恐怖に苛まれて思う、ホラーに見る素晴らしきドラマ性。 | まりのブログ

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性同一性障害者の私が、思いのままに生きるために頑張って生きてます。
性別適合手術をしてから2年になりました。
私はトランスジェンダーとして誇りを持って生きてます

なかなかいつも通りに戻れない日々。
映画もさっぱりBlu-rayに成らないので、ワクワクが有りません。ここぞと海外では旧作のBlu-rayが発売ラッシュしているのに。
如何にもな良い映画を観るのも疲れるので、またもや私はホラーです。しかし安易な殺戮ホラーでは有りません。どちらも観る人に訴えかけ、その選択や、秘められた真実を考えさせる映画です。

「シーフィーバー、深海の怪物」
人付き合いが苦手な海洋生物学学生のシボーンは、博士号の取得の為に漁船に乗り、深海生物の調査にあたる事に成った。
船名はニーム・キノール号。船長のジェラードは給料を払うのに困るほどで、魚影を求めて必死だった。そして、魚影を捉える。しかし、魚影は航海禁止の海域に在ることが分かり、断念することに。
ジェラードは自らの判断で、船をその海域に向ける。
しばらくして、船は魚影らしき反応に接近、しかし魚影は巨大な"何か"だった。それは船底に接触、その後、船底の外壁が腐食していることに気付く。
シボーンは海に潜り、船底を外部から調べようと挑むが、海中には触手を持った巨大な生物が待ち構えていた。
先ず、この作品の魅力は、キャラクターの描きです。全ての登場人物が明確な性格を持ち、またそれが魅力的なのです。魅力的と書きましたが、皆がシボーンの味方では有りません。どちらかと言うなら、敵です。誰もがコミュニケーション障害のシボーンを疎ましく思い、そう扱います。更に、船乗りにとって赤毛は不吉らしく、シボーンは赤毛、その辺りも難問と成ります。思わぬ時にそれを槍玉にシボーンは辛い状況に陥る事にも成ります。頻繁に「お前のせいだ」と言われ、シボーンは「偶然と必然は違うのよ」と交わせる強さも実は持ち合わせています。
ちょっと危うさを持っているキャラも居ますが、だからこその緊張感が良いです。
当のコミュ障のシボーンは、決して人嫌いでは有りません。ただ、コミュニケーションが苦手なだけ。彼女が皆に徐々に近付いて行く過程も見所です。
その背中を押したのが、最悪な事態だと言うのは非常に不幸です。
粗筋にも有るように、登場人物の背景がしっかり描かれています。船のオーナーは船を何よりと考えていたり、船長は金のためには何を犠牲にしてもと考え、船員たちを強く家族のように思い、だからこそ事態の中で波風をたてるようなシボーンを嫌ったり、待つ恋人の事を自慢しながら実は声も掛けた事がなかった...なんてキャラも。
揚々とした如何にもな船乗りたちが未曾有の事態に弱気に成ったり、信頼を強めたり、パニックになったりする。そんなドラマは見応え有ります。まあ、たかが船乗り、概ね未知の事態に怯え上がります。
そこで彼等を導き、中心に成るのが、冷静な判断が自らの力とし、研究と分析、そして観察に長けたシボーン。弱い彼女が皆の為にと頑張る姿はカタルシス満点です。
距離を持っていた船員たちとシボーン、シボーンが近づくだけで無く、後には船員たちにもシボーンは頼みの綱に成って行く。

