私が女に成りたいと願うからには、その理想像と言うものが有るわけで、時々、思い出したように考えます。
私は「風の谷のナウシカ」のように世界を慈愛し、感情と意思のままに突き進むような女の子に成りたかった。
最近では「四月は君の嘘」の宮園かをり、くらい、男性をその行動力で翻弄し、喝を入れるような女の子に成りたいです。:p
残念ながら、そう言うのはオカマにされても喜ばれません。悲しいかな、顰蹙を買うばかりでしょうね。
私はたくさん諦めなければいけません。男体型なだけでも不可能な事ばっかりなんだから…
しかし私は懲りないお馬鹿。
先日、水着をネットで買いました。オレンジに水玉の入ったビキニです。下は当然、スカート着用です。
うちから自転車で、そのまま海まで行って、泳いで、またそのまま帰って来ようなんて言う無謀な大作戦を計画しています。:p
どうかなあ。似合うかなあ。もう、わくわくが止まりません。
とは言え、さすがにビキニには抵抗が有りました。
キャミソールやワンピースでさえ肩幅と腕の筋肉でカッコ悪いのに、ビキニだなんて不可能に決まってるじゃない。
でもね、やっぱり、私は人生に制限をつけたくないんです。
今日の今日まで、たくさん諦めたり尻込んだり挫けたり逃げたりして来ました。どれだけそれが下らないと知っていても、どうしてもそうなっちゃうんです。そうしてしまうんです。
いつの間にか私の声は人に届き辛くなり、どれだけ嘆き、泣き、喘いで、苦しんで来たか。そんな日々はもう懲り懲りなんです。
私は思います。
思いのままに生きる事が誰もが思う「理想」なら、やっちゃえばいい。私がそう生きちゃえばいい。失うものなんて何にも無いもんね。
私は9月からそれなりに好き放題に生きてきました。まだまだですが、結構、やっちゃってる。
恥もかいてるけれど、最高の気分。
だから私はビキニにだって挑戦するのです。
でもね、一人じゃ無理だったと思う。
私の中にたくさんの「諦めるべきでは…」と言う思いを、幾度と無く、湧いては消え湧いては消しを繰り返した事か。
そんな私には素晴らしい友達が居ます。彼女は、初めて私が自分はこんな人間だと伝えた日、問題にすらしなかったんです。
私の方が心配しちゃって「貴方の信仰や信念に触れたりしない?もしそうだったら無理をせず言って欲しい」って言っちゃった。
すると彼女、「私の信仰は愛だから、貴方がどんな生き方をしていようと受け入れられる。それに、貴方が不幸じゃないなら何が問題だと言うの?」と返されました。
私の案じる気持ちは、彼女には全く無用のものだったんです。
私は心底ほっとしました。私が「愛してる」と伝えた数少ないすっごく大切な友達だから、絶対に失いたくなかったんです。
最近でも、私はビキニで海かプールに行くんだって伝えたら、「私は次から次へと人生に挑戦している貴方を誇らしいと思う」って讃えてくれました。
もう、快感です。私だったら自虐的冗談くらいしか言えないだろうけれど、彼女はこんなにも私に勇気と自信をくれる。
そうね、諦める事なんか無いんだよね。私はそれを信じられる。
私は彼女の期待に応えたい。彼女に揚々と生きる私の姿を見せて、また褒めて貰いたい。
期待されたら脱いじゃうアイドルとかの気持ちが分かるような気がしてきました…
私は若く無いし、女の子と見紛うほど美しくも無い。女性ホルモンを服用してようやく中性に成っているくらいなもの。
でもね、たくさんのメディアで描かれている「男の娘」たちのように健気に明るく生きたい。人に愛され、自分も周囲も笑顔ばっかりで生きたい。
ううん、生きるのだ。
先ずは、ビキニじゃ。大好きなアンナ、私はぜ~んぶ、思いつくままに生きるからね。ずっと見守っていてね。
まだ夏は遠いいけれど…