タイが恋しい毎日ですが、先日の私の象さんはジャムークと言う名前に成りました。鼻と言う意味なので、タイでは多くジャムークの可能性が...一先ず、あだ名(チューレン)はジャムです。これまた単純で。:p
「バンコック・デンジャラス」いわく、象の鼻は上向きが幸運を招くそうです。ジャムは鼻を高らかに上げているので、幸運を招いてくれると信じています。
映画は知識の宝庫ですね。これはジンクスみたいなものですが。
アジアドラマ中間報告。
中国ドラマ「運命の桃花」を35話まで観ましたが、う~ん... 不満点が続出しております。
好きなので、あえて好きこそ、で、厳しく欠点を述べたいと思います。
「好きだからみんな最高!」では、語る者の名折れです。愛心に蓋をして、叱咤激励致します。
先ず、何より、舞台が天界で、神(仏?)と仙人の間にまで昇華した神仙の物語なのですが、非常に下世話。神仙たちは、格や名誉ばかりを得たがり、常に仲間を疑い、隙有らば落としてやろうと画策めいています。
更に世界を闇に落とそうと虎視眈々と復活を目論む、闇の魔君が居て、更にその手下が常に暗躍しているにも関わらず、それどころか身内や愛する人にまでその魔の手が伸びようとしているのに、神仙らは恋に現を抜かし、仲間を虐げ、尋問拷問ござれで、みんな身内の処罰が楽しそう。また演劇的な分かりやすい演技のためか、その表情や話し方、言葉からも裏があることなど一目なのに、天君たる"神仙の長"ですら陰謀に気付けない無能ぶりで、呆れます。そんな天君、次々と神仙たちを裁きまくり、証言だけで死罪さえ決断する懐の狭さ...
実は後にあれこれ「分かっていた」なんて思惑が明らかに成りますが、それを天宮の掟だからと言い訳する、保身?弱さ?も露に。
また、当然、全ての辛さを背負うのはヒロイン霊汐(れいせき)。彼女を支えるは、元戦神の九宸(きゅうしん)なのですが、その九宸、テレパシーみたいな力も持っているのに、霊汐に自ら死罪を宣告し、彼女の心をズタズタにしておいてから、テレパシーで真意を告白。その時は霊汐は聴力を失っていて聞こえなかったので、心はズタズタのまま命を落とします。
... って、テレパシーは聴力無いと聞こえない?
また、霊汐は生まれ変わり"黙(もく)"と成り、人として運命を辿り、再び霊汐としてやり直すプロセスを踏むことに成ります。
しかし、黙は前世の業を受け継ぎ、聴力が有りません。当然、話すことも出来ません。何故なら、自分の声が聞こえないから、自分がどんな音を発しているのかが分からないから。
なのに、ある者の力によって話せるように成ります。...?「私、話せるようになってる」と思う彼女は何処で自分が話せていると感じたのかが分かりません。骨伝導?
