備忘録~とあるきょうだい児の記録~

備忘録~とあるきょうだい児の記録~

30ウンねん、きょうだい児してて、ここ最近の起きた事を
記録しています。

毎日15時30分に更新しています。
(妹がいなくなった事を知った時間です。)
1年半が経過しても、家族は誰一人妹と面会できていません.
2025年12月

2025年12月24日(水)


家族が「要因」にされていく構造


支援の場で、静かに起きていること


支援の現場で、家族がいつの間にか

「支援する存在」ではなく「問題の一部」のように扱われていく瞬間があります。

それは、特別なトラブルが起きたときではありません。怒鳴ったわけでも、無理難題を押しつけたわけでもない。

ただ、判断の理由を知りたかった。記録の根拠を確認したかった。納得できない点を、問い続けただけ。


その行為が、少しずつ「うるさい」「感情的」「扱いづらい」というラベルに置き換えられていきます。


同じ内容を専門職が口にすれば「建設的な意見」になるのに、家族が言うと「感情が強い」「関係性が難しい」と整理される。


この時点で、立場の非対称性が生まれています。

本来、説明を求めることは当然の権利のはずです。

なぜこの判断に至ったのか?

他の選択肢はなかったのか?

何を重視し、何を切り捨てたのか?


けれど現実には、説明を求める回数が増えるほど

場の空気は静かに変わっていきます。

「また説明を求めている」

「納得しない家族」

「関係性がこじれる」


説明を求める行為そのものが、

いつの間にか“リスク”のように扱われ始めるのです。

そして多くの家族が、ある時点で気づきます。

声を上げるほど、不利になる。

黙っていれば、話は進む。


こうして家族は、

納得したわけでも、同意したわけでもなく、沈黙を選ぶようになります。

沈黙は同意ではありません。

諦めでもありません。


それは、

「これ以上当事者を傷つけないため」

「これ以上関係を悪化させないための」

必死な防衛です。


しかし皮肉なことに、

その沈黙は記録の中で

「特に異議なし」

「大きな問題は見られない」

という形に変換されていきます。


声を出さなかったことが、

「問題がなかった証拠」になる。

こうして構造の中では、

声を上げれば「うるさい」

説明を求めれば「扱いづらい」

黙れば「問題はなかった」

という整理が、

ごく自然なものとして定着していきます。


その先に残るのは、

「施設は対応していた」

「行政も判断した」

「では、なぜ問題が起きたのか」

という問いです。


そしてその答えが、

いつの間にか家族という個人に回収されていく。

「関わり方に問題があったのではないか」

「影響を与えすぎていたのではないか」

本来、支援を担ってきたはずの家族が、

少しずつ

「距離を取るべき存在」

「状況を悪化させかねない要因」

へとすり替えられていく。


それは事実認定というより、

物語の方向づけに近いものだと感じます。

この構造は、決して特別な家族だけの話ではありません。


障害、病気、老い、事故。

誰もが、ある日突然

「判断される側」になります。


そのとき、説明を求めることが不利になり、

沈黙した人だけが「問題のない人」とされる社会でいいのでしょうか。


支援とは、

人を黙らせるための仕組みではなく、

一緒に考えるための関係であってほしい。


家族が「要因」にされていくこの構造は、

今、声を上げている人だけの問題ではありません。


沈黙の先に、いつか自分自身が立たされる可能性のある場所なのだと、私は強く感じています。

2025年12月23日(水)

 

家族が「要因」にされていく構造について

今回の出来事を振り返る中で、
私が強く感じているのは、
家族がいつの間にか「問題の要因」として位置づけられていく構造です。

誰かが明確にそう決めたわけではありません。
けれど、記録を読み重ねていくと、
その方向へと意味づけが集まっていく流れが、確かに存在していました。

 

