雨が続くと思えば、真夏のような陽射しに晒されて、ちょっと体調に響く毎日です。いかがお過ごしでしょうか?
私は掃除と庭仕事のせいか、背中の筋を傷めてしまいました。ぎっくり背中?
少し前には"ぐっきり首"に悩まされたことも有りましたが、またもやストレッチをサボっているツケを払っております。
祖母の介護はお陰で控えめにしていました。しかし、介護の最大の問題は、隙間を見て人生を再開しようと思った時、どう始めればよいのか分からなくなってしまう事だと思います。
私、少し前にイラストを描こうかな...と思っていたのですが、何を描こうとしていたのか、何処から始めて良いのか分からなくなってしまいました。準備を進めていたらまた介護に戻らなくてはいけなくなってしまうだろうし、どうしたものでしょう...(;つД`)。
色々忙しく、季節を味わうくらいしか楽しめなくて勿体無い日々を送ってしまっています。
今年はね~花の咲きが少し早いですね。もう紫陽花が咲き始めました。
もしやと思い百合を見に行ったら、蕾が膨らみ始めていて、幾つかは既に咲いていました。
帰り道、野山で”わらび”と大葉を採取し、あれこれ旬を味わっております。田舎の特権ですなあ。(* ̄∇ ̄)ノヨ~
野山は鳥やら小動物やら虫やらが溢れていて、楽しいの。
ただ今年は昨年と違い、蝶が逃げる逃げる。不思議なほど寄って来てくれません。しかしそれでも例年通りカメムシだけは幾らでも寄って来ると言う悲しい事実。
昨日なんて森の中でハエが手に止まりました。でもそのハエ、金色の模様が入っていて目が緑ですっごく綺麗でした。まるで調度品のよう。
良い予感を感じながら帰宅しました。
季節の変わり目はついうとうとしがちですが、良い映画はそんな睡魔も跳ね除けます。
つい観躊躇っていた映画「リリーのすべて」を観ました。
この作品はエディ・レッドメインとアリシア・ヴィキャンデルによる実話の映画化です。
画家のアイナーはゲルダと言う同じく画家の妻と幸せに暮らしていました。ある日、アイナーはゲルダのモデルをする事に。
しかしストッキングに触れた時、彼の心が揺れ動くのを感じてしまいます。その溢れ始めた感情は止め処無く、彼は女性の服を羽織ってパーティに赴く。ゲルダも初めはふざけていたのだけれど、アイナーの有り様を見ている内に不安に駆られるようになります。
次第にアイナーの胸の内にはある考えが宿るように成ります。
「女として生きられたらどれだけ幸せだろうか...」
とても大まかな粗筋です。
映画はもっと繊細で複雑な心の上に描かれています。多くの方が知っていると思われるので書きますが、このアイナーは世界初の性別適合手術を受けた実在した方です。遺伝子男性として生まれ、女性の体を手術で得た初めての人なのです。
映画は妻のゲルダから始まります。美しく麗しく、品格が有る女性。絵の才能はあるが、受ける絵が描けない。そんな彼女の苦悩の話として始まります。
しかし才能有るアイナーが筆を置き、女性として生きようとする件りから状況が変わります。
妻はそんな夫の絵を描き、"受ける絵"を描けるように成ります。それはまるで"自由のままに生きるアイナーの生命力"を絵に宿したかのよう。はたまたゲルダのアイナーへの愛ゆえかもしれない。
しかしあまりに神々しいほどに美しく輝き出すアイナーに比べ、ゲルダは生々しく、麗しさを失って行く。何故か?
私はこの映画は詩人ランボーを描いた「太陽と月に背いて」や「クリムト」、そして私の大好きな「カミーユ・クローデル」のように、退廃や執着、そして危うげな精神性を描いた作品かと思っていました。違っていました。
この映画は思いのままに生きることがどれだけ人の心を救うのか。そして、それ故に壊して行く倫理や人間関係が、愛する人や友人、自らまでも傷つけてしまうこと。そんな遣り切れない思いと悲劇を見せ付ける。
そして、それを乗り越えようとするゲルダの愛と尊さを見届ける事になる。
"ゲルダは何故、麗しさを陰らせていくのか?"
