★岐阜県のパワースポット★
さっ
高賀六社めぐりのうちの
三社めぐり
星宮神社
新宮神社ときまして
本当は
那比本宮神社(巌谷本宮)
いーきたかったけど
川沿いで
どう考えても
3キロくらい歩くしかない・・・
もしくは
四駆のような車で行くか!?
ということが
わかりまして
今回は断念。
岐阜県のパワースポット巡り
今回の旅、最後の目的地は
高賀神社~~で〜すっ。🚙
って
ちょっとまったーっ!
車で走ってたら
気になって
戻ってきちゃった。笑
白水龍神 だってよ。
や
っ
ぱ
り
き
に
な
る
・
・
・
。
うぅ~、ちょっと行ってみよ~。
うっひょぉおおお~
広大~だ~~
ピョンピョン
ボゥンボゥン
歩くと
揺れる揺れる。
あはははは~
もぅ、これだけで、立ち寄れて楽しい。笑
橋をわたると
急な階段。
今日この格好間違えたなぁ。
白いロングスカートはない。
予定外すぎる旅、だにゃ。笑
うわっ、えっ、ええぇ~
わぁ~おぉ~~
川の水があふれて
全面川、状態。
あははは~
こりゃ、先、行くの無理だわ〜。笑
今足を置いているところも
一歩先は、川の中。笑
龍神様~、こちらから、ご挨拶しま~す。
調べてみたら
この先に、
滝があるらしい。
また、次、だね〜っ。
(ツアーでも行くし、きっと。笑)
ってわけで
あらためまして
高賀神社 いきましょー。
ご祭神
- 天之御中主尊
- 国之常立尊
- 國狭槌尊(クニサツチノミコト)
- 豊斟渟尊(トヨカシヌノノミコト)
- 泥土煮尊(ウイジジニノミコト)
- 沙土煮尊(スイジジニノミコト)
- 大戸道尊(オオトノジノミコト)
- 大戸辺尊(オオトノベノミコト)
- 面足尊(オモタルノミコト)
- 惶根尊(カシコネノミコト)
- 伊弉諾尊
- 伊弉冉尊
- 大日霊貴尊(オオヒルメムチノミコト)
- 忍穂耳尊(オシホミミノミコト)
- 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)
- 彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)
- 鵜葺草葺不合尊(ウガヤフキアヘヅノミコト)
- 天児屋根尊(アメノコヤネノミコト)
- 猿田彦尊
- 素戔嗚尊
- 大玉尊(オオダマノミコト)
- 金山彦尊(カナヤマヒコノミコト)
- 日本武尊
住所
岐阜県関市洞戸高賀1217
高賀神社から
高賀山山頂(1224m)
あれ?
鳥居と石段、ここだけ、あるけど
神社へは
車で、もぅちょっと行けそう。
ブイィィーーン。🚙
きれいな建物~
円空記念館 だって。
円空さんって
この旅で結構名前聞いたけど
どんな方なんだろう。
後でいこっかな。
ってわけで
高賀神社、つーきましたーっ
星宮神社、新宮神社に比べると
高賀神社
「霊亀年間(715-717) に夜な夜な怪しい光が出て当地の方向に飛んでいくのを都の人々が目撃し驚いた。そこで高賀山の麓に神壇を飾ったところ、この光が出現しなくなった。
これが高賀山本神宮の始まりである。
その後、牛に似た妖怪が住みつき、村人に被害を加えていたので、 承平三年(933)に天皇の勅命を受けた藤原高光がこれを退治し、高賀山麓に神々を祀ったという。
また、天暦年間(947~956)にも妖怪が出没し、再び藤原高光が退治した。
この時、高賀神社、那比神宮神社(八幡町)、那比本宮神社 (八幡町)、星宮神社 (美並村)、滝神社(美濃市)、金峰神社 (美濃市)六社が祀られた。
近世になると、三度妖怪が現れ、近衛天皇の時 (1142~1155) 頭は猿、体は虎、尾は蛇の姿をした怪獣が現れ、とされ今日まで「さるとらへび伝説」として伝えられています。