序盤のシボーンは、半ば冷やかされながらも海中へ。そこに待っていたのはイソギンチャクかイカかと思わせる巨大生物。それは触手を船体に伸ばし、船壁を溶かした。
船は"それ"のせいで移動出来ず、方法も手段も失ってしまう。イカなら金に成ると勇んで引き揚げようとするが、あまりの重さにそれも叶わず、船員が怪我をしてしまう始末。
しばらくして船が通りかかる。
乗員は助けを求めるが、船内ではシーフィーバー(海洋病)と思われる、海洋上で精神不安定に成る症状で、そのせいで集団自殺をしたような有り様だった。しかし唯一の不可解は、死体には眼球が無かったこと。
そしてそれはニーム・キノール号に戻った彼等にも起こる...
破裂した目から飛び出した何かは下水道管に逃げ、船内の水道を循環する。当然、ろ過されるのだけれど、その金属の網は食い破られていた。そして、シャワーを浴びに行った船員も襲われてしまう。
どうする?誰がそれに侵されていて、侵されていないかなんて分かりようがない。
ただ、亡くなった船員が目が痛むと言った際、目の中で何かが動いたようだった。
なら、目を見てみよう...
...この辺り「遊星からの物体X」の血を熱してその拒絶反応で感染しているかを量るシーンに似ています。
体の中に、水の中に、そんな目に見えない敵と向き合わなければならない不安感が良く出ていて、緊張感が堪りません。未知の生物もあくまで未知のままで、故の分からない不安感は私達ごと飲み込んできます。
また、自分に"それ"が居ると分かった時の絶望感も堪らなく、誰もがそんな異常事態の中でも労ったり、恐怖の中だからこそ信頼していく姿、逆に気持ちが荒立って行く姿はとても丁寧に描かれ、説得力がありました。
物語はシンプルながら、徹底対抗を試みるメンバーの意欲に気持ちが高まります。更に挫けも希望も失望も、全てが安易に成らず、死に無駄がないところも好感が持てました。
何より、主人公の設定が活きるドラマ立てがしっかり出来ていて、だからこそ起こるいさかいや、だからこその展開が複雑な人間ドラマを描き出し、観る者の気持ちを牽引してくれました。

初めての犠牲のシーンは食事の時で、ふと「エイリアン」を思い出させ、何か起こる気配が並々成らず、非常にドキドキさせられました。船に助けを求めるシーンは「サンシャイン2057」を思わせます。「リバイアサン」や、前述「遊星からの物体X」含め、名作の良きシチュエーションを上手くものにしていました。
モンスターと戦う映画では有りません。苛まれた人達の葛藤と生き残ろうと試行錯誤し、成功も間違いも受け入れ、その最期を看取るような映画です。
如何にもスティーヴン・キングが好きそうな物語です。そう。実はスティーヴン・キングが「素晴らしい映画、A-」と称賛した映画です。

思わぬ危機に晒される映画の良さは、今までに有った関係が、その事態によって変わっていく姿を楽しめる事です。「エイリアン」では真面目ひと筋のリプリーと信頼する船長、事態に柔軟な他のメンバーとの軋轢や信頼が見所でした。一番弱そうなリプリーが最後にはエイリアンを倒します。
「エイリアン2」でも軍人の態度変化や信頼の姿が魅力的でしたね。
だから、「エイリアン・コヴェナント」に足らなかったものがよく分かります。この作品にはそれが有ると感じました。恐怖に苛まれた人間たちの恐れと、だからこそする行動と感情、それが恐怖の隙間のドラマに、いっぱいに描かれています。
全てを試し、そして選ぶ。
「クリスマス島のアカガニが絶滅した理由は、外来種の数匹のアリのせい...」
シボーンの最期の決断はあまりに素晴らしい。
切ないけれど...
これぞ恐怖映画。ホラーの真骨頂でした。

主人公シボーンを演じたのははハーマイオニー・コーフィールド。
 「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」に出ていたらしいです。設定よろしく地味めな子ですが、自分が船員たちを助けるために力に成れる!と思ってからの意思力は感情移入を促します。
船長ジェラードを演じたのはダグレイ・スコット 「98時間レクイエム」等にも出演する彼は、如何にも粗雑なキャラかと思いき、欲~不安~悔やみ~絶望...と感情が変わる様を魅せてくれます。
船主フレイヤを演じたのはコニー・ニールセン「ワンダー・ウーマン」にも出ていましたが私としては「ミッション・トゥ・マーズ」での船長の奥さんを華麗に演じていたのを忘れません。最近、ちょっとおばさんに成ってしまいました...
彼女の最後の決断は未完に終わり、あの後の、SF映画「ライフ」に通じるオチを想像すると... ちょっと怖いです。
本作はなかなかのキャスト揃いで、安っぽい映画では有りません。非常に意欲的なパニック映画です。ただしモンスター映画を期待するなら、避けた方がいいでしょう。


もうひとつ。
「The unborn Child」2011年タイ映画です。
Yaimaiは5歳の女の子。家に帰ってきて、Yaimaiは立ち止まる。暗闇に何かを見ているようだった。
「どうしたの?」
「パパ、ママ、あの子の為に待ってあげよう」
「誰もいないじゃない」
...それ以来、家族は不思議な現象に苛まれる。
パパTriは報道カメラマン、ママPimは教師。娘Yaimaiとの仲は睦まじく、とても幸せな一家です。
そして、学生のKwanは、付き合っているBomとの間に子供を作ってしまい悩んでいました。
そのBom君「俺の将来はどうなるんだ」と自分の事とは思っていない対応。それどころか女性のせいと言った言い分。
...映画「609」のブッパーちゃんもそうでしたね。タイの今時の若者は結構ないい加減なようです。まあ、仏教信仰があるから強く問題視され、映画のネタに成りやすいのかもしれません。タイでは女性が裏切られ、命を落とし、怨み晴らします... そんな映画は非常に多いです。
日本なんて"デキ婚"と流行りにしちゃう適当さ。人は必ず一歩先まで手を出すもの。卑下寄りならば"稀に起こるデキ婚"で済みましたが、デキ婚を許した今...巷はどうなっていることか...

