男と女の事情を描いた映画。 | まりのブログ

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性同一性障害者の私が、思いのままに生きるために頑張って生きてます。
性別適合手術をしてから2年になりました。
私はトランスジェンダーとして誇りを持って生きてます

淡々とした日々を過ごしております。何にもしないで時間ばかり過ぎています。
良いことは...最近、料理でミスが減りました。上手くなったのかな~。
ちょっとあれこれ情報有りまして「ハン・ソロ」に失敗して流れてしまった「フェット」。...作られてたの?
私、多くの人ほどボバ・フェットが好きではないので、あまり期待していなかったのですが、好きなジーナ・カラーノが出演しているので、ちょっと浮き浮きしております。
でも、この人は誰なんでしょ。ジャンゴ?ボバ?
予告だとストーム・トルーパーを撃ちまくっておられましたが...フェットは特に帝国とは関係無いので良いのですが、エピソード5のベイダー卿との関係あたりを巡らせると混乱します。
エピソード9の予告も観ました。過去の1~6への敬意を強く持って作っている事がうかがわれましたが...どうでしょう。
スターデストロイヤーの大軍団や目が赤いC3PO、カイロとレイの一騎討ち、そしてダークサイドの女...
意味深い映像がたくさんありました。
駄目でも良いのよ。楽しみにしてます。
今、合間に少しずつ進めていたプレイステーション4の「スターウォーズ、バトルフロント2」も最終決戦。かつての仲間とX-wingVSタイファイターを繰り広げております。動きが素早くて振り回され、三半規管の弱い私ではフラフラです。でも頑張って頑張って...スターデストロイヤーにぶつかって...
まだ決着ついておりませぬ...と言うか、負けてます。(*T^T)。


日々、忙しく、映画もゆっくり味わえないのですが、それでもちょっと観てます。
良い映画にも出会っています。
「愛欲のプロヴァンス」イギリス映画です。
愛の無い日々に生まれた、たった一度のささやかな愛に心乱し、流れ着いたプロヴァンスのとある村。
ジョンは穏やかな村でも、休まらない心にため息を吐くばかり。眠れば女の肌や吐息の記憶が男を惑わす。
通いのカフェは馴染み、ピーターと言う若い男性と知り合う。
そして女がやって来る。愛する女ソフィア。しかし、かの女では無い。
プロヴァンスの時間は穏やかで、豊かな時間を過ごせていた。しかし、どうしても離れないあの日の想い...
そしてソフィアはある事情を語り始める。
あぁ...雄大なプロヴァンスの風景...と言いたいのですが、何故かパッとしない。物語は静止し、晴れない表情の主人公ジョンも惹き付けない。事情がある事も見て取れるけれど、ただ時間だけが過ぎていく。
しかし、そこに青年ピーターが現れ、彼の日常を少しだけ動かし始める。
そして現れるソフィア。
また彼女が美しい。ふたりはカフェのテーブルに向かい合い、触れ合う仕草から、親密だと分かる。
再会の話。再会の想い。
そして綴られる出会いのとき...
性を音楽で語るシーンは、優しくしっとりとした逢瀬の映像と共に、麗しく素敵でした。しかし、それは過去の話。それは、ふたりの愛を脈動させる。
そうして始まった、この愛。プロヴァンスに持ち越して、また再燃する...
しかし。その愛は至福な筈なのに、必然のように開いてしまうふたりの距離...この時が、空虚にも感じてしまう。それは男にも女にも。
女は真実を分かっているからエスプリでけしかける。
男は優しく微笑むばかり。
愛らしいささやかな笑いの陰に、女の溜め息が混じる。背を向ければ...顔を合わせないひと瞬きに、女の表情は曇る...

この映画は、過去の一夜に囚われた男の哀愁を描いています。主人公は哀感たっぷりに演じます。
しかし、最も深く印象的で、何より力を孕んでいるのは女の届かぬ愛ゆえの辛さ。
体だけなら男は受け入れてくれるが、男はその体に言葉を這わさない。口付けは10mの距離が有っても出来るのに...
女の"心"を必要としない男が、女の心を翳らせる。
それでも、男は「幸せだ」と口にする...
男は常に過去の一夜を想い、胸に抱いている。ソフィアとは違う女性との一夜だ。先に上げた"愛を音楽で語る"シーンも、過去の、別の女との至福がどれだけ素晴らしかったか... と語っているのです。
ソフィアも会話だから、"聞く"流れが有ったのも確かですが、本心は過去の女の話など聞く気なんてある筈ない。そんな女心は男には分からなかった。正直、"女の心などどうでもいい"、そんな男の性を見たようです。
全編に渡り、そんなである。
徹底的に男のナルシズム。しかしこの映画は、それに晒された女の痛みも捉えられている。

