★愛知県のパワースポット★

 

 

 

つづいては~

 

 

三河国一之宮  砥鹿神社に

ツアーで行く流れにのって

 

二之宮 三之宮も

行きたいなっ。

 

 

 

っと

思い立ちまして

 

 

三河国三之宮

 

猿投神社 いきましょ~っ。宇宙人キラキラ

 

 

主祭神 

大碓命  

相殿 景行天皇(第12代) 垂仁天皇(第11代)

 

住所

豊田市猿投町大城5

0565-45-1917

 

地図はこちら

 

 

 

 

猿投神社で

さるなげ神社

 

って読むのかと思ったら

 

 

 

猿に投げるで

さなげ

 

るがない?!

 

 

よーめないーよぉーーー。(笑)

 

 

 

 

 

猿投神社までの道のりは

住宅地もあったけど

 

 

地図を見ても

 

ここから先は

山々、自然がいっぱい。

 

 

 

っというのも

 

猿投山の麓にあるのが

こちら、本社。

 

 

猿投山の山頂付近は

 

西宮と東宮という

奥の宮(奥の院)があるそうです。

 

 

 

山中には、

菊石、御船石、蛙岩、屏風岩、御鞍石・・・・

 

巨石がゴロゴロ。

 

神様スポットが

たくさんありそう。合格

 

 

 

 

きっと、

 

磐座郡があるってことは

 

その昔は

猿投山が御神体だったのかもね。キラキラ

じゃんっカエル

 

 

総門

 

到着。

 

 

 

後ろを

ヒョイッと

 

振り向くと

黄金の鳥居がみえま~す。

 

道路を挟んでいるね。ひらめき電球

 

 

 

さ~てっ

 

猿投神社

どんな神社かといいますと・・・

猿投神社

 

創祀は社伝によれば、第十四代仲哀天皇元年(192年)勅願により現在の地に祀るとある。

猿又山東峯に東宮、西峯に西宮を祀り、猿投三社大明神と崇敬され、平安時代に制定された延喜の制では延喜式内社に定められた。

三河国国内神明帳に『正一位猿投大明神』と記載され、『三河三宮』と称された。

神領は、織豊時代より明治維新まで776石の朱印を与えられた。三河国では最も多く、明治維新まで徳川幕府より附与された。

 

境内外に神宮寺が建てられ猿投白鳳寺と呼ばれ、明治元年まで神仏混合の地だった。

 

 

猿投祭りと棒の手

猿投祭りは、古来旧暦9月8日、9日の重陽の節句に行われたので、『節句祭』と呼ばれ、三河、尾張、美濃、三ヶ国186ヶ村は合宿をつくり、棒の手を奉納した。

東照軍艦によれば『天文23年岩崎城主丹羽勘助氏次、猿投神社に奉納』とあり、現在も棒の手保存会により伝承され、秋の例祭に奉納されている。

 

 

 

ということで

 

徳川幕府からも

大切にされた神社なのですね。

ではでは

 

いっきましょ~ぶーぶーラブラブ

わぁぁあぁ・・・叫び

 

 

荘厳な風。

 

 

木々に囲まれ

木陰の参道。

 

 

空気がガラッと変わったよ・・・。

 

 

ぐる~

ぐる~

 

厚みのある太い風

力強いエネルギー

 

 

ここは

男の神様の神域、ですなぁ。

いい参道だよぉ・・・。ニコニコ

 

 

濃密な気が

充満

 

 

木々を見上げながら

 

ゆっくり

吸って

 

はぁ~

 

吐いて。

 

 

神域の力強い

生命力に守られてる感じする。

わぁぁ~っ叫びキラキラキラキラ

 

 

ご神木の
杉のあたり

 

さらに太く力強い気になっていく~~アップ

 

 

パワーロード、パワーロード~。キラキラ

あ、鳥居がみえてきたよ~ぶーぶー

馬神

 

ヒヒーーーン!

