ワークショップを開くことに決めたのはいいけれど、本当に開催できるのか、ドキドキでした。
まずは会場の選定です。
1対1でマッサージするスペースはうちにありますが、2台以上のマッサージベッドを並べるとなるとちょっと手狭。
さらに、お昼ごはんが何とかなるところでなくては!
これは幸い、以前に別のワークショップに参加したことがあった、古民家レストランの2回の広いスペースを借りるということを思いつきました。
広さ申し分なし。
少し山奥だけど眺め抜群!
マクロビオティックの健康的なランチが出されます。
場所代も許容範囲。
会場を押さえて、次は、ワークショップ開催の告知です。
ホームページとブログにアップ。
それから整体院内にチラシを張りました。
それだけしかしませんでした・・・・ほんの数人に集まってもらえればよいので。
ほんの数人でも、ドキドキでした。
2人では少なすぎる。4人くらいにならないかなあ・・・
申込〆切、とした日までドキドキで、心臓に悪かったです・・・。
でも何とか、4人の方にお申し込みいただくことができました!
ほっとしました。
ワークショップだけでなく、1日はAndyのマッサージを受けられる日も設けました。
私は整体をやっているのであってハワイのマッサージ(ロミロミ)をやっているのではないし、
整体よりもAndyのマッサージの方がだいぶ高額な設定でしたから、
こちらも希望者が集まるかどうか、本当に不安でした。
でも、結果的には、マッサージ、何よりハワイに興味のある方々が申し込んでくださって、
こちらもほっとしました。
何十人、何百人規模のセミナーを主催する人から見たらずいぶんちっぽけなことですが、
それでも最初の一歩は怖いものです。。。
我が家にAndyを連れてくる前に、知人主催のAndyワークショップに参加しておきました。
技術の習得はもちろんですが、ワークショップの流れと、Andyがワークショップで話す英語の意味を確認するためでした。
私の主催のワークショップでは、私が通訳をやろうと思っていたからです。
知人宅でのスケジュールが終わり、いよいよ、Andyと電車に乗って、私の家に向かいました。
駅からタクシーに乗ったら、私まで、
「日本は初めてですか?」
と聞かれちゃったよ。
知人はたくさん海外の人を自宅に泊めているので、気を遣わない、サラリとしたホームステイの仕方を心得ていました。
その様子を観察していたので、たいして気遣わなくていいこと、ご飯さえ用意すればよいこと、いや、ごはんすらもAndyは作れるので適当でもいいことなど、私も学習していました。
だからAndyが家に泊まるのも、たいして抵抗がなかったです。
もともと、日本人の常識があまり身に付いていないので、私・・・
Andyと一緒に、子供たちを保育園に迎えに行ったら、
子供たちびっくり!(笑)
でも、下の息子などは、すぐに仲良くなっていました。
Andyが英語でしゃべり、息子は日本語で返す。それで何とか通じ合うんですよねー。
今日は、最初はお客様であり、長らくの交流を通じて「仲間」になった友人達と、ビアガーデンに行ってきました。
この友人達と仲間になれたのも、Andyとの出会いなくしては、のことだったのです。
Andyとの出会いから数日後、Andyに、ワークショップの感想をメールで送っておきました。
もちろん英語です・・・。
私はそれほど英語が堪能ではありませんが、不思議と、Andyとは会話のつたなさを補ってあまりある「通じ合う感性」がありました。
返事は1~2日のうちに届きました。
タイピングが苦手で、指1本でゆっくり打っているのだとか。
それから3ヶ月ほど経ったある日、Andyからメールが届きました。
「10月に日本にワークショップをしにいく。トモエのところでもやりたいが、どうか?」
という趣旨でした。
ああああ。
本当に来る気だ!!
私はワークショップの主催なんてやったことがありません。
第一、どうやって人を集めるのか。
何人参加してくれるだろうか?
