充実した毎日を送る中、気が付けば女性ホルモン錠を服用し始めてから、もう直ぐ1年に成ろうとしています。
1ヶ月前にも変化の比較をしてみましたが、随分と風貌が変わったものです。内面も然りで、ものの見方や感じ方が大きく変わったように思います。どれも女の子っぽくなったと信じています。:p
でも、最近に限っては、見た目はそんなに変わっていないかなあ。
あえて気になっているところをあげるとするならば、ハゲっぽく見えるからおでこを出すのが嫌だったのですが、顔付きが変わったせいなのか、最近は気に成りません。今は、喜んでおでこを出せます♪
生え際の毛の生え方が変わったのでしょうか?それだけで印象って変わるものでしょうか?不思議です。
でも、良いですよね、女の子の広く突き出たおでこって可愛くて。
私の醸す「女」を増す為に重要な髪の毛ですが、一年伸ばしてようやく首の下くらい。髪って伸びないものですね。確か1ヶ月で1cmと聞いたような気がします。と言う事は12cmですね。腰まで伸ばそうと思っていましたが、それには8年くらいかかりそうです。
「髪は女の命」、今まではそこまでオーバーなものでは無いのではないかと思っていましたが、確かに私、今、髪を切ったら泣いてしまいそうです。
女の子は、お金も時間も手間も意識も、ものすごく費やしています。貴方が誇る傍らの麗しき乙女は、努力の上に築き上げられた結晶のようなものです。大切に扱ってあげて下さい。
だからこそ…だからこそ、女の子にはもっと頑張って欲しいと思う時が有ります。
昨日、私が自転車で走っていると、前方に幸せそうな若いカップルが歩いていました。とても愛らしく微笑ましい姿だったのですが、女性の方、くたくたと歩き、ちょっとだけ蟹股でした。
ちょっとだけなのですが、その僅かの隙は徐々に緩みに変わります。私は彼女を見ていて「おばちゃん」の姿を見てしまいました。
教訓。年齢は望まなくとも重ねられるもの、自ら年を取る必要は有りません。
美しいおばあちゃんに成りましょう。
そう言えば、最近、我流プチプチ断食を全くしていないのですが、それを始めてから5ヶ月ほどになりまして、いつの間にやら体が太らない体質に成ったような気がしています。
3ヶ月くらいは特別な事は何もしていません。「なんでも良いから一食ひと我慢」を続けていたくらいです。
でも、これ、私の場合、食べ過ぎるのを止めていたくらいなので、毎日満腹まで食べていました。それでも今はたらふく食べてもどれだけぐうたらしても体重が増える事は無くなりました。
実は、数日、カロリーたっぷりのパスタやから揚げをたっぷり頬ばり過ぎて胃腸薬を服用していたくらいなのですが、それでも全く体重が増えていません。間食をたっぷりしていますし、頻繁に甘い紅茶やコーヒーもがぶ飲みしています。
減りも弱いのですが61kg台で安定しているのは健康の証と満足してます。
一応、継続は力なり…かな?
もう直ぐ食欲の秋。ちょっと不安では有ります。:p
ここ数日、不思議なほどに近所の人に出会います。お陰で私の変わった生き方に気付いてさえ居なかった人達にも、私の事情がますます知れ渡っています。私は堂々としているつもりですが、心の一部はちょっとだけ動揺していたりして…
まあ、気にしないんだ。誤魔化しても隠しても何の意味も無いですもん。
でも、やはりまだ偏見を持って嫌う人も居ると思うので、母が胸を痛める事に成ったり失うような事が無いといいなと願うばかりです。
先日、隣人の娘さんが子供を産みました。赤子を見ると心に雪が降るような気分に成るので、あえてあまり触れ合わないようにしています。ごめんなさい。ですが、先程、泣き声が聞こえてしまいました。ああ…私の女心と母性が、胸の奥でちくちくと痛み出します。
こんな時、私は自分が女なんだなあと実感してしまいます。でも同時に、やっぱり男なんだよね…と失意にも駆られます。
ああ…こうなったら猫ちゃんを養子にするしかない、とお馬鹿な妄想をしながら、ちょっとだけ枕を濡らそう…
最近、ネット上では性同一性障害の方々の「オネエ論争」と言うものが有るようです。それは「オネエとオカマとトランスジェンダーと性同一性障害は分けてしかるべき」と言うものです。詳しくは知りませんが、名の有る方が公言して以来、燻ぶっている問題のようです。
私は、どうでも良いです。そんな事には拘らず、どう呼ばれても気にせずにいれば、みんな楽しく生きられます。
でもあえて。色々と諸説有るようですが、私はこう思います。
「オネエ」は女性的に在りたいと願いながら、社会、家庭等の問題でそうは生きられず、言葉遣いやスタイルだけ女性的に生きる人。彼等が自称し、そう呼ばれる事で喜びを感じる肩書き。そんなものでは無いでしょうか?