なお、美並村を流れる粥川の鰻が藤原高光の案内をしたと伝えられて、 今日でもこの地区の人々は鰻を殺さないとのことで、現在、ここに生息する鰻は、天然記念物に指定されています。
高賀神社・高賀山信仰は、現存する文化財から次のような歴史が言われています。
平安時代末期には既に仏教道場として繁栄し、観音信仰があったと考えられ、 また、鎌倉時代後期には虚空蔵菩薩信仰が導入され「高賀山修験」が成立したと言われている。
また、鎌倉時代以降から明治時代の神仏分離までは、神道の神の姿をとらず、本地仏としての虚空蔵菩薩を主神としてきたとされ、 岐阜県と石川県に跨る白山を中心とした白山信仰に見るように、人々の生活を守る神自然崇拝の神としてではなく、高賀山麓一帯の農耕に大切な水や雨を司る神の山として尊ぶその信仰がこの地に成立した。
高賀神社の創立は
奈良時代。
妖魔猿虎蛇を退治するために
山麓に11の神々をお祀りして、退魔の神事を行い、
虚空蔵菩薩の加護を受けて
退治できたあとは、
ゆかりの地に
高賀神社をはじめ、高賀山を取り囲む6つの神社を立てて
高光公の子孫がそれぞれの宮司となって、
守ってきた神社
なんだって。
高賀権現と虚空蔵菩薩信仰
農耕の神、祖霊の山として高賀山信仰の歴史は古く、平安時代の始めに既に成立していた高賀山を取り巻く多くの神社は、高賀権現の名で総括された社団が組織され隆盛しており、鎌倉時代後期には虚空蔵菩薩信仰が加わり南北朝時代には全盛期を迎えました。
また江戸時代には六社巡りも成立し近在の人々の信仰をあつめました。
高賀山文化財収蔵庫には平安から鎌倉時代にかけての三十二体の仏像の天治元年(千百二四年)の墨書がある重要な木造仏が保存されています。
高賀信仰は、時代の流れの変遷興亡の中で、祭神、御正躰、本地仏を改めたり、新興の神社を遷宮したり社団を構成したりと庶民の願いの基で様々に移り変わって来たとされています。
高光公と猿虎蛇の由来
高賀神社の縁起によれば奈良時代(約一千三百年前) 高賀山に妖魔が住みつき、この地はもとより遠く都にまでも黒雲を駆け夜毎出没しては人々に危害を加え深く帝をなやましたのである。
帝は、藤原高光公に是れが退治の勅命を発せられました。
早速、高光公は勇者数名を伴ってこの高賀の里に来りて、峯々谷々を隈なく狩られるも、妖魔は姿をあらわすことなくたべいたずらに日数を重ねるばかりであった。
妖魔は、時には「ふくべ」にある時には「かぶら」に変身しては峯高くあるいは谷深く住み替え容易にその正体を表さなかった。
高光公は、そこで高賀神社の神前にぬかずき三七二十一日の願をかけられた。
その甲斐あって満願の日、神は瓢ヶ岳に御降臨となり高光公に必殺の弓矢を下し賜われた。
善貴星なる神の御先導により山奥深く入り給えば妖魔はすでに其の気配を感じてか呻り声は山々谷々に地鳴りして容易に近ずき難き様相なるも高光公は勇を鼓らして進むほどに巨大なる岩堂あり、高光公一行が突入せんとするや妖魔は猛然として襲い来ること幾度か、もはやこれまでと高光公は神より拝受の弓に満身こめて矢を放てば、猛り狂うさしもの妖魔も大音たて、地に伏した。
熱戦実に十数合武運目出度く取り押えて見れば・・何んと、頭は猿で胴体は虎、尾は蛇の姿の妖怪であった。
多くの民人に危害を加えた妖魔に最後の止めを刺さんと高光公が跨がれば尾の大蛇までもが大口開いてはげしく抵抗したが高賀神社の大神より授かりしお力で目出度く本懐を遂げられたのであります。
高賀神社は養老元年創建になる勝負の神、弓矢の神、大願成就の守神、降伏魔災のご祈願所として広く尊崇を集め今日に到っている。
伝説の
高光公と、猿虎蛇のお姿
というのが
こちら!
