした人が悪い。

それだけで終わらせてしまうことに、

私は強い違和感を覚えます。

 

もちろん、

虐待は許されるものではありません。

 

けれど、

本当に問われるべきなのは、

「なぜそうなったのか」

ではないのでしょうか。

 

本当に問われるべきなのは、

「どうすれば防げたのか」

ではないのでしょうか。

 

本当に問われるべきなのは、

「その家族にどんな支援が必要だったのか」

ではないのでしょうか。

 

私は、

障害のある本人を守ることと、

養護者を支援することは、

本来セットでなければならないと思っています。

 

通報だけでは、

人は救えません。

 

通報の先に、

本人支援があり、

養護者支援があり、

地域の支えがあって、

初めて虐待防止になるのではないでしょうか。

 

私は今も問い続けています。

 

通報は義務です。

では、

支援は誰の義務なのでしょうか。

2026年5月31日(日)

 

私は今でも忘れられない文章があります。

 

市役所から送られてきた改善計画に関するメールです。

その中には、こんな言葉がありました。

 

「内容を決定し得るのは市であり、ご両親に提案権はありません。」

 

私はこの文章を何度も読み返しました。

そして今も考えています。

この言葉は一体何を意味しているのだろうと。

 

もちろん、

最終的な行政判断を行うのは市です。

それ自体は理解しています。

 

けれど、

私たち家族は決定権を求めていたのでしょうか。

 

私たちが求めていたのは、

妹本人がどう生きたいのか。

どうすれば安心して暮らせるのか。

どうすれば安全と尊厳を両立できるのか。

そのことを一緒に考えてほしいということでした。

 

しかしこの文章から私が感じたのは、

対話ではなく、

命令でした。

 

さらに驚いたのは、

「親の思いがすべて子の幸せであるかのような危険な思想」

という表現です。

 

確かに、

親だからといって、

本人の気持ちを完全に代弁できるわけではありません。

それは私もそう思います。

 

けれど一方で、

妹は35年以上家族と暮らしてきました。

好きなこと。

嫌いなこと。

不安になること。

安心すること。

私たちは日々の生活の中で見てきました。

 

その経験や理解は、

本当に何の価値もないのでしょうか。

 

私はこの文章を読みながら、

本人の意思を考えるために必要なのは、

行政か家族かという二択ではないと思いました。

 

本来必要なのは、

本人を中心に、

家族も、

支援者も、

専門職も、

行政も、

それぞれの立場から情報を持ち寄ることではないのでしょうか。

 

けれど、

この文章から私が感じたのは、

「市が決める」

という強いメッセージでした。

 

さらに私が強い違和感を覚えたのは、

改善計画についてのやり取りの中で、

「一般入所も選択肢としてあり得る」

「市長申立てによる後見人選任も選択せざるを得ない」

という趣旨の記載があったことです。

 

もちろん、

行政として今後取り得る手続を説明しているという見方もあるのかもしれません。

 

けれど当時の私たち家族には、

それは説明というより、

「市の求める内容を受け入れなければ、別の措置もあり得る」

と言われているように感じられました。

 

改善計画とは、

本来、

本人が安心して地域で生活していくために、

関係者が一緒に考えていくものではないのでしょうか。

 

しかし私たちには、

対話や協議というより、

従うか、従わないかを迫られているように感じられました。

 

特に、

一般入所や後見人選任は、

本人の人生に大きな影響を与える重要な決定です。

 

だからこそ私は、

それらが家族との協議の中で語られるたびに、

「本人のための支援」ではなく、

「従わせるための手段」のように感じてしまったのです。

 

今振り返っても私は思います。

本当に必要だったのは、

権限を示すことだったのでしょうか。

 

それとも、

妹本人がどう生きたいのか。

どうすれば安心して暮らせるのか。

どうすれば安全と尊厳を両立できるのか。

そのことを一緒に考える対話だったのではないでしょうか。

 

私は今も問い続けています。

このやり取りの中に、

妹本人の生活や人生を中心に据えた視点は、

本当に存在していたのでしょうか。

 

そして、

「ご両親に提案権はありません」

という言葉の先にあったのは、

支援だったのでしょうか。

それとも権限だったのでしょうか。

 

今もこの違和感が、

私の中から消えることはありません。

2026年5月29日(金)

 

母はあの日からずっと

自分を責め続けています。

 

「私がちゃんと産んであげられなかったから」

「私がもっと早く気付いていれば」

「私のせいで娘は苦しんでいる」

そう言いながら泣きます。

 

私はずっと疑問でした。

なぜ障害のある子どもを持つ母親だけが、

ここまで自分を責め続けなければならないのでしょうか。

 

障害のある家族を持つ人は、

時に何度も同じ説明をします。

 

支援者に伝え、

施設に伝え、

行政に伝えます。

 

それは、

相手を困らせたいからではありません。

本人が困らないようにしたいからです。

 

少しでも安心して暮らしてほしい。

少しでも不安を減らしてあげたい。

少しでも本人らしく生きてほしい。

 

ただ、それだけです。

 

けれど、

何度も伝えるうちに、

「また言っている」

「要求が多い」

「クレーマーではないか」

そんな目で見られてしまうことがあります。

 

私は時々思います。

本当にそれはクレームなのでしょうか。

 

娘のことを知ってほしい。

本人の不安を理解してほしい。

本人の権利を守ってほしい。

 

そう訴えることは、

そんなに問題のあることなのでしょうか。

 

社会には、

「母親なら分かるはず」

「母親なら支えられるはず」

「母親なら最後まで面倒を見るべき」

という空気があります。

 

けれど、

母親が制度や支援に疑問を持ち、

声を上げ始めると、

今度は「問題のある家族」のように扱われる。

 

私はそこに、

大きな矛盾を感じています。

 

母親には、

子どものことを理解しろと言う。

最後まで支えろと言う。

誰よりも寄り添えと言う。

 

けれど、

その母親が、

「この支援は本当に本人のためなのでしょうか」

「本人の意思は尊重されているのでしょうか」

と問いかけた瞬間、

今度は厄介な存在として見られてしまう。

 

それは本当に健全なことでしょうか。

 

母は娘を守ろうとしていました。

娘が不安にならないように。

娘が安心して暮らせるように。

娘の意思が置き去りにされないように。

 

そのために、

何度も説明し、

何度もお願いし、

何度も頭を下げてきました。

 

そして今、

母は限界を超えています。

自分を責め続けています。

眠れない日があります。

立ち上がれない日があります。

「死んで、楽になりたい。魂になってあの子のそばにいてあげたい」

と口にする日もあります。

 

私はそんな母を見ながら、

ずっと考えています。

 

母親だからといって、

ここまで背負わなければならないのでしょうか。

 

母親だからといって、

自分を壊しながら生きなければならないのでしょうか。

 

母親だからといって、

声を上げればクレーマーのように扱われ、

黙っていれば良い親だとされるのでしょうか。

 

母親も一人の人間です。

疲れることもある。

病気になることもある。

限界を迎えることもある。

 

それでもなお、

社会は母親に、

どこまでの犠牲を求めるのでしょうか。

 

私は今も、

その問いを抱えています。