恥ずかしながら私の悲報。そして素晴らしい癖有り映画。 | まりのブログ

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性同一性障害者の私が、思いのままに生きるために頑張って生きてます。
性別適合手術をしてから2年になりました。
私はトランスジェンダーとして誇りを持って生きてます

う~...先日、殻付き"つぶ貝"を購入、勇んで殻取りしてみたら...う...臭い...どぶ臭いんです。
話によるとつぶ貝は、肝の部分が非常に臭うらしいのです。丁寧に殻を割り、肝を破らず取り除く必要があるそうで...私、失敗しました。殻からそんなに容易くは取れないしぃ...どうすれば良かったの?!
もう...くちゃいんです。(*T^T)。
何度も塩水で洗ってみましたが臭いは取れず、どうしようもなく、ご免なさい...してしまいました。
一緒に買った"うなぎの肝"は味わいました。体力復活目論んで土用丑の日少し前に、しっかり体に栄養蓄えて、季節がわりを乗り越えます。
ちょっと浮かない顔してます。その理由は...


先日、懲りずにアサイラム製作の「エンド・オブ・アース」を観ましたが、相変わらずの酷いアサイラム・フィルムでした。
太陽のコロナによる地球規模の大災害が起こると言う話です。科学者たちは頻発する地震に、取って付けの他人の理論を掲げて「大惨事が起こる」と確信しますが、何も為せず、大惨事が発生。しかし、非常事態宣言など出しもせず、民を救う前に家族を助けなきゃ!と帰宅。
軍用ヘリもかっさらって、家族助けてハッピーエンド。
今まで、どんな映画にも良い点が...と謳っていた自分に呆れます。
続けてまた懲りずにアサイラムの「アルマゲドン2014」を観たのですが、これまた、まあ酷い。だらだら下らない台詞も多く、何しろ"核"に対しての安易な扱いが衝撃的です。
ですが、終盤に向かう頃、核弾頭を運んでいると火山が大爆発、若造大尉のルディが部下をおいて、一人で船に運びます。おそらく核汚染のせいかと思うのですが、ルディは「誰か助けて...」と嘆きながら核弾頭を船に運びます。夕日の光が煌めいて超絶的な哀感漂うシーンに仕上げられています。
私、愚かにも涙が...
ただし、船に乗せて出港すると部下が居て、さらりと乗せて沖へ。部下を関わらないようにさせたのかと思っていました...ルディもぴんぴんしています。
あれ?
更に見せ場が来ます。おそらく誰も見ないでしょうから書きますが、ラスト、核弾頭を火山に落とすのですが、火山の爆発が激しく、溶岩が流れ、どうにも身動きがとれなくなります。するとルディ、皆を退避させ、彼は核弾頭を2個!抱え上げ、そのまま火口に飛び込みます。またこのシーン、映像が非常に美しく仕上げられています。
...私、衝撃的でした。まごうこと無き駄目映画でしたが、こんな自己犠牲を、なんと言うのか、男気?みたいなものを見せられるなんて...
他にも次から次へと自己犠牲が続きます。もう、感情が呆れを越えて私の意識は暴走します。瞬く間に冷めますが、瞬間同調200%。名作?「ジュラシック・サバイブ」を遥かに越える"善き愚か人"たちを描いた作品となりました。
また強烈なのは、この「アルマゲドン2014」の小惑星は月の1/4もあり、破壊できません。なので、火山の連鎖爆発で地球を移動させると言うのです。科学考証無視。しかしこれ、かつて日本映画「妖星ゴラス」で南極にジェット噴射機を作って地球移動して、ゴラスと衝突回避した、それにそっくりです。そんな荒唐無稽はアサイラムには無理かと思っていました。アサイラムの駄目さは鮫の頭を6つにしても話に既視感しかないこと。今作は常軌を逸しています。
妥当を狙わない意欲に感動しました。:p

