映画に見たトランスジェンダーと言う平凡さ。 | まりのブログ

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性同一性障害者の私が、思いのままに生きるために頑張って生きてます。
性別適合手術をしてから2年になりました。
私はトランスジェンダーとして誇りを持って生きてます

3月4日。ルーク・ペリーさんが脳卒中で52歳の人生を終えました。
彼はかつて「ビバリーヒルズ高校白書」で一世を風靡して、その後も映画やTVで活躍していました。
左から3番目ね。
私は「ビバリーヒルズ高校白書」は知っている程度ですが、彼を初めて観たのはTV作品の「インベイジョン」だったかと思います。宇宙人に体を乗っ取られたか、操作された父親を演じていたと記憶しています。「この人が有名なイケメンね」と作品の魅力と共に感慨深く見届けたのを思い出します。
最近でもTV作品などで見掛ける事も有りました。ちょっと生え際が後退し、オヤジ体型に成り始めた彼でしたが、私は雰囲気を醸す彼が好きでした。
最近の彼。いい男です。
実は私が最も記憶しているのは映画「8セカンズ」ロデオボーイを爽やかに軽やかに演じていました。あの彼が私の記憶に、ずっと残像のように残っています。


3月3日はひなまつり(ू•ᴗ•ू❁)ウキウキ
吊るし雛を見てきました。
おうちでは雛祭り仕様のキャラメルコーン"もも"味と雛あられを頬張りました(๑>؂<๑)۶ぅま❢❣
3月は大忙しです。だって10日は姪っ子ゾーイの誕生日ぃ。と言うことで、またイラストを贈ろうと思います。
...が(ó﹏ò。)。ペンタブレットが機能しない!!システムソフトが行方不明?!
そんなかんなでマウスだけで描きました。ダメダメです。更にソフトウェアも暴走し、ヨレヨレで...徹夜で描きました。
もう少しじっくり時間をかけても良かったんだけど、日付を忘れるお馬鹿おばさんなので、必死で描きました。
おばさん、何しろ徹夜が厳しかった。
ゲームもしてたからかなあ…:p
下手っぴ。

で。オスカー勢いで映画「ナチュラル・ウーマン」を観ました。2018年外国語映画賞を授賞した作品です。
老齢のオルランドと酒場で歌を歌う若きマリーナは愛し合っていた。2人には言葉も要らず、目と目で心が通じ、触れる指先は想いを焦がした。
そんな夜。オルランドは不調を訴える。マリーナは階段で転倒するほどのオルランドを病院に連れて行くが、オルランドはそのまま亡くなってしまう。マリーナは思わずそのまま逃げ出そうとしてしまい、呼び止められ、不審がられる。
マリーナの元には警官やオルランドの息子が現れ、更にオルランドの妻も、まるでマリーナの動揺の裏に有るものを曝け出そうとするかのように、説き、そして嗾けてくる。
そしてオルランドの妻はマリーナに言う「化け物(キマイラ)」と。

ご存知の通り...かな?、マリーナはトランスジェンダーであります。生まれた時は遺伝子とその形を男性として在り、今は女性として生きる者。
そんなマリーナの数奇な数日間を描いています。
正直言うと"映画"としてはさほど面白いと思いませんでした。淡々とし、話には起伏が無く、そして劇的なものも無い。何かが癒されるわけでもなく、何かを討ち崩すようなものでもない。ただ人が亡くなり、関わった人達が弔いたいと願うだけの話ですから。
ただし。この映画には多くの人が知ることもない、ある"かたち"がある。それがトランスジェンダー。
多く、私達が何某かの中で目にする”トランスジェンダー”と言うものは、自己顕示欲が強く、半裸を見せびらかし、男と見れば飛びつく、奇妙キテレツ、奇々怪々...そんなイメージかもしれない。しかし、本当のトランスジェンダーとは。
ただの人である。
みなと同じ、愛を感じ、笑い、悲しみ、そして怒りもする。
この映画でもマリーナは何度も「私はマリーナ。ただの人」と口にする。
そう。この映画は"トランスジェンダー"とは?を描いているのでは無く、ひとりの人間が生き、そして"偏見"に晒されたらどう感じるだろうか?どうするだろうか?
そんな、現実の多くのトランスジェンダーが経験してきたものを、マリーナが体現している。