問題が起きたとき、制度は「原因」を探し始める

支援の現場で何か問題が起きると、
まず求められるのは「整理」です。

・なぜ起きたのか
・どこに課題があったのか
・どうすれば再発を防げるのか

その過程で、
原因や要因を特定しようとする力が強く働きます。

しかし、制度や運用そのものを要因として扱うことは、
とても難しい。

なぜならそれは、
・改善が必要になる
・責任の所在が広がる
・検証や見直しが求められる

からです。

 

「調整しやすい存在」が要因にされていく

そこで、より扱いやすい存在に視線が向けられます。

それが多くの場合、家族です。

家族は、

・本人のそばにいる
・頻繁に関わっている
・感情を持っている
・声を上げることがある

だからこそ、
記録の中で説明しやすい。

「影響していた可能性がある」
「関わり方に課題があったかもしれない」

そうした表現が重なっていくことで、
家族は少しずつ
支援の担い手から、調整すべき要因へと位置づけを変えていきます。

 

施設や制度は「要因」になりにくい

一方で、

・施設は「対応していた」
・行政は「判断した」
・制度は「手続きに沿っていた」

という形で整理されやすい。

これは誰かの悪意というより、
組織や制度が自己防衛的に働く構造だと感じています。

結果として、

・施設も行政も間違っていない
・では、なぜ問題が起きたのか

という問いの行き先が、
家族という個人に集約されていく。

 

家族は「支援対象」から「管理対象」へ変わる

最初は、

・協力的な家族
・情報を提供する家族
・支援を一緒に考える存在

だったはずの家族が、

・感情的
・影響が強い
・距離を取るべき存在

として記録され始める。

この変化は、
誰にも明確に説明されないまま進みます。

だからこそ、
家族自身も、
いつの間にか要因の位置に立たされていることに気づけない

 

家族を要因にした時点で、支援は止まる

家族が「要因」として処理された瞬間、
本来考えるべき問いは後回しになります。

・支援の方法は適切だったのか
・環境調整の余地はなかったのか
・制度運用に歪みはなかったのか

これらは深掘りされないまま、

「要因が整理された」
「対応は行われた」

という形で、
問題が“処理されたように見える”状態になります。

けれど、
それは解決ではありません。

 

これは特定の家族だけの話ではない

声を上げる家族。
説明を求める家族。
納得できない点を問い続ける家族。

そうした存在が、
いつの間にか
「扱いづらい」「要因になり得る存在」
として整理されてしまう。

この構造は、
決して一つの家庭だけの問題ではありません。

 

家族が要因として扱われることで、
本当に守られているのは誰なのか。

そして、
その構造はいつ、
自分自身や自分の家族に向くのか。

支援とは、
誰かを要因として切り離すことではなく、
「なぜうまくいかなかったのか」を
一緒に考え続けることではないでしょうか。

 

2025年12月22日(月)

 

母が「問題のある人」にされていく過程

今回、行政や施設が作成した複数の記録を読み返しました。
その中で、どうしても見過ごせない違和感があります。

それは、
母が、いつの間にか「問題のある人」として位置づけられていく構造です。

一つひとつの記録を見れば、
露骨な非難や強い言葉が使われているわけではありません。

・感情的になることがある
・口調が強くなることがある
・施設に対して厳しい意見を述べることがある

一見すると「客観的な観察」にも見えます。

しかし問題は、
それらが一方向にだけ積み重ねられていることです。

母の言動は「攻撃的」と解釈され、
母の訴えは「過剰」「感情的」と整理され、
一方で、施設側の説明は検証されないまま事実として扱われていく。

その結果、
「問題が起きる背景には、母の関わり方があるのではないか」
という空気が、記録全体からにじみ出てきます。

 

本来、母は長年、妹を支えてきた家族です。

体調や生活の変化に気づき、
分からないなりに、正解が見えないなりに、
必死に妹を育ててきました。

それでも記録の中では、母は次第に

・距離を取るべき存在
・影響を与えすぎる存在
・状況を悪化させかねない存在

として描かれていきます。

これは「事実認定」というより、
物語の方向づけに近いものではないでしょうか。

 