更に、ある運命の渦に揉まれ、魔君の手下に捕まり拷問の末、視力を失い、命からがらの景休と出逢い、共に生きる事に成ります。
その支え合いが非常に愛らしく素敵で、更に霊汐を癒していることを強く感じるのですが、"運命"と刻んだ本作タイトルが足を引っ張り、その素晴らしい関係が(おそらく)失われること前提なのは、非常に虚しいです。
"運命は分からない方がいい。分からないから今に幸せを感じられる"
そんな言葉を思い出します。
今、「運命の桃花」は非常に面白いです。ただし、残念ながら運命の相手、九宸の存在を忘れてこそなのです。
それは、如何にもな問題児、景休があまりに魅力的で、この縁が終わらないといいな... と思いながらより良い展開を想像しながら観てしまうからです。
悟りの先に居る神仙が、愛する霊汐の幸せの為に時を譲り、五万年後くらいに別な生を積み重ねた霊汐と再会する。
「幸せな人生だったかい?」
「ええ。素晴らしい人生でした。... あなたは?」
「長い間、待つばかりの人生では有ったが、良き記憶のお陰で不幸ではなかった」
「... 私は霊汐、初めまして」
「私は九宸、また逢えたね」
「会うのは初めてですよ、変な人ですね。でも良い人みたいで良かったです。これからよろしくお願いします、神仙様」
...そんな粋なラストを待っています。
途中、桃花シリーズ第一段「永遠の桃花、三生三世」を観たのですが、「運命の桃花」の霊汐を演じたニー・ニーがあまりに魅力的だった為に、こちらの主人公は見た目も演技も幼く、入り込む気持ちが格段に目減り...更に60話近くも有るのに展開が早過ぎで、育まれたふたつの愛が数話で容易く崩壊。また、その崩壊があまりに呆気ない。
"崩壊"はある疚しい女の唆しのせいなのですが、唆される王子さん、愛する本人に話もせず、唆しをそのまま受け入れてしまうだけで無く、その誘惑にまで軽く乗っちゃう男で、さすがに観ているこちらは唖然でした。
また彼、天族と翼族は相容れないと知りながらも、主人公にストーキングばりに迫り、壁は乗り越えられると力説したくせに!あんたに愛を語ったり、人に愚痴る資格無し!また、結局は愛より家柄や財から逃れられない情けなさ...韓国ドラマか!
そんな駄目男にメローを感じられる筈も無く。イケメンなのが惜しい!
しかし、愛はもうひとつ有ります。希望の綱とばかりに期待しましたが、その方、瞬く間にお亡くなり。愛を傾ける主人公は何をするかと思ったら、死体を腐らせないように尽力尽くし...って!
まあ、理由は有るのでしょうが、世界の理に仏教前提なら、輪廻が何より大事なわけで、出来なければさ迷うんでしょ?だから亡骸は焼くんだよね?なのに残すの?
またそんな鬱主人公はひとつの行動にひと話掛ける効率の悪い展開が続き、私、途中脱落してしまいました。
合間にまた「王女未央、BIOU」を観始めました。主人公の家が逆賊に襲われ、娘ひとり、命からがら逃がされます。彼女は逃亡中に出会った女性(未央)の身代わりとして身を偽り、その家に入りますが、家までの道中に命を狙われるは、辿り着いてもまた命を狙われるは、気の休まらないことばかり。
彼女の生きる糧は、その家に関わる王宮の者が家族の仇であること。そして命を救ってくれたある男性のこと...
関係図がなかなか複雑で、より複雑に成ると想像され、未央が愛する方が姉の愛する人ですし、親しくなる妹の愛する人は、おそらく仇のひとりと成る者だったり...
もう、泥沼です。
未央は非常に善き環境で育った為に人に優しく、また人を観る目が有り、着実に侍女からの信奉や弟からの信頼をも得ていきます。この変わって行く関係図が非常に素敵なのです。
しかし、故に敵は敵のまま、更なる悪辣な謀や攻撃をしてきます。それは未央の命さえも脅かしていきます。
道士を呼んで占わせ「未央が災厄の現況」と言わせ、家族の前で鞭打ちをさせるのですが、当然、リアルな鞭打ちは数回で命を奪います。未央も生死をさ迷いますが、そんな様を家族(敵は別にしろ、父も)は焦りも同情もしません。弟君らが慈悲を乞いますが、叶わず、諦め。未央の実の母が病どころか毒殺未遂された直後なのに、身を呈して止めに入り鞭を食らいますが、それも軽く流され、続けて祖母が来て「何てことをしているの!」と未央を身を呈す。
... 実の母、形無しです。
もとい、祖母は「私の10年の命を奪っていいから」と未央を救うために本気出しますが、下娘が「転んで顔を怪我したの!未央の厄のせいよ!」と有り得ないこじつけを口にしたら、祖母は黙ってしまいます。
そうなの?終わり?未央は死ぬの?
時代錯誤な厄払い(当時は流行り真っ只中?)を経て、未央は床で生死の境をさ迷っています。祖母は風邪を引いたので来られず。マジ?!
