先日、愛する親友に二人目の子供が生まれました。もう少し先かと思っていたのですが、突然の報せに驚かされました。
詳しい事情はまだですが、現在、呼吸器を着けている状態です。回復は順調なようでひと安心。お姉ちゃんのゾーイがおろおろしている姿が浮かびます。
妹アナは、呼吸器に繋がれていても、母の呼び掛けに応えるように身を揺らします。
子供。やっぱりいいね。親の思いを受け継ぐ存在。煌めく瞳がこれから何を見るのだろう...と思うと...はあ。溜め息しか零れません。
ゆっくり休んでね、Une belle bébé, et ma chere amie.
そんな、素敵な家族の絆を実感した時ですが、家族を描いた映画を。しかし良くない例です。
「テルマ」
願いを現実にしてしまう力を持つテルマ。幼い頃にしてしまった"あること"から、薬治療を受けながら青春時代を送ってきた。
そして今、学ぶために都会に出る。
そこでテルマは学友たちと縁を紡いでいた。ある日、テルマは発作に襲われる。そんな彼女を目撃していたアンニャは、テルマと友情を築き、瞬く間に仲を深めていく。
しかしテルマの発作は、"てんかん発作"では無く心的発作だと告げられる。
テルマは信仰に救いを求めるが、信仰はテルマを追い詰め、ついにテルマはアンニャが居なければ...と考えてしまう。
先ず、テルマの力とは。願いを現実にするらしい。始まりでは彼女の力がどこまで出来るのかは分からないけれど、物を何処かへ飛ばしてしまうことは出来るようです。
映画は、そんなテルマの力を前提にせず、キャンパスライフを送る平凡なティーンエイジャーの日常を見せる。ちょっと神経質っぽい両親、母は脚が不自由だ。学友との関係は悪くは無いが、決して深い仲でも無いようだ。
何気無い会話で、"信仰"についてが論じられる。概ね有りがちの内容ですが、非常に的を得ている。神とは?その存在の証明は出来ようがない。しかし私達はスマホのシステムも証明出来ないが信じて使う。なら?
イコールには出来ない例えだけど、否定する根拠は何処にもない。
テルマは敬虔なキリスト教徒。信仰を隠さず、誇りにはしないけれど常に胸に抱いている。酒や夜遊びに疚しさを感じ、誘惑に心揺れる度に祈りを捧げ、助けを乞うように思いを吐露する。そしてテルマは、アンニャに対して"思い"を持ち始める。
その"思い"は、彼女の信仰を脅かしていく。
テルマはまた、更に更にと信仰に縋ろうとするが、振り払い、閉じ込めようとする度に"思い"は溢れ出して来る。
...そんなテルマを見ていて思うのは、"信仰"が危ういものに見えてくること。
信仰は私達が知る限りにおいても、たくさんの人の心を救い、様々な邪な思いや出来心を止めてきた。しかし、故にしたいことが有るのに留まらせてしまったり、可能性や愛、時には皮肉にも生きる事を遮ってしまう事もある。
テルマはある思いを抱えてしまった。しかし、やはり、信仰は彼女を踏み留まらせる。
始まりは非常に穏やかで美しく繊細な始まりを見せる。しかし同時にある衝撃的な行為を見せられる。
このオープニングは、実は後に起こる"テルマのしたこと"の"意味"を変える事実を孕んでいる。誰もが、後に明かされる"テルマのしたこと"を目撃した時「あの時のあれだ」と気付く。おぞましく、危ういものと危惧され続ける"テルマのしたこと"は、実は無垢ゆえの愛だったのかもしれない...なんて考えも湧いてしまう。(幼いテルマが氷の下に見たものが、美しく優雅に見えたなら...もしかしたら)
そして忘れては成らない"衝撃的な行為"。それはテルマでは無い、父によって為される、それこそおぞましい、ある未遂行為...
