備忘録~とあるきょうだい児の記録~

備忘録~とあるきょうだい児の記録~

重度の知的障害がある妹が“ネグレクトの疑い”で措置入所させられました。

2024年6月から、起きた事を記録しています。
1年半以上が経過しても、家族は誰一人妹と面会できていません.
1/15~不定期更新。

2026年5月4日(月)


世間はゴールデンウィークです。

我が家では毎年、
必ずバーベキューをして、皆で出かけていました。

でも、今年もそれができません。

妹がいないからです。


出かける道中では、

サービスエリアに寄って、
たい焼きやむっちゃん饅頭をつまんだり、

妹の好きな曲をかけて、
車の中で皆で盛り上がったり。


出かけ先では、

父の横をキープする妹と、
それを巡って母と牽制し合う様子を見て、
皆で笑ったり。


バーベキューでは、美味しそうにお肉を頬張る妹を、皆で見守っていました。


可愛いものが好きな妹のためにハーモニーランドへ行ったり、
お風呂が好きだからと温泉に行ったり。

チョコやアイスが好きで、
ご当地のものを食べるのも

楽しみにしていました。


皆で出かけて、
わいわいしながらご飯を食べる。

そんな光景は、もう見れていません。


母は街で、妹と同じくらいの年頃の子を
無意識に探してしまうそうです。

似ている子を見ると、声をかけそうになり、

「連れて帰りたい」と思ってしまうほどの衝動に駆られるといいます。


そしてまた、自分を責めるのです。


「私がちゃんと産んであげられなかったから」
「私がちゃんと施設を見極められなかったから」
「私がこんな仕事をしていたから」
「私のせいで娘はこうなった」


“もし、あの時…”という思いは、
ずっと母の中に残り続けています。


障がいとともに生きる人と暮らす家族は、
自己犠牲が当たり前なのでしょうか。

本人を優先して、
自分の人生は後回しにするのが当たり前なのでしょうか。


私はこれまで、

妹がいるから結婚は難しい、
子どもを持つのも難しいのではないか、

そう言われながら育ってきました。


それでも私は結婚し、子どもを産み、
気づけば、妹への思いは
姉という立場から、

母に近い感覚へと変わっていきました。


妹が少しでも安心して過ごせるように。

ストレスや不安を感じないように。

「今日もいい一日だった」と思って

眠れるように。


それを軸に、関わってきました。


2024年1月以降に、妹が荒れていた時期は、

実家に通うようになりました。


興奮する妹を抱きしめて、

「大丈夫だよ」
「誰も責めてないよ」
「きついよね、大丈夫だから」

そう声をかけながら、何度も背中をさすりました。


そのとき、妹はポロポロと涙を流していました。

本当に、きつかったのだと思います。


母は、措置後も毎日、妹のことが心配で、
市役所に電話をかけて様子を聞いていました。

妹のお気に入りが詰まったカバンを一つ持って、届けにも行きました。


けれど、

「今後は迷惑になるので控えてください」

そう言われました。


父は今も、

なぜこうなったのかを調べ続けています。

たくさんの資料を集め、
静かに、自分を責めながら。


「自分に知識がなかったから」

そう言って。


私たちは、本当に

ネグレクトを疑われるような家族なのでしょうか?

2026年5月1日


今回の裁判で、どうしても拭えない違和感があります。

それは——
「医療ネグレクト」と言われていることです。


一般的に医療ネグレクトとは、

必要な医療があるにもかかわらず、
それを受けさせなかったり、放置したりすることを指します。


本来であれば、

・どの医療が必要だったのか
・誰がその必要性を判断したのか
・それを家族がどのように対応しなかったのか

そうした具体的な事実の積み重ねがあって、
初めて成り立つものだと思います。


しかし今回の裁判では、

その「具体的な事実」がはっきりしないまま、
医療ネグレクトという評価だけが示されているように感じています。


さらに疑問に思うのは、

この「医療ネグレクト」という評価が、
措置入所当初からあったものではないという点です。


資料を見ていくと、

当初の判断とは別に、
後から医療という視点が加えられているように見えます。

そしてその内容は、

専門職の視点として見ても、
あまりにも根拠が弱いのではないかという指摘も受けています。


例えば、

「措置後にてんかん発作を起こしていないから医療ネグレクト」
「適切な専門外来に通院していなかったから医療ネグレクト」
「薬が多すぎて、減薬しても問題なく発作も起きないから医療ネグレクト」