だからこそ。
意図された映像は力を孕む。
「エリザベス∞エクスペリメント」
 
エリザベスは莫大な資産を持つヘンリーと結婚する。彼はエリザベスにはあまりにそぐわぬ知識と感性を持ち、頭脳明晰でエリザベスは不安を感じることも有った。
ヘンリーはエリザベスとの生活に豪邸を用意し、ふたりの使用人を雇っていた。
彼女は家を散策したりプールで泳ぎを楽しんだりと自由を謳歌していた。しかし、彼女にはたったひとつ。入ってはいけない部屋があった。
ふと、好奇心か不安からか、エリザベスは入ってはいけない部屋に足を踏み入れてしまう。機械がたくさん置かれた不自然な部屋...
そしてそこには、自分にそっくりの人間が数人、生命維持装置に繋がれて眠っていた。

一見から、映像が美しい。
美しい自然の景色を見せて「美しい」と感じさせるのは容易いけれど、セットや人物で唸らせるのは難しい。ましてや低予算映画なら尚更です。
この映画ではアート性に溢れた、なかなかのセットが組まれています。そして何より、その見せ方が巧みなのです。
ヒッチコックかゴダールかと思わせるほど、巧みなカットは映え、その色彩は麗しく、緻密なほどに計算された画作りが素晴らしい。
今作の題材はクローン。なのでエリザベスが鏡の前に立つと、まるでもうひとりが向こうから覗いているようで、不思議な感覚に囚われます。
また主人公を演じたアビー・リーがすごく良いんです。
「マッドマックス、怒りのデスロード」で"花嫁"のひとりを演じていたようです。
印象はちょっと頼り無げな、口を少し開いた駄目子な感じ。誰かが守らなきゃ...そんな気にさせる女の子。決して誰もがひと目惚れをするタイプでは無いけれど、体はすらり細く、しゃんと立ち振る舞うその姿はモデルのよう。時に顔肌を手でこねくってみたり、関節が固そうな人形みたいな踊りや、思わぬ怠惰な態度を見せても不思議な美性が香り立つ。寝転んでいてもソファーに座っていても絵になるシルエット美人。
彼女はそこに居るだけで映画を彩り、その美性は勿論、不器用ささえ、この"クローン"と言う題材の味付けを手伝います。
また脇を固める役者の配役が的確で、夫のヘンリーは品は有りながら思惑ありげな表情がミステリアスで、不思議な緊張感を漂わせます。
使用人のクレアも丁寧で完璧な所作ゆえの不気味さを感じさせられます。ある夜のシーンではエリザベスと髪や寝間着が似ていて、複製?そう成りたい彼女の願望?...とドキッとさせられます。
同じく使用人のオリバーは、巧みな感情抑制した演技が素晴らしく、常にロボットかクローンかと疑いたくなります。肌艶まで人工物っぽく見えるんです。彼に関しては、それらはちゃんと意図されたもので、彼の語る事情と事実はこの映画のテーマと成ります。
そう、この映画は、安易なクローン奔走曲では有りません。計算された、"如何にもな映画"なのです。
クローンとは。多く、指導者を複製すれば影武者に成ると考えがちですが、冷静に考えれば、クローンだって双子のように別の思考を持つのです。影武者としてオリジナルの為にと、容易く身を投げ出したいとは思う筈がありません。育てる母が違えば、その価値観は違いますし、食べる食事によっても姿形は勿論、性格や行動にも違いが生まれるでしょう。それがクローンの真実です。
クローンは8体作られます。映画は全てのクローンの"どうなったか"を描きはしませんが、その幾つかは失敗したと分かります。そしてまた新たなる失敗が起こり、それは何故か?の最中だと知らされます。
そして、何故、7号なる主人公エリザベスが、ほぼ人らしく育ったのか。...残念ながらその点は作中で上手く機能しませんでしたが、そこにオリバーが絡み、彼の想いと共に、"クローン"とは?を考えさせるものと成っていきます。
ちょっと感覚的で深いテーマです。
この映画を観ていると、ある映画を思い出してなりません。それは「エクスマキナ」です。人そっくりのロボットを作りながら、山奥の山荘に閉じ込め、自らの思い通りにさせていた資産家の話でした。
今作は「エクスマキナ」に似てはいながらも、ロボットでは無くクローンである事を上手く仕上げ、偽物には成らない原題「エリザベス・ハーベスト(収穫の意。なんて...)」を描ききりました。
ちょっと「エクスマキナ」と同様に、苦い終盤に成りますが、"姿形の再現では無い、育てる事で人は人足り得る"と言う命題は、見事に昇華されます。それが分からなかった科学者の悲劇はあまりに哀れでした。
最近のB級映画は、非常に素晴らしい。「エリザベス∞エクスペリメント」は派手な映画では無いし、秀でた衝撃や達観した真理は有りません。でも、心に忍び込むような、そして揺さぶる映画でした。
そして、また出会ってしまった、
スペイン映画「108時間」
これは、もしかしたら今年のナンバー1かもしれません。それくらい面白かったです。いえ、私の心を鷲掴みにしました。
人は眠らないとどうなるだろう...
1975年、そんな実験が行われていた。実験は108時間を超え、被験者はある域に辿り着いていたが、実験は闇に埋もれた。
1984年。ビアンカは、精神を病んだ父の看病に疲れ、更に演劇の良い役を得られず悩んでいた。そんな時、与えられた、"新しい演劇"の主役と言う誘い。
しかしそれはとても挑戦的な演劇だった。要するのは108時間の断眠。
ビアンカはチャンスだと思い、参加を決意。予定外のライバル、セシリアの参加に気を揉みながら、役に挑む。
次第に近付く108時間のとき。その頃、ビアンカに変調が起こり始めていた...