私達は映画を、常に悪役を捜しながら観ている。善人が救われたり報われたりしながら、最後には悪が淘汰される事を期待している。しかし、この映画はそれを見出だすのが非常に難しい。主人公たるテルマが一番、危なっかしい。しかしテルマの親も怪しい常ならざる思いを秘めている。
そしてアンニャと言う魅惑の存在は、美しくも妖しくテルマを魅了し、テルマを確実に、私達が捜し求めていた"悪"へ追い込んでいく。
揃い出す"鍵"。崩れていくテルマの世界。嘘を吐き始めるテルマ。苦しむテルマ。起こり始める異常な出来事。私達はその先にまた"信仰とは?"と考えさせられる事になる。
"信仰"とは言え、映画はそう重苦しくはない。映画「キャリー」のようにテルマの上手く行かない現実、そして暴走する力...のように描いている。
そしてそんなテルマの人生の光であり信仰に代わる救いのように、アンニャとの豊かで愛らしい想いのドラマも紡ぎ続ける。テルマはずっとアンニャとの至福の明日を夢見ていた事でしょう。
しかし、いつもテルマを呼び止め、立ち止まらせ、阻害するのは"親"と"信仰"だ。テルマは何も出来なくなり、現実を否定し、ある悲劇を招いてしまう。
...テルマが観る夢。幾度も蛇が彼女を堕落へと誘おうとしてきます。かのアダムとイヴを唆した"蛇"のように。
観ていてつくづく考えさせられるのは、テルマの力は信仰故に生まれたのか?力がある故に信仰に頼らざるを得なかったのか?と言うこと。映画ではその点は分からない。
監督は過剰な演出を配し映画製作する事を提唱した"純潔の誓い"とされる"ドグマ95"を始めたラース・フォン・トリアー監督の甥っ子ヨアキム・トリアー。そんな彼だから、少なからず意義深い映画を作ろうとしているに違いない。
彼が意図した"信仰をどう描こうとしているのか"は分からない。ただ、それが"どれ"にしてもここでの信仰は由々しいものには見えない。
なら監督は、信仰そのものを批判しているのか?もしくは、多くの人達が、物事を邪に見る理由に、信仰を利用することを批判しているのか?
ここではそんな邪な行為として、同性愛が信仰の秤に掛けられている。更に力を持つ"テルマ"は信仰上の人成らざる者であろう。
キリスト教徒に言わせれば、テルマは、罪深き不信心者であり、魔女だろうか。
故に信仰はテルマを苦しめ、更に力を奮わせる切っ掛けにも成っている。しかし今日までテルマが穏やかに居られたのは、父の処方した薬であり、同時に信仰のお陰である事は確かだ。
何ともコロンブスの卵並みに答えに辿り着けない。
確かにテルマの力は悪魔の力のようだ。黒鳥が従われるように飛び交い、人の命も失われた。そして彼女は悩み、苦しみの果てに、抑え込む理由となった信仰を捨てる。しかし、それからの彼女が奮う力は、あまりに悪魔っぽくない。
この映画の...いえ、この世の善と悪とは、信仰を基としたものだと思い知らされます。私達は思い込まされている。彼等と"違う"は悪だと。
...そして、テルマは"自分の人生=望む世界"を、選ぶ。
私達はそんな"テルマの選択"から、受け取れるものが有るかと思います。望むからこそ得られる世界。人が人を危ぶみ、分けない社会。
あまりに美しい映像とテリング、そしてその結末に、私の心の奥底は痺れました。
ちょっと混乱ぎみですみません。とても深く、考えさせられる映画なのです。
この映画を観ていると、例にも挙げた「キャリー」を思い出します。このキャリーも信仰でがんじがらめに成って育ったキャリーが、苛められ、目覚めた力で復讐を果たします。
エッセンスは非常に似ています。ですが「テルマ」はもう一歩、上を行きます。
吉報?
アサイラム製作映画「シャークネード」シリーズがBlu-rayに!それも1650円と奇跡の価格。...まあ、過去作なのでそんなものでしょうけれど。残念なのは、私、あんまり「シャークネード」は好みでは無いのでした。:p
今後はアサイラム作品が続くのかな?と期待を込めて。サラ・マラクル・レーン主演の「ロサンゼルス女子刑務所」とDVD廃盤必至のこれまたサラ・マラクル・レーン出演の「シャークトパス」をぜひ。と無駄な叫びをあげておきます。
サラ・マラクル・レーンと言えば、彼女のBlu-rayが欲しい~と堪えられず「キックボクサー、リジェネレーション」のBlu-rayを購入してしまいました。
今作はジャン・クロード・ヴァンダム主演の「キックボクサー」のリブート版です。
格闘技プロモーターのマルシアに誘われて一路タイへと旅立ったエリック。招待を受けて彼の弟カートはタイに向かいます。
そこで行われるはルール無用の闇試合。対戦相手は無敵の王者トン・ポー。試合の最中、エリックは命を落としてしまう。
復讐を誓ったカートだが、返り討ちにあってしまう。手段を失ったカートはエリックの師匠デュランドの元へ弟子入りする。
概ねジャン・クロード・ヴァンダムの「キックボクサー」とストーリーは同じでしょうか?随分、昔に観ましたが、忘れてしまいました。