これで医療ネグレクトが成り立つのでしょうか。

有識者の方の意見をお聞きしたいです。


私たちは、

・かかりつけ医への通院歴
・大学病院との連携や通院歴
・てんかんで搬送された際の医療対応
・前駆症状を含めた発作の情報を伝えていたこと
(過去に施設の玄関で発作を起こし、コンクリートで頭を強打した経緯があります)

といった記録を裁判所へ提出してきました。


つまり、

医療と関わっていなかったわけでも、
放置していたわけでもありません。


それでもなお、

「医療が不十分だった」
「ネグレクトである」

と評価される。


では——

何をすれば「十分」だったのでしょうか。


そして、もう一つ。

この出来事を考えるうえで、
どうしても整理しておきたいことがあります。


措置中に行われた、薬の減量です。

(当時はまだ後見人もついていない状況でした)


もしこの減薬が、

家族やかかりつけ医に共有されないまま
行われていたとすれば。

(家族は心配だったので、何度も訪ねましたが、教えてもらえませんでした。)


その判断は、

誰の同意のもとで行われたものだったのでしょうか。


医療の判断は本来、

医師の専門的判断と、
本人または法定代理人の同意のもとで行われるはずです。

(本人に判断能力がないと、行政は再三説明しています)


それにもかかわらず、

医療に関する重要な判断のプロセスが見えないまま、「意思決定支援」ではなく、

実質的に「代理意思決定」が行われているように見えます。


この行為は、行政に許される裁量権の範囲を大きく超えているのではないでしょうか。


一方で家族は、

十分な説明もないまま
「医療ネグレクト」という評価を受けている。


医療の判断と、
その責任の所在。


この二つが曖昧なまま、

ネグレクトという言葉だけが使われていることに、私は強い違和感を感じています。


ネグレクトの「疑い」という、最初の判断の根拠が曖昧なまま進んでいくと、
その後の評価も、その曖昧さを引き継いでしまうのではないでしょうか。

2026年4月30日(木)

同じ6月17日のはずなのに——記録が違いすぎる

これまでの資料と、
当時の自分たちの記録を照らし合わせてみました。

 

そこで、どうしても拭えない違和感があります。

 

それは——

同じ6月17日の出来事であるはずなのに、
記録の内容があまりにも違う
ということです。

 

手元に残っているのは、
当時その場で書き残したメモです。

そこにあるのは、

・市の担当者との電話の内容
・内出血が継続しているという説明
・医療受診や診断は不要とされたこと
・(本人の)保護ができていないという判断

 

その場で聞いたことを、
そのまま書き留めた記録です。

 

一方で、

裁判資料として提出されているケース記録は、
同じ6月17日のものとされています。

 

しかし、その内容は、

・平成30年からの経過
・痣の継続の評価
・原因は不明としながらも環境の問題とする指摘
・「ネグレクト」との判断
・今後の支援方針

・不服申し立ての説明について

・父の具体的すぎる問題とみられるような

 印象の発言の数々

 

まるで、

長い時間をかけて整理された
“完成された判断”のような記述になっています。

 

ここで、疑問が生まれます。

 

この内容は、本当に6月17日の時点で、
その場で記録されていたものなのでしょうか。

 

当日のメモは、

その場で聞いた事実が中心です。

 

一方で、ケース記録は、

過去の経過、評価、結論まで含まれています。

 

同じ日付でありながら、

一方は「その場の記録」、
もう一方は「判断の完成形」。

 

その違いは、

単なる書き方の違いろは思える内容で

片付けられませんでした。

 

それとも・・・

記録が作られる過程そのものに、
違いがあるのでしょうか。

 

さらに、

時系列として整理された資料を見ると、
この出来事は、

長年の見守りの結果として
措置に至ったとされています。

 

