う~...体の調子は万全なのですが、ちょっと怪我の痛みが抜けなくて、よたよたした毎日を過ごしておりました。
以前から「怪我はよく食べてよく寝れば、治る」と信じているので、前半は台風手伝って出来ることも少なかったので必要以上に寝て、そこそこよく食べていました。
今のところ、不思議と体重も増えず、順調に回復していると思います。...と書いている内に、劇的回復?痛みがふいと消え、怪我のせいと思われる気持ち悪さも無くなり、もうほぼ大丈夫。
でも久しぶりに買い物に出たら、異常なほどに筋力が無くなっている事に気が付きました。...これ、タイに居た時とおんなじ。ベッド生活、一週間くらいで歩く事も出来なくなった、あの日を思い出します。目眩がして倒れて、意識を失って、がたがた震えて命が潰えるかと思ったんだよね。別れの言葉を母やアンナに送った恥ずかしい思い出です。
寝たきりしちゃったら回復するって難しいよね。年を重ねてからならもっともっと難しい。
私達は先ず何より怪我をしちゃいけない。怪我をするような、いざこざを作ってはいけない。
つくづく温和に生きようと思いました。なかなか難しいけれど、私も誰かをも怪我をしないように、させないように、譲り合うこと、労わり合うことを大事にしていきたい。
で。数日前から裏手のアパート建設現場の作業が本格的に成りまして、毎日、すごい騒音。更に追い討ちをかける自衛隊のヘリコプター演習。
必死で体を支えておりますが、さすがに限界、ぱたりと倒れてしまいました。暑かった4日前はきつかった。それからも強烈。更に土曜日はきつい...そして今日も。
"音が辛い"と言う事をひどく実感させられています。よく映画で拷問に光や音を使いますが、あれは心底キツいです。。゚(゚´Д`゚)゚。タスケテ~
しばらくは私の世界は驚くほど狭くなっていますが、それでも、最近、周辺環境が柔い感じに変化している事を実感します。
不思議と近隣の奥様方が親しくしてくれて、とても嬉しい気持ちにさせられています。何だろう。
右手お向かいさんは、私と目が合うといつも手を振ってくれて、先日なんて「お嬢さんと食べて」と母にゴディバのチョコレートのお裾分け?くださいました。
マーケットでは店員さんが私の顔を見ると満面の笑顔でお迎えしてくれて、お話ししちゃうぐらい溶け込んでます。他にもあちこち笑顔に満ちて、名前も知らないのにみんな友達みたい。
これが”女の世界”?
なんか...私の存在、認められてるなあ...とまやかされています。
差別なんてどこぞの話。要は人なのですよ。:p
みんな本当は優しいのよ。ただその優しさを、あなたに配って良いものか躊躇うだけなのよ。哀れな野良猫みたいな私には躊躇わず奮ってくだされにゃん。
それでもやっぱりどうしても優しさの矛を鞘から抜けない方が居る。相変わらず、私から顔を背け、母からさえも逃げて行く。そう言う時は私も母も寂しさしか感じない。
知って貰えたら分かって貰えるのだろうか...と悩むけれど、そこまで私は良い人間だろうか...障壁を取り去っても好いてもらえれるくらい魅力の有る人間だろうか...
私は私の心に問い掛けていますが、答えは分かりません。
流行りのタイ・パンツ。タイの神聖な象さんがたくさん描かれています。楽なのでお気に入り。
うちの日常食。ガパオ、タイ料理です。
しかし暑いッ!
こう言う暑い時は、気の迷いが起こり易いもの。
夏の始まりには寝惚けてBlu-rayをAmazonでポチっとしてしまったりしたものでしたが、晩夏始まるいつぞかの夜、つい、プレイステーション4Proを買ってしまいました!Σ( ̄□ ̄;)
私、これでもゲーム世代。ひと通り、機械は買って来たのよ。
でもものすごく苦手なゲーム。最近は置物だったプレイステーション3を引っ張り出して、ちまちまプレイしていたのですが、たかが1本がさっぱり終わらない。そんなへっぽこゲーマーなのに、すごいの買ってしまった。
かつてプレイステーション3を買う時にも「Blu-rayプレイヤーだから」と言い訳し、今回も「予備の4Kプレイヤーだから」と言い訳してしまった。しかし買ってからネットの情報で気付いた、4K-UHDディスクの再生は出来ません...ぎゃふん。