未央は悪運を払う為と、野山に棄てられます。忠誠を誓った侍女は「狼の居る山にあんたも棄てるわよ」と使用人に言われて助ける手を下げてしまいます...
こうなると希望も何も無くなり、こんな疚しい家などとっとと焼かれて暴落してしまえ!と呪いたくもなる虚しい状況であります。
まあ、かの人と言う未央の最後の希望がまだ有るので楽しみは有りますが... 直ぐに再会したし...未央は秘術針治療で瞬く間に回復?!
しかし、雇われ世話人のミス隠しで、かの人の手紙は伝わらず、ふたりは再会果たせず...
しかし。
しかし。なんとまあ、虐めばかりの物語。「運命の桃花」でも自らのせいで御家を没落させてしまった元瞳は、霊汐とその弟弟子、姉弟子を虐げ、師たる父を刃にかけてしまいます。更に霊汐は死罪へ...
韓国ドラマもいつもヒロインは辛い思いに涙しますしね...
アジア人ってサディズムを楽しむんでしょうか... と気分落ち込む毎日です。
... でもそんなドラマを観ている私は...なんでしょう。:p
「王女未央」の未央を演じるのはティファニー・タン。綺麗な方です。ちょっと幼げな話しっぷりがスタンダードですが、ここぞの見栄は声色を変えて魅せてくれます。
また設定から、ちょっと幼げな話しっぷりが身分を偽っている感が出て効果を為しています。
全54話なので、まだ序盤、先は分かりません。ちょっと辛そうな気配も...
タイドラマ「セオリー・オブ・ラブ」
番外編以外、本編を観終えました。
以前「期待です」と書きましたが、終えてみて、ちょっと満足に至りませんでした。
タイドラマが好きだからこそ、良かればかりでは無く、悪かれもちゃんと語ります。
何しろ、納得が行かない点。
先ず、主人公サード。3年間の片想いを経て、好きなカイが相変わらず女性と交際をしている事を泣くほどに悩んでいます。が、嫌われたくないから伝えません。
なんとも情けない。しかし片想いの辛さは分かります。
そして、想っている事がばれてしまいました。カイは気にせず女性との交際を見せびらかします。サードはまた涙に暮れますが...これって結構なナルシシズムでは?
特に何もしないのに、相手が自分を好きに成ってくれなければ「傷つけられた」と泣いてる。
...独り善がりです。
後に、サードは演劇に関わることに成り、カイとの時間が取れなくなります。するとカイはサードを失ったような気がして、これは恋なのでは?と思い始めます。ここの2話は絶品でした。カイが過去の事を思い直し、サードが嫌がらないように身の振り方を抑制し、更にサードが喜ぶだろう事を模索し、"し続ける"彼の片想いのような時間は、非常に愛らしい空気に包まれていました。
しかし当のサードは、つんとして、カイの事など気にもしません。そんなサードが演劇の合間の区切りに、途端、カイに再び注目し始めます。それも、ある女の子の助言によるもの。
「私とカイは恋人じゃない。あなたに見せ付けて、諦めさせて、元の友情関係を取り戻そうとした」
サードはカイを「最低だ」と責め立てます。カイは落胆しなからもサードへの思い遣りをし続けますが、サードは尽く「裏切り者」「また傷つけられたくない」と怒り爆発。
でもサードは、カイを遠ざけながらも目で追い、四人の友情を理由にいつも近くでうろうろ...喧騒の解決は全てカイ任せ...その繰り返し。
あまりに同じシチュエーションを繰り返すものだから、作り手もマンネリを避けたかったようで、"交通事故(自損)"を取り入れて再燃の理由付けにし、上手く行く切っ掛け程度なのでカイは瞬く間に回復、しかしサードは素直に成らず焦らし戦法継続。
その後は特にカイは悪いことをしませんが、サードは、サード中心に振る舞えないカイに愚痴愚痴し続けます。
また、相変わらずの仲直り事件は起こります。誤解をしたサードを説得しようとして、カイが足を怪我した、カイが待ち合わせに待ちぼうけされて、まだ駅で待ち続けているらしい...と、終盤にしては意外と安易な方法を劇的に振ってくれます...