はっきりいって不安でした。
でも、Andyの最初のワークショップを開催した知人のように、家に泊めるということは、今、できる。
スペースに余裕のある自宅があるのだから・・・
Andyを泊めるだけでなく、ホームパーティー規模のことができるゆとりがある。
もしこれが以前住んでいたようにアパートやマンションだったら、Andyを泊めることはできなかったし、何人ものお客様を呼ぶことはできなかったと思います。
以前借りていた店舗も、小さすぎて、だめでした。
今の自宅兼店舗の、店舗として使っている部屋と、自宅スペースがあるからこそ、できそうなことでした。
ハコモノが整っているって、重要です。
それも、使い回しのきくハコモノ。
自宅としても使えるし、ちょっとした集まりにも使えるし、店舗としても使える。
自宅の価値が、何倍にもなります。
それで、思い切って、Andyに、
「OK!次はうちに来て!」
という返事を出すことに決めたのです。
この友人達と仲間になれたのも、Andyとの出会いなくしては、のことだったのです。
Andyとの出会いから数日後、Andyに、ワークショップの感想をメールで送っておきました。
もちろん英語です・・・。
私はそれほど英語が堪能ではありませんが、不思議と、Andyとは会話のつたなさを補ってあまりある「通じ合う感性」がありました。
返事は1~2日のうちに届きました。
タイピングが苦手で、指1本でゆっくり打っているのだとか。
それから3ヶ月ほど経ったある日、Andyからメールが届きました。
「10月に日本にワークショップをしにいく。トモエのところでもやりたいが、どうか?」
という趣旨でした。
ああああ。
本当に来る気だ!!
私はワークショップの主催なんてやったことがありません。
第一、どうやって人を集めるのか。
何人参加してくれるだろうか?
はっきりいって不安でした。
でも、Andyの最初のワークショップを開催した知人のように、家に泊めるということは、今、できる。
スペースに余裕のある自宅があるのだから・・・
Andyを泊めるだけでなく、ホームパーティー規模のことができるゆとりがある。
もしこれが以前住んでいたようにアパートやマンションだったら、Andyを泊めることはできなかったし、何人ものお客様を呼ぶことはできなかったと思います。
以前借りていた店舗も、小さすぎて、だめでした。
今の自宅兼店舗の、店舗として使っている部屋と、自宅スペースがあるからこそ、できそうなことでした。
ハコモノが整っているって、重要です。
それも、使い回しのきくハコモノ。
自宅としても使えるし、ちょっとした集まりにも使えるし、店舗としても使える。
自宅の価値が、何倍にもなります。
それで、思い切って、Andyに、
「OK!次はうちに来て!」
という返事を出すことに決めたのです。
それは、電車で5時間ほどの距離に住む知人の、いわゆる「自宅兼オフィス」で開かれたワークショップでした。
「ハワイに古くから伝わるマッサージのワークショップ」
「魂のマッサージ師」
それらの言葉に、なぜだか惹かれました。そこから光が差しているような?
そのとき、引越疲れで何かが行き詰まった感じになっていたので、それを打破してこよう、と。
ちょうど子供たちも、母親が家を空けても平気な年になっていました。
前日の夜遅くに知人の家に着きました。
そこで、ワークショップに参加する他の人たちよりも早く、「魂のマッサージ師」に会うことができました・・・
彼の名はAndy.
ハワイ人というよりも、インディアンやアジア系な感じのする彼は、どこか懐かしい感じがしました。
知人とAndyと3人で、しばらく語り合いました。
Andyは何十種類もの仕事を転々とし、時には自暴自棄になりながらも、マッサージという職に出会い導かれ、今では真摯にその道を極めようとしている人でした。
次の日のワークショップ。
技術を学び、話を聞き、Andyの人柄により触れる。
Andyの伝えようとしていることは技術だけじゃない。
技術はただの道具にすぎなくて、生き方を示しているのでした。
今日参加した全員がマッサージを仕事にするわけじゃない。
それでもマッサージを通して、生きるのに大切なことを伝える。
Andyはそう言っていました。
Andyと別れるとき、
「次はトモエの家に行くよ!」
とAndyが言いました。
私は半分社交辞令のつもりで「分かった!」と言いました。
でも、直感で、この人とは長い付き合いになると思っていました。
「ハワイに古くから伝わるマッサージのワークショップ」
「魂のマッサージ師」
それらの言葉に、なぜだか惹かれました。そこから光が差しているような?
