西洋から始まった映画の世界にアジア猛追??? | まりのブログ

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性同一性障害者の私が、思いのままに生きるために頑張って生きてます。
性別適合手術をしてから2年になりました。
私はトランスジェンダーとして誇りを持って生きてます

街は春めきながら、まだまだ冬の寂しげな林も多く見掛けます。でもその足元を見れば、確実に春の芽吹きが。
桜も咲き始めていますね。今日はちょっと寒いけれど、毎日、明日を楽しみにしています。
明日はどんな花が見られるかしら?

ゆっくり映画を観ながら、たくさんの期待に胸を膨らませます。人生も世界も華やかに...
... そうも行きませんでした。
「パラサイト、半地下の家族」
観ました。ストーリーは誰もが知るところでしょうから割愛します。
もう初見から映像が凄い。ここまで全てに拘りが感じられるカットが続くと、それだけで力となります。演出の極みです。監督の力量と情熱をまざまざと感じさせられます。
またブラックジョークたる貧富の描きもシニカルかつ結構な笑いも含んでいて、観易くも有り、とても飽きさせませんでした。
まるで「ジョジョ・ラビット」や「戦場のピアニスト」に通じるブラックなシニカリズムを浮き上がらせ、それがなかなかの爽快さを生み出していました。
何故なら基本、貧が富に寄生する話だから。小市民な観客には、勧善懲悪に近い。映像だけでは無い、話そのものもエンタとして非常に面白くもありました。

しかし。
ふと気付いてしまうのは、この作品にある都合。
主人公が家庭教師として富豪の家に潜り込むのは構いませんが、教師としてこなせているのは、どうでしょう?才はあっても、貧しいと言うだけで"仕事を得るチャンス"が無いと描いているのでしょうけれど、厳しく見定めようとする富豪の母親を納得させてしまうほどの才を彼は持っていたのは、何故?
彼は大学受験を何度もして落ちたそうですが、受験するレベルにあっても人に教えられるかは別です。良い選手が皆、良いコーチには成れません。良い役者が良い演出家には成れません。
... まあ、そうだったんでしょう。才が有ったんでしょう。
しかし、またそんな疑問は続きます。
彼の姉(だったかな?)も家に入り込んで来るのですが、先ず、彼女は書類偽造の天才設定。更に心理学対応が完璧。心に陰を持つ子の問題を癒すまでは描きませんが、次々と紐解いて行きます。
そして父は運転手に抜擢されますが、その運転技術から立ち振舞いまで完璧。
母は家政婦として、また完璧。才が足りないのは、唯一、肉入りジャージャー麺が作れないと慌てるくらい。結局、作っちゃいますが...
映画は後に"臭い"と言う問題が鍵となります。しかし私は初めから、富豪はキムチやそう言った類いの庶民の食べ物を食べないのではないか?と思っていました。空港を降りるとニンニクの臭いがすると言う韓国で、エリートの振りをする主人公たち貧民家族に染み付いた生活の臭いがしないのは非常に違和感を感じました。後に体に染み付いた"臭い"がネタに成りますが、初めからでは?と思いました。

もとい。完璧な貧民家族。抜けない生活の癖や、世界が違うと気付けない常識、そう言うものがさっぱり無く、都合シーンに成れば、湧いて出てきて問題にされるのは、ちょっとシニカル映画としては失格だと思いました。
そこにある虚構は、確実にこの映画を蝕み、支柱を腐らせているようにさえ感じてしまいました。また、中盤からのシェルターまわりの話は、面白いとは言え、ドリフターズのコント並み。まさに「志村、後ろ!」の感覚です。
あまりに抜けている主人公たちの対応もまさにドリフ。目の前でモールスを打つ某かが、自らその敵対目的をバラしているのに、何もせず唖然とするだけで、ただ見ているのは愚かですし、いざ動き出したら残酷なまでの行為をするのは、正直、感情移入が殺がれるくらいでないと、観ている観客の心理を疑います。
それくらい今時の人の心は、暴力を自分の一部だと受け入れているのかと、さめざめさせられます。
ただしそれでも、あまりの映像演出の妙が冴え、視聴を楽しめるから不思議。

先程の暴力の件は主人公に関してだけ、ちょっと違っています。彼は行為の前にたっぷりの時間を掛けて決意を抱きます。しかし、実行前にひっくり返されてしまいます。
ここで「ちくしょう」と思うか「だよね。それはそれで良かった」と思うかで観る側の人間性が量られます。
もし後者なら、あなたは主人公が人を殺めるようなところまで自らを堕とさなくて良かったと思っているのです。まだ真っ当。
しかし映画はそんな私達の気持ちを挫きます。
"復讐するなら、墓をふたつ掘れ"
刃を抱く家族は刃に倒れます。でも一番、刃とは距離の有った家族が倒されてしまいます。感情を引き出させる映画的都合によって、その犠牲は選ばれたようです。
そして、非情で凄惨な、血まみれの結末を迎えます。そこには因果は無く、安易な感情だけしか有りません。
「馬鹿にするなよ」
あまりに短絡で、安っぽい感情。

終盤は惨劇の悲しみなどどうでも良いかのように、更なるブラックジョークで終わります。
最後に語られる不毛な計画に関しても、もう少し簡単に実行出来る方法を、誰もが20は挙げられるかと思いますが、まあ、主人公は浮かばなかったのだろう、として受け入れられるほどの終幕を迎えます...