ここで、どうしても書いておきたいことがあります。

母は、文字通り命を懸けて妹を産みました。
妹が障害を負ったことについて、
母は長い間「自分のせいではなかったのか」と
誰に言われるでもなく、自分を責め続けてきました。

専門知識があったわけではありません。
でも、育てることを投げ出したことは一度もありません。

 

それなのに、なぜ母は「支援される側」ではなく、
「問題を記録される側」になってしまったのでしょうか。

なぜ、苦しさや必死さの背景を汲み取ろうとせず、
「問題のある人」という枠に当てはめられてしまったのか。

 

母は今、日に日に弱っています。

「自分が消えてしまえばよかったのではないか」
そんな言葉が、母の口からこぼれるようになりました。

何が問題だったのか。
どうすればよかったのか。
それを一度もきちんと説明されないまま、
結果だけを突きつけられてきた。

その積み重ねが、母の心を壊していきました。

 

ここまでしなければ、いけなかったのでしょうか。

本来なら、もっと早く指導や助言や対話があっても
よかったのではないでしょうか。

一つの家族を、ここまで追い詰め、
分断し、壊してしまわなければ、
これは「改善」されなかったのでしょうか。

 

支援とは、
「できなかったこと」を責めることではなく、
「どうすればできるようになるか」を
一緒に考えること
ではないのでしょうか。

母は、責められるべき存在ではなく、
本来、支えられるべき存在だったはずです。

 

母生きる力は日に日に小さくなっているように感じます。

2025年12月21日(日)


ここまで、判断のあり方や説明責任、

問い直す権利について書いてきました。


その中で、私自身が何度も立ち止まった問いがあります。


それは、「問いが残ること」は、悪いことなのだろうかということです。

制度は「答え」を急ぎたがる

制度は、どうしても答えを出したがります。

・判断を確定させる

・結論を示す

・区切りをつける

それ自体は、運用上必要なことでもあります。

けれど、答えを急ぐあまり、問いを置き去りにしてしまうことがあります。


なぜそう判断したのか。

他の可能性はなかったのか。

本当に守られるべきものは何だったのか。


こうした問いは、

「未解決」

「面倒」

「蒸し返し」

として扱われがちです。



でも、問いが残ること自体が“危険”なのだろうか

私は、そうは思いません。

問いが残るということは、判断が絶対ではないことを私たちが忘れていない、ということです。


問いが残る社会とは、

・判断を検証できる余地がある

・間違いを修正できる可能性がある

・人の声が、まだ完全には消えていない

そんな社会です。

「終わらせること」と「考え続けること」は違う

制度は、ある時点で結論を出さなければなりません。でもそれは、考えることを終わらせる理由にはなりません。

・解除されたから、すべて正しかった

・決定が出たから、もう問えない

そうなった瞬間、

制度は人の上に立ち始めます。


本来、制度は

人のためにあるはずなのに。


問いを残すことは、責任放棄ではない

「いつまでも問い続けるのは良くない」

「前に進むべきだ」

そう言われることもあります。

けれど、問いを残すことは、前に進まないことではありません。


むしろそれは、

・同じことを繰り返さないため

・次の誰かを守るため

・判断をより良くするため

の、静かな責任だと思っています。

最後に ― 問いを持ち続ける人がいるということ

すべての問いに

明確な答えが出るわけではありません。

それでも、

「なぜだろう」

「本当にこれでよかったのだろうか」

そう考え続ける人がいる限り、

社会は完全には閉じません。


問いを持つことは、

誰かを責めるためではなく、

人の尊厳を手放さないための行為です。


答えが出なくても、

問いが残っている社会であること。


それ自体が、私たちにとっての

ひとつの希望なのではないかと、

今はそう感じています。

2025年12月20日(土)