しかし、

当日の説明の中で、
その経過が十分に共有された実感はありません。

 

むしろ、

当日は、

「内出血が続いている」
「生命の危険がある」

といった判断が、

一気に示された印象が強く残っています。

 

そしてもう一つ。

この措置の根拠となる市独自の細則は、
わずか4日前に施行されたばかりのものでした。

 

その制度の内容も手続きも、
当日には十分に知らされず、市の例規集にも

記載がない状態でした。

 

家族はその措置入所の手続きや

目的や運用についても知る事ができませんでした。

(もちろん当日説明もありませんでした。)

 

そうした状況の中で、

判断だけが先に進んでいったように感じています。

 

同じ6月17日。

 

その日に何が起きていたのか。

 

そして、

その記録は、
どのように作られていったのか。

 

私はいま、

そのことを改めて、当時に立ち返り、

記録を照らし合わせています。

 

記録は必ず私達の真実を立証すると信じています。

2026年4月27日(月)

この記録、本当に「その時」のものなのか

今回、裁判資料として提出されている記録と、
当時の自分たちの記録を照らし合わせてみました。

 

その結果、

どうしても拭えない違和感があります。

 

それは

同じ出来事を扱っているはずなのに、
見えている内容があまりにも違う
ということです。

 

私たちの手元には、

当時、その場で書き残したメモがあります。

 

そこに書かれているのは、

・誰と話したのか
・どのような説明を受けたのか
・どんな判断が示されたのか

→必要最低限の、現場の記録です。

 

一方で、

裁判に提出されているケース記録は、

発言の流れ、評価、結論まで含めて、
非常に詳細に記述されています。

 

まるで、

会話のすべてを再現したかのように。

 

ここで、どうしても疑問が残ります。

 

この記録は、本当にその場で作成されたものなのか。

 

あの場の空気の中で、

これほどの分量と精度の記録を
リアルタイムで残すことができるのでしょうか。

 

もしできていたのだとすれば、

・メモ
・録音
・何らかの記録媒体

そうした裏付けが存在するはずです。

 

しかし、

その点については明らかにされていません。

 

さらに、

別の資料と比較すると、
もう一つの違和感が浮かび上がります。

 

6月17日のケース記録と、

その後に提出された文書は、

・事実の並べ方
・評価の仕方
・結論の導き方

が非常に似通っています。

 

つまり

同じ“型”で作られているように見えるのです。

 

もちろん、

同じ事案であれば共通点があることは自然です。

 

けれど、

当時のメモや記録と照らし合わせると、

そこにはいくつもの食い違いがあります。

 

・聞いていない内容が入っている
・ニュアンスが変わっている
・評価が付け加えられている

 

そうなると、

この記録は

どこまでが事実で、
どこからが解釈なのか。

 

その境界が、非常に曖昧に感じられます。

 

記録とは本来、

事実をそのまま残すもののはずです。

 

けれどもし、

後から再構成されたものであるとしたら・・・。

 

その記録をもとに行われた判断は、
何を根拠にしているのでしょうか。

 

そして、

その判断は、本当に当時の現実を
正しく反映しているのでしょうか。

 

私はいま、

この記録のあり方そのものについて、
改めて考えています。

2026年4月23日(木)

 

昨日、裁判がありました。

少しでも状況が進むのではないかと、

そう思いながら法廷に向かいました。

 

しかし、実際に繰り返されたのは、

「行政に確認しないと分からない」
「行政と協議中である」

という言葉でした。

それも、一度ではなく、何度も。

 

この裁判は、すでに「措置」という

重大な判断が行われた後に、

その適否が問われているものです。

 

それにもかかわらず、

その判断の前提となる事実について、

法廷の場で説明することができない。

 

この状況は、いったい何を意味しているのでしょうか。

 

もし、訴訟の段階においてもなお

「確認しないと分からない」

程度の認識であるとすれば、


その判断がなされた当時、

十分な事実確認や検討が尽くされていた

とは言い難いのではないでしょうか。

 

さらに、これまでに提出された

行政側の文書についても、強い違和感があります。

 

