イエス様についていく

  マタイ16:24–26

 

今はレント(受難節)です。レントはイエス様の十字架を思い起こし、心を主に向ける大切な期間です。

 

イエス様の十字架の時が迫りつつある時、イエス様は、自分の愛する弟子達に大切なことを伝えました。

それは「自分を捨て、自分の十字架を負い、わたしに従ってきなさい」

 

これは、救われた私たちが歩む新しい生き方です。

 

① 自分を捨てる

自分の考えや計画に固執するのではなく、

神様の御心を第一にすること。

神の恵みは、へりくだりから始まります。

 

② 十字架を負う

十字架とは、神様から与えられた使命と責任。

それを担うことは重荷ではなく、

神様に用いられる恵みの機会です。

 

③ 従う

神様に従うことは、最高の信仰の応答です。

一見難しく見えても、その先には祝福と喜びがあります。

 

 

もし、たとえ全世界を手に入れても、

いのちを失っては意味がありません。

 

本当の価値はキリストに従う人生の中にあるのです。

 

イエス様についていく人生とは、

 

👉 自分を手放し

👉 十字架を担い

👉 主に従う生き方

 

その中にこそ、

本当の喜びと使命があります。

 

このレントの時、もう一度信仰の原点に立ち返り、

新たな思いで主に従う歩みを始めましょう

信頼 〜あきらめない信仰〜 

     マタイ15:21–28

 

イエス様がツロとシドンの地方に行かれた時、ひとりのカナン人の女性が助けを求めてやって来ました。

彼女は異邦人であり、女性であり、当時はイエス様に近づくこと自体が大きな壁でした。

それでも彼女は来ました。

 

なぜなら、「この方しか救いはない」と信じていたからです。

 

しかしイエス様はすぐには答えず、むしろ厳しい言葉をかけられます。

普通ならあきらめてしまう場面です。それでも彼女は離れませんでした。

へりくだりながら、なおもイエス様にすがり続けたのです。

 

その姿を見て、イエス様は言われました。

「あなたの信仰は立派です」

そして、娘は癒されました。

 

 

この出来事が教えていること、

それは信頼とは「あきらめないこと」です。

 

私たちも祈ってもすぐに答えが出ない時、

神様が沈黙しているように感じる時、

思い通りにいかない時があります。

 

それでも

「神様を信じて求め続ける」ことです。

 

神様は私たちに問いかけています。

「それでもわたしを信頼しますか?」

 

信頼とは、状況ではなく、神様ご自身を信じることです。

神様を信頼して、あきらめない信仰の先に、神様の恵みと奇跡があります。共に神様を信頼し続けていきましょう。

「主に信頼する」詩篇37:1−9

 

2026年も始まりました。

今年も神様が素晴らしい計画を与えてくださっていることを期待し歩んでいきたいと願います。

今年のテーマは「主に信頼する〜Trust in God〜」です。

 

詩篇37篇は不正がはびこり、正しく生きる者が報われないように見える現実の中で、

私たちが何に信頼して生きるべきかを教えています。

 

ダビデは、悪を行う者に腹を立てたり、ねたんだりして心を乱されるのではなく、

永遠の視点に立つよう勧めます。

 

怒りやねたみは私たちの心を神への信頼から遠ざけてしまうからです。

信頼するとは目の前の状況に支配されのではなく、永遠の視点に立つことであります。

 

主に信頼するとは、何もしないことではなく、

「主に信頼し、善を行え」とあるように、たとえ苦境であったとしても、

今与えられている場所で誠実に善を行い続けること、

それは神に信頼するからこその具体的な行動であるのです。

 

また、「主をあなたの喜びとせよ」とあるように、

状況や成功、他者の評価を喜びの中心に置くのではなく、

主ご自身を喜びとする時、私たちの願いは神の御心に沿って整えられていきます。

 

そして私たちの人生の主導権を主にゆだね、

神の時と方法を信じて待ち望むとき、

主は必ず成し遂げてくださいます。

 

新しい年を迎えるにあたり、見通しのきかない時代だからこそ、

主に信頼して歩む信仰の姿勢が、私たちに平安と確かな希望を与えるのです。