節分を終え、暦の上ではもう春。
温かい日だまりのような日。
でも瞬く間に冬空に身を縮こませる。
はやく春よ来い。

今年はインフルエンザが流行っているようですね。
先日、祖母が風邪をひいてしまい、すると父が風邪に。また母も風邪に倒れ、今、私が風邪をひいてしまいました。ちょっと重度。
運良くか、インフルエンザではなかったので、養生しております。写真はまだ病み中。なのに雪に思わず嬉しくなって、庭駆け回り?
で。病気は痩せ細るもの...と思いがちですが、私はさっぱり痩せません。
でも、私。やれば出来ると食事バランスの改善だけで、食べる量も変えずに体重減少してみせます。
折角なので、3サイズだけ計ってみれば、96, 77, 95...ちょっとウエストが増し増しぎみ。
一番前だけ減らないといいなあ...と願いながらも、現実は応えてはくれませぬ。(*T^T)。デモ、モドスゾ~

春雨と白菜と肉団子のスープ。
お代わりの際なので少なめですが、偶然にもなんか可愛く見えたので。
先日、千葉市でパートナーシップ証明書の配布が決まりました。他の地区と同じ、大した恩恵の無い証明書。市営住宅に入れるくらい。自分のニーズに可能性の一行を足したい人のため、くらいのもの。
喜んで勇んでテレビで証書を貰っているのは有名な活動家の方々?
彼らの望みにはビビッドに合う話なのだろう。
でも、やっぱり私たち多くの人の見ている世界はちょっと違う。整備された海岸じゃない、海原よ。
そんな頃、アメリカでジャシー・スモレットと言う歌手で俳優でもありゲイを公言している方が、道で化学薬品をかけられ、首を絞められたそう。
ここ数年でアメリカではヘイトクライムが17%増加した。私達の今時の現実は何かがおかしい。
これはそんな証明書では変わらない。市営住宅なんて証明書が無くても話を聞いて入れてあげればいいじゃない。それだけのことよ。
私は見世物は要らない。取り繕った権利も要らない。
満を辞して映画「ハン・ソロ」を観ました。
ひゅう。昨今、最も期待していた映画かもしれない。
私はスターウォーズが大好き。あれだけの素敵なプリンセス・ブライド・ストーリーはそう無いもの。
やっぱりエピソード4~6の信奉者なので、そんな時期の物語に心、ときめきます。
前作「ローグ・ワン」は「難有り」と思う気持ちを払い除けてしまうほど、魅力に溢れていました。
特にエピソード4に繋がる決死の物語は、非常にカタルシスに満ちていて、本当に素晴らしかった。あれこれ全部、全編にわたり宝箱を覗き込んでいるような至福に満たされました。
さて。「ハン・ソロ」はどうでしょう。
観始めて、次から次へと現れ、目に飛び込んで来るオブジェやキャラ、服装、多様な星人、マシン、ドロイド、武器...懐かしさに頭も心もパニックだ。
もう...視覚情報に溺れてしまう。
更に「スターウォーズ」と言えば、あの効果音。
乗り物はみんな、エンジン音をぶるんぶるん唸らせ、動き出せばきゅんきゅん言ってる。なんかみんなポンコツっぽい。飛ばすには配線繋いでスイッチカチカチ。
レーザーの音、唸るライトセイバー、ドロイドのベタな電子音...もう堪らない。ここでしか聞けない"音"に溢れてる。それが何より「スターウォーズ」足らしめる。
それが全部、「ハン・ソロ」にも有る。
中でも私が好きなのはストーム・トルーパー。
鮟鱇口の白い兵隊さん。やっぱり弱くて、どうしてもやられ役、でも頑張ってる。ちゃんと仕事をこなしていて、対話もするし、主人公達を追い詰め、追い立て、そしてミスもする。そんな兵隊さんが好きでした。「エピソード4」でハン・ソロがそのスーツを着た際には「ああ、中には人が入っているんだよね」と納得し、愛しさを深めたのを思い出します。
でも今回の出番は、結果的に主人公の行動を制限した程度でした。残念。
私のもうひとつの楽しみはエミリア・クラーク。彼女の役柄、キーラをぜひ見たかった。
新キャラは目を引きますが、ファンから見れば、危険要因。はてさて、如何なるものでしょうか。
映画はもう"事"が始まっているところから始まります。
ハンが仕事で失敗し逃走、キーラと再会、愛があるらしい、高価なエネルギーであるコアクシウムを隠し持ち、しがらみを絶ち切る算段らしい。しかし仕事の件でボスのプロキシマの怒りを買い、ヤバイことに。そのまま済し崩しに逃亡へ。そして失敗があり、別れがあり、そのまま帝国軍に入隊...
3年後...
「え!」
ハン・ソロは軍のアカデミーで口答えして追い出され、戦場へ。過酷な戦場。しかしハン・ソロは思ったより陽気なまま。また流れるままに脱走、ひと休みして脱走を助けてくれた仲間と強奪作戦へ...
