まだまだ危ういですが、回復著しく、心、穏やかです。
患部の腫れもまだ有りますが、張り切った感じは無く、遅れ馳せ順調...かな?
そう言えば、ベッドに入るといつも血の匂いがしていましたが、感じなくなりました。まだ出血は有るようですが、量は確実に減っているようです。
匂いは慣れただけだったりして...
患部を見てみると、出血は周辺のようで中ではないようです。2度目のダイレーションの際に、ダイレーターに血が付いていたので、膣内の出血を疑っていましたが、3度目以降は血は付いていないみたい。
少し安心しています。

ガモンホスピタルです。
朝食はパンにウィンナーとハム。牛乳とバナナ付き。
あれ...なんだろう。疲れてる...
貧血を感じない久々の朝なのに。
着々とダイレーションの時間は迫ります。
私、1日がダイレーションで終わる毎日に少し嫌気がさしてきた?
空は薄く雲が立ち込め、遠方は暗雲に満ちています。予感めいたものは有りませんが、雨の予感は確実です。
ごろごろと鳴り始めた空。鬱蒼とした気配。
窓辺に立ち、外を眺める。
しばらく。目線は何も捉えていません。ただ、世界と言う空間に目を遣っているだけ。
晴れに喜び、雨に嘆く事も無い。
そこに明日を探し、昨日を慈しむ事も無い。
何も思わない。何も感じない。
ただ、そこに私は在るだけ。
今日の私は少しナーバスです。
現地時間11時。
降り始めた雨音がダイレーションルームにも響きます。
今日のダイレーションは看護婦さんが違いました。ただ、作業服のようなナース服を着ていないので、代理かと思います。
手際は良く、いつものちくちくと言う痛みさえありません。
ダイレーターを入れる僅かな不快、抜く際の不快は相変わらず。
ですが今日の私は人形のよう。体はされるがまま。
ふと。今日は右ね...と。
ダイレーターが入って来て奥まで行き着くのですが、右寄りだったり左寄りだったりします。中は思ったより広いのでしょうか?それとも造"子宮"もされているのかしら?:p
実は、レントゲンを撮ってみたら子宮がありましたので穴だけ開けたらあなたは女です、みたいに言われないかなと、ささやかに期待していました。
当然、そんな事は有りませんでしたが。
ダイレーションが終わりました。
ご苦労様でした、私。
生理用品をまめに変えなさいと言いながら追加置きしてくれない看護婦さん。
あれ?本当は自分で買うのかな...2パック持ってきちゃった。
今更、聞き辛いなあ...英語だし。
今日、また日本から性別適合手術に入る子が来ました。
遺伝子女性...かな?
若いね。
若い内に出来ていたらと悩まない日は有りませんが、この子は本当に自分に向き合ってからここに居るのだろうかと心配になります。
正直、人生に性別は関係無いと思います。どちらの性だろうと、なんらかの明日を形作れます。それどころか性別適合手術をすると閉ざされた心の扉を開く反面、社会の門戸は閉ざされます。
おかしいよね、と言う人も居ますが、誰だって"醜い"や"貧しい"や"変わった話し方"だけで嫌悪の目を向けたことがある筈です。
私達は子を育めない。それだけで、人は目を背ける理由を抱いてしまうのです。
それは仕方がない。
人が作り出した社会。人を反映していますから。
ちょっと彼女のアテンドさん、年配の小太りさんで、まるで何処ぞやの管理人みたいに、エレベーターの使い方から何から教える丁寧さ。しかしながら、教え方が押し付けのような印象。
管理がしっかりで悩む事がなくて楽かもしれないけれど、楽しくないね。
昼食です。
いつもなら直ぐに止む雨がまだ降っていました。空は雲が途切れ、青空が見えるものの、雨は止みそうにありません。