そのとき、引越疲れで何かが行き詰まった感じになっていたので、それを打破してこよう、と。
ちょうど子供たちも、母親が家を空けても平気な年になっていました。
前日の夜遅くに知人の家に着きました。
そこで、ワークショップに参加する他の人たちよりも早く、「魂のマッサージ師」に会うことができました・・・
彼の名はAndy.
ハワイ人というよりも、インディアンやアジア系な感じのする彼は、どこか懐かしい感じがしました。
知人とAndyと3人で、しばらく語り合いました。
Andyは何十種類もの仕事を転々とし、時には自暴自棄になりながらも、マッサージという職に出会い導かれ、今では真摯にその道を極めようとしている人でした。
次の日のワークショップ。
技術を学び、話を聞き、Andyの人柄により触れる。
Andyの伝えようとしていることは技術だけじゃない。
技術はただの道具にすぎなくて、生き方を示しているのでした。
今日参加した全員がマッサージを仕事にするわけじゃない。
それでもマッサージを通して、生きるのに大切なことを伝える。
Andyはそう言っていました。
Andyと別れるとき、
「次はトモエの家に行くよ!」
とAndyが言いました。
私は半分社交辞令のつもりで「分かった!」と言いました。
でも、直感で、この人とは長い付き合いになると思っていました。
これまでの、転職・開業から店舗での営業3年間の話を「第1部」としたいと思います。
そしてここから「第2部」。
自宅兼店舗になってから、次のステージが始まったのです。
2006年、夢にまで見た自宅での仕事の始まり。
住みたい家に住むことができました。
場所も最高、これから発展するスポットです。
ちょうど、大きな道路がすぐ近くに開通しました。これはとても使える道路で、より広い範囲からお客様が足を運んで下さることになりました。
仕事の合間には家事ができる!
買い物だって行けるし(近くにスーパーがあります)
夕方遅くに予約が入るときは、先に子供たちを迎えに行っても平気。自宅なら子供たちはいつものおもちゃで遊んだり、絵本を読んだりテレビを見たり、私が仕事をしているときも、落ち着いて待っていられます。
もし子供が熱を出しても、よっぽどひどくない限り大丈夫!
暖かいいつもの布団で、同じ家の中、寝かせてあげられます。
もっとも、子供たちは以前よりも元気になって、ほとんど皆勤賞モノでしたが・・・
そしてテナント料を払う必要がない!
