辛い胸の内を出会いが癒す映画。 | まりのブログ

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性同一性障害者の私が、思いのままに生きるために頑張って生きてます。
性別適合手術をしてから2年になりました。
私はトランスジェンダーとして誇りを持って生きてます

春ですね~(。-∀-)ホヤホヤ
3日ほど体調を崩してしまいましたが、春の気配に元気復活。
でも...まだ日々寒いので、気は抜けません。
なので、籠り気味で映画観てます。

「パラサイト、禁断の島」
先ず。あの映画とは、一切、関係有りません。別にしても副題は「禁断の島」ですし、絶対に駄目映画だなあ~と思わせますが、無駄無く巧みな上質Bオカルトでした。

強盗犯に父を殺されたトビーは、トラウマを抱えて、そこから脱却出来ないでいました。彼は、自己回復プログラムと称した船旅のキャンプに参加する事に成る。
プランは参加者達と船を操舵し、海を渡る旅。
最終地点はマレーシア、プラウアバイの無人諸島。目的は、
"孤島で3泊4日をひとりで過ごす"
トビーはそこでひとりの女の子マデリンと出会う。彼女は逞しくサバイバルに長けていて、家を作り、実や草から薬を作り、魚を採り、蛇にもたじろがない。ただ、夜に成ると居なくなる。
彼女は言う「母があなたを殺してしまうから気を付けて」
舞台はマレーシア。もう少しマレーシアらしさを見せ付けてくれたら風土感が増したと思いますが、船旅ですから。あっさり島に行ってしまいます。
そこは無人島。それでも島はセット感無く、マレーシアかは分かりませんが、本物。時に飲み込まれそうなほど闇を感じさせ、また時には目映いほどに美しい。更に蛇やら何やらが画面を蠢きます。
主人公は簡単な荷物を携えて、島に放られます。ちょっと雑に聞こえますが、軟弱主人公はそんな思いで居たことでしょう。"放られた"と。
当然、彼は闇に怯え、音に気配に怯えます。
そして出会う。マデリン。
とても魅力的で無垢な子。しかし、都会人から見ればちょっと変わってる。森の中を歩くのも、やっとなトビーを置いてすたすたと行ってしまう。肩には食糧にする蛇を巻き付けて...
トビーはそんなマデリンと時間を過ごすうちに親しみ...いえ、おそらく恋心のようなものを感じ始める。
すると彼に見えたものがある。
それは、あまりに美しい、この世界。今まで恐怖と不安でしかなかったこの島が、あまりに美しく輝きだした。彼はその煌めきに心揺り動かされていることに気付く。それはマデリンにも。
しかし、明日はこの島を去る日...

序盤、トビーのトラウマから見る夢や幻覚?が現実と混同するのですが、トビーだけでなく私達も混同します。いけないのでは無く、それを触れ合いやサバイバルを経て行くうちに、見なくなる事に気付かされます。ここが非常にミソです。島での様々な経験の中で、幾度と父との記憶を振り返り悲しみを感じながら、それを力に変えて行くところは素敵でした。
心のドラマが底辺に有り、それがトビーの行動の核に成っている。そんなトラウマ脱却ドラマがとても良く、更に彼女を守ろうと行動するほど勇敢に成っていく姿が、非常に愛らしいのです。
トビーの前に現れる謎の存在。幻覚?罪悪感?はたまた島に棲む何か?

ことの起こりから次第に露に成っていく過去と真実はおどろおどろしく、また風土の未知が妖しくて不気味さを醸します。
また、見掛けながら真相の分からない"マデリンの母"が正体不明で怖い。そして知る真相もトビーの為す"罪"と寄り添い、胸を痛ませます。
登場人物は少なく展開も派手では有りませんが、見応えのあるサスペンス性があり、心の葛藤や成長が映画を盛り上げます。
テンポは良く、緊張感に溢れ、オカルト的展開には驚きましたが、前半でしっかり描いた暗明両方の要素が作品に神秘性を抱かせており、私達は島に"闇の存在"を感じてしまうことでしょう。