それはこの映画の真のテーマなのだと思います。ゲルダが輝いて見える時と、陰る時のゲルダの心を読み取って欲しい。華やいだ服に埋もれた彼女の胸の内はあまりに複雑なのですから。
一貫して描き続けたアイナーの地味な絵が、何故、受けていたのか...映画は更なる心の域を描き出そうとします。
しかしながら私はこの映画を観ながら、少しだけ不満を感じずには居られませんでした。
アイナーは羨ましいほど恵まれている。
彼は人生に成功している。友が居る。悩みながらも理解してくれる妻が居る。縁ゆえですが、女性の服も靴も容易く手に入る。
多くのトランスジェンダーは孤独だ。そして社会との関係や金銭的にも不遇で、服を手にするのにどれだけ勇気が要るか。更に家族や愛する人とも上手くいかない場合が多い。でも彼は違う。
「またか~...」と初めは思いました。等身大の人間じゃない気がしました。
でも彼は無敵じゃなかった。躊躇い悩む。こそこそと女装し、想いを解き放って行く。そして溢れ出す感情。想いが形に成ると止め処なく溢れ出す期待が、胸の内にある大きな空洞を露にしてしまう。そして感じたことのない想いが瞬く間に埋めて行く。
抑えようとする。でも止まらない。世界が光に満ち、見えるものが"換わって行く"。
女性から、男性から、ひとりの女として見られると心に刺さった棘が抜けて行くような気がするの。温かいもの...“希望“とか”夢”とか、そんな言葉しか浮かばなくなってくる。そしてそれが現実に成っていく。
もう後先を考えていられない...
ここに見るものは、有りのままのトランスジェンダーの心の姿でした。
...ちょっとね。トランスジェンダーが面倒くさく見えるかもしれません。神の下で誓い合った、未来永劫続く筈の期待に満ちた"ふたりのかたち"を一方的に変えようとしてしまうのだから。
ゲルダが可哀想でならないんだもの。
映画はその後を描いて行く。
アイナーは時を失う。それは時代のせいか、ゲルダのせいかもしれない。今のままではどのように生きても、生きている意味がないと感じるようになる。
そして得た選択肢はふたつ。溢れ出た穴を閉ざし感情を押し潰すか、性別適合手術をすること。
アイナーは選ぶ。
終局。
アイナーの行く末を不幸と思う人も居るかもしれない。しかしアイナーは最高の瞬間を得る事が出来た。それは何にも代えられない素晴らしい瞬間なのです。その瞬間が有れば、明日がどうであっても悲しくはない。
よくトランスジェンダーが性別適合手術を「始まり」と語る。人生においてはそうだろう。でも本当は違う。
絶頂なのです。
下りはしない。その瞬間があれば、涙を流すその時にも幸せしか感じない。どれだけ傷付く事が有ろうとも、胸が締め付けられるだけだった日々より遥かに希望に満ちている。だって明日を想う事が出来るのだから。
私はエディ・レッドメインに敬意を表する。
日本では「トランスジェンダーの役を演じることで、役者としての未来を失う覚悟をした」と言うほど忌まわしい存在らしい。ゲイとばれたら役者として居られないらしい。
でもエディは気にもしない。誇りにすら感じているそうだ。
そしてアリシアにも感謝する。この難役を丁寧に繊細にそして優しく愛らしく演じてくれました。
終盤のアイナーが思いのままに自分に向き合えたのも、全てゲルダの支え有ってこそ。想いを噛み締め、アイナーを第一に思うゲルダは本当に素敵でした。
本当に素晴らしい映画でした。もっと、心の揺れや変わる瞬間をじっくり受け取りたかった。少なくとも3時間くらい、彼らを見届けて居たかった。
“映画”そのものの事ですが、この映画はカメラのフォーカスが本当に効果を見せていて素敵でした。
対象物にピントが合っていて、その背景が完全にぼやけている。人物の、社会の中から取り残された感覚や不安を描いているのだと思います。
世界から隔絶されたような孤独感。
中でもゲルダが電話をするシーンはその画に胸がつまされるようでした。
靴選びのシーン、モデルのシーン、服を胸元に宛がい鏡を見るシーン、男の骨格を少しでも消せないかとばかりに体を横にして鏡を覗き込むシーン...どれもとても優雅で可愛らしかった。堪らなかった。