総じて、演出の力をまざまざと感じさせられました。オスカー監督賞の価値は有ります。しかし作品賞としては、正直、有り得ません。こんなにも作られたテリングで"今、そこにあるシニカル"を語るのは、反則に近い。
良き映画。韓国の現実を露にし、感情を喚起させ、楽しませもした。しかし"あくまで映画"の殻の中で、社会への提言をするには素材が浮き世過ぎました。

私は二度は観ません。
この映画は韓国の誰をも救いません。
テーマは、貧しい人間、卑しい人間にもプライドは有る、でしょう。やはり、描かれたシニカルはただのネタ。志村けんの"変なおじさん"をあの風貌で一見から納得させたレベルでした。
見てくれが全て。
正直、褒めてます。内容は元より、良く出来た、演出冴える"映画"ですもの。


もうひとつはタイ映画。
「Werewolf in Bangkok、ウェアウルフ・イン・バンコク」
遥か昔、ゼウスによる呪いで生まれた狼男は、現代でも社会の陰で生きていた。
それはバンコクでも。
時に人を襲い、餌食にしてきた。しかし彼等の猛威は、ハンターによって遮られてきた。
ある日、ギャングが支配する通りで仲睦まじく生きるフランクと姪のリリーにもその魔の手が伸びてしまう。
事態は欲にまみれた通りで、様々な思いが交錯し、狼男存在の現実を露にして行く。
かつて「ウェアウルフ・イン・ロンドン(狼男アメリカン)」「ウェアウルフ・イン・パリ(ファングルフ)」と言う映画が有りましたが、おそらく意識して作られた本作、バンコク版。
しかしさすがのタイ映画。お約束に従って、ホラーと笑いが寄り添っていました。まあ、笑いはとても控えめですし、オリジナル二作もそこそこジョークやエスプリの要素が有りました。なので純粋進化...劣化?作品と言って間違い有りません。
まあ、全体的にチープなのは確かですが、話は非常に纏まっていて教科書的です。
序盤の狼男とウルフ・ハンターとの闘いは映像的にはパッとしませんが、演出は良く、音楽による煽りも効いています。その音楽はハリウッド映画に劣らない(御相伴で無いことを祈ります)クオリティです。
宙吊りのオヤジさんが"おとり"?に成って狼男に襲われ、ハンターが救う。化け物はちゃんと映りませんが、ハンターの放った矢が"奴"を掠め、矢先には毛が。逃げ去る人影が平凡な人間にしか見えないけれど、気にしません。何故ならなかなかの雰囲気が出ていたから。
良き香港ホラー並みです。
期待が湧いてきました。
しかし、直後、ハンターは自宅に帰り、奥さんDuanのスカートめくり。...!Σ( ̄□ ̄;)エッ
狼は追って来ていた。忍び入ろうと窓枠に手をかける... スコールの夜に窓が開けっ放し。いえいえ、Duanさん、閉めてくれますから。
バタン、ギャー
閉めた窓に狼は手を挟まれます。
しかしDuanさんが振り替えると窓が開いています。
そう、奴は中に。

街ではギャングが台頭していました。彼らは部下に焼き印を押し、善き言葉を吐きながら、実は支配を強固なものにしようとしています。
そんな中、フランクおじさんと姪のリリーは健気にお手製のベンツに乗ってゴミあさり。お手製。エンブレムが付いているだけのリアカー自転車。荷台に姪っ子を乗せて、揚々と街を闊歩していました。
二人は因縁付けて追いかけてくるチンピラを撒くためにある家に逃げ込みます。
そこは街で有名な忌まわしき家でした。
リリーはおトイレに行きたくなって館のトイレに駆け込み、帰りには落ちていたお人形が欲しくて部屋の中へ。そこには檻が有り、縛り付けられていた何者かに襲われてしまいます。
リリーの叫び声に飛んで来たフランクは格闘の末、その者からリリーを救いますが、自分は噛み付かれてしまいます。
翌朝。フランクは不思議と嗅覚が敏感に成っている事に違和感を感じます。気付けば自分のリアカー自転車にマーキングをしてしまいます。更に首筋には不思議な痕が残っていました。
感じる違和感に病院に行くけれど、医者は相手にせず。しかし帰り道に木登りして下りられなくなった少年を見掛けると、フランクは飛ぶように木を登り、数メートルもの高さでも構わず、ヒョイと飛び下ります。
「俺、スゴいじゃん」とばかりに浮かれるフランクでしたが、違和感は次第に幻覚を引き起こし、更に悶えるような苦痛までも苛みます。
そして満月の夜。フランクの皮膚は剥がれ、口元が突き出し、"若干"毛深くなり、爪が伸び、歯が鋭く成り、耳が尖ります。本能か、溢れるように湧き起こる遠吠え。
リリーは泣き出し「おじさん、死なないで!」と怯えますが、途端「おじさん、可愛いワンちゃんに成ったね、そんな姿も大好きよ」と順応著しく。
そんな時、チンピラに因縁つけられている女性が!フランクは今こそ救助を託つけて、悔しい気持ち全てぶちまかしてやろうか!
と、道を飛び出して車に轢かれてしまいます。
チンピラは「珍しいものを見付けた!金に成る」と回収。しかし、目覚めた狼フランクは逃げ出します。
代わりにリリーが誘拐されてしまう事態に!
ただあまりに可愛くて、チンピラはドレスを着せて帰します。
「今度いつ会える?」「またね~」
そんな微笑ましい触れ合いが... 
リリーとフランクは無事に再会。
しかしギャングたちが、あの忌まわしき館に乱入、金づる狼男を求めます。館では使用人らしい男性が彼らを迎えます。
そこに話を聞き付けたウルフ・ハンターまでも現れます。
「ここに狼男がいるだろ!」
「私の主はそんなものでは...」
しかし"主"は騒ぎの中に姿を見せてしまいます。仮面を着けていますが、それを剥ぎ取られ、主の正体は平凡なダウン症の男性だと分かります。
リリーはそんなギャングたちの暴挙を何とかしようと、私のヒーロー、狼フランクを連れて乱入します。
ギャングもハンターも、潜在狼男である館の主の他に狼フランクが現れたものだから、みんな思惑抱えて大混戦に。