これは嬉しいことでした。
10万円にも満たない金額の違いなのですが、子育てしながら細々と仕事をしている身には、それでもけっこうデカいです。
前よりは余るようになったお金で、セミナーを受けに行ったりと、自己投資ができるようになりました。
2006年は、国内のセミナーに4回、海外のセミナーに1回、帰省するわ北海道旅行するわ、さらに子供たち当時2人を連れて海外に行くわと、それまでの3年間の反動のようにあちこち動き回った年でした。
ちなみに私はそれまで一戸建てに住んだことが一度もなく、3代にわたって転勤族なので、ふるさとがないのです。
一戸建てに住めるとなると、自分たちの「ふるさと」のような拠点ができた気がして、嬉しかったです。
その拠点をベースに、国内外を旅して回る。
それも思い描いていたことでした。
海外に移住したいという気持ちもあった(今もある)のですが、自分にとっての運命の土地、と思えるところに出会うまでは、あまり移住する気になれません・・・。
独身だったら、軽い気持ちで転々とするかもしれないけれど、子供たちがいると、子供たちが落ち着けるようにということまで考えてしまいます。
私は小学校1年生の6月という、やっと慣れてきて学校が楽しくなってきた時期にまったく違う地域に転校したことがあり、それがけっこうトラウマでした。
子供たちにはなるべく転校なしで高校まで同じ土地で育てたいと思っちゃうのです。
留学とかはアリにしても、住む拠点を変えたくないと。
今住んでいる地域は、子育てするには日本の中ではかなり良い地域だと思えます。それもあってのことです。
ちょっと話がそれましたが、セミナーへの参加ができるようになったこと。
これが、ビッグな出会いを生むことになりました。
もし自宅兼店舗でなかったらこの出会いはなかった、という出会いで、本当に、自宅兼店舗にできてよかったと思う出来事でした。
それは次回の記事にて書くことにします。
そしてここから「第2部」。
自宅兼店舗になってから、次のステージが始まったのです。
2006年、夢にまで見た自宅での仕事の始まり。
住みたい家に住むことができました。
場所も最高、これから発展するスポットです。
ちょうど、大きな道路がすぐ近くに開通しました。これはとても使える道路で、より広い範囲からお客様が足を運んで下さることになりました。
仕事の合間には家事ができる!
買い物だって行けるし(近くにスーパーがあります)
夕方遅くに予約が入るときは、先に子供たちを迎えに行っても平気。自宅なら子供たちはいつものおもちゃで遊んだり、絵本を読んだりテレビを見たり、私が仕事をしているときも、落ち着いて待っていられます。
もし子供が熱を出しても、よっぽどひどくない限り大丈夫!
暖かいいつもの布団で、同じ家の中、寝かせてあげられます。
もっとも、子供たちは以前よりも元気になって、ほとんど皆勤賞モノでしたが・・・
そしてテナント料を払う必要がない!
これは嬉しいことでした。
10万円にも満たない金額の違いなのですが、子育てしながら細々と仕事をしている身には、それでもけっこうデカいです。
前よりは余るようになったお金で、セミナーを受けに行ったりと、自己投資ができるようになりました。
2006年は、国内のセミナーに4回、海外のセミナーに1回、帰省するわ北海道旅行するわ、さらに子供たち当時2人を連れて海外に行くわと、それまでの3年間の反動のようにあちこち動き回った年でした。
ちなみに私はそれまで一戸建てに住んだことが一度もなく、3代にわたって転勤族なので、ふるさとがないのです。
一戸建てに住めるとなると、自分たちの「ふるさと」のような拠点ができた気がして、嬉しかったです。
その拠点をベースに、国内外を旅して回る。
それも思い描いていたことでした。
海外に移住したいという気持ちもあった(今もある)のですが、自分にとっての運命の土地、と思えるところに出会うまでは、あまり移住する気になれません・・・。
独身だったら、軽い気持ちで転々とするかもしれないけれど、子供たちがいると、子供たちが落ち着けるようにということまで考えてしまいます。
私は小学校1年生の6月という、やっと慣れてきて学校が楽しくなってきた時期にまったく違う地域に転校したことがあり、それがけっこうトラウマでした。
