性別適合手術後、22日目。不完全な完全 | まりのブログ

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性同一性障害者の私が、思いのままに生きるために頑張って生きてます。
性別適合手術をしてから2年になりました。
私はトランスジェンダーとして誇りを持って生きてます

最後の朝食。
シリアルとタロ芋入りのパン?スイカにパイナップル。

現地時間9時。
早めながら、午前のダイレーションに入ります。ベットの上で行うのは、ひと苦労です。やはり朝なのでなかなか入らず、先日のきつさよりも遥かにきつい。全く入りません。3インチしか入りません。5インチ(12.7cm)を越えなくちゃいけないのに~。
仕方なくジェルを追加し、再挑戦です
しかし、相変わらずの厳しい状態。さすがに諦めて、そのままにしました。
ですが、押したままでいると次第に入っていくもので、10分後には5インチ手前まで入っていました。12.5cmくらいかな。
でも、そこが限界。
それ以上は微動だにしませんでした。硬い骨に当たっているようで、言い様の無い不快を感じます。
さすがに今日は時間が長く感じられます。疲れが非常に溜まります。30分でやめちゃおうかな...なんて弱音が湧いてきます。
葛藤と苦痛の1時間。あまりに長い1時間。
本当に疲れました...


現地時間10時半。
ガモン先生の経過観察です。
ようやくです。
事の状態はガモン先生も、一目瞭然に分かるでしょう。どう思うのでしょう?
しかし診察室に通されてベッドに下半身を晒したまま、先生はなかなか来ません。
その間、看護婦さんたちが、私ににこやかに笑顔や言葉を投げ掛けてくれます。
先生が来ました。いつもながらの優しい笑顔。
しかし、患部を覗き見ると、途端にお仕事モードに入ります。
綿棒や器具を使いながら、何やらタイ語で話しています。看護婦さん達はそれを聞きながら頷いています。
「痛い?」と聞かれますが、痛くはありません。
先生は器具を置き、一考します。
患部の状態は決して良くは有りませんが、消毒をきちんと続けていれば、2~3週間で治癒し、1か月後には湯船に浸かっても大丈夫だろうとの事でした。
本当に?と思いましたが、真剣な眼差しで私を見る先生に、信じる事しか考えられません。
ひと先ずの処置として、皮膚の回復が著しくない部分を切除、除去し、健康な状態を保持するとの事でした。
切開、切除がその場で行われます。
手際よく瞬く間に器具が並べられます。
看護婦さんは何やら液体を患部に散布します。部分麻酔をしたのかな?
そうして意識のあるまま行われたプチ手術。
患部をかりかりと削っているように感じます。当たっているのは分かりますが、感覚はありません。
手術は10分は掛からなかったと思います。
手際よく処理され、先生は「患部の消毒だけはきちんとして欲しい。そうすれば大丈夫」と残して部屋を出ていきました。
看護婦さんらはまだ残り、私の患部にガーゼを当て、血を止める処置をします。
2~3時間は血を止めたいのでガーゼを外さないようにして欲しいと言われ、術後のようにガッチリ固められました。
結局の所、私の患部は血行がうまく通らなかったようです。そこに小陰径の大きさのアンバランスもあって小さい方が圧迫されてしまったのかと思います。
理由は詳しくはわかりません。ですが、悪い部分は切除したので、これからは回復が進むことでしょう。
ふう。良かった。
看護婦さんたちも笑顔で私を見送ってくれます。

「こんなでも回復しますか?」と聞こうと思ったけれど、先生はその点を先に説明してくれました。私の心が覗かれたみたい。
信じよう。素直にそう思いました。
でもね、本当に私をまやかしたのは、看護婦さん達なんだよね。からからと笑い、私を構い、時にからかい、そして同情してくれる。
騙されるんだ、あの笑顔にね。

私の足りないものを埋めるのは、私以外の存在だと思います。
信じることから始まる、愛のようなもの。
私はひどく不完全。それを体現するかのような不完全な体。でも、このガモン・ホスピタルに居て、不安に泣いたけれど不幸じゃなかった。
それはみんなが私を満たしてくれたから。
看護婦さんだけじゃない。掃除婦のおばさんや配膳のおばさんもそう。そして私のブログを読んで何かを感じ取ってくれた全ての人達。
心からありがとう。
そしてもし、私の経験や言葉があなたを満たすひと欠片になっていたら、私の本望です。


