辛いことがあると楽しむことが難しいと感じてしまう癖。
今朝、起きると一面銀世界。
ブログに訪問してくださいまして
ありがとうございます。
11月の兄の手術後から
最初に会った時に比べると
どんどん目の輝きが失われ
言葉が出にくくなり
意識が混濁していく様子を
見ていく中。
一緒に付いてきた母も
それを見るのが辛くて
「しょうがない」
「これ以上は無理」
「お兄ちゃんのことは忘れなさい」
「イギリスの自分の生活を大切に」と
さかんに言うようになっていました。
父が整形外科へリハビリと
今後のことの話し合いに行く日。
土曜日だったこの日は
私はお寿司のランチをと
父の二人の妹達(叔母達)に
お誘いを受けて
出かける予定でした。
母は叔母達と縁を
10年以上前に切っているので
こういう集まりがあっても
出かけることはありません。
それで叔母達と会ったり
ご飯を一緒にするのは
母の手前、行く行かないは
母の様子も見ながら
決めます。
「久しぶりだし
せっかくだから行ってきなさい」
「私はこういうのには
ずっと誘われてない」
(自分から縁を切ったことは
忘れている母)
「お兄ちゃんともずっと会ってなかったのに」
等々、母の中ではクルクルと
言うことが変わるのは毎度のこと。
兄の病院に下の叔母に
付いて来てもらったり
普段、お世話にもなっているので、
今回は顔を出そうと。
出かけるついでに
早めに出て
街にも出ることにしました。
兄の病院に行きがてらは
母が一緒だとできないので、
一人の時にと思い立って。
フレイム・ファッション対面コース
での同行ショッピング。
この時に取り置きをして
購入することを決めた
商品を取りにいくのも
この日しかないかも?の
予感もありました。
あれから4日しか
日にちが経っていないのに
私の心に映る景色は
まるで変わっていました。
博多駅の構内では熊本からこんなイベントも。
クリスマスのイルミネーションも始まり、
週末の華やかなムード。
雨は止んでいたものの
どんよりとしたお天気のこの日。
街を歩いていると
気持ちがざわざわ。
モノ、人の多さ。
何もかもが人工的で
リアリティのない
キラキラ感。
disposable
「使い捨ての
カルチャー」という言葉が
頭に浮かんできて。
フラフラと彷徨うように。
デパートに入ってからは
心はここにあらず、
半ば自動的に
最終のチェックした後の購入。
事前に買うことを
決めていなければ
買う気持ちは起きなかった。
兄のことを思うと
どうでもいいような。。。
重い気分に覆われていたのです。
母が着るものにも一切
気を付けなくなっていたのにも
ショックを受けていたのですが、
母の心持ちが分かるような気がしました。
叔母は気を利かせて
この日、お休みだった
上の叔母の息子の従兄と
お嫁さんも一緒にと
呼んでくれていました。
実は従兄とはずっと会っておらず、
もしかしたら20年ぶり以上?
お嫁さんとも初めて会いました。
さすがは福岡。
お魚はもちろん新鮮、
何もかもが美味しいランチ。
せっかくの珍しい機会。
二人の叔母、上の叔母のご主人、
従兄、お嫁さんともしっかりとお喋りをして。
たっぷりの量で、
お腹もいっぱい。
美味しく頂き、
楽しかったのですが、
気持ちはどこか虚ろでした。
こういうところが
子供の時からの癖。
「兄のこと、母のことを思うと
自分だけ楽しんではいけない」
というような気持ちになること。
その心癖の指摘を過去にも
何度か受けたことがあり、
自分でも気が付くことがあります。
今回は波のように
何度もそのモードに襲われて。
こちらに戻ってからも
しばらくそんな時がありました。
でも、問題の解決になるどころか。
逆に視点を狭くし
自分にも周りにも
いい影響は及ぼさない。
それを身を持って感じました。
思いっきり笑う、楽しむを
自分に許すと
ギュッとした心も
ふわっと広がります。
最後までお読みくださいまして
ありがとうございました。