充実した1日に胸を温め、それがまた明日へと続かないものかと、願うばかり。
窓の外を眺める。
星ひとつ見えない。
希望を空に投げ掛けて、たくさんの願い事をしたいけれど、ため息ばかりが零れ落ちる。
しんとした街。しんとした部屋。
でも虚ろな影は射し込まない。
胸は温かいまま。
朝食はハムとチーズの手作りサンドウィッチ。スイカにパイナップル。
今朝はちょっと賑やかです。子供の声とその母の声が響きます。
あの子だよね、きっと。私を見上げて微笑んだ、あの女の子。
ミヤ?そんな風に呼んだかな?
とっても元気な子のようです。
呼応するかのように、みんな配膳のおばさんが来る度に、今まで聞こえやしなかった入居者の声が、今日は廊下に響きます。
「Have a nice day♪」「Thank you♪」
そんな言葉が微笑ましく、耳に心地好い朝。今日も1日が始まります。
今日はガモン先生の検診があります。
まだ患部には腫れが残り、小陰径の左右の大きさが全く違う個性的な女性器と化しています。
鈍痛は消え、少し患部が腫れぼったく感じられます。
昨晩は眠る時だけ生理用ナプキンをお尻の"また"が埋まるように張り替えてみた所、漏れが無く、大成功♪
ぐっすり眠る事が出来ました。
それからカテーテルを外してから昨日までは、小用を行う時、少し力を入れると出すのが楽でした。
それでも、半分は何処だかの壁に当たっているらしく、太ももの方に流れてしまったりして、水洗いを念入りにしたものです。
しかし、抜糸完了後の今朝と来たら、まあ、快適放尿。残尿感も無く、すかっとしました。
男性器が有った時より、膀胱に小水が溜まり、出してまた溜まる感じが分かり易いです。
ただ、どこから出ているのか、未だによく分かりません。
現地時間10時30分。
アテンドさんがまだ来ていなかったので、ちょっと心配になり先にロビーへと降りました。
椅子に座っていると、看護婦さんに呼ばれ、名前を確認。私の時間のようです。
少し、心細さは有りますが、気にしていられません。
診察室に入ると下半身を脱ぎます。
私の手術はSRS2と言うらしいのですが、詳しくは分かりません。それの確認と、ダイレーションのサイズなどの確認を片言英語で行いました。
促されて高いベッドに寝そべると、看護婦さんが取り囲みました。
そしてガモン先生の登場です。明るく陽気な先生、今日は一転して真面目です。
先生は私の患部を見ると、少し、「ん"~」と腕を組んで考えます。
すると綿棒であちらこちらに触れます。
タイ語で色々と話す先生に必死で聞こうとする看護婦さんたち。私の女性器はさながら研究素材。
膣クランプで膣を開き、あちこちを指摘する。でもやはり何を言っているんだか分かりません。
ある程度日本語が出来るスタッフさんが傍らに居て、要約して翻訳してくれますが、難しい話はスルー。結局のところ「腫れているから、消毒を続けて、1週間後、経過観察しましょう」との事。
去り行く先生はいつもの笑顔が無く、ちょっと心配です。
私は少しすっきりしないものを抱えたまま、ダイレーションルームへと向かいます。
悲しいかな、まだ0号。
ですが、私ったら1時間をずっと眠って過ごしてしまいました。体内時計は完璧で、終了直前に起きる見事さ。
看護婦さんはお隣さんの元へ。
ダイレーターを抜く前に「痛い?」と聞くと、躊躇いながら「う...うん」と答えました。
やはり痛いのね。17cmでも変わらないのね。それも開始翌日でも少しは痛いのね。
私はいつになるのか分からない1号ですが、しっかり記憶だけはしておこう。
看護婦さんが来ました。
すると「Today, noon, dilation No.1, OK?」