映画は「断眠」を題材に、ある仮説を基に描かれます。
人は眠らずにいると疲労から合理的な思考が極度に低下し記憶が薄れていきます。そして、ある域に到達します。そうなると幻覚症状が起き、精神や肉体までもが崩壊すると言う。
被験者は、眠りと狂気と死の「辺獄(リンボ)」をさ迷っていたと口にする。
その実験的演劇には、ちょっと怪しげな役者たちが集います。しかしビアンカは思ったより馴染み、明日への期待に気を逸らせます。しかし、その不可思議な雰囲気は異様で、まるで別世界に迷い込んだよう。
彼等は意味深に視線を投げ掛け、姿を現し、言葉をこぼす...
"集中すれば炎の中に彼らが見える"
"目に見える世界を出て。それは狂気と向き合うと言うこと。狂気無しの創造はない"
物陰に、壁越しに、演技に取り付かれたとき、思わぬときに、何かが、現実の狭間に見え隠れする...
そして、ビアンカの意識は辺獄に墜ちる。
眠っていたのか?いや、眠っていなかったと言われる。
"忘我状態"そう言われる。
この域を越えるには自ら閉じ込めている心の扉を開かなくてはいけない。そう、けしかけられる。
しかし、ビアンカは肩口に大きな傷を負っていた。
説。"精神や肉体までもが崩壊する"
ビアンカは自らが踏み込んではいけない域に踏み行ってしまったのではないか?と不安になり、調べ始める。するとこの精神病院、演劇、そして自分にも何かの意図を持って揃えられたのではないか?と疑い始める。
このあたりはとてもミステリーが利いていて、次第に証拠が集められて行き、刻一刻、着実に辺獄はビアンカを侵して行く...
この幻覚は何を意味するのか...辺獄とな何なのか...病院の過去...そして他の演者たちの思惑とは...?
じわりと、ひどく生々しい映像の数々が、ビアンカどころか私をも飲み込んで、もろとも辺獄へ堕とす。
108時間。断眠が108時間を迎えるとき、辺獄はビアンカに真実を露にする。
カット割りは非常に丁寧で、引き画も寄り画も適度な力を孕んで見せる。
鏡、壁の穴、音、声、布越しの人物、射し込む光...その全てが私達を異世界へと誘うようだ。
もう、逃げ道の無い、じわ~っとくる閉塞感が堪りません。とても雰囲気の表現が素晴らしいんです。
更に、元は主役を演じる筈だったと言われる、アルマ(表紙の方)の存在感がすごい。怪しい人?妖しい人?まるで何もかもを見通すような視線と風格は、見る者を不思議な威圧感で圧してくる。
舞台だけじゃない、役者の卓越した演技力が、この映画を形作っています。