話はシンプル。意外性は無く、想像するまんまです。奢る弟子と軽くあしらう師匠との駆け引きは、かつてのジャッキー・チェン映画のように、楽しく、優雅で、カートが自分の未熟さを知ると更なる修行に邁進し、ある悟りの境地に辿り着く。そんな原点の楽しみを味わえます。
幾人もの戦士たちは格闘技経験者らしく、鍛え上げられた肉体と各々が得意とする技術を披露します。基本はムエタイですが、プロレスラーが多く配されているらしいので、そっち寄りの戦い方が多いようです。
師匠役にジャン・クロード・ヴァンダム。小洒落た帽子を被り、サングラス、筋肉ムキムキながらどうも嗅ぐわう如何わしさ。
しかし、動き出したら溢れだす、本物の魅力。齢50超えとは思えぬ軽快で美しささえ見る開脚、蹴り、全身のしなやかな動きは「見事」のひと言しか零れません。もう本当に素晴らしい。
だからヴァンダム、好きなんです。
応える主人公カート役のアラン・ムウシーも、映画「ウルヴァリン」のまさにウルヴァリンのスタントを担っていたそうで、ヴァンダムに負けず劣らずのしなやかでダイナミックな動きを堪能させてくれます。トレーニングは勿論、優雅なアクションの数々は美しく、見応えに溢れています。
仇役トン・ポーを演じるプロレスラーで「ガーディアン・オブ・ギャラクシー」にも出演するデヴィッド・バウティスタも締まった体、その全身から溢れるオーラがたっぷり。
ただ。やはり話の展開は当時ならばこそ。今時ならもう少しオリジナリティーか見せ場が欲しい。街でのアクションは女性警官リウを巻き込んで、象の背中までも舞台にしたパルクール並みの優雅な戦いを披露しますが、頑張っているものの、人が退き、騒ぎが引いてしまうので、まるでゲームの"アクションステージ"のよう。土俵の上で戦っているような変な安全さ加減を感じてしまいます。
やはり死にもの狂いの戦いならば、自らの危険だけで無く、人を巻き込む恐れさえもスリリングに変えてアクションを盛り上げて欲しいもの。でもそんなものは無いので、アクションがゲームっぽくなってしまい、非常に地味。更に丁寧にスタントを動かし過ぎてテンポも緩め、キメの技にはスローも使い観易い反面、スピード感が犠牲に。本当はキレ有る格闘なのに映像はゆるくなって残念です。
とは言え、ラストバトルは構成こそ甘くても魅せてます。ただでさえ少ないランタイムをたっぷり使って男気満々の格闘アクションが披露されます。
何度弾かれても腕を突き出して、トン・ポーに向き合う主人公は、イカしてます。
何より、ヴァンダムが楽しそうに演じている事が最大の楽しみで、パッケージ等ではヴァンダム主演の触れ込みに成っていますが、確かに印象はまさに"ヴァンダムありき"でした。
試合の中で「訓練を思い出せ!」と言わんばかりの合言葉「ココナッツ!」は最高です。
ヒロインはサラ・マラクル・レーン。:p
サラはタイ現地の刑事リウ役。闇闘技場を摘発しようと頑張りながら主人公と心通わします。
体にピチピチの服にヒールで立ち回っていました。...刑事なのに...
優しげな顔立ちは日本の男性の好みかと思うのですが、彼女、演技的にまだ未熟だからか、化粧っ気があまり無いからか「ロサンゼルス女子刑務所」の際には男性方の「ブス」コールが余りに酷く、私的にはひどく落胆しております。...駄目な人には駄目らしいので、期待し過ぎないよう。
プロモーターのマルシア役にジーナ・カラーノ。彼女もプロレスラーで、映画「エージェント・マロリー」のマロリー役を演じて以降は「ブライド・ウェポン」や「デッドプール」でアクションたっぷりの大活躍。新作は「スターウォーズ」の番外編で重要な役を演じます。私、大好きです。
でも今作ではアクション無し。残念。
あれこれ足りずキレも悪いですが、見せよう意識はまあまあですし、タイ国情緒が彩りを足し、雰囲気溢れるスポコン映画に仕上げられています。
続編「キックボクサー、リベンジ」も有り、カートはタイの刑務所に入れられてしまい、また戦いの舞台に立たされる事になります。
ジャン・クロード・ヴァンダムのデュランドは勿論、リウ役のサラ・マラクル・レーン、そしてマイク・タイソン、「モータルコンバット」「ハイランダー」のクリストファー・ランバートなど、キャストだけは豪華ですが、パワーアップした続編とは行きませんでした。
☆ミニストップのタピオカミルクティーを飲みました。キャッシュレス還元を入れて371円。さあて、と飲んでみましたが、氷が邪魔してタピオカが飲めない。頑張って吸い上げようとしたら氷の破片が喉を直撃、噎せました...
合間に喉を通るミルクティーは非常に濃厚で美味しかったのですが、何せ飲み辛い。
あれ、本当は氷を溶かして薄めて飲むの?
私はあの"濃さ"が良いんですが...
タピオカ用にストローが太いせいか、ミルクティーは瞬く間に無くなり、残るは氷と隙間に挟まるたくさんのタピオカ粒。
呆気ないタピオカミルクティー体験と成りました。
...高いかな。美味しかったけれど。
起きたて。何ともお馬鹿な私の世界。自覚しているので、許してつかわさい。
ぬいぐるみ、温かいのよ。
愛する2人目の姪っ子アナはようやく自発呼吸をし始めました。大丈夫。大丈夫。
ゾーイに続き、20年後が楽しみです。