家族と引き裂かれ、島根に単身赴任していた時と比べたら、例え休職中とはいえ、どちらが幸せかと問われれば、答えは云わずもがなであって、むしろ休職期間中に、結婚以来今まで共に時間を共有することが少なかった嫁さんの日常を垣間見て、もはや趣味の域を超えた韓ドラ中毒は玉に瑕(タマニキズ)も、健気(けなげ)に子供達やオイラの為に、日夜家事全般をこなす姿に、改めて感謝するしかなかった(・・。)ゞ
『玉に瑕って意味知ってんの』オイラ→( T_T)\(^-^ )←嫁さん
【今日の一曲】『FRGT10 (Forgotten - Reanimation Remix)』 by Linkin Park
Linkin Park - FRGT10 (Forgotten - Reanimation Remix) [Official video]
Linkin Park - 12 - Forgotten (Rock am Ring 03.06.2001)
Linkin Park 「Forgotten」Live 日本語訳 低音質 lyrics
貯金は得意?苦手?
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あったらあっただけ使ってしまうので、嫁さんにすべて預けている
There is always a big pressure.When not laughing, I’d die.
昨日のTV番組で、元東邦高校監督(現大垣日大高校監督)の阪口慶三監督を取り上げていたが、昔は“鬼の阪口”や“阪口鬼三”などと恐れられる鬼監督として、選手をスパルタ指導で鍛え上げ、1977年の第59回全国高等学校野球選手権大会では、1年生右腕の“バンビ”坂本佳一を擁し準優勝したことでも知られる名物監督だ
それからしばらくは低迷が続くも、1988年の第60回選抜高等学校野球大会で、2年生左腕の山田喜久夫を擁し決勝まで進んだ東邦は、春初出場の宇和島東に敗れ、またしても準優勝に終わった
上甲正典監督をはじめ、笑顔を絶やさずのびのびとプレーする宇和島東ナインに対し、帰名後に見た同試合のビデオテープに映っていた阪口監督は鬼の形相をしていることに氣づき、「こんな顔をしていては選手が萎縮してしまう。」と悟った阪口監督は、試合中に笑顔を見せるよう努めるようになった(最初は手の平に書いた「笑」という文字を見るなどして無理矢理笑っていた)
翌1989年の第61回選抜高等学校野球大会の決勝戦では元木大介、種田仁らを擁する上宮に延長10回逆転サヨナラ勝ちし、自身初の優勝を決める(サヨナラタイムリーを放った選手が打席へ向かう際に笑顔で打席へ送り出した)
その試合後のインタビューでは「前年は、私のベンチでのマナーが悪くて優勝を逃してしまった。」と述べた
大垣日大高校へ移ったその後も、脱・鬼監督パフォーマンスが「阪口劇場」の異名を取るなど、“仏の阪口”と呼ばれるようになった阪口監督の新たな一面が注目された
以上、阪口慶三 - Wikipediaよりお借りしました
他にも、世界をも魅了した、星稜高校野球部の9回裏、大逆転劇!を取り上げて、星稜高校が「必笑」で9回に8点を逆転した秘話を伝えていたが、この話しを聞いていて、思わず島根での自らの体験に重なり、今こうして奇跡的に帰阪できたのも、どんなに死に直面しても、笑顔を絶やさなかったことが大きかったことに氣づかされた
自らの信念を貫き、詐欺にあった人達を被害者と呼び、正義を追い求める姿はカッコいいが、その後の住専問題で、廃業に追い込まれた事や、「平成の鬼平」という異名通り、行き過ぎた正義によるその取り立ては、それまでの正義感に駆られた正義漢とは掛け離れた真逆な姿で、戦争と同じで、正義の名の下に、人を狂わせる恐ろしさを垣間見た思いだった
豊田商事詐欺事件の黒幕犯人の現在!永野会長と弁護士中坊公平の正義
「平成の鬼平」中坊公平を弁護士廃業に追い込んだ闇とは?でも語られている通り、もはや中坊公平(なかぼうこうへい)元弁護士と呼ぶべきかもしれない
中坊公平の孫のその後や現在とは?息子や経歴が気になる! | ざとれんの
『夜更かし~★』~
このところ、虫の知らせというか、第六感が冴え渡ってハンパない
第六感と云えば、Gacktさんの格付けにおける真偽を見破る目は確かなもので、次々に正邪を区別する~本物と偽物を見分けるには、知識、経験もさることながら、直感(第六感)も必要不可欠だと紹介している
『新たな年が明ける時~A Happy New Year~☆』
その第六感の結果が良ければいいのだが、先週の高松宮記念のように、不吉な予感が当たるのだから始末が悪い
自ら調べに調べた不吉な予感とも云われるシックスセンスの特集を読み耽る
『私は 『暗闇に囲まれた中心』という光に向かっていく事を感じる世界にいます。』
嫁さんの第六感も大したものだが、今回は恐れ多くも、その嫁さんに予言したらしい
『非暴力が人間の理法であるならば、未来は女性とともにある。』
先日オイラの心の病を云い当て、早期完治に寄与してくれた娘の手紙のことを紹介したが、早速その恩返しをすべく、滋賀へと向かった夕暮れ時
予め予期していたこととはいえ、その時がくると、父親というのは、思ったより動揺するようで、だらしないというより意気地がないものだ(T_T)寝れね~
『もし、私にユーモアがなければ、これほど長く苦しい戦いには耐えられなかったでしょう。』と『もし私にユーモアのセンスがなかったら、おそらくとうの昔に自殺していただろう。』とちょっと前にご紹介したガンジー氏の名言がダブっていたことに、今氣づいたよ