★新潟県のパワースポット★


つづいては~

越後中越総鎮守

金峯神社。


ご祭神

金山毘古命
又倉大神
長岡総社 産土神社合祀霊

住所

新潟県長岡市西蔵王2-6-19
(0258)32-2337 

地図はこちら

わぁ、朱の大きな鳥居。


ここは、JR北長岡駅からも歩いて15分。

長岡駅からもバスでこれちゃいます。

(私は車でーーーす。笑)




由緒書によると・・・


金峯神社(きんぷじんじゃ)は、大和国吉野の金峯山の蔵王権現を勧請し、神仏習合時代までは蔵王権現(ざおうごんげん)と呼ばれた霊場でした。

 

※蔵王権現

修験道独特の御本尊「蔵王権現」は恕(じょ)の心を持った仏様です。
己が身の罪と汚れを働悔すれば過去、現在、未来三世にわたって救済していただけるという三世救済の権現仏で、役行者尊の感得以来、千三百年の遠い昔から人々に仰ぎ敬われてきました。
「蔵王権現」は忿怒の形相でたいへん怖いお姿をしておられますが、その本地(おおもと)は犠悔する者をして、悩みや苦しみの世界からお救いくださる、釈迦、観音、弥勤の慈悲深いお姿なのです。



というわけで、蔵王さまの地なんです~音譜



吉野の蔵王堂といえば、

私は10年以上前出会ったお坊さんと一緒に

巡ったことがきっかけで、何度か足を運んでいる聖地。



私にとって、一番印象に残っているのは

蔵王堂のお勤めだなぁ。


般若心経をお坊さんたちがあげたときの

霊魂が集まってくる、寒い感覚。


そして、霊魂が癒され

平穏な空気に戻っていく・・・というのは


冷たく濁った氷が解けて、

柔らかく透明な水にかわっていくような感じだった。



そう。



私達の生活と

目に見えないスライド越しには


何かの世界があって・・・



生きている人が

表世界にでて、


何かにもまれながら

魂を磨くのと

同じように


苦しい記憶が残った

霊魂たちも

そこからはい上がろうとしてる。




人間だったら・・・

出会い一つで、救われたり

道が開けることがあるんだけど


霊魂はそういうわけには

なかなかいかない。




祖霊、先祖を想う

お墓参りなどの行事は大事だなぁって。



それと・・・

命をつないでくださった

先祖さま、両親、家族に


ありがとうと思える時


日常を少しでも丁寧に、

送れている実感や


目の前のことを

がんばって、一つこえた瞬間



そういうことも


きっと、繋がっている先祖さまにも

届けることができる・・・。



そうも感じてます。キラキラ

わおぉ・・・


民家がちらほらあるけれど

ところどころ、

太い根っこ、ドスンとたつ木々が

参道を守ってます~。

 


それにしても・・・
重た~い、この空気はなんじゃ??


救いを求めてくる存在・・・


このあたりは

戦いでもあったのかしら?



のしのし~


のしのし~


私の足も、ぞうさん~ぞうさん~。


さすが元、修験道の霊場。(笑)

はぁ・・・あっ!

このあたりまでくると、空気が変わった~キラキラ


蔵王地区集会所あたりから

ふわっと空気が軽く変化するよ~。


うんうん、見えない鳥居が

灯籠辺りにある感じ。(笑)

神域の気が高く強くなると

入ってこれない、存在、気があるんだね。ひらめき電球

ほぉ・・・ひろい。



・・・っていうか


左手に!!

すんごぉぉぉ~~~~いっっ叫びアップ


大地から、立ち上る迫力あるパワー。


これっ、これっ、これって・・・

やっぱり!ご神木だ~~~。ニコニコ


蔵王の大欅 

樹齢約800年です。



反対側からは


ちょっとまってね。



テテテッ足あと

にゃああぁあぁ~~~叫び


中が空洞。

でも、生きてる。


すごい、生命力ですぅぅ~~~。アップ


パワースポット

パワースポット


生命体。合格

その奥は、お城・・・??


っと思ったら

蔵王城址なんですって。キラキラ



後ほどいくことにしまして・・・


まずは~

拝殿にお参りでーーす。パー



って


うおぉぉおぉぉぉお~~叫び!!


