清水義範講演会1



 軽く一ヶ月ほど経ってしまいましたが、清水義範先生講演会@一橋大学に行ってきました。

1人で。(笑)

キャンパス内で地味に迷いつつ、会場へ。


 
清水義範講演会2



 サイバラ絵だー。こういう芸の細かさも嬉しい。

けっこう年配の方も多かったです。

あとメガネ率が高かったような。(笑)



 テーマは「文学と笑い」

なんて私好みな。

一応お勉強にもなりそうだし★となぜか言い訳しつつ遠征。

たしかご本人は「文章書きだから、おもしろく話をするというのは苦手」とかおっしゃってた気がしますが。

ファンなので気にしません。

例によってまとめようともせずだらだらと書き綴るので、おそらく長くなります。



 「話の入り口は広く、段々せまくしていきます」ということで。

そもそもなぜ文学を読んで笑えるのか、人類がことばを発明したというところから始まります。

ほんとに広い。(笑)

ことばの次に発明したのは「嘘」。

子どもの嘘や、誇張表現(釣った魚の大きさとか)の楽しみなど。

そこから物語=フィクションが発達すると。



 物語が面白いのは、一言で言えば人間の「ものまね」「模倣」だからとのこと。
ここでご自身の作文教室で一番笑ったという、小学2年生の女の子の作文を音読。

「ハムスターを飼いたい」というタイトル。

正確な文章は覚えてないのですが、

「ハムスターを飼いたい。

 でも飼えません。

 お金がかかります。

 世話が絶対大変です。 

 (中略)

 だから飼えません。」

みたいに、「飼いたい」っていうタイトルなのに、飼えない理由がこれでもかと、半ばやけくそかってくらいに並べられてる作文です。

飼えない理由の畳み掛けで笑っちゃうと同時に、でも本当はすごく飼いたいんだな、っていう気持ちがすごく伝わってきて何とも愛おしくなってしまうそうです。

文章を読んで、ある人の気持ちや心が見えた気がしたときに、人は笑うのだと仰ってました。



 続いて下ネタの笑いについて。

排泄の類と性欲の類とあるけれど、どちらも口にするのにはタブーが伴うところを、敢えて破るところに快感があると。

またどちらも誰もが持っている、というか経験することで。

笑いには「人の権威や上品さ、気取りなんかを剥ぎ取って、『皆と同じ、ただの人じゃないか』というところまで持っていく面白さ」というものがあるとのこと。

下ネタもそうだし、モノマネなんかもそう。

小学校のクラスで一番ウケるモノマネは先生(一番権力のある人)のマネだし、有名、著名人のモノマネも同じこと。

気取ったり偉そうにしてるとこを誇張しつつ模倣してみせることで、権威やら何やらを取っ払ってしまうとこに面白さがあるのかな。

反対に立場の弱い人のモノマネだといじめになっちゃうわけですね。



 「文学と笑い」なので、文学における下ネタの笑いの紹介なんかもちょこちょこ。

Jonathan Swift とか、ラブレーの『ガルガンチュアとパンタグリュエル』とか。

アリストファネスの『女の平和』という、男たちに戦争をやめさせるために女たちがアレをさせないことにした、って喜劇とか。

戦争も性も人の本質に関わっていて、生命感溢れたもので。

人間の本質がそっくり「模倣」されているというか、読んでいてそんな人間の姿が浮かび上がってくるところに面白さがあるのかな。

うまく言えないんですが。

ちなみに余談で、人間の「愚かさ」をひたすら描いたものが悲劇になるんだと仰ってました。

もちろん愚かさは笑いにもなり得ますが。滑稽さというか。



 「模倣」の面白さということで、パロディの話に。

これも先の「権威を取っぱらう」おもしろさの形になるのかな。

「元のテキストに無意識的に潜んでいる『自己肯定』を明るみに出して滑稽さを出し、引きずりおろす」ものだそうです。

パロディは往々にして元テキストの批判を含むもので、上にあるものを下げる笑いの形になるんですね。


 パロディってのは誰にでも思いつきやすいというか取っ付きやすくて、作文教室でも「その後の桃太郎」ってのが腐るほど出てくるんだとか。(笑)

