★福井県のパワースポット★

 

 

つづいては~

 

私が白山の神社で

ずっと行ってみたかった所です。

 

 

平泉寺白山神社 にいきましょう~。宇宙人キラキラ

 

住所

福井県勝山市平泉寺町平泉寺56−63

0779-88-1591

 

地図はこちら

駐車場までも

 

大きな杉に囲まれた

参道のような道のり

 

テンションあがっちゃう。

 

 


街から1時間弱で

こんなところにこれるって

 

うんうん

福井県いいところだなぁ。

あ、案内板っ。目キラキラ

 

かなり広い神社ですね。

鳥居が、み~えてきた~。音譜音譜

 

この坂は

精進坂

 

 

はぁ・・・

 

キリッと引き締まった

信仰の場の空気。

 

 

左手には

 

顕海寺

1659年玄成院代々の位牌所

門前の檀那寺として建立されたお寺

 

があるよ。足あと

きたきたきたーーー!!

 

一の鳥居

 

 

もぅ、言葉にできない

爽やかな自然の青い香り。

 

スタートから

ステキッ、ステキッラブラブラブラブ

わおっっ!!

 

勇ましく力強い気
空気の厚みが増える。

 

 

あぁ~~

なんて、素敵な参道なの~。

 

 

太陽の光の道と

影の道がうまれ

 

きれいなコントラストがまぶしい。

 

 

緑の苔が

生き生きと発光してる。
  

 

直感力が冴えていくような力、

自然の清らかな空気

 

最高だよ。キラキラキラキラキラキラ

白山神社は、養老元年(七一七)、白山の開祖·秦澄大師の創建。
白山登拝の途中林泉(今の御手洗池)を発見、そこで白山の神の託宣をうけられ、当地が神明遊止の聖地なのを知り、社を建てて白山の神を奉斎されたのに始まる。

白山信仰の中心地で、古くは白山平泉寺と呼ばれ、後世一般に平泉寺の名で知られたため寺院であるかのように思われてきたが、本来神社である。
平安時代以降白山登拝の拠点である白山三馬場の一つとして隆盛を極めた。

鎌倉時代の初め、兄頼朝に追われた源義経が奥州平泉に落ちのびる途中当社に詣でたことが「義経記』に見え、鎌倉末の後醍醐天皇による鎌倉幕府打倒に呼応して当社の僧兵が大野郡牛ケ原の地頭を攻め減ぼしたことも「太平記』に見え著名なことである。

中世の最盛期には社領九万石、四十八社、三十六堂、六千坊とうたわれ、戦国時代には一乗谷の朝倉氏とともに越前における一大勢力であった。

平泉寺出身の三光坊は能面師の祖と仰がれている。

このような当社であったが、惜しくも天正二年(一五七四)折から係争中の一向一揆のため放火せられ、全山一時に灰燼に帰した。
その後約十年にして再興せられ、豊臣秀吉をはじめ江戸時代に入ると越前藩主松平家の篤い崇敬をうけ、やがて明治維新に際し政府の神佛分離令により長年の神佛習合の姿を脱し、本来の白山社に復し今日に至っている。

左手には

 

城山神社社務所(玄成院)

1583年に戻ってきた顕海が再建。

 

 

社務所も渋く

風情あり。キラキラキラキラ

はぁ・・・キラキラ

 

しばし立ち止まって佇む。

 

 

木々に囲まれる

真っすぐ伸びる参道

 

 

心の故郷

という言葉がぴったりあう。

 

 

懐かしいというか

落ち着くというか
ここに立っているだけで

 

 

何百年、何千年という

時間を超えて

私の奥深い、何かが刺激されていく感じ。

さてっ、左手には~

 

飼葉料
桃山時代に、今も拝殿の内に掲げられている絵馬から夜中に駿馬が抜け出して、村民の田畑の作物を喰い荒し、困った当社は此処を馬の飼葉料としたとの伝説があり、現在も草を刈り残している。

ここ???

右手には~

 

八幡神社があります。

 

 

・・・って!

 

おお!鋭く力強い気が

こちらまでやってくる。

 

 

厄除け、戦いの神様

パワフルです。キラキラキラキラ

ん??

 

もう一度反対側

左手には・・・

 

御手洗?池があるみたいだね。


 

いってみよ

いってみよ
 

テッテッテッ馬

御手洗池(みたらしいけ)

泰澄大師は養老元年(七一七)白山登拝の途中この林泉を発見され、大師の祈念に応じて泉の中の影向石(ようごういわ)に白山の大神が出現され、「神明遊止の地なり」とのお告げがあったため、当地に社を建てて、白山の神を奉斎されたと伝える。

当社発祥の地であり、「平泉寺」や「平清水(ひらしみず)」(平安時代の当社の呼称の一つ)の名の由来はここにある。
神泉は今もって絶える事なく湧き出でている。


池の東(御本社寄り)に聳ゆる三叉杉はこの時大師が植えられたものと伝え、一千二百数十年を経て健在であり、幹は途中から三本に分かれ白山三社をかたどる形となっている。

当社の御神木であり注連縄が張られている。

おや?