早い!ドタバタしたまま瞬く間に話が転がって行く。
訓練期間は有ったろうけれど、3年も軍にいて、戦友の死も目の当たりにして来たろう。きっとキーラへの愛が彼の心を押し潰さなかったに違いない。口では離れ離れの境遇を惜しみ、再会の為ならと頭を巡らせているよう...しかし思い出に胸を焦がしもせず、写真の一枚に涙するようなシーンも無い。う~ん...切なくない。
かの「スターウォーズ」の情感は何処へ行ってしまったのだろう。更に音楽が全く耳に入ってこない。時々、思い出したように響き、瞬く間に終わり。あれ?
かつてルーク・スカイウォーカーはパイロットに成る夢を携え、夕日を眺め、想いに浸った。叔父さん夫婦が亡くなり、怒りと憤りに胸を焦がし復讐を決意をする。
オビワン・ケノービが亡くなった時も、絶望を抱えながら物事は展開し、まだ何か出来ることが...進めない、戻れない...逃げなければ...心が複雑に揺れる。そんな感情を、音楽が彩ったもの。更に私達の感情を煽って飲み込んだものです。
多くのファンは、酒場の楽団の陽気な曲が流れるだけで興奮するんですよ。なのに今回は耳に飛び込み、一度聞くだけで覚えてしまうような曲が無い。前作のイメージを髣髴されるような曲も、少ない。
印象に残す。それが「ハン・ソロ」に欠けているものだ。
泣けないの。それが悲しかった。
さて。キーラは、可愛らしいエミリアが、ちょっと背伸びして演じ、何しろ多く紅一点。"きらきら"輝いていました。:p
なのに再会シーンの酷いこと。待ちわび満を持した2人の溢れる感情が、確認程度の取り澄ました会話で終わってしまった...
もう始終、もっと丁寧に時間を掛けて描いて欲しい...と願い、祈り、悶えていました。
それでも、中盤のCGを主体にした鉱山惑星~イオンガスの星雲の件りは迫力満点で、シリーズ最高の映像美と迫力に圧倒させられます。思わぬ敵やお約束の笑える展開もあり、飽きさせません。
そして第三節へ。物語は締めを迎えます。
ここからはとても意味深い、駆け引きのドラマが繰り広げられます。序盤に口にされた幾つかの台詞やエッセンスが意味を為して行きます。
しかし。かつて西部劇がそうであったように「お互いが本気で戦うならば、決着は一瞬でつく」、そんなシリアスな展開が待っていました。
苦い綴り。哀しげで胸が詰まるような感情に窒息しそうなほど。ソロは多くを語りません。提示された宿命を受け入れ、今までのように、いつに成るか分からない再び遇いまみえる約束の未来を先伸ばしにし、夢を追い求め、銀河を走ることだろう。真の心を隠して。そうね、それこそ、ソロなのかもしれない。
よくソロのイメージが違うと言う意見を聞きますが、カッコいいソロを思い出し過ぎです。元々、ソロは”賭け”でファルコン号を手に入れ、ランドと喧嘩していて、借金で首が回らない。ルーク達を金ずると見て、いざと言うときは見捨ててもいいと思い、後に金を貰ったら関わりを絶とうとしたくらいの人間でした。出来なかったけれどね。
善人じゃないけれど、悪人じゃない。見栄っ張りで嘘も言うが、義理堅い。そんなところが彼の魅力。
そう言うところはよく出ていたと思います。
"ソロ"、一人きりの運命を名に宿した男の哀愁を、たっぷり味わせて頂きました。
で、結局、エミリア・クラークはどうだったかと言うと、ちょっと役のイメージとズレを感じてしまいました。可愛すぎるのかもね。それでも、終盤の決意のシーンは音楽演出も溜めの演出も効いていて、驚くほど素晴らしいシーンと成りました。また、良い表情してました、エミリア。
人生は不条理だ。生まれが悪ければ望んでも叶わないし、這い上がろうとすれば、手にしたものを全て奪われ地に落とされる。なら、私は上手くやってやる。蔑まされようと構わない。私は私。
でも役としては、序盤で退場した女性ヴァルの方が、魅力的でした。

カッコよかったんです。ファー巻きしたアサルトスーツも素敵だった。
どぶ板の上で命を掛けて生き抜き、ふと差し伸べられた温かい手。命を掛けてみるかとその手を握り、男の背を見ながらこう誓う。あんたの為ならこの命だって捨てられる。
私ならキーラより、ヴァルのように生きたいです。幸は薄そうですけどね。
登場キャラクターはみんなそれぞれ魅力が有りました。
「エピソード5」「エピソード6」で活躍したランドとソロの腐れ縁の始まりを楽しめたし、クセが有りすぎのドロイドL3も愛らしかった。

L3はちょっと差別に対するテーマが見え過ぎて、映画を重くしてしまったかも。
虐げられているウーキー族を見てしまった時のチューイは堪りません。「分かる分かる、行っておやんなさい」と母心を抱けます。:p
悪縁のベケットとドライデンも存在感があり、おそらく同盟軍の走りを見る事も出来ました。
スターウォーズ映画としてはなかなか贅沢な映画...なのですが、やはり駆け足過ぎる。
テンポを崩す長旅をカットするのは映画として親切だ。しかし、移動と言うものは意外と楽しいものである。
