★沖縄県 久米島の旅&パワースポット巡り★
久米島4日目
最終日。
お次も
また観光。
ここ、
何度も何度も
案内板みたから
行ってみようと
思ってたの。
それだけ
久米島で大切な観光地なのかなって。
国指定重要文化財に指定される
上江洲家は旧具志川城主の末裔。
1754年頃、琉球王朝時代の地頭代の家。
琉球石灰岩の立派な石垣と、フクギが取り囲み、
琉球王国時代の風水思想に基づいた
民家の屋敷構を今も残す。
『ここはね
右手東側、
太陽が上がる方向が男性の門
身分が高い王様などが入る門ね
左手西側
太陽が下がる方向女性の門。
内側の石垣が
目隠し風よけヒンプンと呼んでね
盛り上がった石は風水師が占って作ったの。
265年を迎えている風水で建てられた家
だから屋根に、魔除けのシーサーはいないよ。』
え、あっ、そういうこと?
風水で考えられてるから
そっか、魔除けはいらないんだ!!
『中国では、屋根の中央にシーサーをおくと、
火事になったとき、
口をあけたシーサーが火をパクリと消してくれると
門の悪いのも追い払ってくれるという
伝説があるといわれてます。』
ほぉ~
だから、
沖縄の家には
シーサーがいるのね。
『柱はね、イヌマキの木、上江洲の杜からね。
これで作れば、久米島の風土にあっているから
長く持つ、という家。
お部屋はね、畳が
9畳、4畳、4畳となっていて
満たされていない、足りない数字でできているの。
足らない分は補うように
発展を続けなさいという意味。
柱もね、
一本は杉の柱になっているの。
東側の石垣も
下はキレイに積んで、上はなぞらずに
完全じゃないから、努力しなさいとして
よく考えられている、ということ。
そうすると
代々努力すると栄えていくけど
満たしていると三代でなくなるおそれもあるからね。』
確かに・・・。
『左手にあるのは
米倉。
中二階になっていて
上は天日彫りしたもみを藁でつくった袋にいれて
下は味噌瓶が並んでる。』
『えっと〜、今って人は住んでるんですか?』
『今は人が住んでないよ。
仏さんだけが住んでる。
仏壇の家だよ。(笑)』
でたーーーー
仏壇の家。(笑)
『風通し良く造っているでしょ~。』
本当に、風がぬける。
きもちよさそう~
『この右手の建物は??』
『先祖と火の神を祀る神棚』
神棚・・・めずらしい。
沖縄って
先祖、祖先崇拝
仏壇
そして
火の神を祀るけど
神棚ってきかないなぁ。
空間が変わる
すごく強い気、力がある。
おちついた、熱い力が、
どしっと鎮座。
体がじわじわ
熱い。
手がじんじんする。
三集落を守る神様かぁ・・・。
お邪魔してます。
挨拶すると
ふわっと軽くなっていく・・・
ぺこり。
あらかき村のコシアテ(腰当て)
村を抱き護る神のまします杜。
『あらかきのもり』『あらかきのみや』『あらかきのいなみね』
などと謡われた。
森の中にあることが多い。
そして
伊平屋島も、
クバは神聖な木で
神様がおられるところは
森の中だった。
久米島の御嶽は、
とても素朴
人工物的なものはない。
神石があるくらいなのかな。
その感じが
私はたまらなく好き。
本土の昔ながらの信仰とは
少し違うかもしれないけど
自然の木や石などに
神様が宿る
原始の姿、という感じが
すごくいいんだ。
神様と人が繋がる
厳かで
近寄りがたいほど。
ぐるぐる
ぐるぐる
風がふき回るワイルドなチカラ
男性的・・・
ずいぶん手前にいるのに
頭が下がってしまう。
強まってくる。
・・・
・・・
なにを願うわけでもないけど
私にとっては
挨拶をすることに
意味がある。
願いを伝えてるわけじゃない。
ただ、
魂が通うような
御参りは
現実感の
あまりない
瞑想のような
感覚の中で
自分の意識とは別のところで
言葉でない会話をしている
そんな感じがする。
私はこの感覚が
愛おしい。
どこか
なつかしい。
きっと
人が祈る場所には
宿るものがある。
そこに触れて
ダウンロードしてるのかもしれない。
君南風由来によれば「神代の昔、姉妹3人の神女がいて長女は弁ノ御獄を住居とし、次女と三女は久米島へ渡って次女は東獄、三女は西獄に住んだ。
その後次女は八重山に渡り、おもと嶽を住居とし、三女はそのまま西継に住み君南風となった。」
とあり、三女が君南風の始祖となっている。
『おもろそうし』には、「中地綾庭」とうたわれている。
部落時代から集落のノロを統括する神職にキミというのがおり、 按司時代には按司の姉妹神として祭事を司る神職のキミがいて、古くは君南風もこの三十三君の1人であった。
弘治13年(1500)尚真王代に、八重山のオヤケアカハチを征伐す
る首里軍に従軍した君南風の計略により大勝利をおさめ、王より恩賞を賜った。
この時以来、君南風は久米島の最高神女として島内のノロや神女を統括し、島民の精神的支配者になった。
君南風殿内は歴代君南風の祭礼殿である。
康煕6年(1667) 三十三君は廃止されたが、伊平屋のあむがなし、久米島の君南風、 今帰仁村のあおりやえの三君だけは残された。
君南風は、久米島の最高神女。
琉球王国の神女組織の33君の1人で、
久米島のノロ(神様のお使いの方)を統括し
その祭祀を行う所がここ。
琉球王国の時代は、神女(ノロ)が祭祀を行っていて
久米島の君南風はその中の一人
首里城に登城することができる
高い地位の神女だったそうだよ。
崇高で穏やかな空気・・・。
その中に包み込まれる
渦の奥には奥深い力ある。
それでも
寄せ付けない感じではなく
どこかやさしい。
開放的なきもちよさ。
ありがとうございました・・・。
全身、女神さまの光で
包み込まれ
魂が柔らかく
透明に返った感じ。
はぁ、
もう一度
挨拶できてよかった。
久米島に
お参りに来る時は
君南風殿内ではじまり
おわりも、君南風殿内にお参りしたいな。