パパTriは、ある若い女性がスキルの無い堕胎で死亡してしまったその現場を捉えに来ました。するとファインダー越しに死体が目を見開いた!その後も運び出される死体が体を捩らせたように思い、慄きます。
ママPimはYaimaiとの帰り道。屋台で夕食を買っているとYaimaiが声に導かれて寺院の方へ歩いて行ってしまいます。気付いたママPimは捜しに行きますが、寺院に在るロッカーの前で慌てていると、その、9と書かれたロッカーのキーロックが突然、外れ、開いて行きます。更に犬に吠えられ、その口元からは血塗れの塊が零れ落ちる... 

両親はその後も子供の声を聞いたり気配に晒されます。また、Yaimaiは誰かと話をするように成ります。
... この辺り、ちょっとポルターガイストっぽいです。Yaimaiも非常に可愛らしい女の子で、声もまた可愛い。まさにタイのキャロルアンです。
ママPimはYaimaiの部屋へ。
「おやすみの時間よ。お父さんを待たなくていいの」
「この子も待ちたいって」
「誰のこと?」
「その子」
Yaimaiは指を指しますが、そこには誰もいません。またママPimはYaimaiのカバンが気になり、開けると中から昨晩の犬が咥えていたものが顔を出します。
そこにパパTri帰宅。
「ここにいたのか」
パパTriは慄いているママPimが見ているYaimaiの鞄を開けてみます。そこにはママPimの見たものは無く、代わりに古いおもちゃが。
「これは誰の?」
「寺院にいた子がくれたの」
翌朝、パパTriはそのおもちゃを寺院に持って行き、祭壇に置きます。ママPimから昨晩の事を聞いていたのか、寺院の写真を何枚か撮ります。その向こうには、あのロッカーが。気にはなりますが、パパTriは寺院の男性に丁重に追い返されます。
そこで撮った写真には子供の顔と思われる白い影が写っていました。

その頃Kwanは、もぐりの堕胎師の元へ友達のKamと赴きます。何を思ったか、彼氏のBom君、Kwanを捜して町をさ迷い歩いています。Bom君が辿り着いた時には遅く、堕胎は終わっていました。隠れるKwanにBom君は優しく支えます。
... この優しさが初めから有れば、Kwanは苦しまなくて良かったのに。Kwanは、酷い出血をしてふらふらです。
その夜、堕胎師は赤子の亡骸を袋に入れて運び出します。それを寺院の、あの男性に渡します。男性はそれをこそこそと運び、あの9番のロッカーへ。後に彼はカレンダーに書き込むのですが、「今日は12袋」と口にし、タイの悲しい現状を露にします。
...タイでは9が縁起が良い数字で、6が縁起の悪い数字と言われています。

夜中に気配を感じ、目を覚ますパパTri。部屋を見渡し、ふと子供の写真(写真家として過去に撮った写真でしょうか)に目が止まります。その額に手形がたくさん付けられていました... 
翌朝。
「Yaimai、写真で遊ぶのはいけないよ。ガラスが割れたりしたら危ないからね」
「私じゃないわ」
「じゃあ、誰が?」
「あの子よ」

その夜。Yaimaiは導かれるように窓辺へ(二階です)。おそらく霊の力で外のブランコまで下ろされ、しばらくは楽しそうに遊びます。しかしその漕ぎが強くなり、いつまでも続く為にYaimaiは泣き出してしまいます。駆け付けたパパTriにYaimaiは助けられます。

BomはKwanが回復するまで寄り添っていましたが、Kwanの欠席を心配した教師のママPimに促され、Bomは打ち明けます。
ママPimはKwanの元に赴きますが、Kwanに起こった事がここまでの状況とは知らなかったようで、愕然とします。
その夜。Yaimaiは夜中に姿を消します。パパTriとママPimは必死で駆けずり回り、マンションの踊り場にある渡り廊下?に居るところを発見します。
「あの子が一緒に遊びたいって」
... ここまでの展開に関して、ある意味、YaimaiのPTSDをも疑えます。初めは寺院で何かを見てしまったのかもしれないし、ママPimはKwanの元に赴いた際にはYaimaiを連れて行ってしまったので、何らかのショックを受けてしまったのかも。Yaimaiはその場で血塗れの洗面器を見てしまいましたから。
...ここ、どう言う場所なんでしょうか... 渡り廊下にしては機能的では有りません...

