「ドイツに旅行して音のない世界が新鮮だった」と。
ブログに訪問してくださいまして
ありがとうございます。
昨年、偶然、二人の友人
一人はロンドン、
もう一人は日本在住のが
別々にドイツに旅行に行った後、
全く同じことを言っていました。
彼女達の話によると
ドイツでは公共の場での
アナウンス、BGMが
一切なかったのだそう。
それがとても
快適だったとのこと。
昨日の記事に書いたように
イギリスでは公共の場での
アナウンスやBGMに
溢れています。
日本のお友達にしても
ドイツでの経験で
改めて常に音に囲まれて
生活していたことに
気が付いたと聞きました。
かく言う私も日本にいた頃を
思うと例外ではなく。
今よりもずっと音楽を聴いている
時間が長かったことを
思い出しました。
仕事がとても忙しくて
休みがなかなか取れない生活。
行き帰りの電車で
ゆっくりと窓の外を見たり
車内の人達を観察すると
いうよりも。。。
くたびれて眠り込んだり。
お気に入りの
音楽をヘッドホンで
聴いていた時間が
ほとんどだったこと。
音楽を聴くと
短時間で気分を
変えるには持ってこい。
疲労感やざわつく思いを
鎮めたり、紛らわせるため。
そんな理由だったと思います。
それがこの国に来て
日本での尋常でない
スピードの生活から一変。
時間が緩やかに
流れるようになって。
音楽を聴く時は
「ながら」で聴くのではなく
ちゃんと集中して聴くことを
好む主人との生活もあり。
音に対しての意識が
大きく変化したように思います。
無音の世界で思い出すのは
2年前に山登りのために訪れた
ウエールズでのこと。
深い谷間にひっそりと佇む
羊を飼う農家。
その農家が貸し出していた
昔ながらの家に滞在した時。
夜になって外を見ると
街灯の光がない真っ暗闇。
そしてシーンと音のない世界が
そこに広がっていました。
ここまで完璧に音が無いという
状態を味わったことがあっただろうか?
というぐらい。
その静けさに驚きと
深い神聖さ、尊さを感じて。
心から感動してしまいました。
こんな所に住んでいたら
何の努力も無しに
自然といとも簡単に
繋がれるなと
思いました。
全ての感覚が
研ぎ澄まされますから。
余分な音は
自分の感覚を鈍らせ
五感でフルに感じる機会を
失っているのですね。
刺激物と一緒で。
刺激を与えると
その瞬間は満たされても
次の瞬間、また新たな
刺激を求めてしまう。
気が付くとどんどん
感覚が麻痺してしまう。
敢えて、音のない時を。
音楽も聞かず、
自然の中で何もせず
ぼーっとする時間。
実はすごく大切だと
思ったりしました。
最後までお読みくださいまして
ありがとうございました。

ブログに訪問してくださいまして
ありがとうございます。
昨年、偶然、二人の友人
一人はロンドン、
もう一人は日本在住のが
別々にドイツに旅行に行った後、
全く同じことを言っていました。
彼女達の話によると
ドイツでは公共の場での
アナウンス、BGMが
一切なかったのだそう。
それがとても
快適だったとのこと。
昨日の記事に書いたように
イギリスでは公共の場での
アナウンスやBGMに
溢れています。
日本のお友達にしても
ドイツでの経験で
改めて常に音に囲まれて
生活していたことに
気が付いたと聞きました。
かく言う私も日本にいた頃を
思うと例外ではなく。
今よりもずっと音楽を聴いている
時間が長かったことを
思い出しました。
仕事がとても忙しくて
休みがなかなか取れない生活。
行き帰りの電車で
ゆっくりと窓の外を見たり
車内の人達を観察すると
いうよりも。。。
くたびれて眠り込んだり。
お気に入りの
音楽をヘッドホンで
聴いていた時間が
ほとんどだったこと。
音楽を聴くと
短時間で気分を
変えるには持ってこい。
疲労感やざわつく思いを
鎮めたり、紛らわせるため。
そんな理由だったと思います。
それがこの国に来て
日本での尋常でない
スピードの生活から一変。
時間が緩やかに
流れるようになって。
音楽を聴く時は
「ながら」で聴くのではなく
ちゃんと集中して聴くことを
好む主人との生活もあり。
音に対しての意識が
大きく変化したように思います。
無音の世界で思い出すのは
2年前に山登りのために訪れた
ウエールズでのこと。
深い谷間にひっそりと佇む
羊を飼う農家。
その農家が貸し出していた
昔ながらの家に滞在した時。
夜になって外を見ると
街灯の光がない真っ暗闇。
そしてシーンと音のない世界が
そこに広がっていました。
ここまで完璧に音が無いという
状態を味わったことがあっただろうか?
というぐらい。
その静けさに驚きと
深い神聖さ、尊さを感じて。
心から感動してしまいました。
こんな所に住んでいたら
何の努力も無しに
自然といとも簡単に
繋がれるなと
思いました。
全ての感覚が
研ぎ澄まされますから。
余分な音は
自分の感覚を鈍らせ
五感でフルに感じる機会を
失っているのですね。
刺激物と一緒で。
刺激を与えると
その瞬間は満たされても
次の瞬間、また新たな
刺激を求めてしまう。
気が付くとどんどん
感覚が麻痺してしまう。
敢えて、音のない時を。
音楽も聞かず、
自然の中で何もせず
ぼーっとする時間。
実はすごく大切だと
思ったりしました。
最後までお読みくださいまして
ありがとうございました。