この映画で強く感じ取れるのは、普段のマリーナの平凡さだ。特にトランスジェンダーとして存在せず、女としても男としてさえもわざわざ存在していない。
オルランドが亡くならなければ、ただのマリーナは、何不自由なく存在し、歌い、笑い、照れて、緊張して、静かに幸せを感じていられた。
しかしことが起こり、誰かが口にする。「男性ですね」と。抗えないそれに向き合うのは...実はなんて事は無い。慣れたもの。でも知られないでいられるなら、それにこしたことはない。その程度のこと。でも。
逃げ出してしまうほどのことでもある。
本当に大した事じゃないんだよ。でもね、一度口にされたら、マリーナの世界は次から次へと変わってしまう。
いつもなら気楽なバスの移動も、どうも落ち着かない。人が私をどう見ているだろう...と気にかかり、些細な"いつもと違う"も気にかかる。街を歩けば吹く微風も強風となって私の行方を遮ろうとする...
そんな時に出来ることなんて、自暴自棄になるか、怒りを拳にして奮うか。そのくらい?
しかし、多くのトランスジェンダーは何もしない。ただ、思い馳せる。マリーナはオルランドとの素晴らしい時を妄想する。現実を忘れられるまで。
クラブに行けば、素敵なオルランドの視線や口付けに酔い、時間は消え、煌めきと華やぎに満ちる。そして踊り場は彼女の為のステージになる。完璧な世界...
しかし、現実は確実に待ち受けている。惨めである。
トランスジェンダーは何者にも敵わない。性別の上は勿論、社会における"人"としても絶対に敵わない。それは偏見と言うものが確実に有り、それでもトランスジェンダーはその偏見満ちた世界に認めて貰いたい...もしくは共に行きたいと常に望んでいるからだ。
映画では「化け物」と称されてから、マリーナの時間はオルランドの葬儀までの時間に縛られていく。そこでは数々の"醜い偏見"が露になって、マリーナに襲い掛かってくる。そして"遺族"”家族”と言う銘は免罪符と成り、暴言や暴挙が正当化されて行く。マリーナはされるがままだ。
マリーナはさぞ怒ったろう。今にも拳を奮おうとしていたろう。しかし彼女はただオルランドの面影を追い続ける。身をボロボロにし、心を壊してしまうそうなくらい、破滅的に自らに重荷を課して行く。
義兄が言う。「君はマゾヒストだ」と。
素晴らしい愛の記憶に包まれたマリーナは、その思い出の主オルランドの一部である、彼の家族に怒りをぶつけられなかった。オルランドへの愛ゆえか。そうしてマゾに堕ちて行く。
終盤まで彼女の妄想は続く。そして、ささやかな奇跡を与えられる。

私、こう言う映画の中で、多く”偏見”と言うものを見てきました。それは、ちょっと品が無く、ドギツイものとして見ることが多い。
この映画でもそんなシーンがいくつも有る。本当にキツい。何をされるかと気がきじゃないくらい怖いシーンも有った。
しかし。偏見とは誰もが常に持っているものではない。誰もがそんなものを奮うような人に成りたいなんて思う筈が無い。だけど、人と言うものは"言い訳"が出来る時、ふと憎しみや侮蔑の言葉を容易く吐いてしまう時がある。
それは「デブ」とか「クズ」とか、手厳しいものだ。
そしてトランスジェンダーには、「オカマ」や「化け物」と言ってしまう時があるのだろう。ただそれは、"トランスジェンダー"を卑下した訳じゃない。不倫をした"マリーナ"が恨まれ、蔑まされただけだ。
オルランドの妻も息子も、初めから偏見を叩きつけてはいない。ただ遣り切れない気持ちをどのようにかして表明しておきたかったのだ。
きっと「私は負けてない」と。
それは多く酷い言葉に成り易い。当然、ドメスティックの状況や、冗談の席で口にした事があるものだろう。それがまるで日々の中で、そう言い続けているかのように吐き出されてしまう。そうなったら訂正なんて出来やしない。多く、更に過激になるばかり。
人とは、見栄を張り、強がりたいものだからだ。