そんなかんなで、やっぱりさっぱり、愛の結実感を感じる事の無い、サードによる自分の思うとおりに成らなければ怒り、泣き、カイの女たらしのせいだ!と責めるばかりの展開に... 疲れました。
また、最後のカイの「僕の思いは本当だから。君が必要だ」旨の告白は、以前、サードがやって、想い伝わらずだった作戦。元々、映画「ラブ・アクチュアリー」の模倣告白。プラカードに気持ちを書いて、紙芝居風に捲ると言ったものをカイが行います。
原作は最も泣けるシーンでしたが、こちらはさっぱり涙腺が震えません。確実に原版より劣化してる...
タイにはタイらしい方法の方が良いです。象さん告白とか... :p
でもなんか...上手く行ったみたい...
そんなでいいの?
また、仲間のトゥーは、ずっと好きだった女の子リンとの関係が良くなってウキウキに成った途端に、ずっと気を掛けてくれていたアン君が気になってしまいます。しかし放置し、好きな女の子へ猛アピール。... 実は当て付け?
直後、アン君が「諦める」と言っているのを聞いてしまうと「僕が好きなのか!」と問い掛ける自信具合がトゥーらしくなくて違和感たっぷり。
結局、アン君の気持ちが自分に向いていると知ると、また放置。アン君が海外へ行き、帰らないと知っても、放置。インスタで旅立つような記載を見てようやく慌てるけれど、手遅れ。しかしアン君の勇気が勝り、ふたりは結ばれる...
良い話のように上手く綴られますが、トゥー、いい加減過ぎます。リンは告白されて置き去り。アン君はトゥーに怒鳴られて置き去り。「セオリー・オブ・ラブ」、"恋のセオリー"を描き出す野心作... これで良いの~?
もうひとりの仲間ボーンは、バイト先に閉店後に訪れた女性パーンに恋心を抱き、好きな映画の話をし、古いフランス映画のDVDを探す事で更に共有意識を抱きます。
しかし、優秀だからとサボっていた映像編集の授業、新任教師に叱られ赴くと、教師こそが彼女だった。
... 「トップガン」ですね。:)
ボーンは厳しいパーンに憤りどころか怒りすら感じてしまいますが、実は才能を認められていたと知ると、再び好意を持つように。また、パーンが変に近付いて来るものだからボーンもその思いを高めて行きます。
しかし、ある日パンに頼まれたのは、自らの結婚式で流す映像。ボーンは愕然とします。
しかしパーンは彼氏が浮気をしていると疑い、パニック。ボーンの前で深酒をし、大声で憤りを吐き出し、更にキスをしようと。
直前に電話が入りますが、それを機にボーンには素っ気ない態度。
... なんだか本作のキャラクターは自己欺瞞やヒロインシンドロームなキャラが多過ぎます。
結局、婚約者はパーンとの交際段階で別な女性との縁を持っていましたが、結婚を意識して別れを決意、きちんとした精算(言葉は酷いですが)は済ませていました。彼の交際相手が執着していただけでした。
どうせなら、双方に真実を伝えた上で二重交際をすることがフェアだとは思いますが、やはり交際中の事。愛を語り出した時にはパーンを選んだ彼の真実を知り、ボーンはパーンを諭します。
そして切ない恋の終わりを迎えます。
... タイは師弟愛は御法度では無いのでしょうか...教師は生徒の労りに応えず、迷惑を掛け、キスをもしようとした事への言い訳や反省は、一切ありません。
...正直、最終話はまるごと蛇足の域で、観ていてぐったり。
タイBLで最も切ない... って、さっぱり切なくありませんでした。告白もせず、振られるのが怖いから我慢して、僕切ない... そう言うナルシシズムは、一般、"切なく"なんて言いません。