私達はアテンドさんの車で素敵な食事を求めて、出発です。
車は昨日歩いた道へ。例のモールとブライダルショップの通りです。
綺麗で可憐なウェディングドレスを横目に見ながら、車は通りを行きます。
アテンドさんは幾つかの提案を出してくれました。でも、どれが良いのか...いえ、それどころか、どれでも良いんです。
舌が満足して、程好く雰囲気を楽しめれば。誰かと一緒に食べられれば。
で。今日はカレーラーメンを食します。
ココナッツミルクを主体とした黄色いカレー汁に鳥のモモ肉一本が、どかんと器を跨ぐように納められ、その下に平麺、上に堅焼きの麺をまぶしたものです。
そこにセルフサービスでキャベツ、もやし、ネギ、高菜?、香草を足せます。
私はアテンドさんを真似してキャベツともやし、高菜を皿に盛り、何度かに分けてラーメンと楽しみました。
ラーメンはココナッツミルクのコクが良い味わいを出していて、とても美味しかったです。さすがにお肉はかぶり付いて良いものか悩み、ひと口だけがぶり、後は細かく箸で裂きながら食べました。
60バーツ。
しかしまたもやちょっと問題が。
やはり王様が亡くなられたタイではしばらくの間、喪に服します。
気づけばみんな白か黒の服を着ています。それなのに私はピンクを着てきてしまいました。
私はもうしわけなさげに小さくなって食事をし、終え、そそくさと出てきました。
店内では私が海外の人として珍しいのか、遺伝子の男を感じ取ったのか、はたまたピンクに怒っていたのか、みんな私をちらちらと見遣ります。
ちょっと食べるのに気を遣っちゃいました。せめて、麺もスープもすすらないように、器は持たないように。
車に乗る時は雨がほぼ止んで居たのですが、車に乗ると雨雫は徐々に数を増し、ガモンで車を降りる頃にはちょっとした大雨です。
部屋に戻ると、雨は窓を叩き付けて、空は瞬き、雷鳴が轟く。まるで嵐のようでした。
しばらく雨は降り続けました。
まるで業のようなものを洗い流そうとするかのように。王の死を悲しむかのように。
現地時間16時、少し前。
アテンドさんから連絡があり、少し遅れるとのこと。
話によると雨が道に溢れ、洪水を起こしていたらしく、あちこちで道が塞がれていたそうです。
午後は服を着替え、花柄ながら地味な服で参じます。喪中にピンクはいけません。
ダイレーションは前半こそ呑気に妄想。恋人との妄想会話を楽しみました。
しかし25分を過ぎた頃、私、意識を失っていました。
安心召されい、ただの居眠りです。ダイレーターを支えている帯もしっかり握っていましたし、起きた時、自分の事ながら驚きました。
「ここ何処...」
夕食時。雨は止んでいました。しかし水溜まりは多く、ロングスカートは選択ミス。
いつも賑やかな通りは、休日だからか殆んどのお店は休みなので、コンビニ向こうの食堂へ。例の"わんわん"が入り口で寛いでいるお店です。
豚肉と野菜の炒め物を頼みましたが、何故か、タイは野菜がらみのものを頼むと売り切れが目立ちます。
ですのでオムレツにしました。
写真を見ると卵がぷるぷるでなかなかです。
しかし残念ながら来てみたら、フライパン型の卵焼きがご飯に墜落したUFOのように乗っかって居るだけ。
思わず「大胆な作りね」とこぼしてしまいました。
甘めのチリソースをかけて食べました。まあ、チリソースの美味しさ手伝い、食は進みます。
アテンドさんの豚肉チャーハンは見た目最高。ライムを振り掛けていただきます。
しかし、なかなかの量。
アテンドさん「ちょっと食べられそうにないので、食べますか?」
待ってました!