今日のガモンはどちらかと言うと、静かでした。誰かに会いたいと願っても、なかなか会えません。
ふと、隣人さんが目に入りました。
隣人さんは言語がさっぱり。でも手を振ると、圧倒するような目をこちらに向け、私だと気付くと、乙女の優しい笑顔で手を振り返してくれます。
今日は最後だから、それで別れられない。
「Tomorrow, i will back home」拙い英語。
でも通じます。
彼女は190cmクラスの体で迫り、私をぎゅっとしてくれました。そして肩をぽんと叩くと、いつも以上に可愛く微笑んでくれて、そのまま、去っていきました。
大きなお尻を左右に振って歩く姿は、敬愛すべき麗しきレディでした。
大好きよ、お姉さん。


お昼時です。食事に出掛けます。
思い出にと、ちゃんとしたタイ料理のお店に赴きました。
日本人街の奥手にある、洒落たお店です。
あ~名前、メモをしないと忘れます。すみません、忘れました。
魚の擂り身の蒸し物とスパイシーココナッツスープ、豚肉のレモンガーリックマリネ風?をアテンドさんとシェア。デザートにチーズケーキ。
480バーツ。わお。
味はまあまあかな。私はやはり大衆型なので、デートは食べ歩きでもファストフードでも満足です。:p

帰宅してアテンドさんに「今からですがダイレーション頑張って」と言われたけれど、もうやっちゃったんだよね。
でもそれ以上におしっこ。
ですが、見てビックリ。止血のガーゼが股全体をがっしり固定しています。
これはどうしたものか。
2、3時間って言ってたよ。もう2時間くらいになる?おしっこを漏らす方が患部に悪いと決意し、ガーゼを取りました。最も内側が取りにくい...
そっと...えい。
滴るものが。ぴちゃり。
鮮血。瞬く間に床が血みどろに。
手を宛がえば、床を拭こうとするならば、次から次へとおぞましき濃い赤に染まります。
ぎゃ~。
私は慌てて洗面所へ駆け込みます。
ぎゃ~。
おしっこまで出てきた!
地獄絵図とはまさに言ったもの。

それからはお掃除タイム。
なんとか片付けて、ほっとして、さて、ベッドに寝転んで、血が止まるのを待ちます。
ふう。ひと息。
つい言い出せなかったダイレーションをしているつもり。
と。また危機が。お腹が痛い...でも、力んだら傷口が開きそう。
地獄の2丁目開始。
...悪い事と言うほどでは無いけれど、嘘はやっぱりいけません。時には命を縮めかねません。

ガーゼを取り、患部を確認しました。
小陰経の片方の下半分がおおよそ無くなりました。
お陰でいつまでも回復しない危うい部分がなくなって、スッキリしました。
見た目のバランスは悪いけれど、笑いの種にはなるよね。
所詮、私はオカマ。そんなのを愛せる人なら笑ってくれるさ。治らないかもしれない危なっかしいものを抱えて、笑って街を歩けない。でも無いなら治る確率を期待出来ると言うもの。
腕がなくたって人は生きる。私も同じさ。
Gidと言う障害から抜け出して、今はある意味、小陰径障害者になりました。それは私が生きる上で全く障害にならない。
はあ。スッキリした。
私はひと月で回復する。
女性ホルモンも飲み始められるから、再び柔らかい女性らしい脂肪を取り戻せる。
ようやく私の人生が始まる。

なにしろガモン先生、いい人なんだよね。当たり良いし、真面目でもあるし。
余計なことを言えなかった。随分、気を遣ってくれたからね。特に看護婦さんの気遣いがすごくてね。みんな5秒もあれば友達みたいになる。
だから、別れ難くて寂しくなる。


血は止まっているみたい。
大丈夫。
夕食を買いにいきましょう。こんなだから、座るのは無理。コンビニかなあ。
なんかごった煮のスイーツを買いました。小豆みたいな味もするけれどタロ芋かなあ?何だろう、見た目は白っぽい。
小さいわりにお腹に入りました。

帰宅した時、コンシェルジュさんが話しかけてきました。言葉を選び、私が分かりやすい英語を投げ掛けてくれます。
頑張って、と暖かいエールを頂きました。
本当に忘れません。本当に嬉しかったよ~。楽しかったよ~。
苦しみも今や思い出。
私は至福と満足の内に、日本へ帰ります。


帰る前に最後にすること。
ダイレーション。夜中にしなくちゃ。
飛行機の中で出来ないからね。
あと、アテンドさんの写真を撮らせて貰おう。
あと。
あとは、記憶に。胸に。私の未来に。