本作の最大のミスは、タイらしさよりアメリカ等の西洋映画を意識してしまったこと、かと思います。全話、ハリウッドの恋愛映画の題名を副題に宛がって、おそらくそのイメージでひと話を作っているのだと思いますが、何しろサードは毎話、同じ愚痴りばかりなので変化乏しく、折角の企画を活かすことが出来ていません。
愛とは、"愛する相手の為に紡いだ言葉を、相手に届くまで繰り返す"事こそに有ると思います。それがこのドラマの主人公には有りません。
安易です。
ただし。先ほどのアン君。彼は真の想い人です。
彼は先ず、人に優しい。故に彼は当初、サードに恋をしていると勘違いされます。
トゥーは彼に特別に優しくされたような気がしていて、そのせいでサードと親しむアン君に不可思議な想い(嫉妬心)を抱いてしまいます。そしてトゥーは自棄っぽく焦がれの女の子に好意をぶつけますが、それを知ったアン君はトゥーに告白せず、諦めようとします。
「あなたには幸せになって欲しい... 」
そんな犠牲的盲目愛です。
これこそ切なく、それも愛する人のために労りを奮っている唯一の人が、このアン君です。
また、悲しみから海外でのインターンを決意し、でも、きちんとした答えを貰わないと吹っ切れないと、答えだけを聞きにトゥーを追ってきます。当人トゥーはロケハンと称してアン君を気にもしないで遊んでいたのに。
そんなトゥーでも、応えてくれて、その笑顔を貰って、心底喜ぶアン君は素晴らしき"想い人"でした。
最終話は、四年後の、成功している彼らの姿を観ることに。作り手はこう言うのが好きなんでしょうけれど、観る方、望んでいます?駄目なままでも変わらない姿にホッとする方を楽しみたいような気がします。
アメリカの安易なサクセスを観て育った安易な世代による軽い語りです。
第一話に唯一有った"片想いの切なさ"への意気込みは、作り手のナルシシズムによって掻き消えてしまいました。
正直、後味は最悪でした。
本作では、耐える男、そこに魅力を感じました。自らを犠牲にしても想い続けたアン君、そして、愛する人の為に最も良き結末へ導いたボーン。
彼らは非常に"男"していました。想いを抱き、弱さを晒し、そして労り、向き合う。考え、胸を痛め、そして相手のために何が一番良いことかを決断する。そして、ひと欠片だけ、自分の想いを口にする...例え叶わなくてもと...
やはりBLには性衝動による結果が重要では無いので、その人間性が結実への鍵と成ります。想い、労り、耐え、身を引く... 時にそんな優しさが届く...
これこそ、恋愛映画で観たかったものではないでしょうか?
"切なさ"なら、本作より「ラブ・バイ・チャンス」の方が胸に来ます。
「ラブ・バイ・チャンス」は第一話から泣かせて頂きました。
全ゲイの方、トランスジェンダーの方は、P(ピート)君が母に向き合い、自分がゲイだと告白するシーンで悶える事でしょう。
P君の「話をする前に、僕が悪いことをしたとしても... 嫌わないで」に腰が砕け、悶絶必至、そして母のまた応対...溺れます。自らの涙に。
またね、このいじめられっ子のP君がガキ大将タイプのサッカー少年、A君に惚れていくのがすごく分かるんです。出来ないことばかりだから、誘ってくれて、教えてくれて、僕の人生を変えてくれる彼...一緒に居たい...
彼の、余計な事は言わず「カップ(クラップ)」と答えるところが非常~に可愛い。日本語なら「はい」とか「ですね」で良いかと思います。丁寧で、ちょっとはにかんだ言い方が...P君、愛らしさ100点満点です。
目の前で見て、感心してしまいました... :p
☆4月13日~15日はタイの旧正月、ソンクラーン。本来なら水掛け祭りが行われているのでしょうけれど、今年は無理かしら?
タイではある程度のイベントは行われているようですが、やはりまだ大々的には出来ていないようです。
頑張れば終わる。だから、もう少し。