ちょっと
うわわわっっっ
高光公さま
目が、いきてますーーー
かなり、勇ましい、力強く、悪霊退散、的なエネルギー。
御霊が
宿っておられる・・・
もしかして、今も守っているのかな。
厄除け、パワーも、強そうだぁ・・・。
うっわっわっわっわっ
ぐるぐるぐるぐる~
立ち止まって
ふぅ。
キュウッと
引き締まる空気。
ひょいひょい進む感じの空気じゃなく
厳かで、結界が張られているような、鋭い力。
凛とした
勇ましさ。
まるで武神・・・。
勢いがあり、鋭い力で
迷いをたつ、勝負、強い気持ちを奮い立たせる
元気、気合をいれて、弱気になるな!
って
前を向く光。
男らしいですぅぅー。
星宮神社、新宮神社とは
また全然違って・・・
伝説の魔を退散させる力は
ここにあり。
勝負の神、降伏魔災、確かに!!
あっ、ご本殿、二社あるよ~!
そういえば
こちらに祀られる神様の数
すごいね。
こちらは
宝物殿
「こんにちは~。
どちらから、いらっしゃったんですか?」
「あっ、こんにちは~。
神奈川からです。」
声をかけてくださったのは
宮司さん。
「あぁ、それはまた遠くから。
下の、円空記念館行きました?
もぅ、おわっちゃったかな。
時間は、あぁ~、ちょっと、今行ってみてください。
入れてくれるかも。
そこを見てから、ここ、宝物館を見るといいと思うので。」
時計をみると
4時半すぎ。
あっ、駐車場のすぐ近くにあった記念館!
いってきますぅぅぅーーー。
ってわけで
円空祈念館
修験者でもあった円空上人は、三度も高賀の里を訪れ晩年から入定するまで高賀で過ごされていたことはひろく知られています。
又、全国で現存する五〇〇〇体あまりの円空の中で虚空蔵菩薩、十一面観音、狛犬、歓喜天、円空歌集等、他には見られない傑作した作品が多く、岐阜県関市の重要文化財の指定を受けています。
これらの円空像等は高賀神社内に平成七年完成した「円空記念館」に移転保管され、一般公開をしております。
円空とは
江戸時代前期の寛永9年(1632) 美濃の国(現在の岐阜県) にうまれ、若くして出家し、 仏道修行にはげみ、生涯に12万体の仏像造顕の悲願をたて、 諸国遊行の旅にでた天台宗の修験僧で、
その足跡は北海道、青森、秋田、宮城、山形、群馬、栃木、茨城、埼玉、東京、 長野、 愛知、岐阜、富山、三重、滋賀、奈良、
元禄5年悲願の12万体の造顕を果たし、そして同8年(1695)7月15日盂蘭盆、 64歳で岐阜県関市池尻の長
良川畔で入寂した。
「こんにちは~。
もぅ、しまっちゃう時間ですよね。
ごめんなさい~。
宮司さんにおすすめされたら
どうしても見たくなって、きちゃいました。」
「あら、大丈夫ですよ~。
どうぞどうぞ、ご案内します。」
館内にいらっしゃる女性は、
観音様のようにやわらか~くやさしい声。
表情もつねに
目が緩んでいて
声をきくだけで
ほわんと、落ち着く感じ。
とーっても、かわいい、おばあちゃん
という感じ。
中は・・・
円空さんの歴史、全国で掘った仏像の写真
そして
実際円空さんが彫った仏像が
展示されている。
とっても
綺麗な館内。
この中が、パワースポットだ・・・。
なんとも
あったかく、心地いい空間。
あっ、仏像、かわいい~~
円空さんが彫った仏像
みんな表情豊かで
本当に生きてるみたい。
やわらかく、ニコ~ッとほほえんで、今にも動き出しそう。
手の凝った繊細な彫刻とは
また違って
味わい、というのかなぁ~
なんだか
妙に、人間みがあって
本当に
私にしゃべりかけてくる感じするの。
円空さん
人間が好き、だったんだなぁ。
こういう表情する人
いるいる~!!
