性同一性障害の診断書を貰っちゃった | まりのブログ

まりのブログ

性同一性障害者の私が、思いのままに生きるために頑張って生きてます。
性別適合手術をしてから2年になりました。
私はトランスジェンダーとして誇りを持って生きてます

先日からちょっと体調不良が続き、何気無い入浴中に、ふと...「私、死ぬんじゃないか」と真剣に考えてしまいました。
正直、この不調は深刻で、日に日に生活を脅かしています。
こんな状態で性別適合手術なんてしたら、体力不足で命を縮めます。
でもね、そう考えたら私の中の"核"のようなものが騒ぎ始めました。
躊躇っている場合じゃないのです。今日を明日を無駄にしてはいけないのです。
私、性同一性障害の診断書を貰いに行こうと思います。
何故、無駄に時間を過ごしてしまったかと言うと、自分の人生は自分のものだから、とは言いますし、当然、私も思いますが、やはり私は親に、中でも母にちゃんと覚悟して貰いたいんだ。それは、性別適合手術までね。だからって、いつかいつかと延ばして幾年月が過ぎて...やっぱり駄目。
で。
取るのに...診断書の事です...半年から1年掛かるとも言いますから、それを思うと気が重いです。それで終わりじゃないですしね。
ω<。)
でも、私、自信だけはあります。だって24時間を女として生き、1年10ヶ月の女性ホルモンキャリア。性衝動無し、パンセクシャリティながら男性に好意を感じやすく、男的性交渉を嫌う為に女性経験無し、女の体での性交渉に焦がれている、そして今、女性ホルモンを体に入れてからと言うもの幸せに満ち溢れている。これが性同一性障害じゃなくてなんなのさ。
女性ホルモンを服用するまでは、人と向き合っても無意識に目を合わせなくなり、次第に声が届かなくなった。そんな私が、女性ホルモンを服用し始めただけで、今度は相手が照れてしまうほど人を見詰めるように成った。
人の美しさと麗しさをこの目で味わえるようになったのです。こんなに嬉しい事は無いのです。

私の望む生き方。"らしく生きる"と言う事とは、女として生きて、他人に向き合う事に悩んだり躊躇ったりしないでいい、そう言うものです。嫌う人も居るでしょう、笑う人も避ける人も居るでしょう。でも、穏やかに受け入れられる、そう思えるのです。


そして。私は、逸る気持ちを胸に、早速、精神科に赴きました。
性同一性障害の診断書に関してネットでたくさんの情報を集め、何を言われても応じられるように覚悟しました。
足が震えるのかな...言葉が詰まるのかな...緊張に舞い上がって後で後悔するくらい馬鹿な話をしてしまうかも...私は他人が眉を潜めるような、そんな私だった。
何度、鏡を見つめ「私は大丈夫」と暗示をかけようと挑んだ事か。でも、一度も効いた試しはなかった。

焦燥に駆られるように、私は霧雨の中、自転車で一路、精神科へ。
そして、近所の精神科を全部まわりました。
...何故、全部かと言うと、ネットで調べたのに、行くところ行くところ心療内科だからと断られてしまいました。
私は、胸の奥が少しずつ濡れていくのを感じながら、ちょっと離れに在る精神科へ向かいました。
そこは鬱蒼とした場所にあり、電車に乗る度に見える、その柵付き窓に、幼い私が怖がった思い出のある忌まわしき病院でした。
私は恐る恐る足を踏み入れようとしたら、なんと診療受付時間が午前中だけ。最後に行ったものだから間に合いませんでした。肩を落としながら病院を離れると、検索で見かけた、隣接した精神科を発見!
心療内科じゃない、精神科って書いてある!
私は飛び込みました。
とても綺麗な..."クリニック"の趣の病院で、私は早速「性同一性障害の診断書が欲しいのですが」と尋ねました。
すると事務の人は「どちらかに出されるのですか?」と言うので「いえ、次のステップに進む為の診断書です」と答えました。
しばらく待たされ、私は自転車移動と霧雨で乱れた髪を結わき直していました。
奥から先程の事務の方ともうひとりが見え「...あちらです」「ああ~...」と声が聞こえました。
ああ~?
私はちょっと顔をしかめました。
聞こえていない振りをしましたが、何を見て「ああ~」だったのでしょう。
数分後、私は呼ばれ、院長さんと話しました。先程の「ああ~」の方です。
ただ、その院長さんは感じのいい人に見えました。
「姉妹病院とも相談したのですが、こちらでは...ちょっと...」期待に反し、はっきりしません。
「性同一性障害を専門でやっている病院が有るのですが知っています?」「はい」「⭕⭕なのですが...」「はい、知っています」「うちよりそちらで話を聞いた方が良いと思います。構いませんか?」「はあ...」「構いませんか?」「...分かりました。覚悟はしていたので」「...構いませんか?」「.. .はい」
「では」そう言うと院長さんは背中を向けて行ってしまいました。私は3度、ありがとうございました、と言ったのですが、院長さんは背中を向けたまま、最後に「はい」と一度だけ答えられました。
私は、その場にぽつんと置き去り。まるで、関わりたくないとあしらわれたような気がしてしまいました。性同一性障害ってやっぱり厄介なのかな...しゅん...