 

タッタッタッタッ馬

駐車場は

鳥居そばまでこれちゃうけど

 

 

猿投神社は

ちょっと戻って

 

参道を歩くのが

おすすめです。ねこへび

ふぅ~

 

 

よろしくお願いします。

猿投神社の由緒書には・・・

 

 

猿投神社は豊田市の北端にそびえる三河の名峯猿投山の麓に鎮座する古社である。
創始は社伝によれば仲哀天皇元年勅願により現在の地に祀るとある。

猿投山の東峯に東宮、西峯に西宮を祀り、本社、東宮、西宮を総称して古くより猿投三社大明神と厚く崇敬されて来ている。
神階は文徳天皇仁寿元年(851)に従五位下、陽成天皇元慶元年(877)従四位下に叙位している。以後記録は絶え、昇叙について明確なことは判らないが、社蔵神号額(嘉元2年=1304)には「正一位猿投大明神」とあり、三河国国内神名帳にも「正一位猿投大明神」とあるので、正一位に昇叙したことが判る。
社格は延喜の制(967)では国幣の小社(三河国26座、賀茂7座)で、一宮制が施行されるや、砥鹿神社、知立神社についで三河三宮と称された。明治の新制度では、明治5年県社に列し、広沢天神社(延喜式内社)塞神社、小猿投社を合祀した(昭和になり広沢天神社は再び広沢の地で祀られるようになる)。

明治中頃より国幣小社昇格を建議し、後年内定したが、大東亜戦争の終息によりその目的は達せられなかった。
神領は織田・豊臣二氏の先規により徳川家康公が776石(神社では三河国1位)の朱印を付し、明治維新まで続いた。此の外の武将も多くの神領を寄進したことが社蔵の寄進状によってしることが出来る。

 

大碓命は景行天皇の第1皇子で、小碓命(日本武尊)とは同胞双生児である。日本書紀に、「大碓命が東征を欲せられなかった為に、美濃国(岐阜県)へ封ぜられ、三野国造の祖神の娘2人を妃とせられ、2皇子(押黒兄彦、押黒弟彦)を生む」云云とある。

社蔵の縁起書(光仁天皇宝亀10年(779)に大伴家持、阿部東人による調査書)に「景行天皇52年(122)猿投山中にて蛇毒の為に薨ず、御年42歳、即ち山上に斂葬し奉る」云々とある。

現在、西宮後方に御墓所がある。

この地は古くより御墓所として伝えられて来たが、明治8年教部省の実地調査の結果、現在地を御墓所と確定し、以後守部、墓丁が置かれ現在に至っている。

 

猿投山とサナゲの語義
社蔵縁起書に「景行天皇53年天皇が伊勢国へ行幸、常に猿を愛し王座に侍せしむ。

猿の不祥あり。

天皇憎みて伊勢の海に投げ給ふ。

其の猿、鷲取山に入る。

日本武尊東征の時、壮士三河国より来たりて従う。

平定の後、尊に曰く、先に慈恩を蒙れる猿なり。

勅恩に報ずる為、扈従し奉ると言い終って鷲取山に入る。

猿投山の称、是より起こる」とある。

標高629米。

山中に天然記念物「菊石」がある。

又、団九郎岩屋、御船石、蛙岩、屏風岩、御鞍石等の伝説豊かな巨岩もある。

 

サナゲの語義似ついて、文徳実録・延喜式神名帳には共に「狭投」と記し、三河国国内神明帳・神号額には「猿投」とある。

 

従来の諸説を挙げてみると

(1)前記縁起書にある猿を海に投げたより起こった。

(2)山容が鐸ににているから。

(3)鐸を木の枝につけて祭祀を行った。

(4)大碓命薨去を悲しみ真歎山が猿投山となった、等の諸説があるが断定はし難い。

 

 

とあって・・・

 

 

日本武尊(小碓命)の双子の

大碓命が祀られる神社

 

 

って!!

 

 

日本武尊が

双子ってことも知らなかった~。叫び

拝殿で~すっぶーぶー

 

 

 

はああぁぁ・・・・キラキラキラキラキラキラ

 

 

くるくる~

くるくる~

 

清々しくきもちいい。

 

 

もうここで十分

素敵な神社です~。キラキラ

こちらは

 

太鼓楼(たいころう)

 

太鼓を鳴らして

時報、緊急事態をお知らせしたそう。ひらめき電球

 

 

 

そ~して

そして~

拝殿の間にあるのは

四方殿。

 

 

すてき・・・

 

 

神社建築

渋くあせた色合いが素敵。

 

深いこげ茶は

神社に似合う色だね。

おや?目

 

 

これは、

なんじゃ??

 

ゲーム???

 

 

何を数えるんだろう。

じゃ~~んっっ合格

 

 

ここが

中門

 

貫禄を感じます~。

 

 

奥に本殿があるんだね・・・

 

 

 

ぐる~~ぐるぐる~~~

 

 

 

 

わああぁっ叫び!!

