今の住いに引っ越す前に
住んでいた3階建ての
ヴィクトリアンハウスの
地下1階のフラット。
その窓際に植えられていた
モックオレンジ Mock orange
(偽のオレンジという意味)。
日本名では
西洋梅花空木
(セイヨウバイカウツキ)と
呼ぶようですね。
今の季節、あま~い芳香を
漂わせていたのが懐かしいです。
この辺りでもよく見かけて、
近くを通るとやはりいい匂いがします。
今朝、公園で見かけたモックオレンジです。
香りに朝からうっとりしました。
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Finsbury Park時代は
色々な人に会いましたが、
他に印象に残っているのは
Mをボディーガード代わりに
パブのサルサの教室に現れた
日本人のAちゃん。
日本で受けた教育も
インターナショナルスクール。
そしてロンドンに着く前にも
海外での教育を受けていた彼女は
自由なスピリットと自立心がある
サバサバとした女の子。
彼女もFinsbury Park に
グラフィックデザイナーのボーイフレンド
(ジャマイカ人とアイルランド人の両親を持つ)の
Nと暮らしていました。
Nの出身は元々はイギリスの北部で、
当時、ロンドンではなく、
それも北部で、ハーフとして
(この組み合わせで)
生まれ育ったということは
かなり大変だったようです。
そして彼らの共通の友達の
ジャマイカから移民として
ロンドンに来たO。
パーカッショニストで、
学校で障害のある子供達に
音楽を教える仕事をしていました。
Oはとてもシャイでしたが、
音楽となると急に人が変わり、
彼がドラムを叩く姿や
食事の時にグラスを打楽器に見立てて
軽くフォークか何かで叩きながら
演奏する姿には惚れ惚れとしたものです。
そして、私のフラットメイトだったHさんの
後に大家さんとなる
ご近所のジャマイカ人の
ロンドンで生まれ育ったA。
日本人からすると
かなり大きなサイズの彼女。
お喋りで陽気なタイプ。
彼らと彼らの友達、
他に私のフラットメイトや
学校の友達等を交えて、
パーティーをしたり、
外食をしたり、
ピクニックをしたりしました。
その時に、よく話題に上ったのが
「自分のアイデンティティとは?」でした。
多分、私は日本を出るまで
日本人としての自分の
アイデンティティというのを
考えたことはなかったと思います。
当然、何と言っていいのか分からず。。。
当惑したことを覚えています。
私に比べると
もしかしたら二つの国を持つ
Finsbury Parkの仲間たち
だったからかもしれませんが、
その話題になると饒舌になりました。
「なんでそんなにハッキリしているの?」と
私はびっくりしていました。
自分の祖国を忘れないように
という気持ちも強かったのかもしれません。
ロンドンの暮らしに順応して見える
彼らも必死で自分のアイデンティティを
守ろうとしているようにも感じました。
恐らく、彼らは祖国に戻って
暮らすことはないでしょうけれども。
祖国に対する強い気持ちは
持ち続けていたようです。
Aが言っていた言葉が
とても印象深く残っています。
彼女と同じように
この国で生まれた同胞達の多くが
「Bounty bar(バウンティー・バー)だ」と。
バウンティー・バーとは
こちらでは子供に人気のチョコレート・バー。
色々な種類があるようですが、
中が白いココナッツで、
外側が黒いチョコレートで
コーティングされているのが
オリジナルのようです。
つまり、外側は黒いけれども、
中身は白い。
白人のように考え、行動する、
同胞達への辛口のコメントでした。
何人かに子供の時に
イギリスに移民として
初めてやって来た時の
共通の感想を聞いたことがあります。
西インド諸島の国や
南アフリカ、ケニア等から来た友人達は
「ロンドンの空が鉛色で、
今までみたいな広くどこまでも続く
青い空ではないんだ」とショックを受けたという。
ロンドンでの暮らしに
期待を持ってやって来た家族。
期待と現実は違って、
片親だけが祖国に戻ったり、
家族がバラバラになったり。
そんな難しい現実も
子供時代に体験して。
この国に対する
好きという気持ちもありながら、
自分の立ち居地がハッキリと見えない
という矛盾も抱えていたようでした。
メインストリームからは
少し外れた所で生きていた彼らは、
今考えると実はアイデンティティが
とても揺らいでいたのかもしれないなあと思います。
Finsbury Parkの仲間たちとの蜜月は
私が次の住いに移るまで続きました。
次の住いはそれほどFinsbury Parkから
遠くはない所でしたが、
新しい場所での新しい生活、
主人と付き合い始めてもいたので。
私の人生の次のページが
開いていたのだと思います。
こうやってFinsbury Park 時代のことを
振り返るのは久しぶりでしたが、
私の中で今でも大切な思い出です。