トムソーヤブログにお越しいただきありがとうございます!

 

5月25日、東京女子プロレス様が藤沢市湘南台文化センターでの興行を大盛況に終えました。

 

今回で3回目となる上福ゆき選手の凱旋興行ですが、上福選手は2冠王者としての凱旋で、昨年にもまして成長が止まらず感動しました!

そして、今年も興行の売り上げの一部から藤沢市教育応援基金にご寄付をいただきまして、給付型奨学金事業に使わせていただきます。

上福選手の地元愛と想いと東京女子プロレス様の藤沢市のこども達へのご支援に感謝申し上げます。

 

 

試合後には、興行の成功を祝しての打ち上げに、上福選手と、ななんと!!!アジャコング選手も!!

昔からテレビで見ていたアジャコング選手と飲める日が来るなんて、本当に夢のような時間でした。

 

カミーユとアジャさんから、カミーユうちわにサインもらってテンション上がるハピハピッハァーピィーなオレの図。

 

 

カミーユ!アジャさん!お疲れのところお越しいただきまして本当にありがとうございました!!

毎年、興行に関わらせていただき感謝です。

また来年もよろしくお願いします。

 

来年の凱旋興行はカミーユとアジャさんとのシングマッ・・・・

この光景を忘れずに楽しみにしてます!

 

 

 

 

 

トムソーヤブログにお越しいただきありがとうございます。

 

5月20日に開催されました本会議臨時会において

 

各議員が今年度に所属をする委員会が決まりましたので

報告します。

 

私の所属は、以下となりました。

 

○総務常任委員会 委員

(行政運営(IT活用、広域行政、都市親善含む)、財政、市民自治、防犯、交通安全、消費者対策、広報活動、消防、災害対策、人事管理、他の常任委員会に属さない事項に関することを取り扱う。

 

○都心部再生公共施設再整備特別委員会 委員

藤沢都心部における都市機能の強化及び基盤施設の再構築並びに庁舎をはじめとする公共施設の機能更新・再整備を図る事項を取り扱う。

 

に所属することとなりました。

 

また、会派の有賀議員は

建設経済常任委員会 委員、行政改革等特別委員会 委員

に所属をしましたので併せてご報告しておきます。

 

 

上記の委員会の範疇での陳情請願などがありましたら、お気軽にご連絡ください。(市政での対応が困難な内容などはお断りすることもございます。)

 

私は、日頃から小粒でもピリッと辛い山椒のような存在でありたいと意識して議会活動や発言や質疑をしています。

近頃は、緊張感のある議会運営(対、行政への質疑質問もしかり)がなくなったと感じているのも、その一因ではあります。

緊張感を持った議会になるよう率先して取り組んでいきたいと思います。

 

 

その他の議員が所属する委員会は「藤沢市議会Webサイト委員会名簿」でご確認できます。

 

5月30日には、6月定例会への議案上程が行われます。

また追って報告したいと思います。

 

 

写真は宮崎市議会本会議場にて。

友田宗也(左) 有賀正義(右)

 

 

イタリアリグーリア州ジェノバのカモーリ。
いまから19年前、29歳の時に、この海沿いにあるイタリアで有名な老舗フォカッチェリア レベッロに1週間ほど毎日のように仕事として通った。

目的は日本初のフォカッチェリア を2006年開業のららぽーと豊洲出店の調整と名店の味を覚えるため。

いま考えると、今の時代のように優秀な翻訳機などないしガラケー時代なので、イタリア人通訳を雇って現地に行きましたが、英語もたいして話せない20代の小僧を1人イタリアに飛ばすというのはなかなか会社も思いきったことをしたなあーというのと、かなり期待をされていたのだなと、本当に感謝をしている。

帰国後、ららぽーと豊洲にお店を出店する際にもコンセプトから店のデザインや人事、売上計画など全てを任せもらい無事に出店することができたが、赤坂、湘南、豊洲と3つの店舗を責任者としてまわし毎月380時間3ヶ月間以上休みなく働いたことで、精神的に身体を壊し、逃げるように退職をした。

もともと、私がこの木村家のグループ会社に入社したきっかけは、当時は飲食部のお店として赤坂のお店しかなかったのだが、大赤字であったため、会長から立て直しのためにリクルートされ、いきなり新参者の店長として入社した。

入社時は店舗の月売上は250万で毎月30万は赤字というとんでもない状態であったのを覚えている。
入社後そうそうに、コスト見直し、メニュー再編、バイトの教育、コンセプトの見直しなど、全ての立て直しをはかり、毎月の売上を2倍に伸ばし、最終的には系列店3店舗までに大きくなった。
しかし、いまとは違い、(特に飲食などは最たるものだが)労働者の権利は軽視される時代でもあった。

ただ、こうした経験をしたことは私の人生において財産になっているし、大きな仕事を経験させていただいた木村会長にはいまでも感謝をしている。
いつか再会し、あのときに言えなかったお礼を言いたいと思っている。
そして、またいつの日か再びカモーリにも行こうと思う。