間違いでは無いけれど、題名の「パラサイト」は...安っぽい。更に日本版のDVDパッケージもあまりにチープ。
これは、Blu-rayの価値の有る作品ですぞ。


久々にブロックバスター映画で面白かった、
「バンブルビー」
遥か宇宙の彼方サイバトロンで、オートボットとディセプティコンが星間を跨ぐ激しい戦争を続けていました。
オートボットのリーダー、オプティマスは自ら決死の戦いを挑み、部下B127に再起の望みを託して地球に送ります。
B127は地球に辿り着きますが、そこは軍の演習場。異様な存在に驚いた軍人たちは攻撃、更に追って来たディセプティコンと乱戦に。B127はディセプティコンを撃破し、その場から必死で逃げ、身を隠します。
その頃、ちょっとみんなとズレて馴染めない女の子、チャーリーは叔父の屑鉄処理場で黄色いビートルを見つけ、頼み込んで手に入れる。
修理しようとしていると、下部に不思議なものが有るのに気づきます。「顔?」
するとビートルは突然、形を変え、二足歩行の人型に!
この映画は「トランスフォーマー」シリーズの番外編であり、前日譚です。
先行で地球に来訪していたB127こと"バンブルビー"の出会いと友情の、小さな物語です。
「トランスフォーマー」シリーズはどちらかと言うと戦争映画。特に3作目からは軍隊色が濃厚になり、地球と地球外生命体の"触れ合い"の度合いが減退してしまいました。
この「バンブルビー」はその第一作を再起させる"触れ合い"の物語でした。戦いは有ります。しかし、"君のために、あなたのために"、そんな動機も見える戦いでした。特にチャーリーがバンブルビーを守ろうとするひた向きな姿が、たっぷり描かれます。
チャーリーは愛する父を亡くしています。父との絆はチャーリーが嗜んでいた"飛び込み競技"、そして車。だからこそのビートルでもあったんですね。直すことは、"父の復活"でもあるのです。
時は1987年。ファッションカルチャー全盛期にチャーリーは、青春を謳歌する同級生達に溶け込めないでいます。虐めにも晒され、学校は勿論、親にさえ問題児扱いされています。
異分子のようなチャーリー。そして本物異分子バンブルビー。ふたりは会うべきして会ったかのように惹き付け合います。
ふと思いました。これって、何だか懐かしい。「ショートサーキット」じゃないさ。
映画「ショートサーキット」は雷によりショートした軍事ロボットが動物愛護主義の女性ステファニーに会います。ロボットは如何にも命が有るかのように好奇心のままに動き回り、自らをジョニー5と名乗ります。ステファニーは彼を宇宙人だと信じますが、軍事会社Novaのロゴを見つけ「あんたなんて回収されてバラバラにされる」と告げると、彼は「バラバラにされて死にたくない」と怯えだします。彼を追って来た博士は事情を知り、ステファニーとジョニー5を守るために全力を尽くす。
まさにそのストーリー、「バンブルビー」です。
まあ、それって王道ストーリーですよね。でも無数のそんなストーリーを観てきましたが、ここまで懐かしさを再現できている作品には出会えませんでした。おそらく作り手が80年代を再現するのに尽力したのは、ファッションや風景、車や電機機器だけでは無く、映画の流れやカタルシス、そしてそれ以上の何かに全力を尽くしたのだと思います。
それが何か分かりませんが、そんな作り手の思いは、私に届きました。
本当に素晴らしい。

80年代の再現には最近ではテクノを利用した「トロン・レガシー」や「マイティ・ソー、バトル・ロワイアル」、そして「ジュラシック・エクスペディション」。
不思議と音楽で醸すレトロは、今時だとハイセンスにさえ感じるから面白い。
「バンブルビー」では当時の歌を効果的に流します。シリーズを知っている人ならお分かりの、バンブルビーお得意の会話術が、"あれ"なので。
「バンブルビーは何故、話せなかったのか?」その事情の語が描かれます。
更に最新のVFXは今まで以上にトランスフォーマーに生命力を与え、CGに魂を吹き込みました。
そして、懸命に生きながらも、何かの弾みで人生を見失っている全ての人に、私達のひた向きな心を体現する素晴らしいチャーリーと言うキャラクターを描きます。
本当言えば、もう少し孤立した女の子と異邦人バンブルビーの絆を強調していたら...感動出来たのでは?とは思いますが、感動まではしなくても、胸にとても温かいものが満ちるのを感じる事は出来ると思います。

私は「トランスフォーマー」シリーズを、全て観ています。常に意図された演出は煌めきを持ち、VFXも圧巻で、エンターテイメント映画の最前線を走り行くシリーズだと思います。
比べて新作「バンブルビー」はシリーズに比べればVFXは控えめ、山場の敵は2体のみですし、シリーズを期待すれば物足りなさも感じるでしょう。
埋めるはやはり生命力溢れるバンブルビー。非常に可愛らしく、愛らしい。
何より、それに尽きます。
そしてまたチャーリー役は、私のお気に入り、ヘイリー・スタインフェルド。
彼女は「スウィート17モンスター」の人間関係落ちこぼれのティーンエイジャー役が非常に填まっていて、私は共感しまくり。
心の映画と成りました。
今作のチャーリーも周囲と馴染めない女の子。彼女の十八番なので、文句無しです。また似合うんです。:p
敵としての立場であり、しかし更なる敵に悩む軍人役にジョン・シナ君が配されました。
私、シナ君嫌いじゃないんですよね。元WWEのプロレスラーで「ネバーサレンダー」や「12ラウンド」など、ハイテンポアクションからコメディまで活躍しております。
今作では脇を絞めながらも、そこそこギャグパート。厳つい風采ながら、可愛いです。
思わず、トランスフォーマーのBlu-rayを揃えちゃうほど、映画「バンブルビー」は面白かったです。おそらく続編は有りませんが、本筋新作でのバンブルビーの活躍が楽しみでなりません。


もうひとつ。でも映画としては、全くお薦め出来ません。面白くないんです。
しかし、描かれる事実は、知るべき事実でした。
「ジェノサイド・ホテル」
2008年11月に起こったインド、ムンバイの同時多発テロを題材にしたセミドキュメンタリー映画。おそらく。