多くのトランスジェンダーは身を小さくして生きている。トイレなどでは疑われたくないからと、目を背け、体を窄めて個室に飛び込むものだ。
病院で、誰よりも愛する人と離れたくなかったし、弔いたいと願うようなマリーナも、誰かに言われたくなかった。「あなたは男では有りませんか?」と。
「ああ、あのオルランドさんは男性と関係を持つ方なんですね」と言わせたくなかった。
あの場を去り、私が消えれば、オルランドも、愛の日々も、そして私も忌まわしいものとして曝される事は無い筈だ。だから...
偏見は怖い。私じゃない、私の周りの誰かを巻き込んで傷付けてしまうかもしれないからだ。それが何より恐ろしい。
マリーナは思い出す。悩む事無く、気持ちのままに居られた幸せの時間を。愛されるということ。それは感じ続ける劣等感を、感じなくて良い時間。
それはトランスジェンダーにとって、何よりもの素晴らしい時間に違いないのだ。

世界は偏見ばかりでは無い。人は優しい。
しかし、現実は意外と複雑でもある。こんな事を知人や友達が示し合わせているのを聞いてしまったらどうだろう。
「”彼女”だからね。男に見えるかもしれないけれど、女として扱ってあげて」
映画の中でもおそらく悪意はなく、似た状況が描かれている。良いこと。でも、少し、胸に刺さる。

この映画で一番胸を打たれたのは、マリーナが歌の先生に会いに行ったところだ。
マリーナは先生にカウンセラーで有り父であることを願っている。しかしそんな事は願えない。冗談のようにしか洩らす事さえ出来ない。しかし、そっと腕を先生の首に回すと、先生は躊躇い無くその腕を引き寄せ、彼女の心を背中で包んであげる。
あまりに素敵なシーンでした。
このシーンです。私のベストシーン。

あえて残念なところもある。それはマリーナが素晴らしい才能を持っているところだ。
それもトランスジェンダーが切に望み、ほぼ叶えられない絶対的な壁のひとつ。一番初めに挫けさせられる、単純なこと。それは声である。
普段のマリーナはさほど特別には感じないのだけれど、歌わせてみればあまりに素晴らしい美声を放つ。
ちょっと落胆しました。マリーナは私達とは違うのだから。
しかし、このシーンのマリーナは素晴らしい。マリーナの"意志の表現"をしたつもりではなかったかもしれませんが、この時の彼女は、映画の半ばのあるシーンで自分の女性的像を消した時のように、彼女は髪を上げ、性別の区別を感じない服装で舞台に立ちます。
それこそマリーナが”彼女”では無く”マリーナ”足る事を明確に晒したシーンで有りましょう。私はどんな姿かたちで有っても、私は私である。と。

映画では"偏見への対処法"を提示している。ある意味、「強くあれ」。しかし同時に少し遠慮する。
これからのマリーナはその強さを内に秘め、勇気に変えて街を闊歩する。そして少しだけ家の中で発散する。
いつでも、あの愛に満ちた時を想いながら...

主演はダニエラ・ベガ。本当にトランスジェンダーの方であります。
その風貌は、そう思って見ているからか、時に男性の面影を見ることも有った。しかし肩を出した服装はとても似合っていて、美しい。羨ましい限り。ただ服を脱ぐシーンが何度か有るのですが、その際の画体には女性の繊細さは影を潜める。
わざと肩を張っているの?と疑問に思うほど印象が違って見えた。あの画体はね、私にそっくりだ。豊胸をしていないささやかな胸元も私。
おそらく整形手術もしていないだろう。
そんなダニエラには心から親近感を感じたし、そのドラマの中で見せてくれた言いようの無い不安と憤り、そして感情の揺らぎにも強い共感を感じさせられました。
願わくば、多くの人が、このマリーナの数日間の中に”共感”を感じられて居たら嬉しいと思います。
素晴らしい映画でした。
Blu-rayで発売されなかったことが何より残念です。


