復活?前回の更新から、気がつけば早4ヶ月!!!


あっという間でしたが、濃い時間を過ごしていました。


1月は人生初のバイブルランド、イスラエルに行ってきました。



Walking with Jesus


今まで書面上でしかなかった聖書の世界をリアルしてきました。


2月はよろこびの教会のメンバーと韓国のメンバーと共に


日韓合同アウトリーチと言うことで、フィリピンのセブ島に行ってきました。


Walking with Jesus


何より現地の子供達のかかわりを通して、


数え切れないくらい祝福与えた以上に受けてきました。


「受けるよりも、与えるほうが幸いである」


Bibleの言葉は真実です!!!


これをテーマに行って来ましたが、恵みを受けたのは僕たちでした!!!


そして、これからもっと世界のために生きて行きたいとの思いを胸に帰国



それから、2週間後・・・・・


日本に過去最大級の地震と津波が襲った!!!


日本最大級のピンチだ!!!


この事を通し、今本当に日本のために祈っていく必要性、


行動をしていくことを迫られました。


地震直後から何とか僕らの出来ることがあれば、


少しでも役に立ちたいと思い願っていたところ


4月、北海道のクリスチャンネットワーク


「ホクミン」の働きを通じて岩手県に行ってきました。


現地に行ってみて、途方にくれるような瓦礫の山、


崩壊した建物、車・・・・


一階を完全にぶち抜かれているホーマック、


看板しか残っていないローソン・・・


小高い丘から本来ならば見えるであろう綺麗な町並み、


津波にさらわれ、そこに建物があったことさえも想像できませんでした。



 僕はひとつの聖書の言葉が自分の心に響いてきました。


「万物は見えるものの見えないものも、主権も位も、地位も名誉も、

  全ての御子によって造られ御子のために造られた」のである」


この地上において、僕たちがどれだけ最高と言えるものを築き上げたとしても、


どれほど高価なものを持っていたとしても


一旦、地が揺れ動いたならば、一切全てのものは朽ちてしまう。


今回の津波で多くの人が命を失った。


それこそ、道路を挟んで逆側は完全に崩壊し、片方は被害がない。


ある人は命を失い、ある人は命が守られた。


良い人が守られ、悪人が裁かれた?


絶対にそんなことは無いと言える。


この基準はなんだろ?


だた言えるとしたら、僕たちは自分の力で命を調整することはできない。


むしろ、僕たちは生かされている存在である。


僕たちがかってに生きてるのではなく、命が与えられている。


だから生きている。


僕らが勝手に生きているのではなく、


僕らを造られたお方の計画の中で僕たちは生きていく。


それじゃ~この災害さえも計画か?


多くの人はこれに怒りさえ覚えるかもしれない。


だけど、僕たちの持つ希望はこれだ、


この事が必ず祝福に変わる!!!!


この事を通し、神様の御業が必ず起こる!!!


そして、どんな困難が起ころうとも恐れない!!!


なぜなら僕たちには天国の確信があるから。


何が起ころうとも、どんな災いが襲おうとも、恐れません。


それは神様が私達と共にいて下さるから。


この安心をこそ、神様が僕たちに与えたいと願っていること。


そして、この安心を、希望を全ての人に与えるために


全ての人が神様との関係に生きることが出来るために


イエス様が十字架に掛かり死んで、3日目によみがえってくださった。


この事を信じる全ての人に与える安心、これがJesusの救いである!!!


みなさんに神様の祝福がありますように!!!!


一日遅れの


Walking with Jesus


God Bless You!!!!


PS:教会のHPリニューアルしました!!!是非来てください!!!!

http://yorokobinokyoukai.org/




「繁栄の法則」

      詩篇1篇


遅くなりましたが、Happy New Year!!!


今年に入りやっとこブログ更新できました!!!


今年は特に外へと出て行きたいそんな思いでいっぱいです。


今年は早速、再来週イスラエルに行きます!!!


バイブルランド、聖書の舞台であるイスラエルにはじめていくことが出来ること期待してます。


そしてそこで、たくさんヴィジョンを描きたい!!肌で毛穴から吸収しまくれればいいなと期待してます。



今年最初のメッセージですが!!!テーマは「繁栄の法則」!!!


神様の御思いは、僕達の人生が祝福され、たくさんの実を結ぶことです。


決して呪われよとかは思ってないと言うことだけは確かです。


神様は僕達が祝福され、よい結果を残していくことを願っています。


しかし、それには法則があります。


私達は神様に造られわけですから、造り主なる神様のルールの中で生きる時、


安全であり、喜びがあり、祝福があります。



その一つ目は、神様に信頼をおくことであります。


「悪しき者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、

あざける者の座に座らぬ者は幸いである」


言い換えると、幸いな人とは神を無視し、否定して、自分勝手な歩みをしない人のことである。


僕達は生きてりゃ、嫌なことや、不満や文句は出てくる。


否定的な思いや言葉で自分自身の心が支配されそうになる時ある。


根本的なことですが、このような思い心でいる時、間違いなく良い方へと向かうことはないでしょう。


そして、これらは信仰に立った生き方ではありません。


なぜなら、神様は絶対に私達に呪いや災いを与えるお方ではないからです。


神様に信頼して歩む時、希望があります。期待感があります。


どんな悪状況、どん底にいたとしても、終わりが来る、そして先には必ず祝福がある。


このことは神様に信頼できるからこそ思うことであります。


そしてその根拠は神様です!!!