だからって私みたいなのがオネエと言われて憤慨する必要は無いんです。自覚が曖昧だった頃、初心を思い出し懐かしむおまじないとでも思いましょう。
何しろ気楽に行きましょうよ、ね。
正直、「性同一性障害」は遺伝子性と逆の服を着たり、化粧をしたり、女性的に振る舞ったりしなくても性同一性障害である事には変わりません。そう言った方も多いかと思います。
基本、遺伝子性に従った「男らしく」「女らしく」と言うものに生きようとしても馴染めず、それ故に人並みに生きられなくなってしまった人、それが性同一性障害なのだと思います。
私は人とコミュニケーションが取れなくなってしまうくらい追い詰められました。精神的なものは強いでしょう。だから精神病と言われても否定しません。ですが、対社会の状況は一切変わらず、それどころか過度な偏見の目に晒されていても、女性ホルモンを体に入れただけでも大きく改善したので、単純な精神病で判断できる事では無いと思います。
なんでしょうね?分からないんです。そんなものです。
今は「性同一性障害」と言う自己認識が出来る逃げ場が出来ました。でもつい先日までは「オネエ」や「オカマ」が私達の私達自身を認識させる逃げ場だったんじゃないかなと思います。
「トランスジェンダー」に関しては「性別を超える人達」をトランスジェンダーと言うのですから、性同一性障害者も当然、トランスジェンダーです。自身がどう思おうと、遺伝子はトランスしてると思っています。そのくらい受け入れる強さを持たなくちゃ幸せにはなれません。
何より、みんなが望んだように自分らしく生きられるなら「オカマ」だろうが「オネエ」だろうが、たとえ「変態」だろうとも私は大丈夫。なんて事無いでしょ?
全く。愚痴ってばかりいるから腫れ物扱いされるんだぞ。笑って弾けてお馬鹿に在れよ、愉快で陽気なトランスジェンダーたち♪
そう言うのが最高❤
そんな私ですが、私は幼い頃からずっと、拾われた子なのではないかと言った思いが、少ぅしだけ有りまして、最近、それが自分が自分で無いような気持ちのせいでは無いかと思うようになりました。日々、自分の顔つきが柔らかくなって、その隅っこに母の面影を見たような気がした時、ふと、血は繋がっているかな、ってほっとする私が居るのでした。:p
そんな時、母に会いたくなって、愛に…会いに行くのです。
いえいえ、血なんか繋がっていなくても私は気にしませんですのよ。だってパパとママも血なんか繋がっていませんものね❤でも愛は有るのです。
ついでに血だけじゃなくて性別も超えたって、愛はそこから失われる訳ではないのです。
…寂しいのかな…私。
辛い事も有るけれど、私は元気です。
昨年末から加速度的に始めたかったコスプレですが、ようやく今秋からがんがん始めたいと思っています。
ちょっとだけ試しに形にしたものを親友に見せた所、絶賛して後押ししてくれたので、調子に乗っております♪
残念なのは写真の中の私、何故か顔が通常より大きく見えて、衝撃的でした…
見せ方、写され方も鍛錬が必要のようです。
…がんばろ
あ…海に行き忘れた。ビキニ買ったのに…