子供たちにはなるべく転校なしで高校まで同じ土地で育てたいと思っちゃうのです。
留学とかはアリにしても、住む拠点を変えたくないと。
今住んでいる地域は、子育てするには日本の中ではかなり良い地域だと思えます。それもあってのことです。
ちょっと話がそれましたが、セミナーへの参加ができるようになったこと。
これが、ビッグな出会いを生むことになりました。
もし自宅兼店舗でなかったらこの出会いはなかった、という出会いで、本当に、自宅兼店舗にできてよかったと思う出来事でした。
それは次回の記事にて書くことにします。
土地の購入が決まったら、次は建物です。
前々からいいなあと思っていて、すでに何度も見学会に足を運んでいた工務店に、話をしました。
改めて思い返せば、木の家への憧れが強くて、建築の見込みが全くない3年ほど前から、見学会には通っていたのでした。
木の家は居心地が良くて、子供たちも嬉しそうに飽きずに滞在するので、木の家の見学会に行くのは家族のレジャーのひとつのようなものでした。
その工務店で営業担当になった、Mさん。
工務店Mさんも、不動産Tさんと同じくらいに親身になって物事を進めてくださる方で、本当に助かりました。
しかも驚くことに、工務店Mさんと不動産Tさんは、小さい頃、近所に住んでいて顔見知りだったということでした。
ご縁がつながるときは、今の行動でOKというサインと私はとらえています。
スムーズに物事が進み、しかもかなりワクワクします。
そして工務店Mさんに導かれて私たちの家作りも始まりました。
8月のことでした。
真夏の地鎮祭に始まりました。
すでに3年間でいくつも家を見たり、雑誌を読んだりしているうちに、どんな家を建てたいか、いつの間にか、迷いなく大雑把な形は決まっていたのでした。
店舗での営業経験から、整体に使う部屋には最低どれだけの広さがあればいいか、キッチンやリビングも含めてどんな配置にしたら家事も仕事もスムーズに行きそうか、イメージがするのは簡単でした。
整体院をやるからと言って「店舗」的な建て方はせず、看板さえ外せば、いつでも普通の家として使えるようにしたいと思っていました。家を特別なものにしたくはなかったのです。
それで出した結論が、8畳の整体の部屋と、4畳の土間空間です。
玄関を入って、土間(土足でいられる部分)を4畳分取り、そこを待合室がわりにして(待合室でなければ物置や遊びの空間として使える)そこから直接、整体の部屋に入れるようにしました。
トイレは玄関の空間にくっつける。
その奥が自宅の空間、リビングとダイニングです。
整体用の部屋で面積を使ってしまったので、脱衣所とお風呂と洗面所は、2階にしました。
これは結果的に正解でした。1階に洗濯物が散らかるということがありません(笑)
また、薪ストーブ設置で吹き抜け経由の2階にしたので、冬には2階がとても暖かく、脱衣所も暖かいというのも良かったのでした。
設計士さんに希望を伝えて、図面が出来上がるまでのワクワク感♡
図面ができた!
希望通りだったのでほとんど修正することもなく、GO。
9月に着工して、10月に上棟。
昔ながらの工法でゆっくり建てて、3月に引き渡しというスケジュールでした。
楽しい反面、家を1軒建てるというのはなかなかの大仕事です。
精神的にもパワーがいります。
大工さんに差し入れしに行ったり・・・
大工さんとは仲良くなるように心がけました。作業もよく見学しました。
床の1つ1つが、大工さんの手で張られていきます。
木のぬくもりと、大工さんの技と力がこめられた家になるのだということが、すごく実感できました。
重みのある家です。大切に住まなくちゃいけない。
その年には、保育園の保護者会会長を引き受けていました。
卒園式がいちばんの大仕事。
いろいろあって、卒園式の日の午後に、店舗部分の移転引越をするスケジュールに。
その3日後が自宅の引越です。
支払いや、登記関係の書類など、細々したこともいっぱいやることがある。
引越は慣れたものだと思っていましたが、いつの間にか、子供のモノが大繁殖していました。
大量のダンボール。
ムリなので梱包だけらくらくパックでお願いして、開梱だけ自分たちですることにしました。
引越した日には、信じられないほど、床一面にダンボールの山。
私の本と子供の絵本なんかもけっこうな量があったんだな。
