でもね、私達は「アヒル」でいいんです。背伸びして無理して「鷹」の見かけで生きていても、私の心は「アヒル」なのです。
でも。本当は「白鳥」に成りたいんですけどね。:p
セイラさんのピンク衣装が届きました❤しかしウィッグの色みに拘ろうと思い、そちらはまだ入手出来ていません。
そこで、名も無き乗組員です。

最近、髪をアップしていますが、そうするとちょっと男っ気が出ているような…う~ん。結構、私、女の子むんむんのつもりなのですが、なんかイマイチ…
きっとおブスだからなんだろうなあ。本当は「トランスジェンダーって、やっぱり素敵よね」って言われるような素敵な存在のひとりに成りたいのですが、私は足を引っ張ってしまうかも…
まあ、個人の話としては、おブスはしゃ~ないので前進有るのみです。
さて。こんな、か~わいいガンダムコスプレですが。:p
まだまだ未完成なのでした。
先日、スーパーの野菜売り場でのこと。
売り場の女性が新たまねぎをどれにしようかなと悩んでいた私に、その中の綺麗なものを勧めてくれました。
「お姉さん、これが綺麗で大きいから、お得よ」って。
私は「どうも、いただいちゃいま~す♪」って地上5cmは浮いて、帰宅しました。
うひひ。
最近、身分証明書を提示する機会を持っていないので、今、出したらどんな顔をされるのかなあって期待に胸を膨らませております。:p
自動車免許の更新は来年。もうちっと楽しみはお預けです。
まだまだ微妙な反応をされる事が無いとは言えないので、もう少し春の暖かさが訪れてくれれば薄着で出掛け、その時こそは、無敵の女体型でノックアウトです。:p
何しろすっごいのよ。腰骨の上に付いたお肉が、麗しきカーブを描いています。何せ94-75-94.5と3サイズだけはなかなかのもの。遺伝子男にしては、そこそこダイナマイトボディでしょ❤
…バストが1cm減っている事は気にせぬよう。体重を減らし始めたら、1cm消えました…(T▽T)
写真では分かりませんが、髪も伸びて、幼い頃からの夢のひとつが叶いました。実は1年半前から美容院に行っていません。
ちょっと纏め辛いような気がしているので行くべきなのでしょうが、何と無く切っ掛け待ちしてしまっています。何処に行こうかな、どう言おうかな、そしてどんな風にしてと頼めば良いのかなあって、未知の領域に期待と不安が入り混じって、そんなわくわくを保ったまま、行けません。:p
本当はちょっと怖いのかも。髪を1cmでも惜しいのかもね。だって1cmって1ヶ月分なのですもん。
最近は髪留めを1本、もしくは2本で髪を纏めて、アップにして生活しています。
髪の毛が長くなってくると、髪の毛が縦横無尽に暴れ、食事の際に頻繁に食べてしまいます。
: ( ;゙゚`ω゚‘) : 垂れ下がって来るから細かい作業も大変です。巻くのも大変、縛るのも大変、ケアも念入りにしないといけません。
なら、邪魔?いいえ、何でしょうね~。髪って「女心」を湧き立たせてくれます。
切らなくてはならない、なんて事に成ったら泣いちゃうんだろうなあ。一度、私、家族の中で女として生きることが駄目なのかなあって悲観に成った時、「家族の為に諦めるしかないのかも。今ならまだ痛みも少ない筈」と、髪を切ろうとした事が有ります。
ハサミを当て短い髪をイメージしました。切るのは容易い。髪だけが私じゃない。そう思うのは簡単でした。
でも、切れなかった。
根本、女性として生きることそのものを諦められなかったって事も有るけれど、私の「女らしさ」をたっぷり形作っている「髪」を切るなんて出来なかった。過信ですが、美しいんですもの。
まあ、私の女心は人生の過程で培養した、持ち前のもの。元々「諦める」ようなものでは無いのですから、どうしようもないですよね。
はあん...長い髪を持つこと、それをずっと願っていたんです。
短髪をと、そうする事が当たり前だと摺り込まれ、伸びて来ると床屋に行く事を躊躇って、自分で手を入れて「まだ切らくても」と誤魔化してた。
幼い頃、演劇でシンデレラ役を担うなんて周囲にとっては滑稽、私にとっては世紀の大役の思い出。さすがに子供時代にウィッグなんてものを揃える事は出来ず、私のシンデレラはレースのドレスを着た短髪坊や。
それでも嬉しかった。
思い出すだけで胸が熱くなります。
強く記憶に刻まれたあの思い出に、美しい長髪の「幻」を焼き付けて彩りの記憶にしてしまおうか...。いいえ、あれはあれで良いんです。足りなかったからこそ、たかが1cmの髪の長さに狂喜乱舞出来るのです。
ちょっとばかりトランスジェンダーの髪は「女性」にとっての髪より複雑なものがのっかっています。
