★広島県のパワースポット★
つづいて
広島市内から
車で、ちょっと離れて・・・
三原市へ。
臨済宗佛通寺派大本山 佛通寺いきましょう~
ご本尊
十一面観世音菩薩
住所
広島県三原市高坂町許山22番地
0848-66-3502
あぁっ、
お寺に近づいたら
川が流れてる~。
(まだ運転中。 笑)
広島市内から
走ってきたら
一気に自然の中~。
佛通寺は
秋の紅葉の名所、なんだって。
あっ
佛通寺
ぶっつうじ
と読むらしい。
重要文化財が
多数あるんだ~。
で~はで~は~
今回の旅
雨が降ってても
ピタッとやんでくれたり
傘殆どいらなかったなぁ。
ありがとう~
ありがとう~
ちょっとちょっと
あそこみてみて~!!
岩に字、
掘ってるよね?
えっ、ど、どーやって???
ペコリ。
けいせいの小道
龍は仏法と水の守護神。
隣の川は、活龍水と呼ばれている・・・
あっ、この川のこと~。
龍神様の声
聞こえる、かな。
とっても穏やか。
水の流れも音も
エネルギーも
や~すらぎ~~。
含暉坂 「がんきざか〕
開山堂への参道。二百段近い石段。
ここは・・・
あとでいこ。苦笑
輪蔵 [りんぞう〕
経蔵のこと。
回転式書架には明版大蔵経を収める。
あぁ、いい道だよ~
雨あがりの早朝
空気が澄んでる~。
燈籠も
やさしい淡い緑の苔も木々も
川の音も~
ゆるゆるやわらかな癒し。
わぁっ、
ポテッとした
かわいい燈籠。
★崑岡池 「こんこういけ]
放生池。大通禅師の詩
「護法の銀の龍(滝のこと)九天より下る。崑崗の玉を砕いて飛泉となす」
より名づけられた。
★三安観音 [みやすかんのん]
家安かれ、身安かれ、子安かれ。
過去現在未来の三世の平安無事を祈願する。
写真には
写っていないけど・・・
山頭火句碑 [さんとうかくひ]
「あけはなつや満山のみどり」。
佛通寺で吟じた句。
もあります。
あぁ、水もきれい。
こいちゃん
集まってきてるけど
ごめん
ちょっと
見逃しそうなところ
崑岡池の隣にある滝。
崑岡池は
この滝の水、だったんだね。
銀九瀑 [ぎんくばく]
開創以来の名瀑。
尚、李白の詩に
「銀九天より落つ」と滝の形容の句がある。
面白い木~
羅漢槙[らかんまき〕
開山大通禅師お手植えと伝えられる雌株のイヌマキ。
広島県天然記念物。
初めて知った、名前の木。
えっと
この道の先には
御許権現社 [おもとごんげんしゃ)
大通禅師在世の頃、一僧が宇佐八幡宮御許神社 (現大元神社)より招来した八幡菩薩の石像を奉安し、社殿を則平公が造立したとの伝承がある。
佛通寺の鎮守社。
あるみたいだけど・・・
今日は
先に、お寺、いこっかな。
巨蟒橋 [きょもうきょう]
境内聖域の結界としての活龍水(佛通寺川)に架かる鞘橋(屋根付きの橋)。
文政六年以来、水害のため、たびたび再建。
橋を渡る人はね
一切の俗塵を捨て去ることが必要!
不心得者が渡ろうとしたら
蟒蛇が現れて威嚇する
ですってよー。
では
ふぅ~
気持ちだけでも
清々しい~く~
川を渡っていくって
気持ちいい~
本当に
どこか違う世界に
誘われる感じも
いいなぁ。
山門 [さんもん〕
寺の正門。創建時の山門は寛政八年焼失。
土塀の白壁の五本線は後小松天皇(一休さんの父君)の勅願寺であることを示す。
同時に足利将軍家の祈願護国寺でもあった。
佛通寺の沿革と由緒
佛通寺は応永四(一三九七)年沼田荘地頭小早川春平公が愚中周及(大通)禅師を招請して開いた臨済宗佛通寺派の大本山で、寺号は大通禅師の師、中国金山寺即休契了禅師の諡号佛通禅師による。
小早川一族の帰依を受けて寺勢は隆冒し、最盛期には山内塔頭八十八ヶ寺、末寺三千ヶ寺を数えた。
応仁の乱後、数度の戦乱にまきこまれ、小早川隆景公の治世に一時復興したものの、福島氏による寺領の没収等により存亡の危機に立たされた。
後に広島藩主浅野氏の外護のもと、再建修繕が行われたが、永享の大火、寛政の大火と不幸は繰り返し、明治初年には廃佛棄釈などにより苦境が続いた。
明治三十八年、香川寛量和尚を初代管長として招請し、臨済宗十四本山の一つとして独立。
専門道場を備えた京都以西で唯一の大本山として、法灯はおおいに挽回された。
境内の景観堂宇、収蔵文化財、中国金山寺式の経文の特殊な誦み方など、数多くの文化遺産が伝えられている。