制度の中では、判断に対して「異議を申し立てる権利」や「説明を求める権利」が用意されています。

形式上は、誰もが問い直せることになっています。けれど現実には、問い直すこと自体が、難しくなる瞬間があります。


「聞いてもいい」はずなのに、聞けなくなる空気

判断について質問すると、

「もう説明しました」

「総合的に判断しています」

「これ以上はお答えできません」

そんな言葉が返ってくることがあります。


それが一度なら、

「仕方がない」と受け止められるかもしれません。

しかし、何度も繰り返されると、人は次第にこう感じ始めます。

・これ以上聞くのは迷惑なのではないか

・疑問を持つこと自体が問題なのではないか

・問い直すと、関係が悪くなるのではないか

こうして、問い直す権利は、空気の中で静かに縮んでいきます。

異議が「攻撃」や「感情」として扱われるとき

問い直しが、

・感情的

・攻撃的

・協力的でない

と受け取られるようになると、

それは対話ではなく、

態度の問題として処理されてしまいます。


すると、

「正当な疑問」

「確認のための質問」

であったはずのものが、

場の秩序を乱す行為のように扱われてしまう。

この瞬間、

問い直す権利は、

制度ではなく関係性の中で封じられます。


問い直せない判断は、検証できない

問い直せない判断は、

正しかったかどうかを

後から確かめることができません。

・なぜこの判断だったのか

・他の可能性はなかったのか

・見落としはなかったのか

そうした問いが立てられないまま、

判断だけが積み重なっていきます。

その結果、

制度は「間違えない」ものではなく、

「間違いを修正できない」ものになってしまいます。

一番影響を受けるのは、立場の弱い人

問い直すことが難しい社会では、

声を上げやすい人だけが、

疑問を表に出せます。

一方で、

・障害のある人

・高齢者

・子ども

・支援を受ける立場の人

は、問い直すこと自体が

大きな負担になります。

その沈黙は、

同意ではありません。

けれど制度の中では、

沈黙が同意として扱われてしまう

危うさがあります。


最後に ― 問い直せる社会であるために

問い直す権利とは、

制度に逆らうためのものではありません。

・判断をよりよいものにするため

・誤りがあれば修正するため

・当事者の尊厳を守るため

にあるはずです。


問い直すことが

「面倒な行為」

「協力的でない態度」

として扱われる社会では、

説明されない判断が当たり前になり、

やがて誰も問いを立てなくなります。


問い直せること。

それ自体が、

社会の安全装置なのだと思います。

2025年12月19日(金)

 