これらの文書は、行政の判断を正当化

する内容となっていますが、その記載には

推測や評価にとどまる表現が多く見受けられ、

客観的な事実や一次的な記録に基づいている

とは考えにくい部分があります。

 

 

実際に、私たちが保有している記録

との間にも、明確な相違が存在しています。

 

では、その記録の信頼性は、どのように担保されているのでしょうか。

 

ケース記録の開示を求めたところ、
「必要な範囲はすでに開示している」との回答がありました。

 

今後は、こちらの指摘や主張に応じて、

その都度、関連する内容を提出していくという姿勢が示されています。

 

しかし、このような運用が続く場合、
後から提示される情報によって、

判断の根拠がいかようにも補強されていく構造になりかねません。

 

それは、事後的に整えられた説明によって、

当初の判断の正当性が作り上げられていく危険性を含んでいます。

 

また、今回提出された文書についても、

記載された日付より後の経過と極めて類似した構成を持っており、
事実の並べ方や評価の仕方、結論への導き方まで、

同一の枠組みで再構成されているように見受けられます。

 

本来、当時の記録であるならば、

その時点での認識や情報に基づいた記載であるはずです。

 

しかし、後の経過と整合的に整理された内容

となっている点については、慎重に検証する必要があると感じています。

 

あれほど詳細な記述がなされている以上、
その裏付けとなるメモや録音といった一次的記録の有無についても、確認が必要です。

 

何が、どのような過程を経て、この判断に至ったのか。

そして、その判断は、どのような客観的事実に基づいているのか。

 

現時点において私たちに見えているのは、
「判断の結果」であって、「判断に至る過程」ではありません。

 

このまま経過が明らかにされないのであれば、
記録の信用性や、

その裏付けの提示が、

より一層求められるのではないでしょうか。

 

この裁判が始まってから、まもなく1年が経とうとしています。
それにもかかわらず、いまだに判断の前提となる事実や経過は、

十分に明らかにされていません。

2026年4月21日(火)

 

正しいとされたその判断で、
いったい誰が救われたのだろうか。

 

制度の中では、
一定の手続きと基準に基づいて
判断が行われていく。

それは、
正しさを担保するための仕組みのはずです。

 

けれど——

その「正しい」とされた判断の先に、
何が残っているのか。

 

本人は、
その人らしく過ごせているのか。

安心できているのか。
笑えているのか。

その姿を、
家族は知ることができないままです。

 

家族は、
ただ離され、
ただ知らされず、

不安の中で
時間だけが過ぎていきます。

 

母は、限界に近い状態です。

 

声をあげて泣き、妹の名を呼び続け、
どうしていいか分からなくなるほど
追い詰められていた日もあります。

 

追い詰められている日々が続いています。


いつ、その灯火が、ふと消えてしまうのか分からない——
そんな危うさの中で、なんとか踏みとどまっています。

 

それでも、
その判断は「正しい」とされている。

 

支援者は、
役割を果たしたことになるのかもしれません。

行政は、
適切に対応したと整理されるのかもしれません。

 

けれど、

その結果として、

本人の意思は、
どこにあったのでしょうか。

 

家族の存在は、
どこに置かれていたのでしょうか。

 

正しいとされる判断の中で、

失われていくものがあるのではないか。

 

関係性。
時間。
安心。
そして——尊厳。

 

正しさとは、

誰かを守るためにあるはずです。

 

けれどもし、

その正しさの中で、
誰も救われていないのだとしたら。

 

この判断で、いったい誰が救われたのだろうか。

 

明日は裁判の日です。

2026年4月8日(水)

 

行政は、 根拠がはっきりしないままでも、 

見聞きしたことだけで、 あれほど強い言葉で、

 あれほど悪意を感じる文章を書くことができる。

 

 そしてそれが、 当たり前のように 裁判所へ提出されていく。

 

あのとき、 胸の中にあった感情を うまく言葉にすることはできませんでした。 

ただ、立っていられなくなるような感覚に 襲われたのを覚えています。

 

 自分たちが知っている現実と、 書かれている内容が違う。

 それでも、 その文章が「正しいもの」として 扱われていく。

 