っていう
一瞬を仏像にしちゃうくらいだから。
作品を通して
円空さんの人柄に触れる感じ。
ほくほくしちゃう。
作品って
その人の見えている、感じているもの
そのまま
乗りうつるねっ。
わっ、狛犬さん!!!すごっっ!!
エネルギー
すごい。
めっちゃくちゃ
生きてますがなーーー。
狛犬の概念を
打ち破ったかわいらしさ。
「これは、一本の木からできているんですよ。
二体の狛犬をあわせると、この写真です。」
ほんとだ~
ぴったり。
狛犬さんが、チュゥしてるみたい。笑
「これは、円空さんがもっていた錫杖です。
手にもつところ、龍がほってあって、ギザギザしています。
ちょっと、持ちにくいですし
錫杖の杖としては、弱くなってしまいますよね。
でもなぜ、龍を掘ったのか・・・
この仏像、みてください。
お母さんを表すという
善女竜王 (右)
真ん中に
十一面面観音
円空さん本人といわれる
善財童子(左)
このお母さんを円空さんは水害で亡くされているんです。
善女龍王としてお母さんの姿を彫っておられたから、
錫杖にも龍、お母さんと一緒に巡礼していらしたのかなって
私は思います。」
なんと~。
「円空さんは、北海道から奈良まで巡礼したんですよ~
北海道ではアイヌとの交流あったといわれています。」
あっ!
そっか、そうだ、にてる。
アイヌの彫刻に
どことなく、にてる~!!
そっかぁ。
円空さんの
他の仏像もみてみたいなぁ。
あぁ、ここは何時間いても、いい場所~。
記念館って
場所によって
エネルギー的に長居したくな所も
あるんだけど
ここは、本当にやわら~ぐ。
気持ちいい露天風呂で
半身浴をしているような
きもちよさ。
一通り
丁寧にご案内いただいたあと
「あっ、宮司さんがいらっしゃいましたよ。」
「あぁ~。ありがとうございました~。
こられて、よかったです。」
「中に入れたんですね~
よかったです。
神社の宝物殿もみられますか?」
わぁっ、宮司さん、
社を閉めていらしたのに
まっててくださったんだーーーー
なんと
優しい。
「みますみます~
ありがとうございます~~。」
っというわけで
宮司さんにつづいて
宝物殿へ。
ここは、
平安時代の仏像
神仏習合時代の仏像、
珍しい神道の神様の像(御神像)があったり。
もぅ、古いから
どんな神様なのかは
わからないものが
多いんだって。
わたしにとっては
待っててくださった
宮司さんに
一番感動だったけど(笑)
いろいろと
ゆっくりまた見たい。
あっ、帰り途中ね
何気に
振り返ったら
円空さんの狛犬
レプリカ、あったよ~!
狛犬さん
実物は結構大きいの~
ぜひぜひ、みてほしいです。
すっごいパワーを放って
みなさんを待ってまーすよーっ。
っというわけで
わたしは
高賀神社にきたら
円空さんの大ファンになっちゃった。
たくさーんの
出会いに感謝。
後からおもえば
今回の旅は、本宮神社ではなく
高賀神社にこられて、よかった。
わたし、やっぱり岐阜、大好き~
またきますね。