2026年5月4日(月)
世間はゴールデンウィークです。
我が家では毎年、
必ずバーベキューをして、皆で出かけていました。
でも、今年もそれができません。
妹がいないからです。
出かける道中では、
サービスエリアに寄って、
たい焼きやむっちゃん饅頭をつまんだり、
妹の好きな曲をかけて、
車の中で皆で盛り上がったり。
出かけ先では、
父の横をキープする妹と、
それを巡って母と牽制し合う様子を見て、
皆で笑ったり。
バーベキューでは、美味しそうにお肉を頬張る妹を、皆で見守っていました。
可愛いものが好きな妹のためにハーモニーランドへ行ったり、
お風呂が好きだからと温泉に行ったり。
チョコやアイスが好きで、
ご当地のものを食べるのも
楽しみにしていました。
皆で出かけて、
わいわいしながらご飯を食べる。
そんな光景は、もう見れていません。
母は街で、妹と同じくらいの年頃の子を
無意識に探してしまうそうです。
似ている子を見ると、声をかけそうになり、
「連れて帰りたい」と思ってしまうほどの衝動に駆られるといいます。
そしてまた、自分を責めるのです。
「私がちゃんと産んであげられなかったから」
「私がちゃんと施設を見極められなかったから」
「私がこんな仕事をしていたから」
「私のせいで娘はこうなった」
“もし、あの時…”という思いは、
ずっと母の中に残り続けています。
障がいとともに生きる人と暮らす家族は、
自己犠牲が当たり前なのでしょうか。
本人を優先して、
自分の人生は後回しにするのが当たり前なのでしょうか。
私はこれまで、
妹がいるから結婚は難しい、
子どもを持つのも難しいのではないか、
そう言われながら育ってきました。
それでも私は結婚し、子どもを産み、
気づけば、妹への思いは
姉という立場から、
母に近い感覚へと変わっていきました。
妹が少しでも安心して過ごせるように。
ストレスや不安を感じないように。
「今日もいい一日だった」と思って
眠れるように。
それを軸に、関わってきました。
2024年1月以降に、妹が荒れていた時期は、
実家に通うようになりました。
興奮する妹を抱きしめて、
「大丈夫だよ」
「誰も責めてないよ」
「きついよね、大丈夫だから」
そう声をかけながら、何度も背中をさすりました。
そのとき、妹はポロポロと涙を流していました。
本当に、きつかったのだと思います。
母は、措置後も毎日、妹のことが心配で、
市役所に電話をかけて様子を聞いていました。
妹のお気に入りが詰まったカバンを一つ持って、届けにも行きました。
けれど、
「今後は迷惑になるので控えてください」
そう言われました。
父は今も、
なぜこうなったのかを調べ続けています。
たくさんの資料を集め、
静かに、自分を責めながら。
「自分に知識がなかったから」
そう言って。
私たちは、本当に
ネグレクトを疑われるような家族なのでしょうか?