看護婦さんは私を案じて、覚悟は出来ていますか?とばかりに眉を潜めます。
でもね。
「OK!」私は楽しみでならないのです。
アテンドさんはガモン先生の居る時に到着しました。たかが5分くらい。それはゆるやかなタイの時間の流れではほんの僅かです。
昼食はまた2品のおかずを選んで、ご飯に盛ってもらう屋台へ。
今日はナマズの煮物と甘辛そうな豚肉にしました。
ナマズは初体験。うん、おいしい。ぷりぷりの白身肉がとても食べ応え有ります。少し辛く仕上げられていて、満足でした。比べお肉は、ま~あ甘い。辛味は無いです。
2食のコントラストが何とも場違いでした。
でも、このお肉...普通の豚肉では有りません。柔らかさとこりこりした感覚が混じっています。何と無く豚足とか耳とか、そんな部位だと思います。
どちらも食べたことがなかったので、良い経験をしました。
45バーツ。
帰宅した時、エレベーターから降りようとすると、私と同じ、Gidと思われる方とすれ違いました。
顎は髭の色が浮いていて、見た目も何と無くメキシコ系タクシー運転手のおじさん。
でも胸元に添えられた手と、その優しげな声は間違いなく、私と同じ。
彼は、小さくなって、慌てて、逃げるように身を隠します。
エレベーターの扉が閉まり、ふと、振り返る。
私も同じ。負けないで。
午後はアテンドさんがちょっと場を外したので、躊躇わず散歩に出掛けちゃいました。
しかし脇道を楽しめなかったので、変化を期待出来ません。思い切って何も無さそうで避けた、ハイウェイへの道へ足をのばしました。
ハイウェイ沿いはサイクリングロードが有り、南国特有の椰子や枇杷が植えられ、その奥に避暑地っぽい雰囲気の建物や屋台が並びます。
右手は車の洪水、左手はリゾート。
私はそのサイクリングロードをとことこと歩きます。車の音以外は穏やかな通り。年配のおばさんが道の掃除をして居ます。
タイは屋台村のゴミこそ投げ置きですが、道は驚くほど綺麗。フランスなどと同じで雇われ掃除屋さんがいるのだと思います。
ただ、水路が稀に有るのですが、近付くと、匂いで分かるのが残念です。ものすごく汚いです。水路の在る意味が分かりません。それでもそんな水を吸い上げ、由々しく育つ木々の生命力は恐ろしいです。椰子が水路から生えていました。
また1キロほど行くと大きな交差点がありました。渡りたかったのですが、信号がどちらを向いているのか分からず、断念。
仕方無く、左から来たのにまた左へと戻ります。
しかしその先の道は全く知らない交差点。私は恐る恐る対岸へ渡り、商店街を進みます。
良くて4畳程度の店が立ちならび、店員はお店で商品と一緒に床で寝ているます。犬やら鶏やらが入り乱れ、歩道が狭いのに椅子は出すわテーブルは出すわ、あげく育ち過ぎた街路樹が邪魔でならない。地面は根で波打っているし、歩き辛いったら無い。
でもみんな明るく賑やか。
でもね。稀に小屋が途切れると、その向こうにある貧民街が目に飛び込んできます。
昨日見た高級住宅なんて、別な国かと思うくらい格が違う。素材を寄せ集めて形だけ作ったような傾いた家。ごみが散乱し、そこにある全てが錆びて汚れて、くすんでいる。
私は"貧しくても奴隷でも人は愛を育み、幸せになる"と語ってきましたが、この"哀れ"は簡単には振り払えません。
私を気遣ってくれる看護婦さんの中にも、きっとこんな街で育った子も居る筈です。
私達はなんて贅沢な生き方をしているのだろう...ふと、熱い滴が頬を伝いました。
戻れるだろうか...と不安になりながら、また1キロ以上は歩きました。すると立体道路が見えました。そして何と無く嗅ぐわう匂い。
私は足取り軽く立体道路脇の階段を昇ります。
川!