空に浮かぶ幾つもの恒星を見たり、美しい風景、うるさいC3PO、無視するR2D2...それらは世界の雄大さや過酷さを知らしめ、時に登場人物の性格を知ったり、失策や思わぬ事態の動きを、先行きを期待しながら笑えたりほっとしたり。
全体的にシーンはあまり引き摺ることも無くさらりと展開。悲嘆に暮れたり、予想外の困難に覚悟を決める事も無い。ジョークと都合以外にチューイの存在意義も薄く、何とも刺激に欠く話運び。怪我も痛みを感じないし、死も切なくない。可愛げとお洒落を加味したような台詞のひとつも殆ど無い。
長い間、戦場に居たのだから、優雅な場所に来たら懐かしさやその変わった有り様に興味津々だったり、そんなソロに「田舎者に見えるぞ」とか有りそう。
キーラが手榴弾みたいなものを放った時なんて、今まで苦戦していたのだから早く使えばよかったのに...と思いました。だから事前に持ち込もうとして「無理だから置いていけ」みたいな台詞を入れておくとか、投じた後、驚いて「そんな武器、持って来ていたの?」と聞くソロに「護身用よ」と答えてもいい。
みんな、ただ上手くやりすぎ、カッコよすぎ。
「ローグ・ワン」のヒーローなんて脛に傷を持っていた。そのくらいがいい。
「エピソード6」のルークが面白みに欠くのはそう言う可愛げや弱さに欠くから。「4」の、レイアに好かれたくて見栄を張るルークやソロが可愛いし、上手く起動しないファルコン号や道を間違えたり、苦手なものにソロが飛び上がったり、そんな失敗を誤魔化したりするウィットあるやり取りが素敵なのだ。
「ハン・ソロ」にはそう言うものが、あまり機能していなかった気がします。
続編を意識した為か山場が無いとか、話が終わっていないとか...気になる点も有るのは確かです。残念ながら語りとしては甘い作りでした。
しっかり貶しましたが、やはり私はこの映画が大好きです。
かつて映画が3作しかなかった頃。
私は「ダークフォース」「ジェダイナイツ」「X-Wing」「シャドゥ・オブ・エンパイア」「アンリーシュド」「レベルアサルト」「バトルフロント」とゲーム版をプレイしてきました。
どれも物語の整合性なんて有って無いもの。エッセンスがあちらこちらに振り撒かれ、聞き慣れた音楽と効果音に飲み込まれ、まごうことないスターウォーズの世界観が素敵だった。
「ハン・ソロ」は概ねそれを見せてくれた。
いやいや、決して"話が酷い"って言う訳じゃない。西部劇を基調としたような軽快で軽薄な、それでいて愛と絆を見せ付ける、充分なエンターテインメントである事は確かなのだ。
「スターウォーズ」に救われ「スターウォーズ」が足枷でもあったのが、「ハン・ソロ」だと言えるでしょう。
しかしどうしようもなく残念は4Kのこと。
画質が非常に中途半端でした。画は常に精細に欠き、暗いシーンが多いくせに黒は潰れてただの黒。
無理して選ぶほどの価値は有りませんでした。
風邪で頭の中が"ぽやぽや"していた中。お馬鹿な私はちょっと調子が良くなると、プレイステーション4のコントローラーを握ってしまいました。
だからブログも遅くなる...(ó﹏ò。)シュミマセ
そんな「Fallout4」は少し遠出をしました。
ボストンのケンブリッジ周辺です。
凄いでしょ。これが見えるそのままの距離で、そのままあの赤色のタワーまで、それどころか見える限り、そして更にその向こうまで、歩いて行けるんです。
そして私の背面にも2倍くらいの街が広がり、まだまだ遥かに荒廃したマサチューセッツの土地が広がっています。
前回の町は現在18人と犬1匹。サンクチュアリと言う始まりの町も16人。そして上記の駅跡が無法者の大集団に襲われたのを機に、新たに今、防衛機器を設置し、小屋や電気、水を引き、活き活きとさせようと奮闘中です。人口10人。
この"町作り"システムはすごく楽しいのですが、素材集めに時間が掛かり、お陰で主題がさっぱり進みません。
またその拠点たるポイントが多いんですよね。
現在10くらいも有り、弄っている3つ以外は放っています。襲われたら大変。住民や犬が命を落とす事も有るそうです。
先日はデスクローと言う、おそらく最強の化け物が飛び込んで来て、死に物狂いで戦いました。私がそこに居なかったら誰かが命を落していたかもしれない...そう思うとゲームながらぞっとします。
みんなすごく生命力が有るんだもの。失いたくありません。
最近は電気を引いて、町を明るくしています。お祭りのときみたいにワイヤーひいて電球下げて点けたいのですが、そこまでは自由度は有りませんでした。残念。
この楽しみは、ある意味、ままごとやファッション遊びに似ています。お人形さんを武装させたりお家を頑丈に固めたり。食糧作って料理して。犬や牛や猫を飼います。...ね。(( ̄▽ ̄;;)ホホホ
出来ることが多く、奥深すぎて、私、このゲーム、一生、終わらないかもしれません。