髪が長くなってくると、髪を梳かす度に何本か抜けるのを見ると、心穏やかでは有りません。薄毛コンプレックスがうずきます。
まあ、髪の毛に関してまだ完全では有りませんが、もう、全く薄毛を気にする事は有りません。あとは前方ですね。根本、骨格からおでこが広いので、風を受けて髪が流れると、ハゲっぽく見えそうでまだちょっと抵抗を感じます。
…でも、気にしないんだ。溢れる幸福感に敵うものは有りません。
今は髪飾りに凝り始めました。モールに行けば、ファンシーグッズ(古い言い方?...)売り場は絶対にルートです。
使いこなせてはいませんが、シュシュとかゴムバンドとかカチューシャとか、そこそこ集めてしまいました。でも結構、高いのね。ひとつ1,000円くらいは覚悟しなくてはいけません。100円均一のものも持っていますが、やっぱりスプリングが弱かったりしていてしっかり髪を留めてくれません。

これは実の所、ディスカウントショップで購入してしまったので、どの程度のものなのか分かりません。:p
可愛いでしょ♪2本使って髪をがっちり止めて、お出掛けしています。3色から気分で選んで、私のお洒落心を膨らませて楽しんでいます❤ホント、お洒落って楽しい♪
気付けば、まりちゃん人生1年と6ヶ月。
母に今でも「変な名前にしたわね」と茶化されながらも、私としてはこの名前も結構こなれて来ました。
大好きだった野良猫マリーベルちゃん(勝手に付けた名前です)への愛着から「私の心の名前に」と選んだ特別な名前。
とある国では聖母マリアのこと。私には重過ぎる肩書きです。:p
そんな1年半を前にした頃、ふと、考えてしまいました。
切っ掛けは「鬱」と言う心の問題を、テレビで聞いたからです。
「鬱」はこの世の全ての人が多かれ少なかれ抱えていると思います。生活の中で思うように行かなかったり、他人の思考や行動に触れる度に、その要素は少なからず溜まるものだと思います。
それが、表に出て、生活や人間関係に障害をもたらすかもたらさないか、もしくは気付けたか気付けなかったか程度の差です。
私は性同一性障害によると思われるコミュニケーション障害(?)にさらされ、人と触れ合う事が好きなのに言葉が届かなくなって行く、不可思議な心的障害によって苦しみました。
どうして良いのか解消の方法もその不調の正体も分からず、ただ「諦める」ばかりの日々を送りました。その頃の私は振り返ってみれば「鬱」と思えます。
あのまま私の言葉が人に届かず年月が過ぎて行っていたら、きっと私は本当に壊れてしまったかもしれません。
だからこそ、何故、私はそんな「鬱」で人生を破壊させなかったのかと振り返ります。お馬鹿なだけではないと思います。
そうして考えて、以前、一日だけ女装して出かけた日の事を思い出さずにはいられません。
そうなんです。周囲の人に嘲笑され、途中、口紅が頬に付いている事にも気付かずに居て、恥ずかしい思いをした事も何て事がなかった。
あの一日。
私がどんな日よりも堂々とし、心の底から全てを解き放ったと思えた最高の一日。
あの日が有ったから、私は今日まで辿り着けたんだと思うのです。
些細でも、そんな"記憶"が私を生かしたのですね。
人によっては「家族」や「奥さん」や「子供」が、私達を活かす事もあると思います。
でも家族は裏切られた思うのでしょうね。残念な事です。
でも覚えていて欲しいんだ。
性同一性障害に向き合い正直に生きたいと言っても、それは家族を否定したのでは無く「今日まで幸せに生きられたのはあなたのお陰。そして正直な姿を晒し、受け入れてくれるだろうと信じられたのは、あなたを愛しているから」...
さて。我が家族は相変わらずですが、信じて欲しいからこそ、信じて行こう。
なんかさ、いつか私のせいで辛い思いをしたと言われそうで怖いです。ちょっと待ちなされ、親御さん。子と言うものはね、親の思う3倍は辛さ抱えるんだよ。自分が辛くて、ただ在るだけに辛くて、そして親のそんな態度を見てまた辛くなるの。
それは大人に成ろうと変わらないんだ。
いろいろと有ったけれど、幸せを胸に携えたまま、1年半を迎えられて良かった。
と、そんな今日。3月8日は世界では"女性の日"なんだそうです。
そして今日、街中で建設作業員さん達が休憩に出ようとした時、私が自転車で通り過ぎると、こんな声が上がりました。
「うわっ、超美人、超美人」聞き間違えに決まってる。
他に人は居なかったから確かに私に言ったと思いますが、どう考えても聞き間違いに決まってる。でも、思い込んでおこう。そうすればまたひとつ私の女心は今以上に薔薇色の深みを増すのです。