余裕を持って大きな本棚を据え付けてもらったつもりが、最初からすでに本棚一杯にギュウギュウになりました。
そんなふうで、一度流れをつかまえたら後は早くて、
1年前に「もう整体をやめようか」と思うほど悩んでいたのがウソみたいに、自宅兼店舗が実現することになるとは。。。
前々からいいなあと思っていて、すでに何度も見学会に足を運んでいた工務店に、話をしました。
改めて思い返せば、木の家への憧れが強くて、建築の見込みが全くない3年ほど前から、見学会には通っていたのでした。
木の家は居心地が良くて、子供たちも嬉しそうに飽きずに滞在するので、木の家の見学会に行くのは家族のレジャーのひとつのようなものでした。
その工務店で営業担当になった、Mさん。
工務店Mさんも、不動産Tさんと同じくらいに親身になって物事を進めてくださる方で、本当に助かりました。
しかも驚くことに、工務店Mさんと不動産Tさんは、小さい頃、近所に住んでいて顔見知りだったということでした。
ご縁がつながるときは、今の行動でOKというサインと私はとらえています。
スムーズに物事が進み、しかもかなりワクワクします。
そして工務店Mさんに導かれて私たちの家作りも始まりました。
8月のことでした。
真夏の地鎮祭に始まりました。
すでに3年間でいくつも家を見たり、雑誌を読んだりしているうちに、どんな家を建てたいか、いつの間にか、迷いなく大雑把な形は決まっていたのでした。
店舗での営業経験から、整体に使う部屋には最低どれだけの広さがあればいいか、キッチンやリビングも含めてどんな配置にしたら家事も仕事もスムーズに行きそうか、イメージがするのは簡単でした。
整体院をやるからと言って「店舗」的な建て方はせず、看板さえ外せば、いつでも普通の家として使えるようにしたいと思っていました。家を特別なものにしたくはなかったのです。
それで出した結論が、8畳の整体の部屋と、4畳の土間空間です。
玄関を入って、土間(土足でいられる部分)を4畳分取り、そこを待合室がわりにして(待合室でなければ物置や遊びの空間として使える)そこから直接、整体の部屋に入れるようにしました。
トイレは玄関の空間にくっつける。
その奥が自宅の空間、リビングとダイニングです。
整体用の部屋で面積を使ってしまったので、脱衣所とお風呂と洗面所は、2階にしました。
これは結果的に正解でした。1階に洗濯物が散らかるということがありません(笑)
また、薪ストーブ設置で吹き抜け経由の2階にしたので、冬には2階がとても暖かく、脱衣所も暖かいというのも良かったのでした。
設計士さんに希望を伝えて、図面が出来上がるまでのワクワク感♡
図面ができた!
希望通りだったのでほとんど修正することもなく、GO。
9月に着工して、10月に上棟。
昔ながらの工法でゆっくり建てて、3月に引き渡しというスケジュールでした。
楽しい反面、家を1軒建てるというのはなかなかの大仕事です。
精神的にもパワーがいります。
大工さんに差し入れしに行ったり・・・
大工さんとは仲良くなるように心がけました。作業もよく見学しました。
床の1つ1つが、大工さんの手で張られていきます。
木のぬくもりと、大工さんの技と力がこめられた家になるのだということが、すごく実感できました。
重みのある家です。大切に住まなくちゃいけない。
その年には、保育園の保護者会会長を引き受けていました。
卒園式がいちばんの大仕事。
いろいろあって、卒園式の日の午後に、店舗部分の移転引越をするスケジュールに。
その3日後が自宅の引越です。
支払いや、登記関係の書類など、細々したこともいっぱいやることがある。
引越は慣れたものだと思っていましたが、いつの間にか、子供のモノが大繁殖していました。
大量のダンボール。
ムリなので梱包だけらくらくパックでお願いして、開梱だけ自分たちですることにしました。
引越した日には、信じられないほど、床一面にダンボールの山。
私の本と子供の絵本なんかもけっこうな量があったんだな。
余裕を持って大きな本棚を据え付けてもらったつもりが、最初からすでに本棚一杯にギュウギュウになりました。
そんなふうで、一度流れをつかまえたら後は早くて、
1年前に「もう整体をやめようか」と思うほど悩んでいたのがウソみたいに、自宅兼店舗が実現することになるとは。。。