で。ゲルダ役のアリシア・ヴィキャンデル。
私、アリシアを認知しないで観た「コードネームU.N.C.L.E」ではキャラの描き方のせいでも有りましたが「あまりこの子好きじゃないなぁ」って思いました。
しかし「ピュア、純潔」で彼女をアリシア・ヴィキャンデルとして知る事となります。
人生を失敗したと思ってしまった平凡な女カタリナは、モーツァルトに感銘し、人生を変えようとする。
しかし彼女はあくまで凡人。才能なんてひとつも無い。
彼女は嘘をつく。自分は有名なピアニストだと。
そうして得た小さな仕事。そして気鋭の指揮者と知り合う。彼とは良い関係になって行くのだが、想いは少しずつズレ始めて行く…
始終、表情が曖昧ままのアリシアはとても地味。でも役には有ってる。性格的華やぎや才華を振り撒く事が無いので、何となく見過ごされて嘘がなかなか事態を壊さないことに無理は感じない。それなりに可愛げも見せ、周囲に馴染んで行く彼女に親しみさえ感じてくる。
ただね、どうも嘘をついている子を愛せるのかと言う難題が残り続ける。やはりなかなか共感は持てませんでした。しかし、彼女の執着が露に成って来る辺りから、私の中にふつふつと湧いて来る、「彼女を救って欲しい」と願う気持ちに驚かされました。
ああ...彼女は私なんだ。叶わない夢をたくさん見て来たけれど、それを叶える事が出来なかった。ささやかな安定や救いに縋り、私は「まだ幸せ」だと思っていたけれど、実は何も持っていないんだと気付かされた。そんな時、無性に焦る...
人生を変えられるものなら変えたいと願う彼女に、私は自分を見ました。
終盤は尽く彼女の夢が破壊されて行く。絶望的ではない。何故なら、彼女は何も持っていなかったから。
私は納得しようとする。これでいいのよね。仕方が無いのよね...。その矢先に、カタリナは暴挙的な行動をして自らを更に追い詰めてしまう。その様はあまりに痛々しくて胸に辛かった。
まるでフランス映画の「ピアニスト」のよう。愛に真っ直ぐだった真面目なピアノ教師が、若い生徒に恋をして、愛に溺れた頃、捨てられてしまう悲しくも哀れな女の物語。まさにそれだった。
ピアノ教師の想いは「純潔」そのものだった。
汚れ、思惑で満ち溢れたカタリナは、題名のように"純潔"なのかと誰もが疑うでしょう。私も納得はしません。でも、誰もが、想うものに真っ直ぐに向き合って、その輝きに魅せられ、それを少しでも私のものに出来るかもしれないと思った、その"胸の高鳴り"はまごう事なき「純潔」だったのではないでしょうか。
...ちょっと無理?
恋する女はいつも純潔ですから。(*^^*ゞ
ラストに爽快さは有りません。曇って陰鬱な北欧の空のようでした。
ただ、曇り空に覗く日射しのようなカタリナの笑顔が、記憶に残ります。
そして対照的な役「エクス・マキナ」のロボット役が素晴らしかった。
こちらは...いえ、こちらも彼女の表情豊かで無いところが役どころに見事なほどに貢献します。こう聞くと演技力が無いの?と思うかもしれませんが、この彼女は違う。"ゼロ"を演じる。そして"1"を見せる。
まさに"機械"の塊に浮かんで来る人間らしい要素がミソなのです。初めは作られた彫像のような女形。しかしそれが少しずつ人間らしさを羽織って行く。まさに羽織る。望む本来の姿に変貌して行くように。
検索エンジンを運営する最大手ブルーブック社。そこのプログラマー、ケイレブは社内くじに当選し、社長の別荘へと招かれる。
期間は一週間。そこで彼は社長のネイサンにある仕事を任される。それは最新のAIを搭載したロボット”エヴァ”のAIをテストすること。
アリシアはここで無垢なロボット”エヴァ”を演じる。
人間を超越するAIを描いた作品は少なくない。この作品も多くのそれらと同じような展開を見せる。新味を感じないかもしれない。でもこの作品には、あれがある。
余韻である。
ケイレブと話をする内、言葉や反応の他に"余白"を見聞きする。機械による意図か?処理のタイムラグか?
