新元号発表フィーバーが、やや落ち着いてきた。それでもまだ月末にかけて、「平成最後の○○」とか、月が変われば「令和最初の○○」みたいなものが、ゾロゾロでてくるに違いない。

 強制されない限り基本的に西暦を使っている立場としては、本当にどうでもいい話ではあるが、割と身近なトピックの中で、年号がやたらに強調されて気になるものが一つある。ライダーシリーズである。何年か前に、「昭和ライダーvs.平成ライダー」といった映画も作られ、仮面ライダーはどういうわけだか、当たり前のように年号でシリーズが区切られている。ということは、改元以後の作品は「令和ライダー」と呼称されるようになるのだろうか。気になってみてネットで検索してみたら、もう4月1日には「令和ライダー」はトレンド入りするキーワードになっていた。ちなみに、今放送されている仮面ライダージオウが平成と令和のどちらに分類されるかは、公式にはまだ定まっていないようだ。本シリーズに登場する未来のライダー忍・クイズ・キカイは、令和ライダーということに?キカイは、もっと先の未来の話だから令和でもないかも知れないが。この時王は、平成ライダーシリーズの総まとめという位置づけを、かなり強く意識しているので、最後の平成ライダーと、後にいわれるようになるかもしれないし、最終話の展開が、以後の作品との繋がりを強く暗示したものになれば、橋渡し的作品として、いつまでもどちらにも分類しがたい作品と見なされた状態が続くかもしれない。

 ただ、こういった分類は、製作側が公式に決めた設定ではあるけれども、作風が今年で大きく切り替わり、時代を画するような変化が生じるかというと、正直、そういったことは考えにくい。平成ライダーシリーズの作風が、今後も続いていくだろうということは、多くのファンがなんとなく共有しているだろうし、来年以降も、現有の作風を期待してファンはモニターの前に座るだろう。

 そもそも昭和ライダーと平成ライダーの違いというのは、前者が事実上の石ノ森章太郎原作作品であるのに対し、後者はテロップでは石ノ森章太郎原作とは出てくるけれども、東映が独自の新機軸をたてて、ライダーらしい作品に仕上げたものという、はっきりとした違いがある。時間的に、BLACK RXとクウガの間に10年くらいのブランクがあいたことも、両者の違いを明確に意識させる要因となっている。また、前者は分かりやすい悪の組織が存在し、硬派なヒーローがそれに立ち向かうという構図はほぼ共通している。一方、後者は敵が見えにくい。敵は巨大企業だったり、政治家だったり、宇宙生命体だったり、学校の理事長だったり、元々一般人が何らかの特殊能力を手に入れて巨悪に仕上がっていくものもある。ライダー同士で殺し合うお話もあるという、一見多様だが、それらしいパターンが確立している。この両者を、別のカテゴリーで区切るのは正しいが、年号が切り替わったから作風が変わったということではなく、石ノ森の関与の度合いが決定的に違うことによる部分が大きい。後者の基軸を、今後も受け継いで行くであろうライダーシリーズが、新機軸の「令和ライダー」になりきれないだろうというのも、容易に想像がつく。

 同じニチアサ時間帯に放送されている「スーパー戦隊シリーズ」をみれば、昭和も平成も令和もないという事は、もっと明白だろう。ライダーのように10年のブランクで区切られることもなく、昭和から一貫してやっているこのシリーズは、昭和戦隊・平成戦隊と区切られることはない。原作も最初のゴレンジャーとジャッカー電撃隊のみが石ノ森作品で、後は東映が独自に作っているといっていい。作品の基軸も、何度か変更が試みられたが、くどいくらいのパターンは容易に変えがたく、強いていえば、現在のリュウソウジャーまで、一貫して「昭和戦隊」が続いているといえる。

 昭和のヒーロー臭さを継承している戦隊シリーズと、その辺を払拭したライダーシリーズの間に、温度差があるのもよく知られたことだ。こういうと、戦隊シリーズには昭和らしさ、平成ライダーには平成らしさがあると、言えるのかもしれない。ただ、これが単純に年号で切り替わっているかというと、やはり違うだろう。昭和戦隊と平成ライダーの区切りも、どこに明確に境が有るわけでも無く、戦後の時代変化は確実に有るけれども見えにくくゆっくりと進んでいる。平成ライダーにも、もうしばらく平成ライダーであってくれるよう願いたい。革命や大戦で、大きく時代が区切られて、大衆娯楽作品のあり方が180度変わるようなことがない平和な戦後の時代、実にけっこうではないか。