 

ここはなんだろ??

ご神木~キラキラキラキラ

 

この三叉杉は

白山の開祖·秦澄大師により植えられたもの。

 

樹齢1200年!!

 

 

・・・って!

 

その正面にあるのが

わああぁあぁあぁぁあ~~~叫び

 

ぐるぐるぐるぐる~

 

 

御手洗池

すっ、すごいパワフルな気だよ~アップ

 

この白い石の上

気がパーンと上昇していく~~~アップ

 

 

泰澄大師がこの御手洗池を発見。

影向石(ようごういわ)に白山の大神が現れたために

神社が建てられた。

 

ということは

平泉寺白山神社発祥の地。

 

 

すごい聖地だっっっ!!!

いやぁぁ・・・

美しい。

 

もぅ、ここから離れたくない。

 

 

 

ぽーっと

水面を眺めていると

 

 

あら?

水面に細かい波がたってる・・・??

 

 

小刻みにさわさわ~

揺れ動いて
 

その流れや波の起こる場所も

一刻一刻変わっていく。

 

 

不思議だ・・・。

 

 

その細かい波は

 

気のバイブレーションを

表しているみたい。

はぁ・・・・キラキラキラキラ

 

 

神様が

とても近く感じる

本当に神聖な場所

 

パワースポット以上?というか

素晴らしい聖地です。

さぁっ、名残惜しいけど

先に進みましょう~ぶーぶー足あと

 

二の鳥居

 

ペコリ。

き〜れ〜い〜〜〜キラキラキラキラキラキラ

 

 

苔が有名な

かおり風景百選

 

 

摂末社がいっぱいあるね。


 

一面の苔の黄緑

わたし、この神社の素晴らしさを伝えるとき

一番の印象は、苔の彩りなりそう。キラキラキラキラ

拝殿 安政六年(一八五九)の造営
天正二年(一五七四)兵火にかかって焼失する以前は、正面四十五間という我が国最大の拝殿であった。

今も左右に残る巨大な礎石が規模の雄大さを物語っている。

その中央部に再建された現在の拝殿は江戸時代の寄棟造くれ葺の簡素な建物ではあるが、天平時代の風情を良く残していると言われる。
正面入口にかかっている「中宮平泉寺」の額は一品天眞親王の筆。

拝殿内の絵馬は越前藩主松平家以下の奉納にかかり、桃山以降の逸品である。

参道奥にあるのが

拝殿。

 

中宮平泉寺とある。

 

 

昔は、この国最大の拝殿だったって

どんな大きさだったのか・・・

 

当時の絵でも写真でも

みてみたいなぁ。

 

 

・・・っと

 

お参りをして

横をみると

大石垣の上の段に

ご本社がみえる!!!

 

 

しかも

行ける行ける。馬ラブラブ

御本社 寛政七年(一七九五)の造営
御祭神 伊弉冊尊

 

現社殿は越前藩主松平重富公による再建で、総欅の入母屋造くれ葺。昇り竜,降り竜の丸彫、壁面の浮彫などの彫刻も秀逸で、奥越には珍しい華麗な建築である。
御本社を中心に右に別山社、左に越南知社を配するのは、白山山頂の三山のそれぞれの神を祀っているからであり、このように白山三社の神々を勧進することは当社創建以来の姿と思われる。

今は失われているが、中世から近世には、さらに金釼社と加宝社が加えられ、五社が整然と立ち並ぶさまは壮観であったと思われる。

本社 御前峰(ごぜんがみね)2702m

ご祭神 伊弉冊尊 十一面観音菩薩

 

 

わわあぁぁぁあ~叫びアップ

 

つ、強い、高い、

いきなり気があがる~~~


ツーンと鋭く抜ける透明感ある気。

 

 

すぅ~

 

はぁ~

 


生命力をあげてくださるというか・・・

体の気の質が清らかに良くなっていく。

 

 

古より白山は

『命をつなぐ親神様』

 

といわれているそうだけど

 

純粋無垢な気に戻してくれる神様

という感覚。

 

 

すごい、肩や頭や至る所が

軽い、軽い。

 

気持ちいい~。キラキラキラキラキラキラ

左手は

越南知社(おおなむちしゃ) 

大汝峰(おおなんじがみね) 2684m

ご祭神 大己貴尊 阿弥陀如来

 

 

こちらは、
 

どっしりと力強い気で、地に足がつく

重心が大地に着地する感じ。

 

新たに土台から作りあげていく

耕して栄養を蓄える、そんな力。

 

 

国造りの神様

幽冥の神様ですなぁ。

右手は

別山社(べっさんしゃ) 別山(べっさん) 2399m

ご祭神 天忍穂耳尊 聖観音菩薩

 