しかしまだゲーム買ってません。何を買ったら良いのかよくわかんないし、やりたいゲームもよくわかんない。...失敗したかな…でも「Fallout」と言うゲームはプレイしたいのよね。
舞台は近未来のアメリカ。ボルトと言うシェルターで核の汚染から生き残った人達。その中から地上に出て来た主人公が、核汚染でミュータントとなった人間や生物と戦いながら、人類の未来を模索する話です。
ちゃんとしてるでしょ。映画みたいでしょ。結構、しっかりとした物語が展開して行きます。
それからここが私の好きなところ。このゲーム、始まると少しだけストーリーが語られるのですが、その後、プレイヤーは世界の真ん中に放って置かれます。ボルトを出ると360度好きに移動出来るんです。北へ行けば試練と冒険が。南に行けば出会いが待っている。
誰と争うか、誰と親しくなるか、どんな危険を犯し、どのように戦い、どのような勢力と繋がるか、その全てを自分で決められる。更に野良犬を助ければ、相棒と成って支え合って荒野と廃墟を闊歩出来る。これがすごく面白い。
何もしなくても良い。ただふらふら廃墟を発見し、地図を埋め、悪漢や化け物から人々を救い、時にはミュータントと友情を築く。
私はその3作目を5年くらいプレイしています。終わらせないでずっとふらふら世界を歩いています。さすがに全てを歩き切ったけれど、終わらせたくないくらい好きな世界ウェイストランド。実はアメリカのワシントンDC。
当然、自由なのだから、悪いことばかりを楽しむ事も出来るけれど、私はひとりでも命を落させず殺めることの無いラストに向けて頑張っちゃう。呼ばれる肩書きは”救世主”。
このゲームは私達の理想を形作れる小宇宙なのです。
また主人公の性別や風貌を弄れるのも楽しみのひとつ。すっごい美人にもなれる。ふふふ。
超絶、美人の”Mari”ちゃんが、近未来のアメリカで生き抜いています。
ゲームにもシナリオが有り、そこでは秩序や倫理、葛藤や怒り、悲しみまで綴られる。私達プレイヤーは想像する以上に心を養える。
でもどうしてもゲームでは感じられないものがある。それはきっと、役者が放つ魂のたけび。
「ゴッド・オブ・ウォー、導かれし勇者たち」はそんな人の魂の声が聞こえてくる映画でした。
題名、安っぽいよね。でも、中身はなかなかのものでした。
時は1348年。黒死病が蔓延した中世ヨーロッパ。事態を収集しようと悪魔狩りを断行。しかし黒死病の猛威は止まることを知らない。街は無数の死に多い潰された。世界は何処も荒み、人々は希望を失っていました。
事の元凶を絶つ為に教会は聖騎士達とひとりの修道士を派遣します。噂によると辺境に病が蔓延していない街があると言う。そこには黒魔術を使う忌まわしきものが居ると言う。
この物語はひとりの修道士を中心に綴られます。彼は旅に自ら参加する敬虔な修道士...かと思いき、実のところ、愛する女性と街から逃げようとしていた罰当たり。
しかし、聖騎士達も皆が決して信仰に根付いた崇高足る者達ではない。でもだからってこの世界の有り様に胸を痛めていない訳ではない。殺伐とした世界で、何人もの友との別れを経験している。堂々としていてもその心には影が射している。
旅はそんな疚しき者達の危うい第一歩から始まる。
旅の先には黒死病は勿論、盗賊や魔術狩り、たくさんの信仰への試練が待っています。彼等は如何にして使命を為し、何を思い、どう選択するのか、その行方にハラハラさせられます。
この映画、正直、題名がひどい。「ゴッド・オブ・ウォー」?まるで、神々がその異端や悪魔と聖なる剣で戦うエンターテインメント映画のよう。
そんな映画では有りません。ほどほどの剣の戦いと信仰の下で計られる勇気と決断の話です。
主人公の修道士役はエディ・レッドメイン。甘く愚かな若造を、繊細に演じています。彼のびくびくした視線と弱々しい風貌は役にぴったり。
聖騎士のリーダー役を演じたのはショーン・ビーン。高潔ではない。信仰に迷いを感じているが、信じて歩き続ける事で我を保っているような男。ただ、荒んだ世界を旅した分だけ広い視野で、主人公を世界を見詰めてる。その瞳は温かい。
旅は信仰の矛盾を浮かび上がらせます。教会は人々を救わないくせに、何かが起こると裁きを下す。考えが違えば異端、間違いを犯せば神の名の下に火炙りさえ厭わない。
神はそんなことを望んでいるのだろうか?