説明できない判断が常態化する怖さ

制度の中では、
日々さまざまな判断が下されています。

一つひとつは
「個別の事案」
「その時点での最善」
として処理されていきます。

けれど、
その判断が説明できないまま
当たり前のように積み重なっていくとき、
そこには大きな危うさが生まれます。


「説明しなくても進む」ことが常態になると

説明を求めても、

・総合的に判断した
・必要な対応だった
・制度上、問題はない

こうした言葉だけで終わる。

それが一度ではなく、
何度も繰り返されると、

「説明は不要なもの」
「判断は問われないもの」

という空気が、
静かに制度の中に定着していきます。

説明できない判断は、検証できない

説明がないということは、

・どこが判断の分岐点だったのか
・別の選択肢はあったのか
・誤りの可能性はなかったのか

これらを後から検証できないということです。

検証できない判断は、
正しかったかどうかも確認できません。

それでも制度は前に進み、
次の判断が、
また同じやり方で下されていきます。

「前例」が人を縛り始める

説明されない判断が重なると、
やがてそれは

「前もそうだったから」
「これまで問題にならなかったから」

という形で正当化されます。

こうして、

・理由は分からない
・でも変えられない
・誰も責任を取らない

という判断が、
前例として固定されていきます。

そのとき、
制度は人を守るためのものではなく、
自分自身を守る仕組みになってしまいます。

一番影響を受けるのは「声を出しにくい人」

説明できない判断が常態化したとき、
最も影響を受けるのは、

・障害のある人
・高齢者
・子ども
・病気や困難を抱える人

つまり、
もともと声を出しにくい立場の人たちです。

理由が示されない判断に対して、
「なぜですか」と問うこと自体が
負担になってしまう。

その沈黙の上に、
判断はさらに積み重なっていきます。

説明できない判断は、信頼を壊す

制度は、
「正しい」かどうか以前に、
信頼されるかどうかが重要です。

説明できない判断が続くと、

・納得できない
・理解できない
・でも従うしかない

という関係性が生まれます。

それは信頼ではなく、
諦めや服従に近いものです。

 

すべての判断が
完璧である必要はないと思います。

けれど、

・なぜそう判断したのか
・どこに迷いがあったのか
・何を大切にしようとしたのか

それを言葉にできることは、
最低限必要なはずです。

説明できない判断が
当たり前になってしまう前に。

私たちは、
「説明される権利」が
静かに削られていくことの怖さに、
もっと目を向ける必要があるのではないでしょうか。

2025年12月18日(木)

 

一時保護や措置、解除。
これらの言葉は、
制度の中では「手続き」を示すものです。

しかし、
判断される側に置かれた人間にとっては、
それは人生の一部そのもの
になります。

決定が下されるとき、
当事者は「説明を受ける側」ではなく、
「説明される対象」になります。

ここに、大きな断絶が生まれます。

 

判断される側が抱える心理

判断される側に立ったとき、
多くの人が感じるのは次のような感情です。

・何が起きているのか分からない
・自分の行動がどう解釈されているのか分からない
・誤解があっても、訂正する場がない
・どこまでが事実で、どこからが評価なのか分からない

この状態は、
不安や混乱だけでなく、
自己否定や諦めを生みやすくなります。

「どうせ言っても変わらない」
「もう任せるしかない」

そうして、
声を上げる力そのものが削がれていく

 

権利が“形式だけ”残るときに起きること

制度上、
当事者や家族には
「意見を述べる権利」や「不服申立ての権利」があります。

しかし、

・判断の理由が抽象的
・「総合的に勘案」という言葉で包まれる
・具体的な争点が示されない

この状態では、
権利はあっても、使いようがありません。

何に対して
どこを
どう問い直せばいいのか分からないからです。

結果として、
権利は存在していても、
実質的には機能しなくなります。

 

「説明される」ことと「理解できる」ことは違う

行政文書には、
一定の説明が記されています。

しかしそれは、
制度として説明がなされたという意味であって、
当事者が理解し、納得できたという意味とは一致しません。

理解できない説明は、
心理的には
「説明されなかった」のとほとんど変わらない。

むしろ、
説明された体裁がある分だけ、
違和感や不信が残りやすくなります。

 

判断の透明性は、信頼のためにある

行政判断は、
正しさだけでなく
透明性によって信頼されるものだと思っています。

・なぜその判断に至ったのか
・他の選択肢は検討されたのか
・どこに不確実性があったのか

それが示されてこそ、
判断される側は
「自分は尊重されている」と感じられます。

 

最後に ― これは他人事ではない

病気、障害、老い、事故。
誰もが、ある日突然
判断される側に立つ可能性があります。

そのとき、

・説明は分かる形でなされるのか
・疑問を持つ余地は残されているのか
・過程を振り返る道は閉ざされていないか

それを問い続けることは、
特定の誰かのためではなく、
未来の自分自身のためだと思っています。

判断の結論よりも、
判断のあり方を問う。

それをやめてしまったとき、
社会は静かに、
人の声を聞かなくなってしまう気がしています。

2025年12月17日(水)

 