わぁ、質感が軽ろやかな気。

 

天型の軽く高いエネルギーで
やさしく心地いい。

 

子供?みたいな力。(笑)

 

 

稲穂の神さま

繁栄のイメージです。キラキラ

そして、まだまだあるよ~。

 

 

手前には

開山された泰澄大師の社があるけど


あの見えている先が

三之宮。

 


ひゃぁ、そう、先です。

 


ヘイホッ

 

ヘイホッ

 

 

前から抜けてくる風が

軽くてきもちいい。

 


全体的

どこを歩いても

パワースポットの神社。

 

 

平泉寺白山神社は

かつては白山信仰の巨大拠点で

白山比咩神社よりも総本山と思われていた

時代もあったそうなの。

 

神仏分離からは

その力が変わっていったんだろうけど

 

昔の趣は

しっかり残ってる。

 

 

信仰の力が濃厚で

自然との繋がりも強いもの~。キラキラ

納経所

平安の頃より六十六部といって滅罪の経典である法華経を写経して、その一部ずつを日本六十六ケ所の神社に納めながら諸国を巡礼したが、とくに江戸時代には盛んに行われた。

越前での納経所は当社だけである。

境内にある結神社の傍らには「天下泰平 日月晴明」「大乗妙典六十六部廻國供養塔」と刻した石碑が今も立っている。

納経所跡

いまは削れちゃってわかりづらいけど、

周りの岩もみんな石像だったんだね。

はぁあああぁぁ・・・キラキラキラキラ

 

頭の中にぐるぐる風が回ってる。


それにしても

地味ににくるなぁ、石段って。(笑)

三之宮 安産の神

ご祭神 栲幡千々比賣尊(たくはたちぢひめのみこと)

 


やわらかくやさしい気に

抱擁される〜。


安心安定のエネルギーで、

満足感、不安を取り除いてくれる感じ。

 

 

さすが安産の神様っ。ラブラブラブラブ

三之宮 明治二十二年の改築
安産の守護神として信仰が厚く、そのために当社は昔から安産の御守りと岩田帯を頒布している。


楠木正成公墓塔
延元年間(約六百五十年前)の建立


当社は後醍醐天皇の建武の中興に際して、北条氏の一族を大野郡牛ケ原に攻め滅ぼすなど、官軍との関係が密接であった。

古い縁起によると、楠木正成公の甥恵秀律師は平泉寺衆徒の一人で、延元元年(一三三六)当社三之宮に参龍していると、夢に大楠公が騎馬姿で現れ、不思議に思っていたが、やがて大楠公湊川戦死を聞き知るにおよんでそれがまさに夢見の日とわかり、その場所に五重の石塔を立てて菩提を弔った、と伝える。

周囲の石橋と参道は、寛文八年(一六六八)越前藩主松平光通公の奉納によるものである。

楠木正成の墓塔があり・・・

越前 白山禅定道平泉寺 登拝口

ここから登れるんだね。ひらめき電球

夕陽を浴びて

体が楽ちん、楽ちん。
 

いいお参りだったなぁ。宇宙人キラキラ

もぅ、どこをみても癒し。キラキラキラキラ

開山社

御開祖 泰澄大師を祀るお社に

 

お参りをしたところで・・・

おや?

 

南谷発掘調査地・・・

 

ちょっといってみよ。ぶーぶー足あと

南谷発掘地

復元の門や土塀、中世の石畳

 

南谷三千六百坊跡

宗像神社も発見。キラキラひらめき電球

あぁ、あそこだね~。

 

石垣が見える。

 

 

のどかな日本の原風景

 

ちょっと

不思議な気分。

 

 

荘厳な神域から

ひょこっとでて

タイムスリップしたみたいだよ。(笑)

 


ほっこり、落ち着く、この景色


 

 

福井もいいね〜

遠くに見える白い雪化粧の山々も美しい。

 

雪をかぶった山は、

見た目も清らかさを増す感じがするなぁ。

 

 

 

・・・っというわけで
 

平泉寺白山神社は

緑と苔が美しい

荘厳な空気に包まれる神社でした。

 

 

ほんと、

全国を代表する

素晴らしい神社

 

パワースポット。

 

 

 

またきたいなぁ

ここ。

 

ちと遠いけど

またきたい。

 

 

 

 

さてっ

この日は

 

天然温泉 羽二重の湯 ドーミーイン福井に宿泊


夜は歩いて、呑み処たけうちで。

 

一人分のメニューあるから

一人でも入りやすいよ。合格


お造り盛り合わせ

せいこがにクリームコロッケ
地鶏とキャベツのみぞれ鍋

日本酒をいただきました。ラブラブ

 

 

 

さっ、まだまだ

福井のパワースポットの旅続きますっ。宇宙人キラキラ