「神の為ではなく、人のため」そんな言葉に否定できない彼らがいる。
光があれば闇がある。どちらも正しく、そして間違っても見える。その狭間に立たされたなら、あなたならどうするだろうか...そう投げ掛けられる。
旅を終えて、また新たな旅が始まる。その旅にあなたは正義を見るか、悪を見るか。きっと複雑な気持ちに晒される事でしょう。
でもそれは、どの宗教も国家にも、人種や集団の中にも起こったことだ。いや、今でも起こり続けていることなんだよ。
☆魔女狩りと黒死病について少し。
かつて中世ヨーロッパでは魔女狩りと呼ばれる異端者の断罪行為が行われました。
多く裁かれたのは祈祷師や薬草を扱う者たち。
自らを魔女と認めないと酷い拷問に晒され、認めれば火炙りにされたと言う。
しかし、その際にとばっちりを食らった者がいます。
それは"猫"。
多く祈祷師などは猫を飼いその神秘なイメージを珍重したそうで、当然、人々には妖しいイメージが焼き付けられたもの。そんな際の魔女狩りは猫にも及び、異常な数の猫、それも黒猫は残虐に命を奪われたのだそうです。
しかし。当時の人々が知らなかった事がひとつ有りました。それは、黒死病を蔓延させたのは"ネズミ"だと言う事を。
猫が消え、繁殖し放題のネズミは黒死病を拡大させ、世界を悲劇に落としましたと言う、哀れな真実...☆
前回は駄目映画ばかり薦め?て、観てしまった方はガッカリされた事かもしれません。
す...みません。でも駄目子は懲りません。
「アトラクション、制圧」が、また、すごかったんだもの。この映画はロシア映画。
流星雨を見ようとロシアでは大騒ぎ。軍人の父とうまくいかないユリアは父の反対を押し切り、親友のスヴェタと彼氏のチョーマとマンションの屋上から見物を楽しみます。
しかし、流星雨に紛れた謎の物体がロシア軍に撃墜され、それは街に墜落します。そしてスヴェタが命を落します。
たくさんの犠牲者を出した墜落は、住民の怒りを生み、更に不自由な生活に不満が募ります。ロシア政府は墜落物に接触、そこには機械生命体と思しき存在が居て、生命体は「修理をしたい」とのメッセージを伝えます。
その頃、ユリアらはスヴェタの弔いとばかりに墜落物に近付きます。するとユリアの前に機械生命体が現れます。ユリアは動揺し、高所から落下しそうになりますが、機械生命体が彼女を救います。
機械の殻の中には人間と同じ姿の男性がいて、彼は「回収しなければならないものがある」とユリアに助けを求めてくる。
ちょっと面白そうでしょう?
でも実は、強引で整合性が無くて、映画そのものが登場人物の心を掌握出来ていないような映画なんです。
始終、何でそんな事をするの?そこまで怒らなくたっていいじゃない...と感情移入を妨げる不可思議な行動や言動が目立ちます。しかし。
何故か、ユリアはスヴェタの死に怒りを感じている筈なのに、生命体に絡む決断には非常に優しさに満ちています。あれだけ愛の言葉を交わしたチョーマには、生命体の事を伝えないほどさっぱり信じていないヒロイン。お陰でトラブルが避けられる。
まあ、不可思議だけど、それでいい。
しかし、チョーマは置いてけぼりを食らっていると憤り、尽く暴走。怒りを周囲の全てにぶつけて行く。
このチョーマの暴走には違和感を感じてならない。嫉妬は分かるけれどユリアや生命体を傷付けても好かれるなんてあり得ない。
更に、まるで思想家のように周囲の名も無い人達を先導し、瞬く間に怒りに包んで行く。それはデモどころかロシア政府への暴動の様相を見せていく。え~、チョーマって如何にもカリスマの無いイメージなんですが...
ロシア政府も決して高潔ではない。問題を引き起こしたのは彼等なのだから。しかし、チョーマの暴走は尋常ではなく、いつの間にか政府こそが治安維持を努める正義のように見えてくる。
ふと。ロシアの現実か縮図に見えてくる。これってチェチェンあたりの紛争の話?
この映画はロシア政府のファンドから資金提供を受けて作られています。政治的要素(隠喩?)を含まなければ、きっと資金が出なかったのかもしれませんね。
でも監督は足掻いた。事態の始まりはあくまでロシア政府が起こしたこと。それが原因でたくさんの市民が命を落したこと。更に生命体は悪い奴と言う情報を頒布してしまうのは、自分のミスを隠したい政府の役人だったりする。
...実のところ、変な映画です。でも深いことを考えず、感情的なカッコつけ男は暴力でしか憤りを払うことが出来ず、人の痛みが分かる女の子は謎の生命体に同情し、更に心を通わすことが出来た。
大規模な「ET」だと思って観ればなかなかです。
生命体役のリナール・ムハメトモフが優男で可愛いことと、ヒロイン役のイリナ・スタルシェンバウム?が可愛らしく、その奮闘振りと触れ合いが面白いので、観ていて退屈しません。
美しいVFXも見所です。
爽快感には非常に欠きますが、なかなか愛らしさに満ちた作品なので、駄目映画と覚悟してから観てみれば、意外にも心の映画に成るかもしれません。
私はちょっとだけ心に棲みました。
ふう~、映画は何よりの滋養です。
一週間あまり、買い物一度と家の回りくらいしか外に出ませんでした。何て勿体無い。でも、体をちゃんと治しておかなくちゃね。
こう言う時ってちょっと感情が昂ぶり易いようで、ちょっとした母とのすれ違いで、ぼろぼろ泣いてしまいまして、この一週間、何度泣いたことか...ううう(*T^T)。
ホルモンのせいで、ちょっと感情が傾くと、どっと涙が零れるんですよね。でもそうなると、し易い事が有ります。それは話すこと。心の全てを話し易くなる。ごめんなさいも言い易くなる。
そうして私は正直に、そして幸せな気持ちになれる。(;^ω^)ネ