今回の通知書を読み進める中で、
もう一つ、強く感じたことがあります。

それは、
この判断の中に「責任の所在」がほとんど見えない
という点です。

・誰が、どの時点で、何を判断したのか
・どこで別の選択肢は検討されなかったのか
・誤りや不足があった場合、どこで修正されるのか

そうした問いに対する手がかりが、
文書の中にはほとんど残されていません。

「総合的に勘案」という言葉の裏で、
判断は完結しており、
検証も、再検討も、引き継がれない

その構造自体が、
問題を“終わらせるための判断”になっていないか。
そこに、強い危うさを感じています。

 

「保護」は誰のための制度だったのか

一時保護措置は、
本来「本人の安全を守るため」の制度です。

しかし今回の経過を振り返ると、
次の問いが残ります。

・本人の生活は、どの時点でどう変わったのか
・分断された時間や経験は、どう位置づけられているのか
・その影響を、誰が引き受けているのか

解除の決定文には、
“保護によって生じた影響”への言及がありません

守るための措置だったとしても、
それによって失われたものがあるなら、
本来は検証されるべきです。

それが語られないまま
「解除」という結論だけが残ることに、
制度の空白を感じます。

 

「判断される側」に置かれたとき、人は何を持てるのか

この出来事を通して、
私が最も考えさせられたのは、

判断される側に置かれたとき、
人はどれだけの情報と説明を与えられるのか

という点でした。

判断の理由が見えない
過程が検証できない
言葉だけが残る

その状況は、
不安や不信を生みやすく、
関係性を修復することを難しくします。

制度は、
人を守るために存在するはずです。

その制度が、
説明されない判断によって人を黙らせる形
なっていないか。

そこを問い続けることは、
誰かを責めるためではなく、
制度を健全に保つために必要なことだと思っています。

2025年12月15日(月)

 

11月末に届いた
「施設入所措置解除決定通知書」

形式上は
「一時保護措置を解除する」という決定です。

しかし、私はこの通知書を読みながら、
「解除されたこと」そのものよりも、
そこに至るまでの考え方と、使われている言葉
強い違和感を覚えました。

今回は、

1.通知書に使われている「言葉」
2.「総合的に勘案」という判断の構造
3.解除後に残されている課題

この3点を整理して書き残しておきたいと思います。

 通知書に使われている「言葉」の問題

通知書には、次のような表現が繰り返し出てきます。

・不自然な状態が繰り返し確認された
・身体に重大な危険が生じるおそれ
・改善計画の実行性に疑義
・総合的に勘案すると

これらはいずれも、
強い印象を与える一方で、具体性に乏しい言葉 です。

「何が」「いつ」「どの程度」「誰の基準で」
そうした要素が明確に示されないまま、
言葉だけが先行しているようにも読めます。

言葉は、中立であるように見えて、
実は判断の方向性を決定づけます。

そのため、
曖昧な言葉が重ねられるほど、検証は難しくなる
という側面があります。

 「総合的に勘案」という判断の危うさ

通知書の結論部分では、
「以上の事情を総合的に勘案し」として
解除の判断が示されています。

一見すると、
多角的で慎重な判断のように見えます。

しかしここで問いたいのは、

・何を主要な要素として
・何を補足的な要素として
・どの要素がどの程度、判断に影響したのか

が、明確に示されていない点です。

「総合的に」という言葉は便利ですが、
同時に、

・反証が難しい
・判断の検証が困難
・過程が見えにくい

という性質も持っています。

結果として、
判断の妥当性が“信頼”に委ねられてしまう
構造になってしまいます。

 解除後に残されている課題

今回の通知は、
「解除」という一区切りを示しています。

しかし、解除によって
すべてが解決されたわけではありません。

むしろ、次の問いが残っています。

・一時保護に至る前に、十分な支援調整は行われていたのか
・なぜここまで深刻な判断に至るまで、検証が積み重ねられなかったのか
・施設・行政・家族・本人の関係性は、どこで歪んだのか