 そのとき、思いました。 無実のものが、 あたかもそこに罪があるかのように 積み重ねられていく怖さ。

その怖さに、 前を向くことができなくなった瞬間がありました。

 

それでも同時に、 こんなことも考えてしまいました。

 

 向こうの言い分通りの人になってしまった方が、 楽なのではないか。

 

事実と違っていても、 それを認めて、 そのレールの上に乗ってしまえば、 

どれだけ楽なのか。

 

そんな考えが、 一瞬、頭をよぎりました。

 

 でも、それは本当に「正しさ」なのでしょうか。 

 

正しさとは、 誰が決めるものなのか。

 

 私はいま、 そのことを考えています。

2026年4月7日(火)

 

なぜ“判断する側”は間違いを認めないのか

制度について書き続ける中で、
どうしても考えずにはいられないことがあります。

それは——

なぜ、判断は見直されないのか
ということです。

 

行政や専門職は、
日々多くの判断を積み重ねています。

それは、
責任ある立場だからこそ必要なことです。

 

けれど同時に、

一度下された判断が
その後ほとんど見直されることなく
進んでいく現実もあるのではないでしょうか。

 

本来、

判断とは、
常に修正され得るもののはずです。

状況は変わり、
見えていなかった事実が見え、
新たな視点が加わる。

 

だからこそ、

一度の判断で固定されるのではなく、
問い直され続けることが必要なはずです。

 

けれど現実には、

その判断そのものが
見直されにくい構造があるように感じます。

 

なぜなのか。

 

それは、

「公的機関の判断は正しいはずだ」
という前提が、

強く存在しているからではないでしょうか。

 

判断をした以上、
それは正当である。

たとえ違和感があったとしても、
その判断は覆されにくい。

 

そしてもう一つ。

もしその判断に誤りがあった場合、
それを認めることは、

責任の所在を問われることにもつながります。

 

だからこそ、

判断は見直されるよりも、
維持される方向に働いてしまう。

 

けれど——

その構造の中で、

影響を受けるのは
制度の中にいる人たちです。

 

本人。
家族。
生活そのもの。

 

もし判断が修正されないまま
進み続けてしまったとき、

その影響は
時間とともに大きくなっていきます。

 

本来、制度とは

正しさを守るためではなく、
人を守るために存在するもののはずです。

 

だとしたら、

その判断は
常に問い直されるものでなければならないのではないでしょうか。

 

間違えないことよりも、

間違えたときに
修正できること。

 

それこそが、
本当の意味での「制度の強さ」ではないかと
私は感じています。

 

では——

その判断は、
本当に見直される仕組みになっているのでしょうか。

2026年4月3日(金)

 

障害者虐待防止学会に参加して、
強く感じたことがあります。

 

それは——

この法律はまだ、
充分に成熟していないのではないか
ということです。

 

議論の多くは、

施設の取り組みや、
専門職の対応についてでした。

つまり、

施設内虐待や専門職の問題に
焦点が当たっている
ように感じました。

 

もちろん、それは重要なことです。

専門職が専門職に向けて、
虐待について学び合うことも必要です。

通報義務を守ることも、
制度として大切なことです。

 

けれど——

それだけで、
本当に虐待は防げるのでしょうか。

 

 

 

私は、もう一つの疑問を感じました。

虐待を「認定する側」である行政は、
どこまでこの制度の本質を理解しているのか。

 

現場では、

福祉とは全く異なる部署から異動してきた職員が、
突然判断を担うこともあります。

 

そのとき、

障害福祉の理解が充分でないまま、
重大な判断が行われることはないのでしょうか。

 

 

なぜ以前は、
ここまでの違和感を感じなかったのか。

私は、こう考えています。

かつては、

外部の専門職の意見を聞き、
疑問を共有し、
協議する余地があった。

 

 

けれど、

コロナ禍を経て、
行政のあり方はどこか閉鎖的になったように感じます。

 

そしてそこで強くなったのが、

「命が最優先」「行政の保身一番」という考え方です。

 