ぐるぐる

ぐるぐる


すごい、厚みのあるふとーーーーい力。

大きいわぁ。大きい。

吉野の蔵王堂に安置されている
あの大きな蔵王様のお姿を思い出すよぉ。

鎮座、守護というイメージの
どじり重厚な力で、
自分で立つ力、自信をつけ、根を築く
みたいな力を後押ししてくれそう。


ここは・・・
くよくよぐるぐる悩み自転している時より
前を向いている時に訪れるほうが、おすすめかも。
(行っちゃだめってことじゃなくてね。)


くよくよぐるぐるモードの時は
癒しの気がある神社に行った方がいいから。


ここは、
武将とか将軍とか、修験者とか・・・の気。

今でいうと、会社の社長さんとか、
上に立つ存在、力がある方
神仏に関係する職の方とか

イメージ的には男性かな。


神仏習合時代の名残を感じる
お寺の空気が残る、神社という感じなのです。ひらめき電球



由緒書によりますと・・・


御祭神
金山毘古命…鉱山製鉄守護、武運長久、金運
又倉大神…縁結び·農業·醸造·漁業、諸産業繁栄
長岡総社…長岡市各町の産士神社合祀


和銅二年(七〇九年)元明天皇の勅願により北国鎮護のため創建。

仁治三年(一二四二年)現在地に遷座、産土神又倉神社と合祀し神仏習合の独特の文化が栄えました。

信濃川の河川交通が盛んなこの地より川沿いに長く築かれた丘から「長岡」の地名が起こったといいます。

南北朝時代に城下で激しい戦乱が行われ、上杉謙信公は流鏑馬神事に祭馬、鳥毛槍百筋、警固士卒を差し出されました。

江戸時代に堀直竒公は長岡城を築城し蔵王堂城を閉鎖し、門前町を移築しました。

氏子地域は天領とされ蔵王代官所を設置し、徳川家光公は特に崇敬厚く朱印地三百石·玉簾を奉納されました。明治に至り県内最初の県社に列し古の文化を今に伝えます。



蔵王堂城主 堀直竒公が

平方原に城を移築したのが、長岡城。


これが、長岡市の中心の始まり~ということで、

長岡に訪れたら、訪れたい神社ですね。合格


ご本殿側は~


あぁ、右手、やっぱり重厚な気~。

本殿周りに、たくさん木が生い茂ってるっ。ペンギン

くるりと

反対側にまわってみると・・・

わぁわぁわぁっっアップ


なんかすごい!

こっちは、凜とした気が、上に上がってく~。


私こっち側、好き好き。ラブラブ



特にね・・・

このあたり。


・・・って、

一緒にいないと、


どうともいえなく

どこ??


・・・って感じだと思うけど

パワースポットよ~。(笑)

さてっ、玉橋を渡って~ペンギン

蔵王堂城址にいこいこーー。音譜


この小さな丘を登れば

蔵王堂城址。

ひゃあああぁぁあぁぁぁ~叫び

すっごぉーーーーーいっっアップ


なんってなんってなんって、気持ちがいい

軽やか、爽やかなエネルギーなのぉ~?!?!


ここ、すごいすごい

ちょー、スーパー、パワースポットです~。キラキラ



蔵王堂城跡といっても
今は何もないけど

ちゃーんと、エネルギーは残ってるんだね。


のびのび、明るい気持ちにしてくれるっ。ニコニコ



ふぅ~
 
日陰でしばし休憩。

はぁ・・・きもちいいなぁ。


眠くなってきちゃった。


雲を見ると
空も綺麗。

ちょっとした風が涼しい・・・。



私は、神社やお寺もすきだけど 
一番は、自然の中の、気が高い所が、好き。

時々立ち止まって
一呼吸いれるこの時間。

これがいい。


・・・

・・・



ふと。
 
人が、パワースポットに求めるものって、、
なんだろう??


私にとっては、多分、
一番は内部の変化かなぁ。


生命力がいい、気のいい場所に
自分の気が馴染むと
自然と、生命力を下げるものが離れ

心地いい気が
ぐいぐい入ってくる。

すると、心もクリーンに、
日常のザワザワはなくなっていくの~。


人は、気がダウンすると
自分の一番弱い所がでるんだけど

非難批判、批評、攻撃性が増す
被害者意識が強くなる
執着が強くなる
くよくよぐるぐるする
過去にとらわれる
体調が悪くなる

ネガティブな方向に
傾いていく。
(もちろん個人さあるけどね)


