写真はホリーホック(hollyhock)、日本名ではタチアオイと呼ぶようですね?イギリスのコテージガーデンには欠かせない存在。
残念ながら、どちらも我が家の庭ではありません。
ご近所の通りに咲く、ピーチ色に惹かれて、撮った一枚。
そして、下は義弟家族の2軒隣りの前庭いっぱいに咲き乱れるホリーホック。毎年、この時期、楽しませてもらっています。
コテージガーデンを目指している我が家で植えないのは。。。
まだ花が咲いている時に、大きな葉が枯れたようにシワシワになるのが気になってしまうこと。
高く伸びるので、既にある花とのバランスを考えると我が家にはなくてもいいかなと思いつつも、この美しさを見るとちょっと心は揺れるのです。
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以前、書いた自然の中で瞑想 http://ameblo.jp/tomocreatelife/entry-11880304812.html
のように、実はあれから瞑想、ちゃんと続いています。
木の下でやる、そして人が通らない時を見計らって、数分から長くても5分ぐらいですが、家の中でやるよりもエネルギーが通りやすくて、「ああ、こんな感じだったな」と感覚を取り戻すにも役立っています。
お陰様で、家でやっても「こんな感じ」が分かったので、今では再開した頃に比べるといい感じになってきています。
ブログのご挨拶「初めまして」でも少し触れましたが、目の周りに出ていたアトピー、一年ちょっとで完治しています。
皮膚のトラブルは日本を出る前の数年間、忙しい生活が祟ってか、毎年冬に首の後ろが痒くなって(ウールのセーターにまけるような感じ)赤くなるというのが出ていました。
でも春になると治り、また冬に戻ってくるということで、あまり心配はせず、薬も使ったことがありませんでした。
イギリスに来てからは、この症状はすっかり無くなっていました。
ただ、数ヶ月程、主婦湿疹のように、最初の冬だけ、手が荒れました。それ以外は問題はありませんでした。
それで、目の周りに出たひどい痒みと赤みと腫れがずっと治らないことはショックでした。
ホリスティックな観点から身体と心を学ぶ勉強を昔からずっとしていたので、そこから見ると起きていることは明白でした。
症状というのは、何らかの不調和のサインであること。
その不調和が長く続くと、それがある限界を超えた時に症状として出るということも。
それでそのサインを探るべく。。。
生活の見直し、自分の見直し、身体を整える、自分軸を確立するということに取り組んできました。
その過程には、アロマを受けたり、現在でも続けているホメオパシーの治療を定期的に受けたり、コーチングのコーチの助けを借りて、自分の夢を形にすることをやったり、素晴らしい人達との出会いがあったり。
そういうことがとても助けになっています。
そして、私の中で、これはとても象徴的だと感じたことは、目の周りのアトピーが治った時期。
それは、昨年の暮れ近くに自分がそれまで封印していた思いが明確になって、行動を起こし始めてから間もなくでした。
ただ。。。目の周りの症状は完全に消えたのですが、それに取って代わるように今度は首の後ろに痒みが出ていました。
最初は、日本で昔体験したような症状と軽くみていたのですが、1月も半ばを過ぎた頃からひどくなってきたのです。
痒みと痛み、そしてこんな短期間で?と驚くぐらいに肌がボコボコに、そして赤み、搔いて血が出たり、汁も出るような状態になったのです。
ホメオパスの友人の励まし、全体的に見ると(心身共にという意味で)全てが変化して、いい方向に向っているからと言ってくれるサポートがなければ、くじけるぐらいの症状がここのところ続いていました。
そして、昨日はその辛さのピークに達して、朝から何度も襲ってくる痛みと痒みにイライラとしていました。
夜、またそれが始まり、ある時点で叫びたいくらいに痛みが襲ってきて。。。髪の毛を根元から思いっきりグーっと引っ張られているような感覚です。
「私の人生にこれ以上痛みも痒みも必要ないし、要らない」と強く思いました。
そして、ほとんど直感的に「あっ、自分で自分のヒーリングをしてみよう」と思い立ちました。
瞑想を習った先生には実はヒーリングを習っていました。だから、やり方は知っていましたし、以前も試したことはあったのですが、その時はどうも上手くいかず、それ以降やっていませんでした。
でも、今回、やってみて、ものの5分程で状況が一変しました。
あれ程の痛みと痒みがサーッと引いたのです。そして、今朝起きてからも。
またその後、症状がちょっと戻ってきましたが、再度自己ヒーリングをしたら、大丈夫になりました。
こんなにシンプルなことだったの?あの我慢と苦しかった時間は何だったの?という感じです。
でも、それこそが私へのメッセージ。
変えることは私が思っているよりもずっと簡単だということ。
そして、「自分が持っているものを最大限に使うという許可を自分に出しさえすればいい」。
それに気がつく必要があったのだろうと思います。