Fallout4日記。
前回の拠点は驚くほど進化しています。掘っ立て小屋を2つ足して、豪華絢爛です。ふた首の牛、バラモンも2匹目が迷い込み、餌場を増やしたら定住してくれました。
人口も19人。なんとも賑やかです。
しかし。アバナシー・ファームと言う拠点に戻ってみたら、何だか変な感じ。見れば、地面に有った防衛タレットと水道、そして苗が全滅していました。
何が起こったのか...必死で駆けずり回り、修理したのですが、バグで一部が元に戻らない。隣接したところに新しい苗を植えてみたら一部は再生されましたが、まだ治らないものも。諦めて農場拡大。負けるか~!!
一部のバグはイベントを進めないだけで起こるので、ちょっとイベントを進めてみようと行方不明の探偵捜しを敢行。
すると次から次へと話が進み、我が子を誘拐したらしい傭兵の行方を捜すことになりました。しかし痕跡はあまり無く、僅かな痕跡をドッグミートの鼻に託すことに。
彼は匂いを嗅いで...すると走り出しました。私は彼の後を追います。
共に線路を辿るように走る走る。役立たずドッグミートがこんなにも頼り有る存在に見えたことは有りません。
更に、必然なのか、私が彼らの手助けをしたからかは分かりませんが、新聞記者のパイパーと人造人間で探偵のバレンタインが全力で助けになってくれています。
なんか感動しちゃった。手掛かりの傭兵は自棄っぱち反撃され殺害するしかなく、あげく息子はそこには居なかった。その手掛かりとなる脳のチップを回収。それを知ったバレンタインは、新しい手掛かりの先を私に伝え、そこで会おうと約束...
もう...人との繋がりが胸に来ます。
更に更に、コンバットゾーンと言う所に赴いてみたらば、そこは無法者の闘技場。無法者を追い払い、そして悪人っぽくない2人をあえて傷付けないようにし、為し終えた後に話しかけると、2人は興行主と花形ファイターのケイトでした。
興行主はケイトに「良い切っ掛けだ、ここを出て行くといい」と突き放さんばかりに言うので、私はケイトを預かることを約束。ケイトは私に身を預けました。
当然、ドッグミートとはしばしお別れ。とぼとぼとミートは歩いて帰ります。マジ?後をつけててみると道中、無法者達と一戦交える勇敢さ。慌ててケイトと共に援護し、無事にガスステーションに帰りました。
そのケイト。つんつんしていてちょっと好みではないかも...と思っていたら、意外な姿を見せ始めました。
彼女、時々、安酒やストレス発散用の骨を要求。武装もしっかりさせて、逐一、要求にも応えていたら、なんと心の弱みを吐露し始め、しばらくしたら更に過去に親に売られた話や「自分は弱い人間だ、薬に手を出して手遅れなんだ」と嘆き始める始末。丁寧に話し相手をしていると、彼女との会話の選択肢に”口説く”なんて項目が!!
女性同士だからか控えめですが、何だか熱い感情を言葉に乗せて来る...もしかして恋してる?
彼女の薬を体から抜く為に、科学ラボのあるシェルターへ赴き、彼女の体をクリーンにしてあげました。
ものすごい敵の猛攻に晒されながらも共に支え合い、そして乗り越えました。
荒くれケイト。今や、台詞も愛らしくなってます。
おおお...恋まで出来る。恐るべしフォールアウト4。
おうち作りも極み、天空の城が出来ました...


さあて。春だ~(n꒪꒳꒪n)。まだ寒い~。
春の気配が満々なのに、何だか寒かったり暖かかったり。お陰でまた風邪をひいたりしています。
こんな時はよく寝て、よく食べて。
手羽元と素揚げジャガイモの黒酢煮です。
ちょっと酢が弱かったですが、母には好評(*^^*ゞ
例のチャーハンも試行錯誤しています。
タイで食べた屋台のチャーハンを再現するには、もしかしたら酸味ある豆のタマリンドが必要なのではないか?と思い、なら手に入れるまでは自分流を極めてみようかと。
元々、ライム系と思っていた酸味を上手く馴染ませられず、最近は代わりにミニトマトを入れることで酸味を加味していました。しかし前回は缶詰のトマトを足したところ、水っぽくなってしまい、今回はちょっと大きめなトマト、それも熟トマトを使ったため、水っけは増し、甘いので酸味も足されませんでした。
更にトマトが蒸されたようになってしまい、ちょっと匂いがムッとして微妙...。口に入れるとすごく甘くて美味しいのですが、ちょっとね。
更に感触を楽しもうとモヤシの刻んだものを入れたら、これがまた水っけを足してしまい、チャーハンらしいパラパラ感が出ませんでした。無念。
でも今回は海老入れたし、前回は人参で代用した赤ピーマン(パプリカでもいい)を入れて、色みもいい。
まあ、食して満足。再現まではまだ数千里。
失敗も楽し。