そして真実。辺獄の先にビアンカは更なる狂気を目撃します。ビアンカは必死で逃げ出そう!現実に戻ろうと足掻きますが、ふと、足を止めてしまいます。
辺獄。その様相はおぞましさと共に、何か違和感を感じさせます。そして。
ある瞬間、音楽が一変します。積み重ねられ張り詰めた狂気が、違うものに見えてきます。
...ごめんなさい。書いてしまおう。
私はこの映画に感動しました。こんなにも"心"と言うものにほだされ、恐怖に身を強張らせながらも、目が離せなくなるとは思いませんでした。
感情が吐き出されます。愛とか想いって「愛なのよ」と口にされるより、狂気と寄り添った時、爆発するように溢れだします。
怒濤のようでした。過去。変えられないもの。辺獄に囚われた破滅の真実。
呪い、いわく、悪意...いいえ、真実は更に衝撃を孕んで、私達に叩き付けてくる。幾つもの謎に晒された鍵に誘われ、思い、悩み、身を震わせ、勇気と共に、因果を解きます。
ビアンカと共に、あなたが解くのです。
本当に素晴らしかった。
最後は驚きます。「えっ?全て演劇なの?」それとも「これこそが狂気なの?辺獄なの?」と、まるで「幕末太陽傳」か「ホーリーグレイル」かと思うほど、映画は私達を放り捨てます。圧巻である。
そして終えられる。
私は痺れを感じました。心に溜まっていた澱んだものが吐き出され、ビアンカと共に、辺獄から帰還しました。
辺獄。狂気、とは。私達が避けたがるもの。しかし、ひと度そこを見れば、私達は引き返せない真実と向き合わなければならなくなる。
そして必ず、解き放たれる。真実と共に...

映画「108時間」はホラーではありません。ある因果の物語です。全ての人が私と同じように感じる映画でもないでしょう。
1970年代~80年代にはよく観たものです。ニコラス・ローグの「赤い影」やジョン・マクティアナンの「ノーマッズ」の雰囲気と風格を孕みながら、もう少し生々しく、ダリオ・アルジェントの描くような妖艶さが本編を包んでいるように感じました。
人が思わず踏み入れてしまった妖しげの壁の向こう...そんな現実の曖昧さがダリオ・アルジェントっぽいのかもしれません。
映画は一流。記憶に残る一作となるかもしれません。


✳一応の捕捉。
「幕末太陽傳」は江戸を舞台にした時代劇です。
終局にフランキー堺扮する主人公が、全てを投げ出して部屋を出て、映画セットを出て、撮影所までも後にします。
「ホーリーグレイル」は英国のTVコメディ、モンティ・パイソンの番外編です。
中世のアーサー王が聖杯を探す物語なのですが、旅の途中で迷って何故か現代へ。その際に中世的判断で殺人を行ってしまいます。逃げて中世に戻り、エクスカリバーを手に入れ、北方の豪族と戦いを決意!さあ、丘を下り、いざ刃を交わさん...としたところにパトカーが現れ「逮捕する」の一声で画面が暗転。そのままクレジットも無く終わります。
「108時間」のラストも似たような印象を感じさせます。今作はもう少し描き、感覚的できちんと幕は閉じられます。