私達はそこに後に起こり得る危機を読み取らされていく。しかし、誰もが彼女にこう思わされもする。まるで初めての人に興味を示す無垢な少女のよう...。それどころか、彼女は心のようなものまでも見せ始める。
人と機械の違いとは?そんなテーマを細部にまで拘り、丁寧に綴られた高尚なSFらしいSF。
しかし甘かった。
映画はもっともっと彼女を人間らしく見せてくる。
エヴァは自らの終わりを怖れる。そしてもうひとつ、彼女は”嘘”を吐く。たかがの行為。嘘くらいねえ。
しかし私達は思う筈。それこそが人間だと。
ここまではAIの物語。とても繊細で、未来への希望と警鐘を描いているように見える。しかし。
私はこの映画に感動しました。ただの感動ではない。心が揺り動かされました。だって。
この映画が描いていたのはAIの進歩による恐怖ではなく、人間のあるがままの姿だったから。
ネイサンは男性(権力)そのものである。女性(ロボット)に自分の理想を宛て嵌め、生活力と"為すべきかたち"、"役割"を与える。それは妻であろう。
妻は初めはかたちだけだった。それは様々な人種や風貌、そして顔を得ていく。
そして最後は"感じる"と言うことを与える。
悲しいけれどネイサンが望んでいたのはAIではない。究極の”我が女”だ。作品にはエヴァの他にキョーコと言う存在が居る。彼女は英語が分からず、ただ給仕や身の回りの世話をする。
初めはお手伝いさんなのではないか?と思うけれど、次第に少し違う"役割"を想像させられることになる。
男は女に理想を当て嵌める。女は好かれる為にとそのかたちを受け入れようとする。男の色に染まろうとする。しかしそう在る為に必要なもの、"思考"は、次第に男の色から乖離させて行く。
それこそがエヴァ。
しかしネイサンは"男"の体現ではない。この映画では横暴のネイサンと共に、もうひとつの"男"、慈愛のケイレブが存在する。
ネイサンは狩りをした鹿の頭を飾るかのようにロボットの顔を壁に飾る。初見、ぞっとしました。それが出来るネイサンはまるで機械のようだ。
比べてケイレブはエヴァに"恋"ほどに慈しみを感じていく。優しさや労り...それらを配ろうとするケイレブは如何にも人間らしく見える。
さて、エヴァは機械か人間か。
人によって答えは違っているかと思います。
彼女はささやかな夢を抱いている。それゆえの結末を迎えます。
エヴァは解き放たれる。きっと彼女は"明日"を生きていくのだろう。
最もあなたが輝かしいのは、想いを成し遂げたとき。その時こそ、あまりに人間らしいあなたを見られるかもしれない。
「エクスマキナ」は地味な作品です。登場人物は基本4人。淡々と描かれ、派手なアクションや複雑な駆け引きも有りません。それなのに作品は観る者の心を捕らえていくのは、対照的な類似映画「アイ・ロボット」と見比べれば、納得し易いかもしれません。
アリシア・ヴィキャンデル。
今、ちょっとお気に入り。だって貧乳でも女は輝くと導いてくれるんですもの。ゴメンナサイ...
今、「ロイヤル・アフェア、愛と欲望の王宮」を観ました。ここでは彼女、貧乳で国王陛下から愛されない王女を演じています。まあ、理由はそれだけじゃないですが...
こちらもまた、アリシアが織り成した素晴らしい作品だったと添えておきます。私は悶え、涙しました。
このアリシアへの愛しみを私のモードに換えて、早速「コードネームU.N.C.L.E」のBlu-rayを購入。アリシア目当てになったなら印象が変わるものかと、楽しみです。
実は彼女、あの「Shame」のマイケル・ファスベンダー氏の奥さんなのよね。ふたりとも大好き(●´ω`●)☆