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ありがとうございます。
今朝、公園の池で見かけた成長著しい
カナダギース。
公園でも注目の的のようで、「元々何羽いて。。。」
という話声が聞こえてきました。
昨日の記事→☆の続きです。
ランチにお招きくださったJさんと知り合ったのは
2002年の初め(その出会いは→☆)。
Jさんから今回、事前に
「Sさんという1965年辺りから
こちらに住んでいらっしゃる方も
呼んでいるのだけど、ロンドン大学で
初めて日本語を教えてもいらっしゃって
すごい方なのよ」というのを電話で
お聞きしていました。
主人に言うと「正確には初めてではないよね?
夏目漱石がロンドンで勉強していた時に、勉強の傍ら
日本語も教えていたんだから。。。」と言っていたのは
脇に置いて。。。
Jさんは何か考えがあってSさんと私を
引き合わせようとしたのか?というのは
全然わからないままにお宅に伺いました。
お会いしたSさんは小柄で
この年代の日本人の方ならではの
キチンとした、上品な佇まいの
控えめな方というのが第一印象。
お仕事を今でもされていらっしゃるそうで、
(ちゃんとお聞き出来なかったのですが、
歴代学者のお家に生まれて、ご本人も
仏教の研究をされて、論文も執筆中)
その割には柔らかな印象を受けました。
Jさんが結婚後、すぐに勤めていた
日本の銀行でSさんと知り合われたとのこと。
日本クラブで国際結婚をされている方の
お子さんの日本語教育についてのプログラムに
Sさんが関わっていた関係で、銀行に出入りされていたそう。
Sさんが「Jさん、若くて、丸顔で可愛らしくて
とても人気があったんですよ」と。
よく聞くと10年ほど前にJさんのお宅の
ご近所に引っ越されて、つい最近
お二人が道端で久しぶりの再会を
果たしたらしく。。。
その時にどうもお二人が
会っていない間の出来事を
遡って、お話し、その期間の
ギャップを埋められたようでした。
お話からすると
Jさんの方がSさんのことを
よくご存じという感じでした。
というよりもSさんもおっしゃっていましたが、
「すぐに聞いても忘れることがあるので
何度かお聞きするかも」という言葉のように
昔のことよりも最近聞く話の方が記憶に
残りにくいということもあるのかもしれないと
思いました。
SさんもきっとJさんがなぜ私を呼んだのだろう?と
思われたかもしれません。
最初に分かった共通点と言えば、
お互いが九州出身であるということ。
「そういう意味で合うと思ってくださったのかなあ?」
とボンヤリと思っていましたが、どうもお話をする限り、
そうではなさそう。
Sさんのようなアカデミックなバックグラウンドも
なければ。。。
ごく普通の、そしてSさんがいらっしゃった時よりも
随分後の暮らしやすくなったロンドンでの暮らしを
している私。
SさんやJさんがいらっしゃったイギリスは
今とは比べ物にならない程、色々と大変な時代。
まだ戦後、日本人に対する苦々しい思いが
色濃く残っていた頃。
今のようには様々な人種に対しては
ここまでオープンではなく、人種差別もあった時代。
そんな話やSさんとイギリス人ご主人、ご主人の
家族と狭いフラットで同居してスタートした貧しい暮らし。
映画化してもいいぐらいドラマに満ちた話。
それがJさんが意図的に投げかけた
Sさんへの質問がSさんのご家族の話に及ぶと。。。
私がなぜここに呼ばれたのかが
だんだんと分かってきました。
私の兄の存在こそが
またもやここでも
Sさんとの出会いへと
繋がっていることが。
私の2歳上の兄ですが、
幼少時の熱性痙攣で脳に
障害を受け、障害児となり、
大人になってからは
適応障害も患っています。
もちろん、人生に「もし」は
ないのですが。。。
「もし」という言葉を使うとすれば、
私の人生はこの兄の存在無くしては
出会わなかったであろう人との出会い、
出来事に満ちています。
長くなりましたので、
続きは次回へ。
今が季節の公園のバラ達。
最後までお読みくださいまして
ありがとうございました。