文学史でいうと、オデュッセイアの戦争文学のパロディで、元テキストの壮大華麗な文体で『ネズミとカエルの戦争』をやってみせたやつとか。(パロディのはしりらしい)

『我輩は猫である』のパロディものが山ほど現れた話とか。

『世界周航記』の中の一つにインスパイアを受けて(何か最近ぽい言い方だな)『ロビンソン・クルーソー』が生まれ。

その『ロビンソン・クルーソー』の植民思想なんかに反発して生まれ、人間の愚かさを描いたのが『ガリバー旅行記』だとか。

そんな風に文学がパロディでつながっていくのはとても自然なことだと仰っていました。

元はモノマネでも、そこからまた新しい文学的価値が生まれたりするのはおもしろいな。



 で、清水さんの代名詞にもなっている「パスティーシュ」について。

勝負どころの原稿で何度もボツをくらい、ヤケになって司馬遼太郎の文体で猿蟹合戦を書いたのが始まりだったそうです。(笑)

自分ではパスティーシュなんて知らなくて、気づいたらそう評されていたとか。

ちなみにpaste(のり)が語源で、引用のパッチワークのことらしいです。

ちゃっかりと『永遠のジャック&ベティ』の一部を音読したりして笑いをとっていました。



 清水さんのパスティーシュと今まで話してきたような模倣、パロディの笑いとの違いは、「必ずしも毒を持っていたり、権威あるものを引きずりおろしたりしなくてもいい」ということ。

まあ毒を持っているものも十二分にありますけども。

例えばみどりの窓口にいる困ったおばちゃんだとか、ボケ気味のおじいちゃんとか、妙にはりきっちゃってるお父さんとか。 

「人ってこういうものだよね」っていうのを描いてみせつつ、人間に愛情を持って「寿(ことほ)ぐ」ものでありたいと仰ってました。

清水さんの作品を読んでいると「あー、いるいる、こういう人」みたいな、いろんな人の姿がうまいこと模倣されていて。

人間観察が好き、っていうかほんと人間が好きなんだなぁと常々感じていたのですが。

やっぱり思ったとおりの人だなと。


 

 そんな感じで講演が終わり。(やっぱり長かった。いや講演じゃなくて私の文が)

軽く質問会に。

しまった。考えときゃよかった…



Q. 『非常識テスト』の珍回答集って、ほんとにああいうテストをやったんですか?

それとも自分で考えたんですか?


A. 全部自分で考えました。



Q. 『序文』が好きなんですけど、あれみたいに自分の説がひっくり返された経験とかありますか?


A. えー、知らない人のために説明しますと、『序文』ていうのは「英語語源日本語説」っていうムチャクチャな本の序文を並べたやつでして、英語と日本語で似ている単語ってのを辞書をひたすら引いて探したりして、結構いいのができたと思ってるんですけど、で、あれは本来新しい方の序文から並べるものなんですけど、それだとわけがわからなくなってしまうので後から時系列順に直しまして…(略)



 質問に答えてない。(笑)



 そんな感じで、講演後はサイン会&著作販売会。



清水義範講演会3



 おもろい字だな。

ちなみに『国語入試問題必勝法』です。

最初に読んでハマった作品なので。ハードカバーだし。

ヘタレ故「お願いします」と「ありがとうございます」しか言えませんでした。

なんか頑張ってください的なこととか、この本うちのおかんがほんとに参考書と間違えて買ってきましたとか(それはどうなんだ)言いたかったなぁ。悔やまれる。

でもうれすぃ。

行ってよかったな。

この勢いでレビウにも着手したいな…