もちろん、命は大切です。

けれど——

命さえ守ればいいのでしょうか。

 

尊厳や関係性、
本人らしさや家族とのつながり。

それらが切り離されたままでも、
制度は正しいと言えるのでしょうか。

 

未成熟な制度は、

使い方を誤れば、
守るためのものではなく、

人を追い詰めるものにもなり得ると感じています。

 

本来この法律は、

本人と家族を守るために
存在しているはずです。

 

けれど現実には、

家族は引き離され、
様子も知らされず、
不安の中に置かれ続けています。

 

そしてもう一つ。

声を上げられない人の意思は、
どこまで守られているのでしょうか。

 

言葉で伝えられない人。
意思表示が難しい人。

そうした人たちは、

「分からない」とされることで、
判断の外に置かれてしまうことがあります。

 

けれどそれは、

意思がないということではありません。

 

もし声が聞こえにくいからといって、
その人の人生を他者が決めていいのだとしたら、

それは支援ではなく、
支配に近づいてしまうのではないでしょうか。

 

障害福祉は、

なだまだ発展の途中にある分野だと感じています。

 

ノーマライゼーションという言葉がありながら、
現実はそこに追いついていない。

 

私が暮らす地域では、

いまだにどこか、
「措置の時代」が続いているように感じます。

 

守るはずの制度が、
人を苦しめるものになっていないか。

 

その問いに、
いま一度向き合う必要があるのではないでしょうか。

2026年3月31日(火)


家族はどこまで耐えればいいのか

妹のことを、もう長い間、何も知ることができていません。

後見人の弁護士に、これまで二度手紙を送りました。

1度だけ、返事はありましたが、それ以降、3ヶ月、何の連絡もありません。

去年の11月以降、

妹がどこでどのように過ごしているのか、

その様子を窺い知ることはできていません。


居場所も知らされず、

面会も断られたままです。

理由についても、何一つ説明されていません。

「検討する」と言われたままです。


先週、私たちは耐えきれずに再度連絡をしました。けれど、いまも返事はありません。


母は、もう限界に近い状態です。

生きているだけで奇跡だと感じるほどです。

それでも、なんとか仕事に行っています。

眠れない日が続き、心も体も削られています。

夜中に叫びたかなるほど、悲しくなる日が

続きます。


一度、極限まで追い詰められた日がありました。

「もう死にたい」

「死んで、あの子のそばにいてあげたい」

「この世界を終わりにしたい」

そう言って、ただただ泣き続け、ずっと自分を責め続けていました。


どうして、こんなことになったのか。


その問いを抱えたまま、

母と私達家族は今日も耐えています。


私たちは、何も知らされていません。

何も分からないことが、

不安をどんどん膨らませていきます。


最悪の想像ばかりが頭をよぎる。


妹は今、妹らしく過ごせているのか。

笑えているのか。

安心できているのか。


何も知らされないままの時間が、

家族を追い詰めていきます。


今回の対応は、

ネグレクトの疑いがきっかけでした。

けれど——

ここまでの遮断が、本当に必要なのでしょうか。

施設への入所。

情報の遮断。

面会の拒否。


その中で、

本人の尊厳は、どのように守られているのでしょうか。


知ることすらできません。

命を守ることは、もちろん大切です。


けれど、

命さえあればいいのでしょうか。


この制度は、

家族が壊れてもいい。

双方が多くを失っても仕方がない。

そういう前提の上で成り立っているのでしょうか?

尊厳とは、

命と切り離されるものではないはずです。

尊厳があってこそ、

この法律は存在しているはずです。



幸せとは、

誰かが決めるものではありません。


支援者でも、

行政でもありません。


意思疎通が難しいだけで、コツが、あれば

意思を確認する事は可能です。

では、なぜ意思無き者として、都合よく扱われてしまうのか?

支援ではなく支配してしまえば周りが楽だからではなないのでしょうか?

では——

家族は、どこまで耐えればいいのでしょうか?

今だに行政からは私達家族への養護者支援はありません。支援プランは存在したのでしょうか?


来月は裁判があります。

少しでも進む事を祈る日々です。