しかし。映画は女に事情を描く。
...それは必要だったのだろうか?
かつてのフランスやイタリアの映画には、輝くような女が理由も無く男を愛に落とすファムファタール的な映画がたくさんあった。時代は流れ、最近の映画では、ファムファタールは主人公の固定概念を引き剥がし成長させ、輝きだけを残す記憶の女に変わった。
本作もそれで良かった。男から"囚われ"を癒す白昼夢のような存在で構わなかった。なのに。
お陰で話は展開を持ち、刺激的な終盤を迎えます。
でも、そんなのは必要なかった。
そして男は、過去の愛に囚われていながら、女の事情には背を向ける。なんて身勝手な。
女だけ。いつも女は涙なからに乞うばかり。緋文字は女だけに刻まれる。
そしてピーターが再登し、更なる事実が明らかに。
それは衝撃的で、倫理さえにも触れ、未来を打ち崩します。
常に女には息苦しく、届かぬ愛に胸を痛めてる。だからいつも泣いているようにすら見えていた。だから最後の真実による仕打ちは、あまりに残酷でした。彼女に、アンハッピーであっても、何かを残してあげたかった。
そんな彼女を愛した私達の気持ちも打ち砕かれます。

しかし、この題材をロマンスの色で描けることが素晴らしい。どんなに複雑でタブーに触れようとも描き、そんな事情をふまえ、越えて、心を描いた。
今作は英国映画ではあるけれど、フランス映画のよう。でもきっと、この話を紡ぐには"フランス"が必要だったのかもしれない。
やはり後味は苦い。プロヴァンスの豊かな土地が、最果ての地に見えてくるほどに...
エンディングの歌、"Come back and Love me tommorrow"が胸に響く。しかし、もし歌に意味を持たせているのなら、やはり愛に囚われた男の哀愁を描きたかったのでしょう。私としてはもっともっと"女"を描いて欲しかった。そして傷付くのは男だけで良かった。そしてその哀愁を受け取ってあげたかった。
終局、男は背中を向けたまま、ただ冷たい。
女は振り返るのに...

ソフィア役のシャーロット・ベガはとても繊細で美しく、素晴らしい演技を見せてくれます。美しい肢体と共に、記憶に残ります。
難あれ、それを越えて素敵な映画ではありました。