ではっ
よろしくおねがいします~。
手水は
川沿いの開山堂から
湧き出る岩清水だって。
ちなみに
後ろにうつっているのは
観音堂(納骨堂) [かんのんどう]
十一面観音を祀り、檀信徒の遺骨を納める納骨堂も兼ねている。
羅漢庭 [らかんてい)
篤志者先祖供養の為、平成の五百羅漢を奉安。
正面にあるのが~
佛殿 [ぶつでん]
佛通寺の中心の伽藍。
須彌壇上には釈迦三尊像(釈迦如来 文殊菩薩 普賢菩薩)を祀り、また開基小早川家、再興の外護者浅野家の位牌を奉安。
説法の場としての法堂を兼ねている。
応永二十三年小早川則平公造立。
二度の火災の後文化五年浅野重晟公再建。
中には
入れないから
ヨッ
覗いてみると・・・
薄暗い。
あっ
でもね
見える見える。
このお姿。
こんなに
光輝いては見えないけど
確かに
釈迦三尊像。
こんにちは~
み~てください~
渦、素敵。
あの建物は
納経所 [のうきょうしょ)
観音霊場巡拝納経の御朱印受付、及びすべて寺務参拝等の総受付所。
その後ろ側、には~
(ここからはいけないけど)
庫裡(くり]
佛通寺派宗務本所、寺務所、応接室、厨房、食堂などを備えた建物の総称。
禅堂 [ぜんどう]
「獅子窟」という。
修行僧の坐禅堂。一般の坐禅会や企業、学生の研修もここで行う。
鳳林閣 [ほうりんかく〕
法話や会議、展示会や宿泊研修の施設。
大広間、大浴場を完備。
もあるそうだよ。
駐車場から考えても
意外と広い
わたしね
佛殿にいらっしゃる仏様が、
ご本尊かと思っちゃったけど
ちがったみたい。笑
大方丈〔だいほうじょう〕
法要や法話等多目的な広間。
元の意味は住職の居室。
本尊は高村光雲工房による十一面観音菩薩
この建物は「降魔殿(ごうまでん)」とも呼ばれ
初めは毘沙門像が祀られていたが、
現在は十一面観世音菩薩像が本尊。
多宝塔の本尊が遷座された。
とあるから
こっちなんだ!
わたしの今日のモードかもしれないけど
ここにいたら
心がね
ほどよ~く落ち着いて
エネルギーうんぬんより
この、心地いい自分の優しさが
ほわ~っと
生まれてくる感じに
しゅるしゅる
癒されてる・・・。
臨済宗って
こんな感じなのかなぁ?
大方丈の
お隣。
大玄関 [おおげんかん〕
奥の間に、伊万里圓通寺臥龍窟老師彫刻寄進
になる樟の一木彫り坐禅達磨像を奉安。
わぁっ、木の、いい香り~。
ねぇねぇ
あそこ
多宝塔かな。
山の上のほう・・・
あっ
そうだそうだ。
そういえば
くるときにあったね
階段。苦笑
いってみますかっ
ってわけで
ここです~ここです~
含暉坂 「がんきざか〕
開山堂への参道。二百段近い石段。
にひゃく・・・だん・・・
わぁ、すごい、立派。
この木は
きらないで
石段つくったんだね。
ちょっとした
優しさ。
この補助の一段、
足のサポーターです。
あぁ、見えてきた~
羅漢像 「らかんぞう〕
開山堂から含暉坂、崑崗池にかけて文政年間以来奉納された石像群。
釈迦三尊、佛弟子、十六羅漢よりなる。
開山堂
開山堂 [かいさんどう]
もと開山塔頭含暉院。
現在は旧書院「韜光窟」を開山堂とし、開山大通禅師(愚中周及禅師)と、その師、中国金山佛通禅師(即休契了禅師)を勧請開山として祀る。
むずかしい・・・
けど
簡単にいうと
佛通禅師と大通禅師の倚像が安置されて
向かって左側に、松岩尼墓が安置されている。
とのこと。笑
お隣にあるのが
地蔵堂 [じぞうどう)
創建当時の建物で国指定重要文化財。
もと含暉院佛殿。
本尊は木造地蔵菩薩坐像
創建当時って
すごいねぇ。
地蔵様らしい
足元に重力が集まるような
グッと重圧のある気。
あぁ、中、みたーいっ
他にもたくさんっ
そーんでもってーー
下から
見えたのが・・・
じゃぁぁ~んっ
多宝塔 [たほうとう]
釈迦如来と宝勝如来を安置し、佛舎利塔と納骨堂を兼ねる。
坐禅堂、三安観音と共に山口玄洞氏寄進。
はぁ~。
早朝だったからか
人に殆ど会うこともなく
大きなお寺さん、一人占め。笑
(ある意味、山、一人占め。)
エネルギーが強いお寺
というよりも
とても穏やかな
お寺さん。
自然に調和した
ゆるやかな流れがある
心の癒しのお寺、という感じ、でしたっ。