平凡なムンバイの一日。誰もが過去を思い、今を考え、明日に想いを託していた。
きっと、良い日に成る。
しかし、彼等を爆音が襲う。激しい爆発と共に銃声が鳴り響き、次から次へと人が倒れ、息絶えていく...
生き残った者達は身を寄せ合い、迫る狂気に身を震わせる。
それは4日間の悲劇となる...
OpとEdはテレンス・マリックを思わせる美しさ。哲学的で、至上の極み。傑作の予感に身を震わせました。
テーマはプレストーリーで語られる"命"について。それは親と子の事でもある。そして映画は丁寧に"受け継ぐ事の間違い"を実感させる。
親の"恨み"を受け継ぎ、使命に邁進する兄とアメリカに焦がれもする弟がテロを行う。被害者にも各々、愛があり、時に愛を育み、受け継ぐ想いを抱いている。そしてその思いは、血を繋ぐ者だけで無く、信仰に沿う者だけでも無く、誰との間にも繋げることが出来ると実感させる。

無意味なテロ。
それは残酷に繰り広げられ、そして終わる。
衝撃的な恐怖と不安の4日間。
しかしその様があまりに長い。映画らしく緊張感をもって描かれもするけれど、キレ悪く、更に似たようなエピソードを繰り返すので、概ね弛いノリ。気持ちを引き込みません。
何より、テロリストに囲まれているのに、電話や会話も大声で話すものだから、始めこそ「映画だから...」と気を遣うけれど、次第に彼等の心理を疑いたくなる。
更に、テロリストの心の葛藤を描くのですが、悩んだと思えば躊躇い無く虐殺を繰り広げたりと、さっぱり感情を繋げないので、テロリストの事情を察する気にもならず、ただ"無駄な時間"と感じてしまう。その割に何度も入れてくるから落胆する。
正直140分近いランタイムを90分にすればまあまあに成ったと思うほど、長くて疲れます。
無残な映画です。あまりに面白くない。
しかし。無数の人情描写や極限状態の絆の芽生えは、あまりに愛らしく、尊大、更に非常に胸に来るので、映画が全く盛り上らない事が残念で成りません。
繰り返しますが、テーマは本当に素晴らしい。
今でも世界各地で声高に口にされる"恨み"がどれだけ下らないかを実感させられます。
このインド人の女の子アティヤが核のひとりとして輝きを振り撒きます。そして"生きることの意義"を体現します。

映画はたくさんの提言を語ります。時に文字で、時に言葉で、そして時に映画として見せてくる。

"あなたの子はあなたのものではない。生命そのものに望まれ生まれた、生命の息子であり娘なのだ"
カリール・ジブラン「預言者」より。

"神を信じる?
私は人の繋がりを信じる。
どんな人も、仲間なんだ。この世で一番尊いのは、皆で生きる、この命。
この場所、この時を、分かち合う。
それが愛?それとも神そのもの?
全ての神の教えだ。
何を信じようと関係無い。占い、神秘、超能力、霊、導師、ブードゥー、星のお告げや古代の謎、何を信仰してもいい。
ヴィシュヌ、アッラー、ブッダ、妖精、ユニコーンでも。ヤハウェイだろうが、マイウェイだろうが問題ない。チャクラ、天使、予知能力でも幽体離脱でも幸せに成れるなら、納得いくなら、信じればいい。
寒い朝に起きる力をくれるものを。
聖餐、再臨、直感、地球が平面だと信じようが女神を崇拝しようが、一神論に多神論、夢想家でもいい。
本当に、何だって構わないんだ。
大切なのは命だと思う。命は手の中に無い。私達が命だ。私は愛を信じる。愛とは何かって?
全てが愛だ。

...何を信じようが構わないと思っていた。
だが違う。
信仰の為に子供が死んでいくのなら、信仰が死んだ方がマシだ。子供たちの為に。
愛を信じる?
愛のためなら捧げられる。
全てを..."

亡くなった166人を偲びます。


☆先日。知人がフランスに行きました。
モン・サン・ミッシェルの麓で、ひとりのフランス人男性が近付いてきました。
そして、こう言い放ちました。
「中国人は帰れ!」
残念です。似たような話がたくさん聞かれます。これは日本でも変わらない事だと思います。
ただ、そう言われることも私達は受け入れなくてはいけないとは思います。
"憤り"も"不安から来る嫌悪"も私達全ての人が持つ思いだから。良くもあり、悪くもある、私達の一部だから。
話にはオチが有りました。
知人に詰め寄ってきたフランス人男性。するとガイドさんが、スゴい剣幕で
「うるさい!私達は日本人よ!」
そう言うと、そのフランス人男性は
「申し訳ない、つい私は感情的に成ってしまった。許して欲しい」
そう告げて恐縮そうに去って行ったそう。
結局は笑い話となりましたが、今では「私は日本人」でも非難を払拭出来そうに有りませんし、もし、その時、こちらが中国人だったら、どうなったでしょう?
偏見。でも恐怖は怒りと共に、常にあり、私達の中にもある。