同じ。しかし、哀愁は更に...の映画を。
「欲望に溺れて」フランス映画。
セザールは仕事に明け暮れる日々から逃れるように、写真家のパスに会いに行く。
彼女とは情熱的に心も体も交わした。ふたりは絆を深め、そして婚姻を得る。
ふたりの生活が始まる。主婦業に明け暮れる日々に、パスは取り残される気分に苛まれる。しかし子供が育まれ、心は穏やかになるが、出産を経て、またパスの心は遠くを見つめ始める。
そしてパスは失踪する。
人生のいとまに出会ったふたり。
心のままに愛し合い、重ね合うふたりの時間...
あまりに甘美で麗しき日々...
しかし、愛と言う言葉がふたりの間で口にされるには、まだ早かった。
女は自分の人生が定まらず、男はただいつもの日常に戻っていく。心に空いたものを埋めようと努めても、全てが落ち込んでいく...
この作品は前半は女性、後半は男性を主人公にしています。前半は人生を諦められなかった女性の、愛と人生の間での"もがき"を描き、後半は「君は私の妻であり子の母だ。なんでそう上手く生きられない?」と女性のセンシティヴな感性を受け入れられない男の嘆きを描いています。
だから男は最後まで分からない。身勝手さだと思うしか出来ない。
女の心。永遠に文学で語り継がれ、考察する、もの。
しかし、それはシンプルなもの。
より簡単に言うなら、女もしたいことをしたいのだ。出来なかった悔やみを引き摺るのだ。
多く、女は諦める。それがいけないか?いいえ。誰かと生きるためには誰かが諦めるもの。
パスは身勝手に逃げたのではない。男女差の"ものの見方"のズレを喧嘩してでも埋めるのでは無く、自分に向き合い、答えを見いだそうと足掻いたのだ。
それを映画は口で語らせません。
ただ、"鮫"と言うキーワードと、終局にセザールが受け入れたように見える、その姿に、そう感じさせるのです。
パスはとても印象的で、セザールがそうであったように私達の心に住み着きます。彼女の失踪は、一見、私達にも身勝手に見えるでしょう。でも、彼女の満たされない心内が丁寧に描かれ、不満の残る写真展や、撮りたいものを撮れない宙ぶらりんの彼女の悩める姿には、胸が痛まずにはいられません。何とか出来ないものか...そう願わずには居られません。
でも、女=妻ではないのは、フランスらしいかと思いました。
私はやはり日本人なんでしょう。つい、パスが妥協し得られる家族愛こそ素晴らしい...そんな大団円を期待してしまいます。しかし、映画はそうさせません。
このパスは、行動します。家族を置き去りにしても...
ちょっと鮫の隠喩や、夫が妻探しの果てに何を見て感じ取ったかがビビッドに伝わらないのが勿体無い。
作り手も分かっていたのか、妻のモノローグで「これが答えです」とやってしまったのは、正直、反則です...が、お陰で理解出来るでしょう。
映像は美しく、音や空間の見せ方で、彼女の繊細さを引き立て、ふたりの心の歪みに呑み込まれていくようでした。
丁寧で...いえ、丁寧過ぎて中弛みも有りますし、前述、分かり辛い綴りのせいで、晴れやかさも衝撃さも、感動に晒されることも無かったのは残念でした。
しかし、この手のセクシャル推しの映画の多くは、女性が美しく撮られていて、その残像だけでも様々な余韻が残るもの。今作もそこは充分すぎるほど。最後まで彼女の面影が目蓋に焼き付くことでしょう。
終幕後、ふと思い返してしまう、そんな映画でした。
性的なシーンはとても美しく愛と情熱に溢れ、愛らしい台詞に胸を焦がします。音楽や街の音は時に豊かに、時に虚しさを煽り、女の胸の奥を物語ります。

「この水には触れることは許されない。"サングラード"、神聖なものだから。触れた人が居れば、私には分かるの...」
そう、女心は描かれる。
原題は「Plonger」。水に飛び込む、沈む、没入する、陥る...などの意味があります。意味深いです。
主演セザール役のジル・ルルーシュは以前紹介した「この愛のために撃て!」で駄目男を演じた愛らしい方。彼、意外と真面目な映画も多く、多才な方なのです。
でも、あの優しい瞳は心を語り過ぎます。今作は女の映画。でも彼あってこその映画です。
ジル君。男の哀愁をたっぷり味わえ、満足させてくれました。
パス役はマリア・バルベルド。素敵な方です。美しく麗しく、その笑顔は輝きに満ちています。そんな輝きが翳っていく物語。そしてセザールが想うのは、輝きに満ちた彼女の姿と笑顔...
パスは旅の末に結論を出していました。セザールはそれを見届け、そして海の中で何を見ていたのか...
印象的に描くので分かり辛いですが、あなたが受け取れたなら、女は、少し、今より幸せです。


☆病院に居て、少し気付いた事が有ります。
それは男女の違いです。
男性はただそこに居るだけ。妻が居れば世話をさせ、あれこれ不自由な事を当たり前のようにやらせている。
女性は早く帰ろうと、全力でリハビリに励んでいる。
夫が来た際には何度聞いたか「すみません」「ありがとうございます」と言う言葉。
男も女も違いなんて無い筈なのに...
そして独り身の男性は早く帰りたがり、独り身の女性はもう少しここに居たいと乞う。そんな姿を幾度と無く目にしました。
私は複雑な気持ちでそんな彼等を見守って、時に会話をし、笑顔を、その手を交わし合っています。
でも。人生とは...少し空しくなりました。私は受け継がれない人生。いつか独りになる。
しばらくしたらまた家を出ることを考えていたけれど、今は非常に家族が恋しくなっています。
いつか、その日まで、あとどれくらい有るのだろう...
母の顔を見ながら、少し、家族に望むのはやめて、家族の為に躊躇わない私でいよう。そう思います。

それともうひとつ。男性は内蔵や気管の疾患が多く、女性は骨折が多い。
女性は老後も体を使う機会が多い。朝は庭の水やり、掃除に家事に、夫が所用なら付き添いに...
お願い、少し、妻を手離して。御主人さん。