あの山がやすみやま。あの山がはいがみね。
そしてここが、くれ。
「この世界の片隅に」 観てきました。
正直、こわくもあったのは確かです。
でも前評判通り、すごかった。
劇中に出てくる鎮守府は、父のかつての勤務先の昔の姿だし、
すずちゃんの義理のお父さんが入院していた病院は、私が娘を生んだ病院だった。
何度かのけぞるように「こんなことまで」とスクリーンの端っこを見た。
些細なことだけど、呉というまちには坂道の脇にはよく笹が生えているし、双葉の低い雑草が道端に多かった。
ねえ すずちゃん。
私もねぎ坊主の咲く段々畑に腰かけて、湾をずっと眺めていたんよ。
いつも校庭で画用紙を抱えて、クレーンを、潜水艦を、造船所を描いていたんよ。
入船山記念館で、冷たい赤レンガをさすっていたんよ。
塀のそばの防空壕は今もあるんじゃけ。
ふるさとの街焼かれ 身よりの骨埋めし焼け土に
今は白い花咲く
ああ許すまじ原爆を 三たび許すまじ原爆を われらの街に
呉では小学校でこの歌を習う。
何度も 何度も唄う。
海軍さんがあるから呉は攻められたんとちがうんかなあ。
子ども心に私はそう思っていた。
誰が悪いんかなあとも。
終戦から何十年経ったとしても、被爆都市で生きるということは そういう世界だった。
エンドロールの一番最後に、失ってしまった、いちばん失ってはいけないものが私たちに「さよなら」を言いにきます。
だけど笑顔で。
ころころと鈴の転がるようなすずちゃんの、いえ のんちゃんの声で。
だから最期まで席をたたないでね。
この映画には「戦犯」がいない。
私も悲しんだり、憎んだり、責めたり、しなくてもいいんだ。
ただ静かに ふるさとに起こったことを 見つめるだけでいいんだ。
すずちゃん。
呉の背負ってきた哀しみを、形にしてくれてありがとう。