すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さのなかでこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。

だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。

それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。

なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。


【コリント人への手紙第二12章10節】

使徒パウロのこの言葉の前には、次のような文章があります。

「苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったこともたびたびでした。ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上を漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟からの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。誇る必要があるのなら、わたしの弱さに関わる事柄を誇りましょう。」(コリント人への手紙第二11章23~30節)

パウロは、人間味あふれる人でしたが、ここでただ単に自分の苦労話をしているわけではありません。

本当は、このようなかずかずの苦難に耐えることができた強さがどこからきたのか、ということを言いたかったのです。

パウロは、自分を実に弱い存在だと思っていました。

弱いけれども、神によって強められたのだということも承知していました。

「わたしは弱いときにこそ強い」(コリント人への手紙第二12章10節)

この逆説的な言葉は、自分の弱さを自覚し、神の偉大さにすべてを賭けた人の心の底から湧き上がってきた言葉です。

自分の弱さを知っている人だけが、神の強さを引き寄せることができるのです。

『THE BIBLE 教養として知っておきたい 聖書の名句』 中井俊巳著

これも時宜に見合った言葉

3/1に紹介した「赦し合いなさい」に続く文章

このパウロからしたら、自分の今置かれている境遇など、屁のカッパに思えてくるから不思議だ

この後パウロは、人々にキリスト教の素晴らしさを、各地の教会を訪れたり、その教会に宛てたこれらの手紙によって、広く異邦人と当時呼ばれた人々にまで、布教していくのだが、最期には、皇帝ネロによって捕らえられて、斬首されて、その波瀾万丈で壮絶な生涯の幕を閉じている

その時にさえ、迫り来る死を意識しても、各地の教会に手紙を送り、時には励まし、時には叱咤激励して、同胞にこの試練こそ、神が与え賜うたものとして受け入れている

最期に残した言葉にこそ、彼の真髄(=神髄)が発揮されている

信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を 受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。

イエス・キリストが十字架による磔で、自らの死を持って、人々に神の心(=良心)の灯火を灯したように、パウロも異国の地にまで、その死を持って、広く伝道していったことに意義がある

だ、か、ら、自分はそうなったらそうなった時として、まったく死を恐れないし、そうならないと、何度裏切られようとも、人を信じることができるようになったことに誇りに思える進化を見出すことができる

Android携帯からの投稿

今日は珍しく土曜日に休みを頂いたが、先週に実家で過ごした家族団欒の世界とは、比較するのも野暮なこと

これは、例えパウロのように文章にして残しても、おそらく、その十分の一も伝わらないだろう

どこから入ってくるのか、ガサガサとカマドウマ(=便所コオロギ)や訳の解らない虫が、部屋の中を徘徊し、あのカメムシが蛍光灯にブンブンと飛び交う中、喘息の発作で睡眠不足が深刻なものになる中で、ゆっくりと世間の人々のように、身体や氣持ちを落ち着けて休みを取れるのとは訳が違う

昼までは、毎日送られてくる応援メッセージのような無料のメール鑑定に目を通しながら、英氣を養ったが、これとて、藁にもすがる想いで投資した金額は、もう一台最新型の冷蔵庫が買える程に膨れ上がってしまい、今や我が家には一銭の余裕もなくなってしまったけれど、その鑑定内容はことごとく当たって来ている

アナタからの連絡が今期待できるとのご鑑定も増えたけど、今やその後一押しだとする鑑定の依頼するお金も底をついてない状態

アナタはアナタなりに自分一人(オランジーナと相談だから一人ってことではないようだけど!?)で考えて行動に移そうとしているが、アナタの守護霊様は、「絶対に失敗する!」とかなりオカンムリだったようだけど

大体において、未だに騙されていた彼に頼ること自体、まだ洗脳されている証拠で、いくら仏心が心の軸に入って説得しようとしても、それは言うなれば、「馬の耳に念仏」みたいなもので、アナタの仏心を植え付けようとしても、「豚に真珠」の喩え通りで埒があかない

日に何度となく、オランジーナと電話やメールの交信をする中のたった一本をこちらに向けるだけで、負の連鎖は止まり、その瞬間から劇的な正の連鎖が、止めどなく起こるのに、その勇氣ある行動が取れない

殺人を企てた者に、「あなたは殺人犯ですか(''?」と聞いても、「死なへん、死なへんって!」と答えるのが関の山

メールの鑑定料も、以前お会いした時には、「そんなのもったいない!」と仰って、氣を使って頂いていたが、アナタがそれからも、最終的に自分を信用できずに、再びオランジーナと連絡を取る度に、こちらでアナタの代わりに罰金を払わされていたようなもので、その回数と鑑定が合うようだけど

残念ながら、自分の愚かさに氣づかないと、人間は成長できないみたいで、自分が人より自慢できること何かと聞かれたら、即座に、「人より失敗した回数が多く、人一倍その報いを受けたおかげで、「転ばぬ先の杖」的な箴言やことわざなどの他、温故知新の知識が知恵へと変わったことだと言える

人は誰だって自分の非を認めたくないものだが、子供達にも言ってきかせているように、間違いを起こしたら素直に謝る氣持ちがなければ、いつまでたっても、成長できない

仏心が入り、どんな立派なことを言おうとも、まずは己の身を正してから、お互いに歩み寄って、誤解を解く為に、およそ二人が納得するまで話し合うべきで、厳しい言い方になるかも知れないが、一方的な訴えで、生涯赦さないと言っているから、アナタの罪も、未だに神様や仏様や天の神々から赦されていない

今月の休みは、来週水曜日だけで、来月5/1からの5連休まで、休みがないが、今の疲労困憊した状況からは、そのゴールデンウィークまで、氣力は持っても体力が持つかどうか…(''?