☆最後にわたしごと。
27日。母が転倒事故を起こしてしまいました。
ちょっとした自損事故。でも、悪いところを骨折してしまい、8月2日に手術をする事になりました。大腿部脛骨のインプラント手術なのですが、残念ながら、今までのようには歩けなくなるかもしれないのです。
今、母は入院しています。

...今日が無事に在るからと、安心せず、今日を精一杯生きるべきだと、改めて、つくづく思い知りました。
事故後、母から、ことの全てを聞かされている時、私は必死で堪えて居ました。涙が溢れてどうにも出来なかったからです。母の苦しみを思うと、背筋が冷え、体から力が抜けて行くのを感じていました。立って居られなかった。
今日まで私は何をしていたのだろう。母と跳び跳ねて走り回って、何でもしてきた。遠慮もせず、何でもし合って来た。子供のように見栄も何も無く、ただ正直に感情のままにぶつかってきた。それが出来たのは、母がいつも笑顔だったから。
そんな母が、今、力無くそこに...

私は病院から帰宅して、間も開けず泣き伏せました。涙はいつまでも止まらず、枯れても、また湧いてきます。
脱ぎ捨てた母の服は汗で滴るほど濡れていました。床には汗滴の跡が点在しています。
もう、今までと同じには、戻れない。
母に不可能を与えたくなかった。今だって出来ないことがたくさん有ったのに、また増える。それも、母が楽しみだったサイクリングや水泳や、たくさんの旅行を奪うかもしれない。
もっともっと、ずっと出来なかったことを、これからしようと思っていたのに。タイに行って、あの素晴らしい街を一緒に歩こうって、見せてあげたいって夢に描いていたのに...
私は、こんなにも無力で無意味な存在なのかと、自分に失望しています。
私は母が苦しんでいる時、気分が悪くなり冷や汗のようなものが全身を濡らし、目眩と吐き気に苛まれ、それを必死で堪えて居ました。
すると母はそれを感じたらしく、自分が耐えようの無い痛みに晒されているにも関わらず、私に「あなたは人と共感してしまうものね。辛いでしょ、ごめんね」と言いました。
そんなこと...言う人だったかな...
私は何て言葉を掛けたろう...私は私のことばかり考えていたかもしれない。

私は母から一番の期待を奪った。
母に私の明日を見せること。
続きの無い人生と言うものが寂しく感じます。
いつか来る"ひとりになる日"に私は堪えられるか怖くなりました。今の私には母しか居ないのですから。
ホルモンのせい。こんなにも感情が不安定なのはホルモンのせいに違いない。でも。
トランスジェンダーとして生きると言うことは容易いことじゃない。その日の満足の為に選んだ訳じゃない。
明日が無い。受け継いでいく明後日も無い。でも今を生きるには、歩み出さなければならなかった...
分かって貰えるだろうか...

毎日、疲れます。毎日、病院に通っているからね。でも、よく動いているからか、脚の筋力が回復し、痛めた膝も楽に成ってきました。
更に体重が瞬く間に下がり、3日で3キロ減。おおぉ...
まあ...食欲無くて...
支えなくちゃ。私の傍らの、数少ない私の為に何でもしてくれる人だから。何でもしてあげたい人だから...

病院にいると救急搬送の多さにビックリさせられます。日曜日なんて5時間くらい居て8件くらい来たかしら?
熱中症?私達が救急車に乗っている時にもコールが流れ「重症」なんて言葉が耳に入りました。
気を付けて。体なんて幾らでも容易く壊れるから。私はこの2年、すごく実感してきました。
元気を意識しよう。そして止めることひとつ。煙草やお酒でもいいのよ...あなたの愛する者の為に。
誰かの為になら出来ることはたくさんある。
あまり綺麗なものでは有りませんが、洗面所に私の髪が一本落ちて流れたら、ハート型に(*´▽`)ラブラブ