解除は「終わり」ではなく、
本来なら振り返りが必要な「途中経過」 であるはずです。

「解除=問題がなかった」ではない

この点は、はっきり書いておきたいと思います。

解除決定が出たからといって、

・判断が常に適切だった
・過程に問題がなかった
・不安や疑問が解消された

という意味にはなりません。

行政判断は、
結果だけで評価されるものではなく、
過程こそが問われるもの
だと考えています。

最後に ― 人ごとではないということ

この出来事は、
特定の家庭や、特定の障害だけの問題ではありません。

病気、障害、老い、事故。
誰もが、ある日突然
「判断される側」になる可能性があります。

そのとき、

・判断の根拠は見える形で示されるのか
・言葉は正確に使われているのか
・過程は検証可能なのか

それを問える社会であるかどうかは、
今、声を上げるかどうかにかかっている
のだと思います。

解除という結論の裏側にある問いを、
ここで終わらせず、
これからも考え続けたいと思います。

2025年12月13日(土)

 

なぜ「改善」ではなく「排除」が選ばれるのか

※一つの事例から感じたこと

 

支援の現場で課題が生じたとき、
本来まず検討されるべきなのは
支援方法や環境の改善 ではないでしょうか。

・支援の伝え方は適切だったのか
・環境設定に無理はなかったのか
・本人の特性への理解は十分だったのか

こうした視点から見直すことは、
福祉の基本的な考え方の一つだと理解しています。

しかし、今回資料を読み進める中で、
私は 改善ではなく「距離を取る対応」や「制限を強める対応」
選択されているように感じました。

なぜそのような判断に至ったのか。
その点に強い疑問を持っています。

改善を選ぶことの難しさ

支援方法の改善を検討するということは、

・支援のあり方
・説明の仕方
・環境調整
・職員体制

といった、支援する側の課題 にも目を向ける必要が出てきます。

それは時間や労力がかかり、
場合によっては
「別の関わり方もあったかもしれない」と
振り返ることにもつながります。

一方で、
本人の行動や特性に原因があるように整理すると、
支援体制そのものを見直さずに済む場合もあります。

これはあくまで一般論ですが、
現場ではそうした選択がなされやすい構造があるのではないかと感じました。

 

「排除」という言葉について

ここで使っている「排除」という言葉は、
誰かを意図的に排斥した、という意味ではありません。

・関係性を薄める
・接触を減らす
・環境から距離を取る

そうした対応が結果として
本人の生活や選択肢を狭めていく 状態を指しています。

その過程で、
本人の意思や感じ方が
十分に記録や判断材料として扱われていないように見えたことに、
私は違和感を覚えました。

 

行政が関わることで生じる構造的な難しさ

行政が関与する場面では、

・安全配慮
・リスク管理
・説明責任

がより重視される傾向があります。

その結果として、
改善を重ねながら様子を見る対応よりも、
制限を強める対応のほうが
選択されやすくなる場面もあるのではないでしょうか。

これは個人の善悪ではなく、
制度運用上の構造的な課題 だと私は受け止めています。

 

本当に守られているものは何か

こうした対応によって、

・組織の判断
・制度上の整合性
・説明のしやすさ

は保たれるかもしれません。

一方で、
本人の生活の質や関係性、
気持ちの置き場は
十分に守られていたのだろうか。

その点について、
私は考え続けています。

 

最後に

今回の出来事は、
特定の誰かを責めたいという気持ちから
書いているものではありません。

むしろ、
同じような構造が、別の場所でも起こり得るのではないか
という問題意識からです。

病気、事故、老い、心身の不調——
誰もが、いつか支援を受ける立場になる可能性があります。

そのとき、

改善よりも制限が先に選ばれたら。
本人の意思が後回しにされたら。

それは、決して他人事ではありません。

だからこそ、
支援のあり方について立ち止まり、
問い続けること自体が大切なのではないか。

私はそう感じています。