その頃、Saと言う女性も妊娠の診断を受けてしまいました。恋人に話すも、良い言葉は貰えません。Kwanと同じ状況のようで、明日の事を決められないでいました。

パパTriはネットで同僚のDenと仕事の話をしています。するとDenは「お子さん、本当にあんたのことが好きなんだな」
彼の見ているPCの画面にはTriの後ろにYaimaiらしき子供の姿が写っています。
しかし、パパTriは振り返りますが、誰もいません。
「誰が居るって言うんだ、お前こそ、後ろに子供が立っているぞ」
やはりDenの後ろにも誰もいません。
「やめてくださいよ、そう言うの最低ですよ。あなたの後ろにお子さんが立っているんですって」
するとPCの画面が明滅し、消えてしまいます。ブラックアウトした画面に自らの部屋が写ると、そこに奇妙な影が!
パパTriは家のあちこちにビデオカメラを置きます。しかし寝ようとするとそのカメラが倒れ、直して戻る度にまた倒れてしまいます。
朝、倒れたカメラの映像を見てみると、そこにYaimaiの姿が!(ちょっと良く見せてくれないのでどう映っているのか...)
更にPCのある書斎?のカメラにはあの影が浮かんでは消え、また浮かんでは消える様が映っていました。
更にYaimaiが部屋にいない。Yaimaiは窓辺の外側に座り、手を振り「バイバイ、弟くん」
それからのYaimaiはますます見えない誰かと話し、遊ぶようになります。
パパTriは精神的に参って来ます。ママPimも不安で堪りません。
晩。また堕胎師は寺院に袋を持ち込みます。
「今日は多いわよ」躊躇う男性に「私達は必要とされている。彼らを助けるためにも、やらなくてはならないのよ。私達はそれが出来る」
そして堕胎師は部屋に戻ると、見えない何者かの強い力でベッドに押さえ付けられ、自らの手で自らに堕胎手術同様のことをさせられそうになります。その頃、Yaimaiの家ではママPimに"あの子"が憑依、子供のように泣き出してしまいます。更に口が開けず悶えるママPim。そして助けようとしたパパTriを弾き飛ばし、彼は気を失ってしまいます。
その頃、Saも堕胎を意識してか、薬を飲んで眠ろうとしていましたが、彼女も何者かに襲われ、プールに叩き落とされます。
... 分かり辛いですが、このSaさんの惨劇シーン、プール丸ごと血に飲まれています。まさに「シャイニング」。突き落とされてからの怒涛のシーンなので、視覚的にインパクトが凄いです。

堕胎師は命からがらに逃げますが、結局、追い詰められてしまいます。
「私は助けようと思っただけよ。生まれ変わり、新しい家族の元で愛を受けて、新しい人生をおくりなさいよ」
... タイですから。輪廻を願います。
パパTriは目を覚まし、ママPimとYaimaiが居ないと知ると、彼は寺院へ。辿り着くと、9番ロッカーが開き、溢れんばかりの胎児の亡骸が零れ落ちます。
何とかパパTriは、他のロッカーの中に閉じ込められていたPimとYaimaiを救い出しますが、抱えたYaimaiは泣きながら、
「Yaimaiを愛してる?」
「当たり前じゃないか」
「でも私は愛してくれない」
腕に抱いたYaimaiは血塗れの胎児に。しかしパパTriは涙を溢し、震えながらも胎児を放せない。すると胎児が暴れだします。パパTriは倒れ、広がる血の海の中へ。
すると血の下から無数の胎児が浮かび上がり、パパTriにすがり付くように彼を埋め尽くします。
... 壮絶です。阿鼻叫喚です。
ただただ恐怖に絶句するパパTri。しかしそんなパパTriにも、そうされるだけの疚しき訳が有ったのでした...