「頂きます」と少し欲張って頂いちゃいました。また美味しい♪ライム最高。
皿を平らげ、ふうとひと息。
アテンドさんはお腹がいっぱいでふうふう言っていました。
ご飯を皿の端に寄せて箸を置いたので、「ライムがすごく美味しいですね。口残りが、もう、抜群。もう少し頂いちゃいますね」と、私はアテンドさんの残したご飯をいただいてしまいした。
つくづく女としてどうかと言う行為。
50バーツ。今日はちょっとオムレツの出来から見て、高く感じました。
帰宅し、エレベーターを降りようとすると...IVANちゃん、でいいや...彼女のご両親がコンシェルジュさんと病院スタッフの女性を連れて乗り込んできました。私は頭を下げながら間をすり抜け、ご両親には笑顔で「Hi♪」と投げ掛けました。
扉が閉まり、ふと。
さすがに「Hi」は無かったかな...なんて。意外と同世代だったりして。
うう~現実が私を虚しくさせる。
お母さん、凄く綺麗な赤髪で、素敵でした。見習おうっと。
でも、コンシェルジュさん達を連れてなんて、なんか仰々しいね。トラブル起こして、早期退院とか?痛かったのかなあ...椅子が辛かったのかなあ...
あん、まだ少しはお知り合いになるチャンスを願っているのに。
でも、その前におトイレです。
今頃のIVANちゃんのご両親とコンシェルジュさんの会話を想像します。
「ねえ、今のお嬢さん、うちの子と同じなのかしら?」
「あ...はい。ほぼ同期で、同じメニューをこなしてらっしゃいます」
夫婦は顔を見合わせて
「ちょっと説得すべきかも知れないわね。あんな"可愛らしい"お嬢さんだって頑張っているのでしょ」
「はい、そうですね」
微笑み合う2人には決意に似たものがありました。
なあんてね:p
帰宅後はなんにもする気が起きず、ぼ~っとするだけ。
折角なので「バウンティ・ハンター」と言うジェラルド・バトラーとジェニファー・アニストンのコメディを観ようと思います。
以前、観た事が有ったので、気楽に観られます。
アテンドさんから借りたDVDプレイヤーは残念ながらリモコンが紛失してしまっています。ですので残念なのは長い予告編を最後まで観なければいけない事です。
しばらく懐かしの映画予告を「有ったね、こんな映画」とばかりに観ていると、とある映画予告が始まりました。
ある夫婦は子供と暮らしていてそれなりに幸せそうです。しかし子供はポンペ病を患っており、もう長くは生きられません。父はある科学者に協力を願い、後に社会の不合理にぶち当たります。
そして2人の決断は製薬会社までも作ってしまうのです。
「小さな命が呼ぶとき」
この映画は観たことが有ります。鈍調な展開で、話は良いのにあまり面白さを感じない作品です。
しかし。
科学者が研究が上手く進まず、抱えた憤りを、焦る父親にぶつけます。でも、父親の語る事は全て正論。彼は自分を奮わせようとするかのように、こう語ります。
「子を守ろうとする父親は、絶対に諦めない」
私はどっと涙を流してしまいました。
私は幸せです。でも、父には言わずタイに居ます。当然、性別適合手術の事など告げていません。
多分、言えば何とか成ったかも。でも失望の顔をどうしても見たくなかった。
そんな家だった。
1度も誉められたことのない人生。
"男らしく"はどうしても馴染めない私。
運良くか悪くか大病もせず、父の父らしい懐を実感する事も無かった。
あげく私はたくさん見て時間を費やした"夢"が全く、尽く叶わなかった。
父に言われた言葉「いつ終わりにするんだ?」が胸に突き刺さったままです。
悪い気持ちで言ったんじゃないと信じているけれど、それが私を今日まで追い詰めた。
父よ。あなたは私の為に、どこまでしてくれますか?
そしてもうひとつ。
私は父にも母にも成れません。溢れんばかりの愛が、注がれる対象も無く、ただ溜まっていくばかりです。
養子など方法が有るのは分かっています。
でも、未知数に胸を撫で下ろせるほど、容易くは有りません。
そんな想いが、私の心をしっとりと濡らしています。
いつもなら白み始めてもいいタイの空は、まだ目を覚まそうとしません。
今日も明日も雨らしい。
涙はタイに流し、晴れの私で帰国したいものです。