あっちだ!こっちだ!と走り回って、道を違えて、見つけ、見つかって...そんな様は如何にもドリフ。
...東洋にはあのエッセンスが血肉に染み込んでいるのかもしれません。
ちょっとトっぽいギャングたちも、ギャグメーカーをしっかり担います。後半の真面目展開が驚くほど。
メイン数名以外は町でバイトを集めた感じの平凡一般市民。そこがまた良いんです。:p
実は、人を襲っていた狼男はギャングのボスで、彼も満月に正体を曝します。彼は部下を血祭りにあげ、そこに現れた狼フランクは、傷付いたチンピラ(リリーを帰してくれた方)の盾に成り、悪辣な狼男に闘いを挑みます。
しかし年期の入ったギャング狼男はあまりに強く、新参の狼フランクでは太刀打ち出来ません。そんな時、館の主と衝突!化学反応が起こり、二人は一心同体に。
溢れる力!
そうして、狼男同士による闘いの幕は切って落とされます。

...まあ、「来来、キョンシーズ」くらいのノリで観たなら、それなりに楽しいです。
何しろリリーちゃんが可愛いので、その辺りを目的にすれば満足も叶うでしょう。
中盤まではブルース・リーの黄色い服を着て、突撃服はバットマン、更に事態を受け入れたシメには中国の...導師?日本のアニメ?
途中ではチンピラに貢がれたらしくドレス姿も披露しています。

タイは毎年600本を越えるホラー映画が作られているそうですが、まあ、テレビレベルの安い作品も大多数。その中で、この本作は特殊メイクが見事。フランクのメイクそのものはダサい(あえてだと思います)ですが、皮剥ぎを見せる変身シーンなんて、CG無しでなかなかです。
リリーちゃんだけでなく、リリーちゃんにラブ印のチンピラも非常に可愛らしく(風貌は危険級)、悪役ギャングのボス以外みんな不思議と親近感が満々です。
中でもハンターはイケメン、もう少し活躍させてあげて欲しかったです。

本作では、タイによる"曝して収める"哲学が利いています。ここでのダウン症の子は「609」でも活躍?していた子かと思います。
おそらく、笑いのネタの一端として画面に現しますが、同時に物語の鍵とも成り、当然、観ている私達は"そこに在る障害"など容易く乗り越えてしまいます。タイは「違いは違い。でも関係無いでしょ」と私達の有りがちな観念を軽く一蹴してしまいます。見習うべきところです。
風貌厳めしいチンピラも初見は厄介極まり無い存在ですが、リリーちゃんへの対応から、ボス亡き後の采配まで、同情してしまう愛らしさに満ちています。
私達は、人への愛に条件は無く、その"振る舞い"や"労る心"に惚れるのだと改めて思い知らされます。イケメン、美女を伴侶にして羨まれても、愛はそこまで。良い人はもっとたくさんの人に愛されているものです。
女優さんもなかなかの美人。
ナットニチャー・チャートチューブッパカリーさんは歌手兼女優で、21歳、2018年にアユタヤで交通事故でお亡くなりになってしまったそう。彼女の人生はこの愛らしい映画に刻まれ、残ります。


☆足の調子も好調で、良い天気には出掛けたくて浮き浮きそわそわしてしまいます。
でも今はゾーイの誕生日プレゼントのイラストで死にもの狂い。ペンタブレットのドライバーディスクが見付からず、まともに使えないタブレットを駆使?しながら、概ねマウスで描いています...
... さっぱり描けません。ぐったり。