 

 

男らしい雄大な力強い気。

 

懐の大きい

強くたくましい力。

 

 

大木でいえば

幹が太く成長していく感じ・・・

 

 

魔や邪気、ネガティブなものを

寄せ付けないような

厚みのある気です。

 

 

 

・・・っというのも

 

これをみて~。パー

 

 

左鎌奉納の由来


御祭神大碓命がこの地方を開拓された御神徳を慕い古来より左鎌を奉納して諸願成就を祈願する特殊信仰がある。

言い伝えによれば、双生児の場合、一方が左遣いであり、大碓命が小碓命(日本武尊)と双生児であるので命が左遣いであられた縁によるとも、また災難を断ち切り、豊作 病気平癒等の祈願成就を祈ったともいわれるが、起源は定かでない。
現在は職場交通安全を祈る会社関係の奉納が盛んである。

 

 

災難を断ち切る

 

本当に

本殿のほうから流れてくる気も

そんな感じ。

 

 

ちなみに


この近くはトヨタ関連の会社があるため

交通安全の祈願が多いそうだよ。ひらめき電球

さぁ、右手にずら~っと並ぶ

 

摂末社

 

 

手前から

熱田社・塞神社・八柱社・大国社



熱田社
芯の強い力で

厄難を除け、強い絆を深める!


塞神社
穏やかに見守る神様は

災いを防ぐ塞ノ神(道祖神)

交通安全。

 

八柱社八幡社
重厚ずっしり重力

厄除け!仕事強化。

一番奥

 

大国社には

大国様がいらっしゃいます~。

 


明るい繁栄の力で

商売繁盛。

 

 

 

私のイメージにゃ。(笑)ねこへび

こちらは・・・

 

神池かな?

さっ

 

つづいて~

左手にいくと・・・ぶーぶー

鯱?

親子の猿~。

 

 

 

おや?

 

水の音がしてきたよ!

 

 

テテテテッぶーぶーキラキラキラキラ

はあぁぁあぁあ・・・・・アップ

 

 

くるくる~

サァ~ッ

 

 

滝だ~~。

 

 

 

御手洗乃瀧

厳島社
 

 

風がきもちいい~。キラキラキラキラ

 


爽やか、優しい清浄なエネルギー。

 

 

はぁ~

 

 

 

すごい水量で

邪気を吹き飛ばしてくれる。

 

 

細かい水しぶきが

肌に触れる

 

浄化スポット。

 

 

滝の横でしばし・・・カエル

 

 

 

いいところだねぇ。

 

水の気に力があるよ。

っということで

 

 

猿投神社は

 

パワースポットも

文化財も
神社建築が好きな方も

 

たまらない神社です。

 

 

 

 

それと

 

今回、わたしは行けなかったけど

 

奥宮についての

案内板しらべてみました。

 

 

 

 

西の宮

猿投山の西の峯にあたる山頂付近の大字鷲取にあり、猿投神社を本社とする西方の奥の宮です。

創建は、東の宮と同じ記録を残すことから、ほぼ同じ時期の平安時代後期と推定されます。

このお宮には南朝方の忠臣児島高徳が寄進した木の薬丸という長巻(太刀)があったと伝えられています。

境内に観音を本尊とする寺が建っていました。

 

御墓所(大碓命墓)

大碓命は景行天皇の皇子で、小碓命と双子の兄弟といわれています。猿投山で蛇にかまれて亡くなったと伝えられ、これが縁で猿投神社の祭神として祀られています。

墓所は、西の宮と隣接しており、石垣に囲まれて中は土盛の半円型になっています。

土盛は七色の土を使って築かれ、棺は土器で作られたといわれています。

尚、小碓命は日本武尊として有名です。

 

 

血洗の滝

猿投神社の祭神である大碓命が、猿投山で毒蛇にかまれて傷口から流れ出た血を滝の水で洗い流したことから、この滝はいつの頃からか血洗の滝と呼ばれています。

滝の所在する一帯は「血洗」の字名を残しています。

なお、大碓命の墓所は西の宮境内の後方にあり、宮内庁が管理しています。

 

 

東の宮

猿投山の東の峯頂上近くは、茂吉ヶ峯の地名を残し、猿投神社を本社とする東方の奥の宮です。

東の宮は、室町幕府初代将軍足利尊氏寄進の槍と鏡があったと伝えられており、室町時代の貞和五年(1349年)に記録のある祭礼記にその名が見られます。

創建は不詳ですが、平安時代後期と推定されます。
このお宮にも寺院が建立されて本尊は薬師如来を安置していました。

 

 

 

 

 

私は写真を見た限り

東の宮の気が好き。ドキドキ

 

 

 

また訪れることがあったら

いってみたいな~

 

って思ってますっ。宇宙人