事態は終わり、堕胎師と寺院の男性は逮捕。彼等の事情が露になります。
彼等は「金のためにやった」と口にしますが、その仕事は共に親から受け継いだものであり、また多くの胎児は堕胎直後に命を落としたものの、生き延びた子供も居たそうで、その子達は堕胎師によって育てられていました。

堕胎師にも愛が無かった訳では無かったのです。

パパTriは昏睡状態。Saも同室で昏睡状態。そのお腹の中では子供が...
誰の子供でしょうか...

今作はタイには珍しいほど、全く笑いの無いホラーでした。「ポルターガイスト」を強く意識されたとは思いますが、描かれる事情が有るので、模倣映画を超えて、私達をこの衝撃の真実の物語に巻き込んで行きます。
しかし、テーマうんぬんを忘れるほどクライマックスは壮絶でした。ある意味「ポルターガイスト」のラストのプールシーン血塗れ版... 
1990年にフランス映画「ベイビーブラッド」と言う映画が有りましたが、子宮に寄生した寄生虫が胎児を血を好む化け物に変えてしまうと言うもので、最後は血塗れのおぞましい終わり方をします。まあ、そのシーン、ただ血塗れと言うだけですし、作品的にもパッとしない映画でしたが、あの強烈な映像の印象(正確には本編は暗くてよく見えなかったと思うので、記憶はパッケージ?)だけは記憶に焼き付けられています。本作はそれに匹敵するパワフルなラストでした。
また、作品終了後に流れるドキュメント映像からして、映画は、タイの社会問題と化している堕胎とそれに関した裏商売の実態を嘆きます。
断りに"世界のたくさんの子供たちの魂のために"と祈りの言葉が捧げられています。

壮絶なほど衝撃な映像を含む映画でしたが、そのショックは非常に私達に訴えかけ、ある意味、心に痕を残します。テーマを口に、雄弁に語り尽くし、正義や理想を高らかに掲げる映画よりも、遥かに心に訴える映画でした。そう言う意味でも、この映画は「ポルターガイスト」に似ていると思いました。
死者へのリスペクトと信じる心、労ること、家族の絆...
同様に安易な映画では有りません。
そう言ったたくさんのテーマを孕める唯一のジャンルは、やはりホラーだとつくづく思います。
このようなホラーで社会問題と倫理、情操教育的投げ掛けをするタイ、なんとも凄いです。きっとタイではこの作品を家族で観て、一緒に涙し、そして抱き合い、思うのでしょう。
誰かを愛し、愛され、子を育み、そして慈しむと言うことの素晴らしさを。そう在らないことの醜さを。

今週は「unborn child」が壮絶でした。
日本では「倫理的に問題が」と、滅される映画に成りかねません。たくさんの修正で真実を歪め、そこにある作り手の思いまでも修正で掻き消しても気にしない国ですから。
あれ駄目、これ駄目、と規制して安心を得る世界より、私達が見たいものと見たくないものを選びたい。見てしまった時、それが意図するものを考察し、受け入れ、強く踏み出せるような強さが無くなってしまった事が、戦後の日本人の最たる不幸です。
私はこの映画を絶対に忘れません。私の心に付いた小さな痕をそのままに、子供を見かける度に、そっと、その痕を撫でることでしょう。


☆私には子供はいませんし、永遠に共に生きる事は無いでしょう。でも、世界にはたくさんの子供がいる。愛すべき、私達と共に生きるもの。
また、見え方が変わりそうです。近所の子供達は相変わらずうるさいけれど、この映画を思い返すと、ふと、感慨深いものが胸に浮かんでくるのを感じます。
子供、いいよね。覚悟無く育み、捨てる気持ちなんてさっぱり分かりません。
まあ...アンナもゾーイに「ママは私の宝物」と言われ「私もあなたが宝物よ」と伝えたらしいけれど、私が「一緒にいられる全ての時が宝物だね」と言ったら「ゾーイは宝物で居る事を容易く投げ出すのよ」と嘆いていました。よほど手を焼いているようです。
でもそんなゾーイは母が居なくては何も出来ないんですよ。それは信頼だよね。
そんな人間関係は親子でしか得られません。
穏やかな今時の季節が大好きです。


おまけで、ちょっとした小粋なタイ事情を。
夜間暴走をしていた少年団が逮捕されました。与えられた刑罰は、土下万歳と母の唄を歌う刑。
タオ島でマスク未着用の外国人観光客が逮捕。
刑罰は腕立て伏せ。
サムイ島の70歳のドイツ人の方が飲酒運転をして逮捕。
刑罰は保護観察局のスタッフに24時間、得意の英語を教えること。
... 司法があるのなら、無罪は要りません。これが最高。♪タイ、素敵