帰り道。高揚した気分が冷め、地味に濡れそぼった体が冷たく重く感じられました...

でも、挫けては居られません。
何がなんでも診断書は貰ってやるのだ!
と、猪突猛進!
紹介された病院通り越して、もっと遠方の精神科を検索で見付け、早速、電話。翌日、午前中に予約を入れました。
その晩は、興奮しました。4時間はアドレナリンが出っぱなし...そしてそのまま燃料切れを起こし、ぐったり眠りに就きました。
そして翌日、私、性同一性障害の診断書を貰いました。
そう、私は体の作り以外は"女認定"頂きました♪(´▽`*)

たかが診断書。でも全く世界が彩りを変えました。足は浮き、歩こうとするとスキップをしちゃうくらい。
なんだろう、この無敵感。堪りません。私はもう、どんな困難にも挫けません。
今までの悩みは何だったのでしょう。
ずっと、人との間には見えない厚い壁が有るように感じられていました。
それが感じられません。世界が狭くなり、全てに手を伸ばせば届くのではないかと思えます。
おブスな私が過信し始めました。本当だった。こんな一枚の紙で、私は何があろうと堂々と生きられる。なら性別適合手術なんつしたら...想像するも恐ろしい。連日ひとりリオのカーニバルに違いない。


おブスなたわし...わたし。

今の私には戸籍の変更や名前の変更など、価値を持ちません。いつかはするかも。でも、私は性同一性障害。
それは社会は「体が男型として生まれたら、男の生き方をしなければいけない」ように求めます。たかが服装、たかが素振り、たかが美の概念、たかが趣味、たかが笑顔の振り撒き方にさえ。
私はそれに苦悩しました。愛したいものを愛したい、心を私色に私の形を私型に形作りたいだけなのです。
もう、私は誰にも違和の目を向けさせない。だって私には堂々と見せ付けられる、お墨付きが有るのですから。


しかし、やれトイレだ、性同一性障害をばらされただと訴訟を起こしている人はなんなのだ?わたしゃ、どうでもいいぞ。生きる事に障害を課せられたなら説得するし、知りたければなんでも見せたあげるし何でも話してあげる。...もう、してるね。:p
性同一性障害に悩んだ時期の潰されたような時間に比べたら、批判も拒否も不当な扱いも、なんてことありません。
いつもビクビクキリキリして生きて、昼間は男ぶって。何のために性同一性障害に向き合ったの?


乱文、失礼。でも、どうしようもない。だって興奮がおさまらないんだもの。あれから目立った不調もない、なんて素晴らしいこと。

にゃはははは。
私は幸せが溢れ零れて、笑いが止まりません。
性同一性障害を精神障害だなんて言う人が居るけれど、今のわたしゃ、誰よりも健全よ。楽観と充実に満ち満ちて、制御不能です。
こわれる~.゚+.ヾ(o´∀`o)ノ゚+.゚

私は震えなかった。
昨日。精神科に近付く電車の中で、少しだけ気が重くなりました。耳が詰まり、溜め息ばかりが零れ、視野が狭くなったような気分、それはどうしても晴れなかった。
でも、不思議と足取りは僅かにも滞らなかった。
病院に着き、看護婦さんと向き合って、私は心ひとつ動揺していませんでした。私は来慣れた場所に居るように、とても落ち着いていました。
先生はとても当たりの良い方で、私は難なく話をする事が出来ました。恐れた震えも無く、おろおろもせず、かつての私が嘘みたいでした。
診断は自分史を書いたり、その事を確認するように話をしました。私は自分史に性的嗜好や経験まで書いたので、先生も読むだけで納得したのか、判断の為と思われるような問い掛けは無く、まるで雑談をしているようでした。
結局、Gidに関しての説明が主に成りました。
そうして、終始、和やかに時を過ごし、私は、疑いの欠片も持たれる事無く、性同一性障害の診断書を受け取る事と成りました。

今朝の私は稀に見る清々しさの中に居ました。光が美しく、世界が明るく見えます。
そして私の血の色が変わったみたい。
ピンク...かな。
性同一性障害の診断書を貰っただけで、こんなにも解き放たれた気分になるなんて思いもしませんでした。女として生き始めて、もうこれ以上の幸せは無い、後は維持していくだけだ、と思っていました。
それは違いました。幸せってもっともっと上が有りました。
...私ってどれだけ生き辛い人生を送っていたのでしょう。


ようやく、私の最高の人生が始まります。