気があがると

受け入れ受け流す柔らかさが生まれる
気持ちの転換上手になる
楽しいが増える
前向きな希望にむかう
やりたいことが出てくる
自己肯定がふくらむ
断捨離ができる


…っという感じで
気と感情はリンクしてる。

私は、パワースポットで
生きる心の豊かさを、与えてもらってるなって

実感してます。ドキドキ



さぁ、下った所には
いくつかお堂もあったよ~。

いってみよいってみよ。ぶーぶー

奥から

中に入ってみると・・・


毘沙門堂
 
手前左右は、金剛力士立像に守られ
左手は、不動明王と千手観音
真ん中は、毘沙門天立像
右手は、蔵王権現立像

低い地の底をも封印、守っていそうな力。
魔や悪が悪さをしないよう、キリッと守る神様という感じ。


観音堂

観世音菩薩

優しい柔らかさが広がって、
はぁ・・・、花の香りに包まれる感じ。
やすらぎと癒しを与える空間。キラキラ 

案内板には・・・


毘沙門天は、四方を守護する四天王に属し

須弥山の中で北を守る。七福神の一神。


不動明王は、恐ろしい姿で、悪魔や煩悩を滅ぼし

仏法に素直に従わないものを無理やりでも導き救済する仏様。


とのことです。キラキラ

外には~


蔵王観世音菩薩


お隣は

蔵王地蔵尊


妙徳院光次上人を祀る

正善霊神

あっ、こちらが、正善霊神についての案内板ね。

蔵王堂城主となった掘直竒の像と・・・

蔵王権現之記


蔵王権現は、古志郡楡原村に鎮座していたが、三島郡矢田村を経て、仁治年間この地に鎮座した。

この地は、もと股倉ととなあえ王神を祀っていた。

いつの頃か権現と習合して蔵王権現と称し、王神の祭事をも共に行ったので、世の人々の崇敬するところとなった。

 

戦乱の世となり、この地に築城されて蔵王堂城と称した南北両朝勢力の争点となって、常に戦乱の地となった。

 

元和2年蔵王堂城主となった掘直竒は、信濃川流域の変化による水禍のため城が危険となっているので、長岡の地に移転しようと計画し、実行に着手した。

しかし、完成しないうちに、村上へ國替となった。

 

かわって元和4年牧野忠成が城主となり、掘直竒のあとをうけて長岡城を完成、蔵王堂城を廃城とし城下町を長岡に移した。

以後股倉38の両村民は、蔵王権現門前に居を移し権現を尊崇してきた。

明治維新にあたり、神佛分離政策が強行。

蔵王権現は、金峯神社と改められ諸佛はすべて追放された。

そして、後に安禅寺を復興、蔵王権現北方の地にあった毘沙門天を奉じて本尊とし、蔵王権現のそのほかの諸佛は安禅寺本堂奥に安置されて今日に至った。



とのことで、

ず~っと、元は、王神をお祀りしていたんだね。ひらめき電球

さっ、最後に、裏手にあるのが・・・
稲荷さま~稲荷さま〜。足あと

蔵王稲荷大社


戦国時代に、豊臣、徳川をはじめとする各地の武将が城鎮守稲荷として真言密教と関係深い「茶枳尼天(だきにてん)」を祀るようになり、武将たちの生命のかかった城に祀られる稲荷は、怨敵退散を祈願し闘戦に勝利するため茶根尼天が祀られた。

ここ蔵王堂城も鎮守稲荷として、茶枳尼天を城内に祀るようになったのではないかといわれる。
蔵王権現社の別当「安禅寺」は、真言宗から天台宗に改め、明治政府が成立すると神仏分離政策を受け、茶枳尼天を勧請していた安禅寺は廃寺となり、神道的な稲荷神の宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を祭神とする稲荷神社となった。
尚、古刹「安禅寺」はその後、天台宗の寺として再興されいまにいたる。



苧引形兜城(おびきがたかぶとじょう)と白狐(しろきつね)


ある冬の朝、 新雪が薄く雪原を覆っていた。

長岡城築城の総責任者の奥村九郎左衛門は、 夜明けとともに築城予定地の雪原で、あれこれと縄張り(設計)の構想を練ってはいたが、よい考えが浮かばなかった。

その時、どこからともなく一匹の白狐が忽然と現れた。

その口には、一本の長い苧(麻の皮)をくわえていた。

白狐は、苧を引き摺りながら、 なにかを暗示するかのように跳ねまわったのである。

九郎左衛門は、雪原を跳ねまわる白狐の姿に見とれていたが、やがて白狐は姿を消した。
その亭を引いた跡を辿ってみると、なんとそこには巨大な城郭の規模が描かれていた。

考え悩んでいた城の縄張りを暗示していることに、ハッと気付いた九郎左衛門は、ただちに図面を引いて蔵王堂城の堀直竒公へ報告に馳せた。
直竒公は「それこそ
神が白狐を使者として、われに城の縄張りをお教え賜うたものだ」と感謝した。

九郎左衛門は、白狐の教えをもとに長岡城の構えを兜の錣の形にした。

そこで、人々は長岡城を「苧引形兜城」と呼んだ。
この時に現れた白弧 こそが、蔵王稲荷のお遣いとされており、築城後の城鎮守稲荷として長岡城の城内に蔵王稲荷の茶枳尼天を分霊して祀ったといわれる。


ということで、

稲荷さんがこのお城の形のヒントを与え

長岡城を守った神様。合格


明るく軽やかな

宇迦之御魂神の気だけではない

茶枳尼天を想像する、お力です。


こちらへのお参りも

忘れずに、ですねっ。宇宙人




・・・っというわけで


長岡を代表する神社

金峯神社でした。合格


あまり敏感な体質の人はどうかな?


気は、両方感じる所はあると思うけど

私は何より、あの蔵王堂城址が気持ちよくって


かなり長い時間いたよ~。


なんと、金峯神社にいた時間

合計3時間!でした。(笑)


ふふふふ~音譜