コンクリートに囲われた川ではありましたが、川幅は広く、豊かな水を携える紛れもない川です。
これが見たかった。
私はしばらく橋の上で川を見ていました。多少、汚くて、多少、匂うけれど、人々の生活に欠かせない水です。
水の傍には豊かな人の都が在る筈です。
私は川にお別れして更に先に進みます。

川です♪
タイの道路は広いので、歩道に歩道橋が設置されています。
しかし、その歩道橋。絶対に無計画で設置されています。歩道の8割から9割を埋めてしまっているのです。
だから歩道を進みたい場合、体を僅かな隙間をすり抜けさせる必要があり、ずんぐりな私が一度も擦らなかったのは奇跡です。
あぁ、だからタイの人は細いのか。そんなわけない。
先に進むと、黄金色の建物が並ぶ場所がありました。
寺院かしら?
しかし、何とも...ごめんなさい。安っぽい。観光用かと思い、入りませんでした。
その先、左手には、学生が集う繁華街がありました。本屋も立ちならび、参考書のような本が店を占めています。
対岸には大きな施設が立ち並び、きっと大学か何かなのでしょう。
食べ物屋は勿論、金細工屋さん、ブティックや靴屋も多く見られます。
思った以上にイスラム系の子が多く、頭に黒い布を被って歩く子が目に入らない時はありません。
イスラムと聞くと厳格そうですが、笑顔で走り回る子や、フルーツソースの掛かったアイスを手に談笑する姿は、私達と何ら変わりません。
繁華街は長く、短い横道は多いのですが、良くて川で途切れるので、橋が見えるか、広い道になったら曲がろうと思いました。
それに程好く進んでから左に曲がれば、もしかしたらガモンに帰れるかもと期待しているほど、疲れが脚に来ていました。

乗り合いバスの発着所。走る姿がなんとも可愛いのです♥
また1キロ以上歩くと、左側に車が多く走る道がありました。橋もあるだろうと曲がってみます。
何度も見かけていた乗り合いバスの発着所になっています。まあ、発着所とは言っても道端に勝手に停めてあるだけです。
橋を渡り、平凡な普通のタイの通りを、ただてくてくと歩きます。
また1キロ以上歩いた頃、すれ違うおじさんに声を掛けられました。
手でご飯を食べる振りをして何かを言っているのですが、タイ語は全く分かりません。
おじさんは何度も繰り返しますが、どうする事も出来ず、私は「Sorry I can't, I can not speaking, sorry」と伝えましたが、おじさんは英語が分からないようで、肩を落として行ってしまいました。
何とも罪深さが残りました。
いつもなら「ナンパ?お誘い?」と浮かれそうな所ですが、今は太ももが痛くなり始めていて、"帰れるか"ばかり考えていました。
道は蛇行し、さすがに不安がのし掛かって足取りを重くします。
大きな通りに出ました。
広い道は良い兆し。でもガモンの道はもっと小さい道です。
私はしばらく歩いてみましたが、時計が14時を回ったので、Uターンするなら今が最後と思い、元来た道を戻りました。
私と目が合い会釈をした人達が汗まみれで肩を落として歩く私を「どうしたの?」と言わんばかりに見ています。
私の太ももはもう限界に来ていました。筋肉がびりびりと痺れ、今にも痙攣しそうなほどです。
橋を渡ろうとして、川沿いに道があることを思い出し、降りてみました。
川沿いの道は歩き易く、通行人も少ない。近道にも成るので、少しは希望を持ちます。小さな橋が見える度に次こそ、あの、寛いだ橋であろうと祈ります。
時たまに在るアーチの橋は急角度過ぎて、脚を苦しめます。川を跨ぐ橋の下を潜ろうとすれば、160cm以上なら屈まなければなりません。
川沿いの道には何人かの人が座り込んでいました。彼等は切って器状にしたペットボトルを手に、お金をくれとねだります。
私は丁度、両替したお金が切れていて、財布の中は空っぽでした。
ごめんなさい、とその場は去ります。
少し、苦いものが胸に溜まっていきます。

水上バスが走ってきました。
あぁ...私の待っていた生活感...挫けそうになりながらも写真にだけは収めます。
何とか、かの橋まで辿り着き、商店街通りに躍り出ますが、まだまだ道は長い。
でも、限界を感じる私を救うのは、やはり笑顔です。
私は上がらなくなる手を必死で合わせ、挨拶をし続けました。無視されようと奇異の目で見られようと、挫けません。
100の挨拶に1の笑顔が返ってくるならば、それが私の歩みの限界を、また100伸ばしてくれるから。
交差点を曲がり、また1キロ半あまり。ようやくガモンに帰って来ました。
もう倒れる寸前。
この時、現地時間15時。
私は1時間、ベッドに突っ伏し脚を放り出して体を休めました。
現地時間16時。ダイレーションです。
服を着替え体を拭き、患部はトイレの洗浄用ホースで洗ってあります。
ふと。必ず情報の端に書かれた言葉を思い出します。
稀に膣の剥離が...