2つ目は神様に信頼する人のライフスタイルです。


「このような人は主のおきてを喜び、昼も夜もそのおきてを思う。」


祝福された歩むをするうえでも、必要不可欠なのは常に神様の思いで心を満たしていくことです。


超高速ジェット機を運転する場合、一番不必要なものは自分の感覚です。


もし、ジョット機を操縦する場合、自分の考えと感覚で運転する場合事故を起こすでしょう。


むしろレーダーにキチンと従っていくことの方が何倍も安全ではないでしょうか?


僕らの人生も一緒です。自分の思い感覚、考えほど間違っていることを理解することです。


むしろ、この事を徹底して理解しているから、神様に従えるのでしょう。


自分の思いで生きる人生の結末と、神様の思いで生きる人生の結末どっちが良いでしょう?


よい結果、よい実をつける秘訣、それは主のおきて、すなわち御言葉を喜んで聞き、


自分のうちに蓄えて、いつも御言葉に歩むことです。


そして私達の思いを常に神様に向けて歩んで行くことです。


その結果は祝福です。



3つ目はこの御言葉に従って生きる結果、


このような人は流れのほとりに植えられた木の、時が来ると実を結び、

                     その葉もしぼまないように、その成すとこみな栄える」


かならず栄えていきます。祝福され、良い結果を必ず残すでしょう!!!


しかしここで重要なことは時が来るとということです。


何でも、あせってはダメです。


カップラーメンでさえ3分、時には5分という時を要します。


それを早まってしまうと残念な結果となるでしょう。


待てないところに僕らの失敗があります。


ひまわりの種を植えて、どれだけ水をあげて、日光尾を照らしても、


時が来ないと来ないと花を咲かせ、実をつけることはできません。


しかし、確実に時がやってくると、確実に結果が現れます。


良く人生20~30年たたないと結果はわからない。


今一時的に早く成功してもその後、何も残らなければ単なる過去の栄光に過ぎません。


むしろ人生の最後、本当によかった、たくさんのよい結果を残していくほうが重要では無いでしょうか?


神様が与えるものはこれです。確実に私達の人生に祝福と繁栄、良い結果を残していくでしょう。


そのために神に信頼し、御言葉に従い、神様の導きに歩むことが必要では無いでしょうか?



God Bless You!!!!!






「神様の計画」

      エペソ4:16


今年も早いもので残すところわずかとなりました!!!


皆さんにとって今年はどんな年でしたか?


間違いなく、 私達はもちろん良いことだけでなく、


しんどかったこと、失敗色々なことがあるでしょう、


しかし、振り返ってみるとあらゆる全ての時、神様が私たちと共にいてくださり、


常に最善へと導いてくださっていたことに気づく時、感謝することができます。


それこそがクリスチャン生活の醍醐味じゃないでしょうか?



その様な中で神様の私達に与えている計画を


「教会」と言うことをテーマに再確認していきたいと思います。


そもそも教会とは何でしょう?


もともとの言葉、ギリシャ語ではエクレシアと言います。


エクレシアとは神に召し集められた者達の集まりと言います。


これを考える時、日本中わずか1%以下しかクリスチャンいなにせよ、


今日私たちがクリスチャンであり、教会に行っているのであれば、


それは神様からの選びであり、神様によって集められたからこそ教会に集うのです。


聖書にこうあります。


「あなたが私を選んだのではなく、私がなたがたを選んだのである」


自分の善し悪しではなく、神様からの一方的な選びによって、



私たちは召し集められた、それが教会です!!!




このようにあるように、教会のトップはイエス様です。



イエス・キリストというによってのみ集まることができる。



教会はあらゆる世代、バックグランド、性格や、タイプ



もしかしたら、教会でなかったら会うことがなかっただろうなと思うような人もいる。



むしろ、お互いが好き嫌いで集まってるわけでも、



趣味が合うから集まってる分けでもない。



ただ、キリストのみ!!!キリストありきである!!!!



おそらく、色々な理由で教会に来る人はいるだろう。



しかし究極キリストということを除いて教会に来るのであれば、



いくらでもフェードアウトできる。



なぜなら、キリストありきの共同体だからである。



だからこそ、重要なのしっかりとつながることである。



聖書に「・・・全身はすべての節々の助けにより、

    しっかりと組み合わされ、それぞれの部分は分に応じて働き、

          からだを成長させ、愛のうちに育てられていくのである



こうあるように、教会はただ集まっているだけでは意味がない。



教会はキリストを基として、互いがしっかりと結び合うこと、



そして、それぞれに与えられているポジションで役割を果たしていくことが重要である。




全世界に出て行ってすべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。

              信じてバプテスマを受ける者は救われる。」



これはイエス様がこの地上を去る前に全ての弟子達に与えた命令である。



そして、ルカの福音書では最後の言葉が語られた時、



約束の聖霊が来るまでとどまれ」と言っている



そして、聖霊が来て誕生したのが教会であることを考えると、



宣教は個人的な働きではなく、教会を通してなされる神様の業である。



そして、宣教は教会につながる私たちひとりひとりが、



与えられた役割を果たす時進んでいく。



そしてその目的は救いの御業である。魂の救いである。


単純計算で、日本1億千万人をカバーするとしたら、


1教会あたり1500人ほどの人をカバーしなければならない。



しかし教会も多種多様であるように、すべての教会にも役割があるだろう。



伝統的な所もあり、若者が集いやすい現代的な所もある。大きな所、小さい所、



あらゆる教会がある。しかしキリストという点において、



それらも結びあわされる必要があるのでは無いだろうか?



そして目的は一つではないだろうか?



2011年もっと神様の業が日本中で起こされていくことを期待したい!!!



God Bless You!!!!!