義弟家のオスのレイクランドテリア(6ヶ月)がとうとう先週の木曜日に去勢手術を受けたと聞いていました。


犬によっては手術後、ガラリとキャラクターが変わってしまう話も聞いていたのと術後の経過も心配でした。


でも日曜日に実際に会ってみて、以前と変わらぬ姿、まだ走り回るのを控えるべき時期なのに、元気いっぱい動き回る姿にホッとしました。






日本に住んでいた時の私は人に何かお願いをしたり、助けを求めるということをなるべくしないように心がけていました。


子供の時から「人には迷惑をかけないように」ということを厳しく躾けられていたということもあったと思います。


いつしかよっぽどのことがない限りは人に頼ってはいけないという思い込みのレベルにまでそれは達していたのだと今なら感じます。


でも。。。それが変わってきたのは、というより変わらざるを得なくなったのがイギリスに住み始めてから。


海外に住むと今までは人にお願いしなくても大丈夫だったことがそういうわけにはいかないことが色々と出てきたので。


理由は言葉の問題だったり、こちらの人には当たり前でも私にとっては知らない事だったり(システムの違い、文化や習慣の違い)等。


そういったものに直面した時には身近な人に聞いたり、助けを求めたり、お願いせざるを得ません。


最初の頃はそれを心苦しく思ったり、自分のことを恥ずかしく思ったりした覚えがあります。


それが途中から人にお願いすることは悪いことではないし、なぜそこまでそうしないことにこだわっていたんだろう?と思うようにすらなって、そういう自分の変化に多少驚きながらも、心地よさを覚えて。


以前は人の時間を使わせてしまうのではないか?と思ったり、迷惑かも?と思って、悪いなあという気持ちがありました。


過去に自分が何か人にお願いされた場合に押しの強い人からだと断りにくかったり、度々お願いをされて私がそれをやるのが当たり前になっている感があって、「嫌だな」と感じたことも中にはあったと思います。


ただよくよく探ってみると私自身が誰かから何かをお願いされた時、断りたくても断れない性質、「いい人でいたい」という部分があるからだということも。


また逆に人に何かお願いして断られるのが怖い、それで傷つくのが怖いからお願いするのは止めようと諦めていた事があったなと。


でも、数ヶ月前にあることがあって、自分の中でにっちもさっちもいかなくなって、これは友人にお願いするしか手立てがないかもと追い詰められたことがありました。


相手にはもしかしたら迷惑かもしれないし、私のために下手に時間を使わせてしまうかもしれないけど、今はここでこれしか手立てが浮かばず、どうしてもその友人に打診をしないことには先に進めないと感じて、恐る恐る聞いてみました。


聞く時にはこういう状況で困っていて、お願いしているけれども、面倒なことをお願いしているのは重々承知しているし、やらなくちゃいけないとプレッシャーに感じて欲しくないし、無理なら「No」とちゃんと言ってねということを添えて。


そして彼女からの答えは「ごめんね、実は自分もそれに関連したことで処理をする必要があって、手伝いたいのだけど、自分のもまずは処理できるかどうかも分からない状況なので」というような趣旨のとても丁寧な返事を貰いました。


その時私が感じたことは、「彼女から答えを貰えた。じゃあ、それが無理なら次どうしたらいい?」ということ。全然傷つきませんでしたし、丁寧に返事をしてくれた彼女のことが有り難く。


彼女に聞けたお陰で、それ以上悩まずに済んで、次の手立てを考えることが出来て。


聞いてみる、助けを求めてみたからそこで前進が出来て、そのステップは私には必要で、私にとっては貴重な経験でした。


もちろん、むやみやたらには助けを求めるということはしませんが、必要ならば迷わず人の助けを借りることも時には必要だと感じました。