定着甘い今、無理な運動をすると膣が剥がれ落ちかねません。重い荷物もひと月は持つなと言うほどです。
少し、患部が腫れぼったい?
私はまたもや新たな不安を背負い、ダイレーションルームへと向かいます。
ダイレーションは初めの30分は0号を使い、残りの30分を1号にアップします。
しばらくの何て事無い時間。
しかしちょっと。しばらく感じなかった抜き差しの不快感が今回に限って有ります。
私はぐったりして、ただ、どうでも良いさ成るように成れと思っていました。
自分のミス。体力への過信が引き起こした代償。
30分後、看護婦さんが来ました。
一気に太さを増したようなダイレーター1号。
看護婦さんは「痛いよ」と言います。
私は覚悟して1号を受け入れます。
...しかし。一向に不快感が起こりません。意識で探ると確かにダイレーター1号は私の膣に入ってきているのです。
一度、止まります。
「痛い?」
「No, I'm OK, 大丈夫」
そう言うと、看護婦さんは更にダイレーターを押し込みました。
また痛いかと聞かれましたが、いやね、全く痛くないのよ。
それも不快感が有りません。
入っている状態では確かに腰を動かし辛かったりはしますが、痛みらしきものは感じませんでした。
30分後。もう体の一部のようなダイレーターが取り除かれます。
看護婦さんの「痛い?」は私には必要有りません。
またもや皆さんごめんなさい。
私、全く痛くありませんで、痛みのリポートが出来ませんでした。
何故なのか。手術後は麻酔が切れると痛みに悶えると聞きますが、全くありませんでした。抜糸もダイレーションも、強い痛みが付きまとうものと聞いているのですが、今のところ、容易く乗り越えてしまいました...

穏やかですが、ダイレーション中です。:p
今日。ガモンホテルは入居者に溢れています。
日本、タイ、多分メキシコ、多分スペイン、南米、韓国...と多国籍です。
今日はIVANちゃんに出掛け際に手を振ったら返してくれました。メキシコと思われる方の連れのお母様とは良いお友達です。
あの誕生パーティはみんなを繋ぎ、私をのぼせ上がらせました。:p
でも私達を本当に繋げたのは催しそのものでは無く、私達みんなが苦しんで悩み抜いた現実、トランスジェンダーである全てであると心から思います。
マイノリティは戦う為に有るのでは有りません。繋がる為に有るのです。そしてマイノリティを理解する者は、無数の縁と可能性を得る。そう感じます。
私の知る限り、ガモンホテルの日本人はよそよそしい。挨拶さえしない。
でも私みたいなものも居るんだぞと、トランスジェンダーの輪にしっかり示して帰ります。
夕食はいかにもなラーメンを食べました。麺は日本のとは違い汁を染み込まず、汁を絡めて食べます。
つくね団子3つにうどんもどき1本が入り、そぼろ肉とネギ、ハーブが入っていました。
ちょっとハーブがレモングラスっぽくて、あのトムヤムクン麺を思い出させ、美味しかったです。
60バーツ。
帰宅後、ベッドに潜り込み、1時間、寝息をたてて眠りました。
まだ眠れますが、何故か眠気が薄れたので、これを書いています。
明日はどんな日に成るか楽しみです。でも、筋肉痛で動けないかもしれません。
...痩せたかな?嬉しい悲鳴を期待して。